「森の学舎」の日々のできごと

学習塾「森の学舎」の日々のできごとや、“おかさん”の感じたことなどをつづっていきます。

雨の中ご苦労様。

2006-10-25 10:27:07 | Weblog
昨日は夕方に大きな雷がなるなど、ものすごい荒天。雨もすごいし、風もめちゃくちゃに強かった。そんな中、ほとんどの子が休まず来てくれて、本当に嬉しい限りです。

私も、自宅からここまで“チャリ”で通っているので、帰りに雨合羽を着て帰ったけれども、風が強くて自転車をいくらこいでも進まないし、大粒の雨が顔に当たり目をまともに開けていられない状態でした。

「ああ、こんな中みんな来てくれているんだな!」とありがたく思いました。(中には車で送り迎えの子もいますが、親御さんにまで大変な思いをさせてしまって申し訳なく思いました。)
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手打ちうどんつくり、奥が深い!

2006-10-23 21:47:08 | Weblog
おとといの土曜日、11人の子ども達を集めて、「手打ちうどんつくり」を行ないました。「森の学舎」での「手打ちうどんつくり」はこれで2回目となります。其の他に、類似の催しとしては、「手打ちそば」、「手打ちラーメン」つくりなどもやってきました。なので、小麦粉のとり回しには、多少慣れてきたはず・・・・?です。

でも“おかさん”の、この慢心がいけなかったのか、今回はこねた後の塊の硬さが、ちょうど良いなと思われるもののは、ほとんどありませんでした。全体にやや柔らか過ぎが多かったように思います。それでも、中にはその反対に、ものすごく硬くて、塩水をずいぶん規定の量より追加したものもありました。

毎回、参加したメンバーに同じ重さの小麦粉と同じ量の塩水とを配っているはずなのに、片や“ゆるゆる”、片や“がちがち”のものが出来てしまうのは何故なのか、いつも悩まされます。幸い、おとといのイベントでは、茹で時間を調節することで、ほとんどの子のうどんが、腰のある美味しいものとなりました。力仕事の後の食事だったこともあり、全員が完食してくれたのがとても嬉しかったです。

まだまだ、修行が足りません。次回に向けていろいろと反省点を書き残して、より美味しいうどんが作れるようにしていきたいと思います。
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植物発電?

2006-10-18 10:40:41 | Weblog
先日、夏の間放ったらかしにしておいた、庭の下草をもぎ取りました(刈り取る、ではなく、まさに力ずくで根からもぎ取ろうとしました)。土の露出している部分がないほど、ドクダミ、ヌスビトハギ、ミョウガ、竹笹などの植物が勢力争いをしていました。おかげで、大きくなった彼らを取り除くのには、都合3日もかかってしまいました。

彼らの成長振りを見ていると、太陽の光の“力・エネルギー”を余すことなく使っているように思えます。彼らのこの力を使って、農作物が生産されているわけだけれども、彼らの先祖代々から受け継いだ、光の利用法をうまく活用すれば、今の「太陽光発電」よりももっともっと効率のよい発電が出来るのではないか?と馬鹿なことを考えてしまいました。
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お風呂で「奥の細道」を読む

2006-10-16 12:40:04 | Weblog
お風呂の湯に浸かりながら本を読むのが習慣になっています。毎日、何らかの本を持って入るのであるが、たまたま、昨日は読む本が底をついてしまいました。そこで、昔読んだ本を読み返してみようと、本棚を確認すると、私の奥さんが所有していた「奥の細道」が出てきたので、それを読んでみることにしました。

中学の時に一番最初の部分だけ(月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。)を教わったことがある「奥の細道」でしたが、その中身はほとんど知りませんでした。読む前までは、芭蕉の俳句ばかりがたくさん書かれているのだとばかり思っていました。しかし、読んでみると、芭蕉が曾良というものと一緒に旅をした、紀行文であることがわかりました。(何とそんなことも良くは知らなかったのです。お恥ずかしい。)

土地土地での人とのふれあい、自然の風景との出会い、そしてその時の気持ちなどが、淡々とかかれていました。そして、そうした旅で感じたことを、俳句という形で、その時々に残しています。歩くこと、知らない土地を訪れることが好きな私には、感ずるところが多くあり愉しく読めました。(まだ、十一 那須野(そのニ)真でですが・・・。)

中学の時、古文なんてあまり好きではありませんでしたが、その当時、無理やりにでも教わったことが、今こんな形で役に立っています。無理やりに教わったことの中には、私の中で無駄に終わったものも多いけれども、中学や高校時代には雑多でもたくさんの知識を入れておいた方が、“いろいろな可能性の芽を仕込んでおく”という意味で良いなと、「奥の細道」を読みながら、そう思いました。
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勉強できる子の部屋??

2006-10-13 14:36:26 | Weblog
テレビで「中学受験で難関校に受かる勉強が出来る子の勉強部屋には、親子同居の居間が当てられているケースが多い。」という報道を見た。

うそか誠かはわからない。ただ“おかさん”が子どもの頃は、勉強部屋と称して自分自身の部屋を持っていた子はほとんどいなかったように思う。寝るのも勉強をするのも、テレビを見るのもみんな家族一緒くただったように思う。だから今で言えば、“おかさん”の子どもの頃の仲間は、みんな勉強の出来る子どもが育つ環境であったのかもしれない。

親だけではなく、たくさんの大人たちの中で育った。実家は洗濯屋で住み込みで働く10代の若い人たちが4~5人いたので、プロレスごっこなどもあり、まさに毎日大人たちにもみくしゃにされながら育った。だからおのずと大人たちの会話を毎日耳にしていたのだと思う。

そのせいで、お袋の変な方言も覚えてしまったけれども、それ以上にたくさんの世の中で使われている、しかも身近な大人が使っている言葉を覚えたように思う。学校で特に習ったわけでもないのに、“ことわざ”や“慣用句”なども自然に覚えたのはこのような環境のせいだったのかも知れない。

そんなことをテレビの報道を見て考えたりした。
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未来 転ぶ 

2006-10-12 10:55:52 | Weblog
おととい、子どもの運動能力について2つの報道に接した。一つは、「特ダネ」という番組で、「子ども達の自分の体をコントロールする能力が衰えてきている。」というもの。もう一つは、日経新聞で、「子どもの体力(特に持久力)が衰えてきていて、逆に40・50代の大人の運動能力が増してきている。」というものでした。

何か変!とっても変!そして、とってもまずい!中高年層の体力増進は喜ばしいことだが、これからの世界を背負っていく子ども達の体力や運動能力が衰えているというのは、とってもまずい。

自分自身に照らしてみて、「疲れている時」は、新しい発想も浮かばず、仕事の量をあまりこなせなかったり、できばえがよくなかったりする。昔風に言えば「健全な体に、健全な心宿す。」だと思う。翻って、今の子ども達は、疲れるから持久力を必要する運動を毛嫌いするようだが、そんなことをしていたら、ますます持久力がなくなり、大人になったときにすぐ疲れてしまうことだろうと思う。そして、そんな体力・気力ともに衰えた人間には、ろくな社会的役割をこなすことも出来ないのではないかと思う。これはまずい。そう思えてならないのだが・・・・・。
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