
*本州最南端の草原
本州最南端の駅、串本駅から本州最南端の潮岬を目指し、“岬めぐり”の串本町コミュニティバスに乗って、途中にあるバス停「潮岬観光タワー」で降りた。
そこから、一本の道を潮岬灯台まで歩き、灯台のある岬を散策した。その一本の道沿いにある「潮岬・夕日が丘」(私作称)にて、太平洋に落ちなんとする夕日に佇む潮岬灯台を見た。
そして、再び「潮岬観光タワー」のところへ戻ってきた。観光タワーも売店ももう閉まっている。
そこは、物語の場面のように海に向かって芝生の草原が広がっている。夕方、バスでここに着いたとき、観光タワーに隣接している売店の人が、草原の先を指さして本州最南端の碑があると教えてくれた。それで、草原を歩き海辺の方へ行ってみた。
日も暮れようとしている薄い日差しのなか、目の前に悠々たる太平洋が広がっていた。
そしてそこに、「本州最南端」と書かれた四角い石碑が立っていた。ただそれだけの朴訥とした碑である。付近を歩き見ると、近くに日本列島の略図付きの「潮岬 本州最南端」という石碑が立っていた。(写真)
ここには、「本州最南端」の碑が二つあるのだ。
本土(九州)最南端は大隅半島の佐多岬(鹿児島県南大隅町)。日本最南端のJR駅は「西大山駅」(鹿児島県指宿市)で、JR本土最南端の終着駅(始発駅でもある)は指宿枕崎線の「枕崎」駅である。
日本の最南端は沖ノ鳥島(東京都小笠原村)である。日本の最南端は、なんと東京都である。
薄暗くなった本州最南端の地のバス停で、串本駅行きのバスを待った。人けがなくなったバス停標示板の前には、私以外にもう一人若い男性がいるだけだ。
バスがやってきて乗り込んだが、二人専用である。こんなとき、寂しさ感とウキウキ感の混じった旅の感覚が湧きあがってくる。若い男性は中国からの留学生で、近畿地方を観光で旅していた。
彼はこの日は白浜に宿泊予定だと言って、串本駅で別れた。
ひとり、串本の夜の街を食事処を求めてさまよった。寂しい町は憂いがある。
*串本から紀勢本線で三重・多気へ
翌9月26日、串本駅発9時25分発の紀勢本線、各駅停車の普通列車に乗った。選択肢はない。この次の普通列車は13時05分発で、3時間40分後となるのだ。
串本駅を出発する(下り)普通列車は全て新宮駅止まりである。新大阪発の特急「くろしお」も、多くが白浜駅止まりで、串本駅を通って新宮駅まで行くのが1日4本あるだけである。
何はともあれ、列車の醍醐味は各駅停車といえる。
「串本」駅を出ると、これぞ紀勢本線と思える海岸線が続く。太平洋である熊野灘の広い海に荒い岩が並ぶ。
車窓から海岸線を見ていると、去年(2023年)呉線から眺めた景色を思い出した。紀勢本線の海は、呉線の瀬戸内海の穏やかな海とゆったりとした島々と全く違う景色だ。
かつてクジラ漁で名をはせた「太地」駅を過ぎると、温泉で有名な「紀伊勝浦」駅である。
岩のある海を過ぎ、砂浜を走っているような海岸を過ぎると「新宮」駅に着く。
いわゆる紀勢本線の、和歌山—新宮間の愛称「きのくに線」の終着駅である。つまり、JR西日本の終わりで、これから先はJR東海管轄線となり、紀勢本線は「下り」から「上り」になる。
※このことは、ブログ「紀伊半島一周⑤紀伊半島の幹線、紀勢本線」で書いている。
新宮駅10時03分着。10時52分発、紀勢本線(上り)普通列車「多気」行きに乗った。
紀勢本線の終点(起点)は亀山駅だが、上りの普通列車のほとんどがその手前の多気駅止まりだ。というのは、多気駅から伊勢、鳥羽に行く「参宮線」が出ているからである。
鳥羽・志摩へは行ったことがあるのだが、伊勢神宮にはいまだ行っていない。
紀勢本線を走破しようと思いついたときから、その横に飛び出している伊勢が気になったのだ。というのも、心の片隅に、一度は伊勢参りをせねばならないと思っていたからだ。
ということで、「多木」駅から参宮線に乗って伊勢へ行くことにした。
多気駅14時10分着。多気駅14時35分発、参宮線にて「伊勢市」駅14時56分着である。
本州最南端の駅、串本駅から本州最南端の潮岬を目指し、“岬めぐり”の串本町コミュニティバスに乗って、途中にあるバス停「潮岬観光タワー」で降りた。
そこから、一本の道を潮岬灯台まで歩き、灯台のある岬を散策した。その一本の道沿いにある「潮岬・夕日が丘」(私作称)にて、太平洋に落ちなんとする夕日に佇む潮岬灯台を見た。
そして、再び「潮岬観光タワー」のところへ戻ってきた。観光タワーも売店ももう閉まっている。
そこは、物語の場面のように海に向かって芝生の草原が広がっている。夕方、バスでここに着いたとき、観光タワーに隣接している売店の人が、草原の先を指さして本州最南端の碑があると教えてくれた。それで、草原を歩き海辺の方へ行ってみた。
日も暮れようとしている薄い日差しのなか、目の前に悠々たる太平洋が広がっていた。
そしてそこに、「本州最南端」と書かれた四角い石碑が立っていた。ただそれだけの朴訥とした碑である。付近を歩き見ると、近くに日本列島の略図付きの「潮岬 本州最南端」という石碑が立っていた。(写真)
ここには、「本州最南端」の碑が二つあるのだ。
本土(九州)最南端は大隅半島の佐多岬(鹿児島県南大隅町)。日本最南端のJR駅は「西大山駅」(鹿児島県指宿市)で、JR本土最南端の終着駅(始発駅でもある)は指宿枕崎線の「枕崎」駅である。
日本の最南端は沖ノ鳥島(東京都小笠原村)である。日本の最南端は、なんと東京都である。
薄暗くなった本州最南端の地のバス停で、串本駅行きのバスを待った。人けがなくなったバス停標示板の前には、私以外にもう一人若い男性がいるだけだ。
バスがやってきて乗り込んだが、二人専用である。こんなとき、寂しさ感とウキウキ感の混じった旅の感覚が湧きあがってくる。若い男性は中国からの留学生で、近畿地方を観光で旅していた。
彼はこの日は白浜に宿泊予定だと言って、串本駅で別れた。
ひとり、串本の夜の街を食事処を求めてさまよった。寂しい町は憂いがある。
*串本から紀勢本線で三重・多気へ
翌9月26日、串本駅発9時25分発の紀勢本線、各駅停車の普通列車に乗った。選択肢はない。この次の普通列車は13時05分発で、3時間40分後となるのだ。
串本駅を出発する(下り)普通列車は全て新宮駅止まりである。新大阪発の特急「くろしお」も、多くが白浜駅止まりで、串本駅を通って新宮駅まで行くのが1日4本あるだけである。
何はともあれ、列車の醍醐味は各駅停車といえる。
「串本」駅を出ると、これぞ紀勢本線と思える海岸線が続く。太平洋である熊野灘の広い海に荒い岩が並ぶ。
車窓から海岸線を見ていると、去年(2023年)呉線から眺めた景色を思い出した。紀勢本線の海は、呉線の瀬戸内海の穏やかな海とゆったりとした島々と全く違う景色だ。
かつてクジラ漁で名をはせた「太地」駅を過ぎると、温泉で有名な「紀伊勝浦」駅である。
岩のある海を過ぎ、砂浜を走っているような海岸を過ぎると「新宮」駅に着く。
いわゆる紀勢本線の、和歌山—新宮間の愛称「きのくに線」の終着駅である。つまり、JR西日本の終わりで、これから先はJR東海管轄線となり、紀勢本線は「下り」から「上り」になる。
※このことは、ブログ「紀伊半島一周⑤紀伊半島の幹線、紀勢本線」で書いている。
新宮駅10時03分着。10時52分発、紀勢本線(上り)普通列車「多気」行きに乗った。
紀勢本線の終点(起点)は亀山駅だが、上りの普通列車のほとんどがその手前の多気駅止まりだ。というのは、多気駅から伊勢、鳥羽に行く「参宮線」が出ているからである。
鳥羽・志摩へは行ったことがあるのだが、伊勢神宮にはいまだ行っていない。
紀勢本線を走破しようと思いついたときから、その横に飛び出している伊勢が気になったのだ。というのも、心の片隅に、一度は伊勢参りをせねばならないと思っていたからだ。
ということで、「多木」駅から参宮線に乗って伊勢へ行くことにした。
多気駅14時10分着。多気駅14時35分発、参宮線にて「伊勢市」駅14時56分着である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます