かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

19. ヴェネツィアに死すとも

2005-10-10 17:42:51 | * フランス、イタリアへの旅
<2001年10月16日>ヴェネツィア
 9時25分フィレンツェ発の電車に乗ってヴェネツィアに向かった。イタリアの最終目的地であると同時に、今回の旅で最も行きたかった街である。
 ヴェネツィアは、アドリア海の上に建てられた街だ。ヴェネツィアに行く列車は、ヴェネツィアの市内に入るとまずメストレ駅にとまるが、ここで降りなくて次のサンタ・ルチア駅で降りなければならない。大陸内のメストレ駅からは列車は海に突き出た線路を走り、サンタ・ルチア駅に着く。
 
 昼過ぎに、私の乗った列車はメストレ駅に着いた。ここで多くの乗客が降りた。大きな荷物を持った旅人もいた。私は、ここで降りる人も結構いるんだと少し不思議に思った。ここにも何か見るところがあるのかもしれない。
 メストレ駅を発車してしばらくすると、車掌が乗車券の検閲に来た。この列車に乗って3回目だ。2回目の検閲のとき、イタリア人は見ずに素通りして私に対して乗車券を拝見ときた経験があったので、私は「もう2回見せた。イタリア人にはチェックせず、私にはチェックする。それは私が異邦人だからか。それに、私は次の駅で降りるんだ」と言ったが、駅員は見せろと言い張った。しぶしぶ3回目のユーレイルパスを見せたが、当然何の問題もない。
 私にパスを返しながら駅員が「君はどこへ行くのか」と訊いたので、「ヴェネツィアだ」と答えた。「サンタ・ルチア駅か」と訊き返したので、「そうだ」と言うと、「この列車はサンタ・ルチア駅にはとまらない」と駅員は言ったのだ。私は驚いた。それで、前のメストレ駅で多くの人間が降りたのかと合点がいった。メストレ駅で乗り換えなければならなかったのだ。
 駅員は、時刻表を見ながら「次の駅で降りて、13時23分発の列車に乗り換えるといい」と言った。そして、にやりと皮肉っぽく笑いながら、「君は3回チェックしたから、よかったようなものだ」といったようなことを言った。私も苦笑いで、「ありがとう」と感謝せざるを得なかった。彼が言うように、駅員の「乗車券拝見」で救われたようなものだ。

 サンタ・ルチア駅で列車を降りると、そこはもうヴェネツィアそのものの風景が広がっていた。淡い青空の下にやはり青い海があり、船がとまっていた。船に人が乗りこもうとしていた。水上バスともいうべき乗合船だ。海辺に続く石段には、まるで砂浜に憩うかのように何人かが座っていた。
 ルノアールの「舟遊びの昼食」、もしくは印象派の絵画を想起させた。私も、その絵画の中に溶け込もうと石段に座って、船着場の光景を眺めた。
 船がこの街では移動手段だ。もうここからは、普通の都市に見られる車は走っていない。街中を縦横に刳り抜かれた運河が道なのだ。そのことが、このヴェネツィアの街を決定的に他の都市と区別するものにしていた。移動手段が歩くか船というのは、現代において恣意に時間を停止させているようなものだ。
 
 駅の構内にあるインフォメーションで紹介されたホテルは、リアルト橋に近い路地を入った運河の近くにあった。リアルと橋、それはこの街のへそのようなものだ。
 私は、すぐにリアルト橋に行った。この橋も、フィレンツェのベッキオ橋と同じく、橋というより建築物だ。この街も、リアルト橋からすべてが始まる。

 私が一時期、麻布出版という小さな出版社の仕事をしていたとき、先代の未亡人が会長となって出社していた。もう70歳にもなろうかという人だったが、ヴェネツィア旅行から帰ってこられたときの言葉が印象に残った。
 「私は、ヴェネツィアの橋の上から水を眺めていたとき思ったね。ここでなら、水の中に飛び込んで死んでもいいと」
 ヴェネツィアは、そう思わせる街だ。この街の中に一歩入りこんだら、もう街が演じている世界に迷いこんでいく自分をとめることが難しい。
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