ジャスミンは資産家の夫とNYでセレブ生活を送っていたが、結婚生活も資産もすべて失い、サンフランシスコに住む妹ジンジャーの家に身を寄せる。庶民的な妹とは対照的にセレブ気分が抜けないジャスミンは、慣れない生活と仕事で次第に精神のバランスを崩していく。そんな時、あるパーティで裕福な独身男性ドワイトと出会い、彼こそが自分をもう一度上流階級に引き戻してくれると信じ込んだジャスミンは、虚栄と現実逃避から自分の身の上について嘘をついてしまう…。
ここ数年、ほぼ年に1本のペースで新作を撮りつづけているウディ・アレン。
最近は、いささか軽いタッチの恋愛ものが続いていたけれど、今作では一転、趣きを変え、予期せぬ転落人生に直面し、もがき苦しむ主人公の姿を辛辣な視線で描いている。
巷間言われるように、過去の栄光にすがり、精神的に病んでくる物語として「欲望という名の電車」や「サンセット大通り」が想起されがちだけど、この作品はそうした作品とは、いささか視点が違うような気がする。
かつて、「アニーホール」で、ダイアン・キートン扮する恋人を追いかけ西海岸に行ったとき、主人公を演じたウディ・アレンは、東海岸との違いをことさら強調し、その能天気な風土をあからさまに蔑んでいたものだった。
あれから40年近く時が過ぎ、彼が愛するニューヨークの街もまた、最近の映画で言えば「ウルフ・オブ・ウォールストリート」、小説で言えば「ブラック・フライデー」といった作品で描かれているように、ある限られた人にとっては巨万の富を造作なく得ることが出来るシステムが出来上がり、貧富の差がより拡大し、本来とは違った富裕層が跋扈しているのが現状で、もしかしたらそのあたりが今回の作品の原点であったようにも思える。
そしてそんな中、無一文となりつつも、かつての華やかだった生活が忘れられず、ブランド品に身を包み、次なるステップを狙うケイト・ブランシェット ( ← 見事すぎる演技で、彼女を見ているだけで時間が過ぎてしまいます! ) 扮するジャスミンの行動は、あまりに痛々しい。
ただ、かと言ってそんな彼女と対比して描かれているサンフランシスコの底辺で生きる妹にもまた、決して感情移入することなく、突き放して描くその姿は、今の彼にとってのアメリカに対しての拠り所のなさを感じてしまうのだ。
そういった意味において、次回作はまたヨーロッパに渡り、主演にエマ・ストーン、相手役にコリン・ファースが起用された南仏を舞台にしたロマンティックコメディとなっているのも、つい納得してしまうのであります。
今日の1曲 “ Blue Moon ” : Ella Fitzgerald
Blue Moon you saw me standing alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own
Blue Moon you know just what I was there for
You heard me saying a prayer for
Someone I really could care for
And then there suddenly appeared before me
The only one my arms would hold
I heard somebody whisper please adore me
And when I looked to the Moon had turned to gold
Blue Moon now I'm no longer alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own
<和訳>
ブルームーン
私がひとりたたずんで居るところを見たいたんでしょう?
心には希望もなくて
恋人のいない私を
ブルームーン
私がなぜひとりたたずんでいたか分かってたんでしょう?
私の祈りを聞いてたでしょう?
愛する人を求めた祈りを
そして突如目の前に現れた
ただひとり、わたしの愛すべきひと
「愛してくれ」とささやかれて
空を見上げると黄金の月があったわ
ブルームーン
心に希望なし、恋人なしなんていう
ひとり身のわたしとはもうおさらばよ。
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