かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

24. アムステルダムの風

2005-11-23 01:14:05 | * フランス、イタリアへの旅
<2001年10月21日>アムステルダム
 パリのシャルル・ドゴール空港を13時45分発のKLMでアムステルダムに向かった。アムステルダムには15時着である。
 
 飛行機は1時間遅れの出発となり、空港内で待たされた。しかも、手荷物のチェックでバッグのブザーが鳴り、引っかかってしまった。金属類が反応したのだ。
 若い男の係員がバッグの中を開けろという。私は、仕方なくバッグから日本から持ってきた折りたたみ式の果物ナイフを出し、そしてフィレンツェで買った土産用のワインの栓抜きを出した。装飾されたシルバーで、紙に包まれたそれは、実際はそうでもなかったのだがいかにも高価そうに見えた。その栓抜きを見た男の目が光ったのを私は見のがさなかった。姑息な考えを巡らせようとしている野卑な顔だった。すぐに不吉な感じがした。私は、とっさに栓抜きは4本を出し、1本はあえて出さなかった。
 果物ナイフは仕方ないとしても、いくら手荷物の警戒が厳しくなっているにしろワインの栓抜きは問題ないだろうと思っていた。しかし、男は、果物ナイフと、それは危険でも何でもないという私の再三の申し出を無視して栓抜きも取って、別に移送するといって紙袋に入れた。そして、アムステルダムの空港で手渡すという交換番号札を渡した。私は、直感的にこの男を信用することができなかった。男の下手な英語も気になった。

 アムステルダムには予定時刻の1時間遅れで到着した。ここのスキポール空港は、分かりやすい構造で、きれいだ。
 しかし、私の不安が的中し、別便の果物ナイフとワインの栓抜きの入った封書荷物は出てこなかった。何度も係りの人間とかけ合ったが、むだであった。「もう一度調べます。こちらにはどのくらい滞在していますか。4日ですか。その頃、もう一度来てみてください」こう繰り返すばかりだった。私は、帰りにまた来ることにした。
 
 空港からアムステルダム中央駅までは、国鉄の列車が出ていて20分ぐらいで着いた。
 駅構内の観光案内に行ったら17時で閉まっていた。空港内の荷物の紛失交渉で思わぬ時間を食ってしまったので、とおに17時は過ぎていた。
 仕方なく、自分の足でホテルを探そうと駅を出た。中央駅前は広場になっていて、バスやタクシーが並んでいた。チンチン電車の都電(市内電車)であるトラムも走っている。
 しかし、乗り方が分からない。駅前で途方に暮れているところへ、日本人らしい人が通った。ヴァイオリンのケースを持っていたので滞在者であろうと思い、声をかけた。ホテルを探していると言うと、日本人が経営しているホテルを知っているのでそこでどうかと、ホテルの電話番号と地図に大体の目印をつけてくれた。そして、トラムの切符を売っているところと、乗り方を教えてくれた。
 トラムの切符や回数券は売っているところが決まっていて、これが旅人には分からない。もっと分かりづらいのが、切符(回数券)の使い方だ。折り目のついた何枚かの切符(回数券)の綴りは、それを切り離して使うのではなく、車内に入って中に設置してある検札器に2枚折りたたんで差し込み、日時をスタンプするのであった。必ず2枚使用しなければならず、なぜスタンプに時間が必要かというと、1時間以内であれば(同じゾーンで)何回乗り換えてもいいが、それを過ぎるともう1度スタンプしないと違反になってしまうということだった。
 
 地図を見ると、アムステルダムの街は中央駅を背景に半円状に広がっている。その半円の最も先の方にそのホテルはあった。電話をすると、日本語が戻ってきた。コンセルトヘボウという音楽会場の近くであった。
 トラムは2両編成で、くねくねと曲がった道も蛇のようにうまく走った。停留所の呼び声も告知もないので、その近くになると止まるたびに停留所の表示を見逃さないように見ていないといけない。
 何とかたどり着いた先のホテルでは、日本人のスタッフが迎えてくれた。このホテルでは日本語が通用するのだ。
 部屋のテレビでは、日本のBSが入った。ニュースをつけると、アメリカの大野球プレーオフで、イチローのいるマリナーズがヤンキースに勝って1勝2敗としたところであった。日本では日本シリーズが行われていて、近鉄が勝ってヤクルトと1勝1敗となっていた。
 夕食をホテルの食堂で食べた。ほとんどが日本人である。もう何週間もこのホテルにいるという2人連れの女性がいた。毎日何をしているのか聞いてみた。部屋にいる時間が長いと言う。それで満足なのかと聞いてみると、オーナーが親切で、時々観光案内に連れて行ってくれるという返事であった。もうすぐここを発たねばと言っていたが、何不自由ない安心感で気持ちが緩んでいるようであった。何のために海外を旅しているのか、これでは分からない。
 私にとって、このホテルは味気ないものであった。明日は、このホテルを出よう。

 夜、アムステルダムの街を一人歩いた。街は穏やかな空気に包まれていた。私が知っている人はいず、私を知っている人もいない。歩きながら、孤独の悦びを味わった。アムステルダムは生ぬるい風が吹いていた。

 旅とは、移動感覚である。異空間における不安と孤独を、新しい発見と出会いがそれを帳消しにしてくれる。いや、不安と孤独が隣り合わせにあるからこそ、その先に大きな悦楽が待ち受けている。そこに危険が潜んでいれば、なおの条件だ。しかし、それはスパイスと同じでほどほどがいい。
 午睡に似た安寧が心に居着き始めたら、すぐにそこを発って歩きださなければならない。旅人は、常に歩き続けねばならない。
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-03-19 09:15:20
数年前に行ったアムステルダムの旅を思い出しました。チーズ工場、白いゴッホ美術館、フランク・アンネの家。運河クルーズ、レジスタンス博物館。あなたの文章はとてもきれいですね。
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