「拓郎とかぐや姫では、かぐや姫に、より感動」
今回のコンサートを見て、拓郎はあの当時から相変わらず、新しいものを追求しているように感じた。
たとえば、「春だったね」とか「人生を語らず」とかといった懐かしい曲を懐かしいままで歌うのではなく、今のミュージックシーン、拓郎の音楽環境、あるいは観客の現在の姿、生活に合わせ、編曲、演奏スタイルを今様にアレンジして、当時とは変え歌っていると感じた。
一方、かぐや姫のほうは、当時の演奏スタイル、曲の構成などをなるべく再現し、当時の面影を観客に呼び覚まさせよう、と歌っていると見えた。
どちらが良くてどちらが気に入らないなどとの比較をするものではなく、両者それぞれの持ち味が、このコンサートに力を入れているのだなと感じたのである。
拓郎は、35年前のコンサートから常に変化しながらここまで来た今の自分を、コンサートに来てくれた観客に見せることで、感激を表現し応えようとしている。
一方、かぐや姫は、過去の思い出を呼び覚まさせることで、今生きる喜びを実感してもらおうと、語りかけているようだ。
私の勝手な解釈だが、今回のコンサートで、このように拓郎とかぐや姫を対照している。
そして、私のブログのタイトルの温故知新からも分かるように、私の性格から、あの当時を懐かしみ彷彿とさせてくれるかぐや姫のほうが、より、今の自分があることの幸せを感じさせてくれるのである。