「私に絵具を買ってください、そうすれば絵を描きましょう。値段については大丈夫ですよ、絵具を買う1ルーヴルだけください」
面白いことを言う人だ。
グルジアの看板描きの人ピロスマニ、その名前をご存じの方は少ないのではないだろうか。
ルソーがピカソらによって見出された如く、この人も1913年のモスクワの展覧会で熱狂的に迎えられたという、
当時グルジアは「東洋」とみなされていた、単なる西洋絵画の模倣ではない新しい芸術表現を求めていたロシア未来派の人々にこの人の素朴な表現が新鮮に映ったのだろう。
「宴にようこそ」では、それが看板であることを示すがごとく、客が一回に支払うおおよその金額が右下に書き込まれている!
動物を「心の友」としたこの画家はしかし、新聞に「稚拙」と評価されて心の傷を負い、2年後には栄養失調で死亡したという。
このピロスマニの紹介がこの展覧会の目玉の一つだろう、Bunkamura開催の「青春のロシア・アヴァンギャルド」だ。
1910年から20年あまり、芸術にとって寛容であった都市モスクワ、そこで繰り広げられる芸術模様が幅広く展覧できる。
まずはシャガール、「女の肖像」はまっすぐにこちらに向かってくる顔が印象的だ、1908の作品、思春期の恋人を描いたものとか。
「家族」は男の顔と女の顔が半分ずつ組み合わされているちょっとおもしろい絵だ。
ロシア未来派の父と呼ばれるダヴィード・ブルリューク、コラージュ作品が面白い。
「革命」は当然1917のロシア革命を描いたもの、「風呂」もある。
リュボーフィ・ポポーヴァ「ギター」、ピカソとブラックによってはじめて絵画の世界に登場したギターがロシアへと。
で、マレーヴィチだ。
この画家のことはよく知らないが、画風がころころと変わったらしい。
農民のイメージを好んだというが、画風は眼鼻のない顔へ、そして「スプレマティズム」へと行きつく。それは「無対象の絵画」だ。
それに追随したリシツキーは「プロウン」なる概念を表す。
これは「絵画から建築への転回点」で、建築的絵画があらわされる。
そして1920-30年、ネップという市場経済が導入されて、抽象絵画は批判される、ロシア・アヴァンギャルドの画家は海外へと出て、ロシア・アヴァンギャルドは「青春」に終わったのだ。
そんな中マレーヴィチは祖国にとどまった、具象へと回帰したからだ、その回帰が究極の抽象に達したために具象へと回帰するほか絵画を続ける道がなかったのか、体制への順応かは知らないーともあれピロスマニからはるか遠くまできたことよー。
カタログは作品解説が全部最後についているのではなく,章ごとについていて珍しい。
朝日新聞の主催でこのあと大阪のサントリー、岐阜、埼玉県立近代と廻ります。