かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

風にまかせて、お節料理

2017-01-02 18:37:19 | 気まぐれな日々
  春にのみ 浮かれ惑ひし 来し方の
  惜しむやなかれ 咲き散る春を
                沖宿

 今年の正月は、佐賀ではなく東京・多摩である。
 年をとり、田舎の冬が億劫になってきたのだ。

 毎年のお節料理も、年々簡素になる。豪華なお節料理のセットなど買うことはない。
 蒲鉾と黒豆と昆布巻きで、最低限のお節とする。伊達巻の代わりに茹で玉子。
 もともとカズノコは子だくさんを祝う必要もないので買うこともないし、栗きんとんは糖分節制のため略とする。今年は田作りもなしである。ゴマメよ、ごめん。
 野菜類としてホウレン草のおひたし、豆腐に小ネギをまぶして。
 刺身はカンパチ、エビ。それに握りの鮨で、おしまい。
 テーブルに普段にはない花をかざせば、正月らしい華やかさが出るというものだ。

 もともと日本酒は滅多に飲まないのだが、正月だけは日本酒の瓶を買ってお屠蘇として熱燗で飲んでいた。しかし、年末に少し酒を飲んだので今年はお屠蘇もなしに。とはいっても、酒が何もないのもつまらないので、作り置きしている梅酒を少々持ち出してごまかしてみる。

 今年から、普通の生活にと思っていたのだが、夜型のリズムがなかなか直らず、さあ、年の初めのお節を食べようとしたころには、窓から入る日差しが眩しい。(写真)
 相変わらず、風まかせの日々である。

 *

 正月といえば雑煮である。
 夜は雑煮にしようと台所に立ったが、どうしたらいいか迷いが出た。
 佐賀では、主にダシは鶏ガラで出すのだが、東京のスーパーにはなかったので、とりあえず鶏肉は買っておいた。
 仕方ないので、普通の味噌汁のように鰯の煮干しを使うことにする。鍋は、一人鍋用に使っている雑炊用の釉のある土鍋を使う。
 ダシが煮立ったら、数日前から日の当たる窓辺に置いていたシイタケが適度に干しシイタケになっているのを切って入れる。味にコクが出るだろうという魂胆だ。
 そこに、鶏肉、里芋、白菜、ネギ、蒲鉾、豆腐、ニラ、ワカメを入れ、煮だてる。要するに、あるものを適当に切って入れこんでいるにすぎない。
 これじゃ、雑煮でなく「ごった煮」だ。もう破れかぶれだと、酒粕と醬油を少々加えて味を操作する。僕がよくやる手だ。
 普段は豆板醤やカレー粉などを使うが、今回はいやしくも和の伝統料理の雑煮であるから、それはなしだ。
 最後に、レンジで膨らませた餅を入れておしまいだ。
 この餅は、パックに入っている切り餅で、実は去年の正月用に買ったものである。賞味期限が17年(今年)11月とあるので、残ったのを呑気に放置しておいたものだが、2年近くの賞味期限というのは深く考えると恐ろしい。
 さて、味はコクがあるが出し汁は少し甘い。そうだと、カボスを絞って汁をたらし、佐賀の友だちからもらった手作り柚子胡椒をほんのちょっぴりだが加えると、少し渋みと辛みが出る。
 まあ、雑煮は地域や各家庭でそれぞれ違うというし、「雑(ざつ)に煮る」と書くから、いいだろう。

 *

 去年の初詣は、初めて明治神宮に行き、東郷神社、乃木神社と、日露戦争の名残を周ったのだが、今年は期を見て高幡不動尊に行くつもりである。
 この一日は、まずふらりと地元の白山神社に行った。近いのに、こんな時にしか行かないのだが、本殿の神殿作りの建物の向こうにベネッセの高層ビルが見えるのが、多摩らしい風景を作り出す。

 *

 去年は、様々なことが起こった。
 年の最後の大晦日の日に、古い友人の元東芝EMIのディレクターでユニバーサルミュージックの社長を務めた石坂敬一氏が亡くなったという連絡が入った。
 驚いたのは言うまでもない。
 倒れる前日の12月29日の夜に、僕と彼と、それに二人の共通の友人の3人で、麻布十番の和食屋で、一緒に飲んだばかりだったのだ。そのとき、熱燗の日本酒を飲んだね。
 
 人生は儚い。一夜の夢のようだ。
 期を見て、彼のことは述懐しようと思う。

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