1日が過ぎるのが速い。いや、1年が過ぎるのが速い。
若いときは様々なことが起こり、様々なことをし、時計の針を追いかけるように生きていたし、1年はそれだけ様々なものが詰まっていた。が、年がたつにつれ、次第にたいしたこともしない間に、時計の針に追い抜かれるように、たいしたこともなく1年が過ぎていく。
アインシュタインが唱えたように、時間は相対的なものなのだろう。
ついこの前まで若者だった男が、今では老人だ。
夢はどこへ行ったのか?
人生を無駄にしていないか?
「パピヨン」(監督:フランクリン・J・シャフナー、1973年米-仏)は、スティーヴ・マックィーン主演の映画である。
スティーヴ・マックィーンは、1960年代から70年代初頭にかけて、アメリカ男優の人気のトップを走っていた男である。僕はもともとヨーロッパ嗜好で、アメリカのハリウッドの映画はあまり興味がなかったので、マックィーンの映画もあまり見ていない。
ある時、ポール・モーリアの映画音楽特集を聴いていたら、素晴らしい音楽がこの「パピオン」だった。
印象深い映画は、いい映画音楽とカップリングしているのが多い。アラン・ドロンを一躍スターにした「太陽がいっぱい」や、オードリー・ヘプバーンの魅力を浸透させた「ティファニーで朝食を」(主題歌:「ムーンリバー」)や、クラウディア・カルディナ―レの思わぬ女らしさを見せた「ブーベの恋人」も、そのサウンドトラック、主題歌に負うところが大きいだろう。
マックィーンの「華麗なる賭け」(1968年米)も、グライダーに乗ったマックィーンが空を舞う画面に流れた、ミッシェル・ルグランの主題歌「風のささやき」が印象深かった。
*
胸に蝶の入れ墨をしていることからパピヨンと呼ばれる男(スティーヴ・マックィーン)が、殺人の罪で収監される。
彼は、金庫破りであるけれど殺人は濡れ衣だと主張するが、終身刑を宣告される。そして、南米の離れ小島の監獄へ送還され、強制労働を課される。
そこにいた囚人の一人に、偽札作りの天才の男ドガ(ダスティン・ホフマン)がいた。脱獄を企てていたパピヨンは、その男に近づき一緒に脱獄を勧める。パピオンがドガを助けたことから、2人に友情が芽生える
そして、脱獄を敢行するが、失敗に終わり、さらなる厳しい監獄へ入れられる。
映画の大半が監獄での、過酷な生活の描写だ。
監獄での、重労働とわずかな食事の、単調な日々が過ぎていく。多くの罪人が次々と死んでいく中で、パピヨンは生き抜くことを、監獄から脱出して自由になることだけを考え続けている。
監獄である晩、パピヨンは夢を見る。
荒涼とした砂漠だ。砂上に並ぶ裁判官に向かって、1人ひざまずく彼は、必死で訴える。
「おれは無罪だ。ポン引きを殺していない」
「おまえの罪はポン引きと関係ない」と裁判官が答える。
「なら、おれの罪は何だ」
裁判官は答える。「人間が犯しうる最も恐ろしい罪を犯したのだ」と。さらに言った。
「では、改めて起訴する。人生を無駄にした罪で」
パピヨンはこの起訴状に、おもわず納得した顔になって、自分自身に向かってつぶやく。
「有罪だ」
脱獄も失敗に終わり、さらに長い月日が過ぎる。
やがて、島内の自由が保障された、囚人が住む断崖の孤島に送られたパピヨンは、すでに白髪まじりで体もかつてのように頑強でも機敏でもなく、衰えている。
そこで再会した、かつて一緒に脱獄を試みた仲間ドガは、長い囚人生活が身について、危険を冒して夢を実行する気持ちは消えている。ささやかな野菜を作ったり、家畜を飼ったりして、つつましくその日暮らしをしている。すでに、農耕民族になっている。
しかし、パピヨンは見続ける。自由への夢を。その眼は、依然と狩猟民族だ。
彼ははるか彼方の大陸への上陸を試みるため、孤島の断崖から大海に飛び込む。いまだ、若者のように。
パピヨンの物語は、実話をもとにしたというから面白いのだ。
パピヨンが夢に見た、日々、人生を無駄に過ごしていないか? それが最も重い罪だという問いが胸に響く。
若いときは様々なことが起こり、様々なことをし、時計の針を追いかけるように生きていたし、1年はそれだけ様々なものが詰まっていた。が、年がたつにつれ、次第にたいしたこともしない間に、時計の針に追い抜かれるように、たいしたこともなく1年が過ぎていく。
アインシュタインが唱えたように、時間は相対的なものなのだろう。
ついこの前まで若者だった男が、今では老人だ。
夢はどこへ行ったのか?
人生を無駄にしていないか?
「パピヨン」(監督:フランクリン・J・シャフナー、1973年米-仏)は、スティーヴ・マックィーン主演の映画である。
スティーヴ・マックィーンは、1960年代から70年代初頭にかけて、アメリカ男優の人気のトップを走っていた男である。僕はもともとヨーロッパ嗜好で、アメリカのハリウッドの映画はあまり興味がなかったので、マックィーンの映画もあまり見ていない。
ある時、ポール・モーリアの映画音楽特集を聴いていたら、素晴らしい音楽がこの「パピオン」だった。
印象深い映画は、いい映画音楽とカップリングしているのが多い。アラン・ドロンを一躍スターにした「太陽がいっぱい」や、オードリー・ヘプバーンの魅力を浸透させた「ティファニーで朝食を」(主題歌:「ムーンリバー」)や、クラウディア・カルディナ―レの思わぬ女らしさを見せた「ブーベの恋人」も、そのサウンドトラック、主題歌に負うところが大きいだろう。
マックィーンの「華麗なる賭け」(1968年米)も、グライダーに乗ったマックィーンが空を舞う画面に流れた、ミッシェル・ルグランの主題歌「風のささやき」が印象深かった。
*
胸に蝶の入れ墨をしていることからパピヨンと呼ばれる男(スティーヴ・マックィーン)が、殺人の罪で収監される。
彼は、金庫破りであるけれど殺人は濡れ衣だと主張するが、終身刑を宣告される。そして、南米の離れ小島の監獄へ送還され、強制労働を課される。
そこにいた囚人の一人に、偽札作りの天才の男ドガ(ダスティン・ホフマン)がいた。脱獄を企てていたパピヨンは、その男に近づき一緒に脱獄を勧める。パピオンがドガを助けたことから、2人に友情が芽生える
そして、脱獄を敢行するが、失敗に終わり、さらなる厳しい監獄へ入れられる。
映画の大半が監獄での、過酷な生活の描写だ。
監獄での、重労働とわずかな食事の、単調な日々が過ぎていく。多くの罪人が次々と死んでいく中で、パピヨンは生き抜くことを、監獄から脱出して自由になることだけを考え続けている。
監獄である晩、パピヨンは夢を見る。
荒涼とした砂漠だ。砂上に並ぶ裁判官に向かって、1人ひざまずく彼は、必死で訴える。
「おれは無罪だ。ポン引きを殺していない」
「おまえの罪はポン引きと関係ない」と裁判官が答える。
「なら、おれの罪は何だ」
裁判官は答える。「人間が犯しうる最も恐ろしい罪を犯したのだ」と。さらに言った。
「では、改めて起訴する。人生を無駄にした罪で」
パピヨンはこの起訴状に、おもわず納得した顔になって、自分自身に向かってつぶやく。
「有罪だ」
脱獄も失敗に終わり、さらに長い月日が過ぎる。
やがて、島内の自由が保障された、囚人が住む断崖の孤島に送られたパピヨンは、すでに白髪まじりで体もかつてのように頑強でも機敏でもなく、衰えている。
そこで再会した、かつて一緒に脱獄を試みた仲間ドガは、長い囚人生活が身について、危険を冒して夢を実行する気持ちは消えている。ささやかな野菜を作ったり、家畜を飼ったりして、つつましくその日暮らしをしている。すでに、農耕民族になっている。
しかし、パピヨンは見続ける。自由への夢を。その眼は、依然と狩猟民族だ。
彼ははるか彼方の大陸への上陸を試みるため、孤島の断崖から大海に飛び込む。いまだ、若者のように。
パピヨンの物語は、実話をもとにしたというから面白いのだ。
パピヨンが夢に見た、日々、人生を無駄に過ごしていないか? それが最も重い罪だという問いが胸に響く。
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