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思春期もしくは青春期に、初めて詩に触れるのは、島崎藤村あたりではないだろうか。
それは、「藤村詩抄」の、次に掲げる「序のうた」にあるように、その七五調の日本語が、なぜか切なく心酔わせるのだった。
心無き歌のしらべは
一房の葡萄のごとし
なさけある手にも摘(つ)まれて
あたたかき酒となるらむ
藤村の詩のなかでは、まずは「若菜集」の「初恋」(まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき)や、「落梅集」の「千曲川旅情の歌」(小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ)を口ずさむだろう。
感傷という甘酸っぱい調べ――それはその時代、その季節の思わぬ発見、予期せぬ遭遇である。
その季節、感傷と無縁だった少年時代とは違う自分を見つけ、同時期にやってくる初恋の戸惑いも相まって、初めて感傷という甘酸っぱい調べの哀楽を味わうのだった。
そんな思春期のなかで、藤村の「高楼」の歌に出合った。
遠き別れに耐えかねて
この高殿にのぼるかな
悲しむなかれわが友よ
旅の衣をととのへよ
甲高い声で歌う小林旭の「惜別の唄」だった。
この島崎藤村の「高楼」に曲をつけたのは、第二次世界大戦末期で中央大予科の学生藤江英輔。
藤村の原詩では、「悲しむなかれわがあねよ」となっているのは知られたとおりだ。
孤高の藤村の詩と山間にこだまするような小林旭の声質は、よく調和している。旭は、先にあげた藤村の詩「初恋」(作曲:若松甲)もレコーディングしている。
ちなみに当時のレコードは、「惜別の歌」はB面で、「北帰行」(作詞・作曲:宇田博)がA面である。しかし、タイトルは並列に記されているように、両方同時にヒットした。(写真)
調布市のホールで、珍しいことに、映画「惜別の歌」(監督:野村博志、1962年、日活)上映とあったので見に行った。
小林旭の歌で大ヒットした「惜別の唄」の映画化作品である。歌はレコード・ジャケットを見ると「惜別の唄」だが、映画では「惜別の歌」となっている。
当時、小林旭は、映画「渡り鳥シリーズ」および「流れ者シリーズ」、それに「銀座旋風児シリーズ」が大ヒットし、月に1本の割で主演作が作られるほどで、同じ日活の石原裕次郎を凌ぐ人気だった。
映画とともに、その主題歌もヒットし、代表的な歌う映画スターだった。
この「惜別の歌」は、「黒い傷あとのブルース」(監督:野村孝、共演:吉永小百合、1961年日活)の系統の、歌のヒットを追って映画化されたもの。
*
東京の高校で体育の教師をしていた三崎(小林旭)は、チンピラと喧嘩したことが原因で教師を辞職し、故郷の仙台に帰ってくる。
仙台では、三崎を育ててくれた神部組の組長が死んだ後、未亡人(高野由美)とわずかな子分(殿山泰司ほか)が残っているだけだった。一方、神部組の子分だった兵頭(金子信雄)が独立して、神部組のシマ(縄張り)であるマーケットを乗っ取ろうとしていた。
三崎は、高校教師への復帰の思いを捨てきれずにいたが、兵頭の卑劣なやり方に堪忍袋の緒が切れ、神部組長の3回忌の後、2代目を継ぐことを決意し、兵頭のところに一人乗り込む。
そうなるのを最も心配していたのは、兵頭の娘で三崎に恋心を抱いていた美那子(笹森礼子)だった。
大まかな粗筋は、「渡り鳥シリーズ」と変わらない。懐かしさだけで十分だ。
映画は、歌のように、高殿である石垣の連なる城跡に帰ってきた小林旭の遠姿で始まる。そして、高殿を去る旭で終わる。舞台が仙台であるので、この城跡は青葉城と思われる。去っていく旭を見送るのは、浅丘ルリ子ではなく笹森礼子だ。
松島の観光船で歌を歌うガイド嬢に、歌手の田代みどりが出ているのも愛嬌だ。
夜のクラブ・プランタンで歌う美人歌手は誰かと思ったら、高美アリサという歌手だった。
ヒロインが、小林旭には最高の似合いの相手だった浅丘ルリ子から笹森礼子に代わった。この時期より、小林・浅丘のコンビは別れ、小林の相手役は笹森礼子、松原千恵子になる。
映画は、城跡を後にしながら去っていく小林旭を映しながら、「惜別の歌」の3番(「高楼」の5節目)が流れて終わる。この歌声が、浅丘ルリ子に向けたもののように響いた。
君がさやけき目の色も
君紅(くれない)の唇も
君がみどりの黒髪も
またいつか見むこの別れ
それは、「藤村詩抄」の、次に掲げる「序のうた」にあるように、その七五調の日本語が、なぜか切なく心酔わせるのだった。
心無き歌のしらべは
一房の葡萄のごとし
なさけある手にも摘(つ)まれて
あたたかき酒となるらむ
藤村の詩のなかでは、まずは「若菜集」の「初恋」(まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき)や、「落梅集」の「千曲川旅情の歌」(小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ)を口ずさむだろう。
感傷という甘酸っぱい調べ――それはその時代、その季節の思わぬ発見、予期せぬ遭遇である。
その季節、感傷と無縁だった少年時代とは違う自分を見つけ、同時期にやってくる初恋の戸惑いも相まって、初めて感傷という甘酸っぱい調べの哀楽を味わうのだった。
そんな思春期のなかで、藤村の「高楼」の歌に出合った。
遠き別れに耐えかねて
この高殿にのぼるかな
悲しむなかれわが友よ
旅の衣をととのへよ
甲高い声で歌う小林旭の「惜別の唄」だった。
この島崎藤村の「高楼」に曲をつけたのは、第二次世界大戦末期で中央大予科の学生藤江英輔。
藤村の原詩では、「悲しむなかれわがあねよ」となっているのは知られたとおりだ。
孤高の藤村の詩と山間にこだまするような小林旭の声質は、よく調和している。旭は、先にあげた藤村の詩「初恋」(作曲:若松甲)もレコーディングしている。
ちなみに当時のレコードは、「惜別の歌」はB面で、「北帰行」(作詞・作曲:宇田博)がA面である。しかし、タイトルは並列に記されているように、両方同時にヒットした。(写真)
調布市のホールで、珍しいことに、映画「惜別の歌」(監督:野村博志、1962年、日活)上映とあったので見に行った。
小林旭の歌で大ヒットした「惜別の唄」の映画化作品である。歌はレコード・ジャケットを見ると「惜別の唄」だが、映画では「惜別の歌」となっている。
当時、小林旭は、映画「渡り鳥シリーズ」および「流れ者シリーズ」、それに「銀座旋風児シリーズ」が大ヒットし、月に1本の割で主演作が作られるほどで、同じ日活の石原裕次郎を凌ぐ人気だった。
映画とともに、その主題歌もヒットし、代表的な歌う映画スターだった。
この「惜別の歌」は、「黒い傷あとのブルース」(監督:野村孝、共演:吉永小百合、1961年日活)の系統の、歌のヒットを追って映画化されたもの。
*
東京の高校で体育の教師をしていた三崎(小林旭)は、チンピラと喧嘩したことが原因で教師を辞職し、故郷の仙台に帰ってくる。
仙台では、三崎を育ててくれた神部組の組長が死んだ後、未亡人(高野由美)とわずかな子分(殿山泰司ほか)が残っているだけだった。一方、神部組の子分だった兵頭(金子信雄)が独立して、神部組のシマ(縄張り)であるマーケットを乗っ取ろうとしていた。
三崎は、高校教師への復帰の思いを捨てきれずにいたが、兵頭の卑劣なやり方に堪忍袋の緒が切れ、神部組長の3回忌の後、2代目を継ぐことを決意し、兵頭のところに一人乗り込む。
そうなるのを最も心配していたのは、兵頭の娘で三崎に恋心を抱いていた美那子(笹森礼子)だった。
大まかな粗筋は、「渡り鳥シリーズ」と変わらない。懐かしさだけで十分だ。
映画は、歌のように、高殿である石垣の連なる城跡に帰ってきた小林旭の遠姿で始まる。そして、高殿を去る旭で終わる。舞台が仙台であるので、この城跡は青葉城と思われる。去っていく旭を見送るのは、浅丘ルリ子ではなく笹森礼子だ。
松島の観光船で歌を歌うガイド嬢に、歌手の田代みどりが出ているのも愛嬌だ。
夜のクラブ・プランタンで歌う美人歌手は誰かと思ったら、高美アリサという歌手だった。
ヒロインが、小林旭には最高の似合いの相手だった浅丘ルリ子から笹森礼子に代わった。この時期より、小林・浅丘のコンビは別れ、小林の相手役は笹森礼子、松原千恵子になる。
映画は、城跡を後にしながら去っていく小林旭を映しながら、「惜別の歌」の3番(「高楼」の5節目)が流れて終わる。この歌声が、浅丘ルリ子に向けたもののように響いた。
君がさやけき目の色も
君紅(くれない)の唇も
君がみどりの黒髪も
またいつか見むこの別れ
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