今日、木曜日は小学生を対象とした「知的Gameの日」です。毎回少しずつ出し物を替えていますが、本日は2番目の出し物として「日本史カルタ(人物編)」を行いました。
歴史の苦手な中学生たちのために2年前くらいに購入したカルタですが、中学生たちには難しすぎてあまり好評ではありませんでした。なので、小学生たちにも最初は不人気だろうと思っていたのですが・・・・。参加した小学3年生、5年生たちはみんな何人もの歴史上の人物を知っていて、最初から熱のこもった戦いが繰り広げられました。100枚ものカルタ取りが20分くらいであっという間に終わってしまいました。
多分同じ子どもたちに、勉強として「歴史上の人物を覚えよう!」などといったら、みんなから完全にそっぽを向かれてしまったと思います。それが、「遊び」となるとまるで違った受けとり方をしてくれます。
歴史が嫌いだった“おかさん”も小学校のときにこんなカルタ取りをしていたら、ずいぶん歴史に関する取り組み方が違ってきたと思います。ちなみに、カルタの内容は「青年よ 大志を抱けと クラークは ことば残して 日本去る。」とか、「芭蕉翁 曾良をお供に 旅に出る 名所たずねて 奥の細道」といった具合に、覚えやい調子の語呂合わせになっています。
僕らが出来ることは、本人が欲してないかぎり、
押しつけの排除を心掛けないといけないですね。
だから、学校教育のなかでは、ゲームやかるた
囲碁・将棋・オセロなどを、現在の学校授業の一環としては、取り入れて欲しくないです。
先日は、「通潤橋」について模型をはじめ、さまざまな情報を提供していただきありがとうございました。現在、いただいた情報をもとに、より面白いイベントにすべく検討中です。
ところで、「学校授業の一環としてはゲームを取り入れて欲しくない」とのことですが、わかるような、わからないような複雑な感じがします。
学舎で「知的Gameの日」を設けたのは、遊びながら(Gameを競いなが)、論理的な思考、図形を捉える直観力、それに、国語や社会の知識を習得してもらえたら。という思いからでした。で、それはおそらくかなりの部分で成功しているように感じています。
ただ、失敗もいくつかありました。たとえば、失敗のひとつは、百人一首や地理カルタなどをやるときに、できたら、札を取るだけでなく、子どもたちの知識倍増の場にできないかと、“おかさん”が欲張ったことから生じました。
百人一首ならその歌の中身(意味)も同時に覚えて欲しいと思ったのです。そこで、初めのころ少しだけそんな工夫もしてみました。でも、そうすると、時間がかかってしまい、遊びの面からすると、少し面白くなくなってしまいました。
そこで、今ではその辺は一切割り切って、「札取りGame」としてだけで、運行することにしています。ただ札を取ることを競い合うだけでも、たとえば、百人一首であるならば、旧仮名遣いを勝手に覚えたりしてくれたり、とおまけがいっぱいついてきてくれます。そして、この“おまけ”はきっと学校で古文なら古文を勉強するときに生きてきてくれると感じています。
とにもかくにも、毎週木曜日の「知的Gameの日」には、子どもたちの多くが、いつもより早く学舎に来て、仲間の来るのを今か今かと待っています。Gameを純粋に楽しんでくれているようです。
とりとめも無い話になってしまいましたので、これで終了させていただきます。