花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

母の祥月命日のお墓参りと、OL時代の仲間との食事会

2019年12月10日 | 日常の日記
日々バタバタしていて、気が付けば令和元年の師走も早中旬・・・
わが街横浜も12月7日(土)の早朝に初雪を観測したとか
季節は確実に秋から冬に移行しつつあるようですね。

弟と母の7年目の祥月命日の墓参り(12月8日)
前日の冷たいみぞれ混じりの雨の日と打って変わって、穏やかな日和に恵まれた日曜日
弟と実家のお墓参りに行ってきました。



鎌倉の円覚寺をご本山とした実家のお寺は私の住いから車で15分足らずの所にあり
私は年に二回のお彼岸(春のお彼岸は父の祥月命日とダブる)とお盆には必ずお墓参りに行きますが

車を手放した今年の秋はバスと電車の乗り換えで大変だったので
「墓参りに行く時は一緒に連れて行って」と弟に声をかけていました。



「12月9日がお袋の祥月命日だから、明日一緒に墓参りに行かないか」と彼から
12月7日の夜に電話がかかってきました。

関東南部は先週が最後の紅葉の見頃で、お寺にはその名残がまだ残っていましたよ



墓地に続く道も見事な紅葉が見られました。
そんな穏やかな中で弟とお墓を掃除し、お花とお線香を手向けました。

三回忌をしただけで七回忌はしていません。
「来年の3月はお父さんの七回忌、塔婆も古くなったからちゃんとやろう」と
姉の私は弟を諭しました。

7年前の当時の私の心境をマイブログで改めて読み直し、あれから私の状況がすっかり変化した事を思い知り
今でもリビングに飾ってある母の遺影は、今の私と同じ歳の画像(私が選んだ)と思い知り
しばし感慨に浸りましたこちらで心境記しています



午後からは「ランチをご馳走するから、近くのヤマダ電機の買い物に付き合って」と・・・
息子に頼んでいた事を弟に振りました(息子の具体的な反応がなかったのです)

プリンターが壊れて年賀状作成ができず・・・
ダイニングの照明が切れてペンダントライトでしのぎ、焦っていたのです。

弟はすべてに付き合ってくれて、夕方まで我が家でプリンターをPCに繋いでくれて
LEDに切り替えた新しい照明器具を取り付けくれました。

車があったら多分私は一人で行ったであろうお墓参り
車がなかったから弟と触れ合う機会が出来た!
PC関係は息子より、68歳現役サラリーマンの弟の方が頼りになる

小さな車を買おうかな?と迷っていた私、その気持ちが少し遠のきました。

OL時代の仲間との食事会(12月7日)
横浜に初雪が降った日は銀座の並木通りの「梅の花」でOL時代の仲間との食事会でした。
私を含めての1期生が3人、2期生が1人・3期生が1人・5期生が1人の計6人です。



上品な我々に相応しい()お豆腐料理で有名なお上品な場所での集合です。
去年までは年一回でしたが、皆歳を取りいつ何時参加できなくなるか分からない昨今・・・

いつも幹事をしてくれる同期のE子さんが「年に二回は会っておかないと後悔が残りそう」と
6月以来二度目の食事会でした。



全室個室の落ち着いた雰囲気の中で、共に青春時代を過ごした者同士
50年の歳月は髪の毛の量も色も変化し(カツラ着けてるわという仲間と総白髪にした仲間が居て)
私を含めて、6人中半分の3人は夫を見送ったお一人様・・・

まずは乾杯です。この日は寒かったので私は熱燗この日参加できなかった方々の情報を交換したり


思い出話に花が咲いたり、病院通いの話が出たり20歳の頃と同じように笑い転げた楽しい時間でした




美術館勤務だった我々に相応しい空間での2時間半の食事会
外はまだ冷たい雨が降っていましたが、その後も銀座通りの「ルノアール」でお茶しながら
更にお喋りは続きました。

同期のOL仲間と美術館へ(10月4日)
話は少し戻りますが、10月初めに同期の4人で独身時代に勤めていた職場に行ってきました。

夏の初めに「美術館50年史」というアルバムが送られてきた子連れでの同窓会に参加した若かりし頃の我々も載っている

ちなみに右の写真の左下、真ん中に写っているまん丸のベビーは生後八カ月の我が息子で
私がうつむきながら話している背広姿の男性は、館長の長男で後に社長&館長になったS氏です。

わずか3~4年しか勤めなかった我々にまでアルバムを送ってくれて感謝感謝ですね。



4~5年前に本屋大賞を受賞し、岡田准一主演で映画になった「海賊と呼ばれた男」のモデルが
私が短大を卒業して入社した会社の創始者で当時は会長でした。

「店主」と呼ばれていた会長は「仙厓和尚の禅画」の収集家で、古陶磁のコレクターでもありました。
昭和41年10月に、本社が入っている丸の内の帝劇ビルの9Fに「美術館」を設立し館長も兼任

私たち5人は石油会社に入社しましたが、なぜか?新しい美術館の一期生になったわけなのです。

あれから50数年が過ぎて、92歳になられたS氏は館長職を娘さんに任せて退任したとの情報を知り
私たち可愛がられた一期生の在京の4人がお菓子を持って挨拶に出向いた次第です。



「お昼を一緒に食べましょう」とS氏は私たちを隣のビルの「東京会館」に連れて行ってくれて
200gのローストビーフをご馳走してくださいました
まさに「エビタイ」ですね。

食後は渋谷・青葉台の旧店主宅「文化福祉財団へ」へ
朝家を出る時は凄まじい雨で、タクシーを呼んでも出払っていて
私はびしょ濡れになってバス停へ向かいましたが、午後からは晴れだしました

私たちは山手線で渋谷に出でて、タクシーで10分の旧店主宅を訪ねました。
ここに私たちと一緒に美術館で仕事をしていたA氏が居て、今回のアルバム制作時
我々の名前などを確認してくれたらしい・・・

今では一般公開されている旧店主宅です4人の館員が文化育成事業などに携わっています




周りをビルやマンションに囲まれた中で悠然と緑の中に佇む旧店主邸宅
広い庭を維持するのも職員の仕事のようでした。



館内にはこのような美術品も展示されています。

禅画や古唐津・染付を愛した店主宅はキンキンラした派手さはなく実にシックで落ち着いた「粋」なお宅でした




A氏との昔話に花が咲きましたが、4時過ぎには失礼して渋谷のカフェで4人でお茶して
用意したお土産などの清算し、ラッシュに揉まれて帰宅したらドット疲れました

娘時代は三ツ沢からトロリーバスで横浜に出て、ぎゅうぎゅう詰めの湘南電車で通勤していましたが
今ではもうラッシュに耐える体力&気力はないとつくづく感じました。


コメント (16)
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