かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

誰よりも戦後日本映画の代表格女優であった、原節子

2015-11-29 00:36:38 | 映画:日本映画
 原節子が今年2015年の9月5日になくなったことが判明した。
 彼女とは1920(大正11)年の同じ年に生まれた李香蘭こと山口淑子がなくなったのが、ちょうど1年前の9月20日だった。
 伝説、レジェンドという言葉が軽々しく使われるようになった今日、「伝説の女優」と呼ぶのに躊躇(ためら)うことのない2人が、相次いでなくなったことになる。
 平凡な言い方をすれば、何か大きな時代が一つ終わったような気がする。
 それは、戦争を跨(また)いで活動・活躍した人と言えるかもしれない。2人はまったく異なった人生であったが、日本が戦争に突入していく時代に思春期を送り、女優として戦局のなかに身を置き、さらに新しく戦後を生き抜いた人生であったように思う。
 その時代を生きてきた人は、誰でも波乱を含んだ人生であったことは、自分の親の人生を想うだけで少しはわかるものがある。

 1939年、満州映画協会(満映)が日本人である山口淑子を中国人の李香蘭として中国、満州で売り出し中の戦中時代、満映と東宝の提携映画「東遊記」(監督:大谷俊夫)で、原節子と共演している。この後、李香蘭は満州と日本で大人気女優となる。
 戦後、李香蘭こと山口淑子の芸能生活20周年記念映画で、女優引退記念映画でもある「東京の休日」(監督:山本嘉次郎、1958年東宝)に、原節子も出演している。
 2人が同じ映画に出演(共演)した、ある意味では貴重な映画と言える。

 李香蘭と原節子、彼女たちが生きていた時代に、いくらかでも重なって自分も同じ空気を吸って生きていたという想いを、今一つ味わいたいと思う。

 李香蘭は大鷹淑子となった晩年の参議院時代に1度パーティーで見たことがあるが、1963年に女優業を引退し、それ以後一切公衆の面前に顔を出さなかった原節子を実際に見たことはない。
 李香蘭は、彼女の数奇な人生と僕の満州に対する幻想もあって、僕の中でも伝説化されていた。彼女が中国語で歌う「夜来香」も、僕を遠く大陸へ思いを馳せさせた。
 しかし、原節子には個人的な特別な思いはない。
 とはいっても、原節子は戦後を代表する映画女優であるのは言うまでもない。
 好きな女優をあげよと言われれば指折り数えることができるが、戦後を代表する女優を1人あげよとなると、原節子と言われても異論を唱えるつもりはない。やはりそうだなあ、と思わせるものがこの人にはある。
 戦後の代表的な政治家と言われれば、吉田茂があがるだろう。原節子は、そんな存在感のある女優なのである。

 2000年の「キネマ旬報」の「20世紀の映画スター・女優編」で、原節子は著名人選出による日本女優の第1位に輝いている。ちなみに5位までをあげてみよう。
 1.原節子
 2.吉永小百合
 3.京マチ子
 4.高峰秀子
 5.田中絹代
 日本の映画史上に名を残す女優が並んだ。

 僕の手元にある1990年の「文芸春秋」編によるアンケート「わが青春のアイドル 女優ベスト150」によるベスト5は、以下の通りである。
 1.久我美子
 2.高峰秀子
 3.吉永小百合
 4.原節子
 5.桂木洋子
 1位の久我美子は、「また逢う日まで」(監督:今井正、1950年)のなかで、岡田英次とのガラス窓越しのキスシーンで有名な公家出身の女優である。
 4位にいる原節子は、美しさは認めるがアイドル風には見られていなかったということだろう。それでも6位以下の芦川いづみや桑野道子、桑野みゆき親子などを押しのけてこの位置にいるのは、日本の女優としてこの人を抜きには語れないという風格というか、すでに伝説が作りあげられているからだろう。
 5位の桂木洋子は、昭和20年代清純派で人気だったらしいが、この人の映画は残念なことに僕は1本も見ていない。

 *

 僕が初めて原節子を映画のなかで見たのは、おそらく子供のころに見た「ノンちゃん雲に乗る」(監督:倉田文人、1955年)であろうが、主役の可愛い鰐淵晴子のことは思い出せても、残念ながら彼女の印象は薄いのだ。のちに資料で鰐淵の母親が原節子だったということを知ったぐらいである。
 大人になって、といってもまだ若い頃、リバイバル上映の名画座あたりで原節子出演の小津安二郎監督の「麦秋」(1951年)や「東京物語」(1953年)を見たが、当時はヌーヴェルヴァーグの新鮮さに酔っていたこともあって、小津作品の良さはまったくわからなかった。
 地方に住んでいる老夫婦が都会へ出ていった子どもたちのところに出向くのだが、そこでのバラバラになった家族の会話や微妙な心理を垣間見せる、大きな山場もないささやかな物語が、若者には物足りなかったのだ。小津作品の良さがわかるには、もう少し年齢を重ねなければならなかった。

 若いときには、渋い茶の味などわかろうはずがない。
 小津安二郎作品のなかの原節子の存在は、渋い茶を味わっているのだが、その茶葉の中にダリヤかボタンの花びらが混じりこんでいるような感じである。それが、茶の味を引き立てていると思えるのだ。
 *写真は、11月27日の朝日新聞の追悼記事より、映画「山の音」(監督:成瀬巳喜男、1954年、東宝)から。左は山村聰。

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