かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

女優と作家の秘めた関係、「安部公房とわたし」

2014-01-15 02:11:11 | 本/小説:日本

 *

 女優と映画監督が結婚するというのは珍しくないし、結婚しなくとも関係が生じるというのは仕事柄頷ける。監督とすれば自分の好みの女優を出演させ、できれば主演させるだろうし、撮影の演技指導をしている間に、ある種の感情が生まれてくることも多々あることだろう。
 かつての松竹ヌーヴェルヴァーグ監督たちに至っては、新人監督時代に各々、大島渚と小山明子、吉田喜重と岡田茉莉子、篠田正浩と岩下志麻といった具合に、美人で日本を代表する女優と結婚し、監督業なるものを羨ましがらせたものだ。
 結婚しなくて、表面に出なかった監督と女優の関係は、おそらく驚くぐらいうずくまっているだろう。

 女優と作家となると、渡辺潤一郎、五木寛之などの女好みの渋い作家が艶聞を撒いたが、古くは川端康成をはじめ、作家は意外と女優がお好きのようだ。もっとも川端康成の場合は、行動に起こすのではなく精神的なところに抑制されていたみたいで、その眼差しを誰かが視姦と表現していた。
 当時若手女優の関根恵子は、やはり若手作家だった河村季里と舞台をすっぽかし、タイへ逃避行におよび話題を呼んだ。しかし、その後映画監督と結婚し高橋恵子となった。
 作家の有名女優相手の結婚には、伊集院静は夏目雅子、篠ひろ子と、辻仁成は南果歩、中山美穂が有名だ。二人とも再婚相手がやはり女優、タレントというのは、好みが一貫しているのであろうか。それに、二人とも文筆以外のジャンルに少なからず身を置いていた。

 先にあげた二人は別として、映画監督と違って、作家が女優と結婚する例は少ない。それは作家という職業が、すぐに名や功を成すものではなく、下積み生活が続く間に糟糠の妻ができるからだろう。だから、名も富もある流行作家になったときには、すでに妻子がいる場合が多い。
 その後女優と雑誌の対談なりで知り合い、関係ができることとなる。離婚せずに妻子がいる状態で恋愛関係に進むと、その関係は隠された日陰の状態か泥沼に陥る。

 わが愛する吉行淳之介や壇一雄も、妻以外の女性、女優を愛し、家を出て、抜きさしならない関係に足を踏み入れた。彼らは、それらを養分のごとく吸いあげ、作品として結実させている。
 しかし、いずれも生涯夫人より離婚を許されず、愛人としての関係で終えた。

 *Ⅰ

 そして、昨年(2013年)夏に発表した女優、山口果林の「安部公房とわたし」(講談社)である。
 作家が女優との愛の生活を描いたものと異なり、女優による作家との愛の生活を主題とした、ドキュメンタリー風自伝である。
 安部公房は、「砂の女」「他人の顔」「箱男」などの作品で知られる小説家であり、劇作家で演出家でもある。晩年はノーベル文学賞の候補にもなった、国際的に有名な大作家といえる。
 年齢は1924年生まれであるから、三島由紀夫より1歳上ということになる。1993年に亡くなって20年になる。
 女優の山口果林は、名前を聞かなくなって久しい。彼女は、本の略歴によると1947年生まれで、安部公房より23歳下ということになる。

 誰でもそうであるが、人生は分岐点での選択でどう変わるかわからない。その最初の大きな分岐点は、入試であろう。
 演劇が好きであったが、普通の高校生であった山口静江は、ごく普通に大学受験する。しかし、高校時の成績からして受かると思っていた上智大、早稲田大の受けた学部すべてに落ちてしまう。
 思案の末、できたばかりの桐朋学園大学短期大学部(専攻科2年が付く)の演劇科に進む。そこで教師として授業をやっていたのが、のちに自分の劇団をも運営していくようになる安部公房である。
 教師と生徒として知り合った二人は、その時すでに安部公房には妻子がいたが、やがて恋愛関係に進展する。この頃から、安部は学生である彼女をさまざまなところに連れて行き、様々な人物と会わせている。
 4年卒業と同時期に、彼女は俳優座の準劇団員となり、ほどなく学生、山口静江は、役者、山口果林になる。安部公房が考えた名前である。
 山口静江が大学受験で志望校にすんなり受かっていたら、演劇活動を志望していたとしても女優になっていたであろうか。少なくとも安部公房に会っていなかっただろうし、山口果林は生まれなかっただろう。

 安部公房という人間が大きな部分を占めるようになった山口果林に、すぐさまさらなる大きな変化がやってくる。
 それは、NHK連続テレビ小説、通称NHK朝ドラの主役という、まだ女優として出発したばかりの彼女には、それがどのくらいの価値と重みがあるのかも計り知れない大役に決定したのである。
 1971年、NHK朝ドラ「繭子ひとり」(三浦哲郎原作)に主演したことにより、彼女は全国に知れわたるスター女優となる。
 去年の2013年は、「あまちゃん」の能年玲奈が一躍スターとなった。しかし、約40年前の朝ドラの人気と話題性は、今の比ではなかったはずだ。
 大作家との隠れた恋愛に続き、一躍全国区のスターとなった山口果林の生活は、思いがけない大変化を起こしたことだろう。

 *Ⅱ

 僕は朝ドラをちゃんと見たことがないが、その作品と主演した俳優は、時代の流れとして、みんなと同じようにだいたい知っている。
 ヒロインが人気女優への登竜門ともいえるNHK連続テレビ小説の一覧を改めて見てみた。以下に、話題となり印象に残ったヒロインをあげてみよう。

 先にあげた2013年の「あまちゃん」の能年玲奈から年度を遡ってみれば、2012年「梅ちゃん先生」の堀北真希、2011年「カーネーション」の尾野真千子、2010年「ゲゲゲの女房」の松下奈緒、07年「ちりとてちん」の貫地谷しほり、06年「純情きらり」の宮崎あおい、03年後期「てるてる家族」の石原さとみ、03年前期「こころ」の中越典子、01年「ちゅらさん」の国仲涼子。
 「梅ちゃん先生」の堀北真希は新人とは言えないが、昔の清純派女優の面影を持った、すでに日本を代表する若手女優といえるし、「カーネーション」の尾野真千子は素晴らしい演技派女優である。「こころ」の中越典子は佐賀県出身ということで、個人的に応援をしている。

 1990年代に遡ると、99年「あすか」の竹内結子、97年後期「あぐり」の田中美里、97年前期「ひまわり」の松嶋菜々子、93年「ええにょぼ」の戸田菜穂、91年「君の名は」の鈴木京香。
 「あぐり」は、吉行淳之介の母が主人公で、かつて僕が会社に通っていた市谷に、彼女の美容院があったはずだ。鈴木京香の「君の名は」は、どうも印象が薄い。やはり主人公の真知子の役は岸恵子のイメージが強いし、彼女以外に考えられない。

 1980年代に遡ると、88年「純ちゃんの応援歌」の山口智子、86年「はね駒」の斎藤由貴、85年「澪つくし」の沢口靖子、84年「ロマンス」の樋口可南子、83年「おしん」の小林綾子、80年「なっちゃんの写真館」の星野知子。
 さすがに、1983年の「おしん」の人気は、「オシンドローム」と呼ばれたように凄かった。あれは、北海道を旅した時だった。朝一番の船の、稚内から利尻島行きに乗った。大部屋でくつろいでいると、急に周りの人間が一斉に移動したので、どうしたのだろうと思って見てみると、みんな1台のテレビの前に集まっていた。やがて、朝ドラ「おしん」が始まった。まだいたいけない子役だった小林綾子の赤いほっぺを、みんな食い入るように見ていた。
 成長し嫁いだおしん、田中裕子をいびった姑役の高森和子は憎まれ役になり、舞台の地元となった佐賀県から、封建的な地域だと誤解を招くと抗議されたほどだ。後に、彼女による、痴呆になりつつある母との関係を辛辣に綴った本「母の言いぶん」が話題となった。親への介護本の先駆けともいえるもので、筆もたつ人だった。

 1970年代に遡ってみよう。
 77年「いちばん星」の高瀬春奈、76年「雲のじゅうたん」の浅茅陽子、75年「水色の時」の大竹しのぶ、74年「鳩子の海」の藤田美保子、そして71年の「繭子ひとり」の山口果林である。
 75年は、僕は創刊されたばかりの男性雑誌の編集部にいた。朝ドラのヒロインに決定した、まだ高校生だったと思うが大竹しのぶを取材しに渋谷のNHKに出向いた。インタビューが終わって、写真を撮る段になって、カメラマンが、若々しさを出すため走ってくるところを撮ろうと言いだした。それで、彼女にNHKの廊下を走ってもらった。僕はすみませんと頭を下げたが、彼女は嫌な顔一つせず、廊下を走った。ところが、こともあろうかカメラマンは首をかしげ、もう一度お願いしますと、3度も彼女に廊下を走らせた。あの時は、ひやひやだった。
 「繭子ひとり」の1971年は、全共闘で燃えあがった学生運動も急速に下火になり、小柳ルミ子の「わたしの城下町」のヒットに象徴されるように、アンノン族がブームになり始めた時期である。
 原作は、「忍ぶ川」(のちに栗原小巻主演で映画化)で芥川賞を受賞した青森県出身の三浦哲郎で、「繭子ひとり」の舞台も青森県三戸町である。ドラマも当時は大変な人気だったようで、三戸町には繭子像も立っているという。

 1960年代に入ると、朝ドラは伝説的ですらある。
 66年「おはなはん」(林謙一原作)の樫山文枝、65年「たまゆら」(川端康成原作)の亀井光代、64年「うず潮」(林芙美子原作)の林美智子、そして第1回の1961年「娘と私」(獅子文六原作)の北林早苗とたどり着く。
 3年前に四国を旅したとき、愛媛県の松山から予讃線で宇和島に行く途中で、大洲(おおず)で降りた。大洲は、近年復元されたばかりの木造による天守の城がある古い町だ。その街並みの一角に「おはなはん通り」があり、町の名所になっていた。
 ドラマ放映から半世紀近くたっているというのを考えると、かつての朝ドラの人気と威力をうかがい知ることができる。しかも、原作によると実際の「おはなはん」の舞台は徳島市なのだが、テレビドラマとして大洲に変更されたというのだから、大洲も降ってわいたような大変な賑わいだったことだろう。

 こうして朝ドラの流れを見ると、ずいぶんと時がたって、いろいろなヒロインが生まれたものである。そして、もう消えてしまったヒロインもいるが、ほとんどが長く活動している錚々たるスター、女優の顔である。
 歴代ヒロインのなかには、監督・演出家、作家、カメラマン、コピーライター、音楽家などの文化人と浮名を流したり、なかには結婚した人もいるだろう。そして、山口果林のように、秘められた恋もあろうし、あっただろう。
 女優のもう一つの陰の人生。想像するだけで、何となく楽しいではないか。

 *Ⅲ

 「安部公房とわたし」には、知られざる安部公房の文学や音楽などの嗜好が散りばめられている。

 安部公房がよく口にした言葉は、ミュリエル・スパークの「死を忘れるな」。

 山口果林が出演依頼された「名作のふるさとを訪ねて」というテレビ番組で、相談された安部公房は以下の3冊を選んだ。
 大佛次郎著「帰郷」
 田中英光著「オリンポスの果実」
 梅崎春生著「桜島」

 安部公房は山口果林に様々な本を薦めたようで、そのなかで印象に残った本をあげている。
 司馬遼太郎著「街道をゆく・南蛮のみち」
 ドナルド・キーン著「百代の過客」
 角田忠信著「脳の発見」
 角田房子著「閔妃暗殺」
 鶴見良行著「ナマコの眼」
 陳舜臣著「茶事遍路」
 吉村昭著「破獄」
 澁澤龍彦著「高丘親王航海記」
 色川武大著「狂人日記」

 安部公房の音楽の嗜好は、いろいろ変わったというが、邦楽はアレルギーというほど嫌いだったようだ。山口果林が仕事の関係で稽古していた三味線も嫌ったし、ある日山口が篠笛を吹いていたところ、それが耳に入った安部に初めて怒鳴られたというエピソードも書いてある。
 山口果林と知り合った頃は、ゲルハルト・ヒュッシュの「冬の旅」(シューベルト)やバルトークの「弦楽四重奏曲」をよく聴いていて、イギリスのロック・バンドのピンク・フロイドにも凝っていた。
 終生好きだったというのはバロック音楽。キース・ジャレットのバッハのCDを山口にプレゼントしているし、晩年ずっと聴いていたのはウェンディ・カルロス(シンセサイザー奏者)のバッハだったという。

 いつの日か、山口果林が安部公房に「次の世紀に生き残る作家は誰だと思う?3人あげて」と訊いた答えは、
 「宮沢賢治、太宰治……」
 うーんと考えて、3人目は出なかったという。おそらく、3人目は安部公房だったようだ。

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