かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

21. 花のヴェネツィア③

2005-10-21 01:49:12 | * フランス、イタリアへの旅
<2001年10月18日>ヴェネツィア
 ヴェネツィアは芸術の都でもある。
街は東西交易によって繁栄を極めた。豊かな財力の下で、建築、絵画、音楽が花開いた。しかし、どのような栄華もいつかは衰退する。没落したヴェネツィアは近代化の波に乗り遅れた。しかし、それが幸運にも他に類を見ない今日のヴェネツィアを生み出し、人々はその都市に酔うことになる。

 昨日ふと耳にした、現在開催中だというヴェネツィア・ビエンナーレ展を見に行くことにした。とりわけ現代芸術に関心があるわけではないが、こんな機会でないと見に行くこともあるまいと思ったからだ。
 リアルト橋からヴォパレットで約20分の、市街から少し離れたところで開かれていた。会場は海の近くの緑に囲まれた公園のようなところで、国別に展示場が造られていた。たまたま会場で、美術を研究しているというハマダさんと一緒に周ることになった。昼前から見始めて、見終わったのは夕方6時半になっていた。
 私一人だったら、もっと駆け足で過ぎていたであろうが、彼女の解説でじっくり見ることができた。何より、理解不可能な現代芸術というものに少し触れることができたのが大きい。ドイツ館は、迷路のような廊下で部屋が繋がっている朽ち果てた木造の家で、幽霊屋敷に迷い込んだような気分になった。一人だったら、この廃屋のようなこの建物のドイツ館が金獅子賞をとったなど知らずに過ぎていたかもしれない。

 夜になって、音楽を聴きに行くことにした。昨日アカデミア橋のたもとで、モーツアルトの格好をした若い女性が配っていた案内状を頼りに、演奏会が行われるパラッツォ・ゼノービオを探した。
 やっと探し当てた運河のほとりにあるそこは、古い建物だったが、風格がある。1階の受付を通り中庭を散歩した。運河に面した2階の会場に行くと、目を見張った。17世紀末に建てられたというこの建物は、贅を尽くした貴族の館だった。
 演奏会が行われるというティエポロの間は、華麗な装飾に彩られていた。運河に面したアーチ型の窓や壁には彫刻が施されていて、吹き抜けの天井には天使が舞っている絵画が天窓のようにある。左右に飾られた鏡が、部屋の奥行きをまるでイルージョンのように演出している。途中バルコニーが張り出していて、かつてここで楽士が演奏していたという。
 バロックの影響を色濃く残したこの部屋からは、爛熟した香りが充満していた。のちに、建築史としても、今に残るヴェネツィアの貴重な建物物の一つだと知った。
 
 楽団は、ヴェネツィア・オーケストラ。ヴァイオリンを中心とした弦楽奏団だ。まずは、ヴィバルディの「四季」の「プリマヴェーラ」(春)から始まった。ヴィバルディも、18世紀ヴェネツィアで活躍した作曲家だ。フィレンツェで見たボッテチェリの「プリマヴェーラ」といい、何と「春」が心地いいことか。かつらにロングドレスの当時の服装をして、プッチーニのオペラの歌曲も歌われた。宮廷音楽もさもありなんの雰囲気である。
 まるで私自身が、貴族の音楽会に紛れ込んでいるような錯覚に陥った。東京でのコンサートでは感じることのない、胸の奥の感動がわき上がってきた。私がこの場にいることが不思議に思え、この経験はもう二度と味わえないと思った。私は、この熱い感動を胸に刻み込もうと努めた。

 演奏に酔ったまま、迷路のような夜道を歩いた。この街は、酒など必要としないで酔わせてくれる。暗い街角も月明かりに光る運河の水も、この日の私には甘く映った。このまま水(海)に飛び込んだとしても、苦しい思いはないだろう。
 この街は、水の中、いや夢の中に人を誘い込む不思議な魅力を潜ましている。おそらく、街全体が舞台といえる。街が芝居を演じることを許容された、迷宮の空間だ。
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