わが街横浜も12月7日(土)の早朝に初雪を観測したとか
季節は確実に秋から冬に移行しつつあるようですね。
弟と母の7年目の祥月命日の墓参り(12月8日)
前日の冷たいみぞれ混じりの雨の日と打って変わって、穏やかな日和に恵まれた日曜日
弟と実家のお墓参りに行ってきました。
鎌倉の円覚寺をご本山とした実家のお寺は私の住いから車で15分足らずの所にあり
私は年に二回のお彼岸(春のお彼岸は父の祥月命日とダブる)とお盆には必ずお墓参りに行きますが
車を手放した今年の秋はバスと電車の乗り換えで大変だったので
「墓参りに行く時は一緒に連れて行って」と弟に声をかけていました。
「12月9日がお袋の祥月命日だから、明日一緒に墓参りに行かないか」と彼から
12月7日の夜に電話がかかってきました。
関東南部は先週が最後の紅葉の見頃で、お寺にはその名残がまだ残っていましたよ
墓地に続く道も見事な紅葉が見られました。
そんな穏やかな中で弟とお墓を掃除し、お花とお線香を手向けました。
三回忌をしただけで七回忌はしていません。
「来年の3月はお父さんの七回忌、塔婆も古くなったからちゃんとやろう」と
姉の私は弟を諭しました。
7年前の当時の私の心境をマイブログで改めて読み直し、あれから私の状況がすっかり変化した事を思い知り
今でもリビングに飾ってある母の遺影は、今の私と同じ歳の画像(私が選んだ)と思い知り
しばし感慨に浸りましたこちらで心境記しています
午後からは「ランチをご馳走するから、近くのヤマダ電機の買い物に付き合って」と・・・
息子に頼んでいた事を弟に振りました(息子の具体的な反応がなかったのです)
プリンターが壊れて年賀状作成ができず・・・
ダイニングの照明が切れてペンダントライトでしのぎ、焦っていたのです。
弟はすべてに付き合ってくれて、夕方まで我が家でプリンターをPCに繋いでくれて
LEDに切り替えた新しい照明器具を取り付けくれました。
車があったら多分私は一人で行ったであろうお墓参り
車がなかったから弟と触れ合う機会が出来た!
PC関係は息子より、68歳現役サラリーマンの弟の方が頼りになる
小さな車を買おうかな?と迷っていた私、その気持ちが少し遠のきました。
OL時代の仲間との食事会(12月7日)
横浜に初雪が降った日は銀座の並木通りの「梅の花」でOL時代の仲間との食事会でした。
私を含めての1期生が3人、2期生が1人・3期生が1人・5期生が1人の計6人です。
上品な我々に相応しい()お豆腐料理で有名なお上品な場所での集合です。
去年までは年一回でしたが、皆歳を取りいつ何時参加できなくなるか分からない昨今・・・
いつも幹事をしてくれる同期のE子さんが「年に二回は会っておかないと後悔が残りそう」と
6月以来二度目の食事会でした。
全室個室の落ち着いた雰囲気の中で、共に青春時代を過ごした者同士
50年の歳月は髪の毛の量も色も変化し(カツラ着けてるわという仲間と総白髪にした仲間が居て)
私を含めて、6人中半分の3人は夫を見送ったお一人様・・・
まずは乾杯です。この日は寒かったので私は熱燗 | この日参加できなかった方々の情報を交換したり |
思い出話に花が咲いたり、病院通いの話が出たり | 20歳の頃と同じように笑い転げた楽しい時間でした |
美術館勤務だった我々に相応しい空間での2時間半の食事会
外はまだ冷たい雨が降っていましたが、その後も銀座通りの「ルノアール」でお茶しながら
更にお喋りは続きました。
同期のOL仲間と美術館へ(10月4日)
話は少し戻りますが、10月初めに同期の4人で独身時代に勤めていた職場に行ってきました。
夏の初めに「美術館50年史」というアルバムが送られてきた | 子連れでの同窓会に参加した若かりし頃の我々も載っている |
ちなみに右の写真の左下、真ん中に写っているまん丸のベビーは生後八カ月の我が息子で
私がうつむきながら話している背広姿の男性は、館長の長男で後に社長&館長になったS氏です。
わずか3~4年しか勤めなかった我々にまでアルバムを送ってくれて感謝感謝ですね。
4~5年前に本屋大賞を受賞し、岡田准一主演で映画になった「海賊と呼ばれた男」のモデルが
私が短大を卒業して入社した会社の創始者で当時は会長でした。
「店主」と呼ばれていた会長は「仙厓和尚の禅画」の収集家で、古陶磁のコレクターでもありました。
昭和41年10月に、本社が入っている丸の内の帝劇ビルの9Fに「美術館」を設立し館長も兼任
私たち5人は石油会社に入社しましたが、なぜか?新しい美術館の一期生になったわけなのです。
あれから50数年が過ぎて、92歳になられたS氏は館長職を娘さんに任せて退任したとの情報を知り
私たち可愛がられた一期生の在京の4人がお菓子を持って挨拶に出向いた次第です。
「お昼を一緒に食べましょう」とS氏は私たちを隣のビルの「東京会館」に連れて行ってくれて
200gのローストビーフをご馳走してくださいました
まさに「エビタイ」ですね。
食後は渋谷・青葉台の旧店主宅「文化福祉財団へ」へ
朝家を出る時は凄まじい雨で、タクシーを呼んでも出払っていて
私はびしょ濡れになってバス停へ向かいましたが、午後からは晴れだしました
私たちは山手線で渋谷に出でて、タクシーで10分の旧店主宅を訪ねました。
ここに私たちと一緒に美術館で仕事をしていたA氏が居て、今回のアルバム制作時
我々の名前などを確認してくれたらしい・・・
今では一般公開されている旧店主宅です | 4人の館員が文化育成事業などに携わっています |
周りをビルやマンションに囲まれた中で悠然と緑の中に佇む旧店主邸宅
広い庭を維持するのも職員の仕事のようでした。
館内にはこのような美術品も展示されています。
禅画や古唐津・染付を愛した店主宅はキンキンラした派手さはなく | 実にシックで落ち着いた「粋」なお宅でした |
A氏との昔話に花が咲きましたが、4時過ぎには失礼して渋谷のカフェで4人でお茶して
用意したお土産などの清算し、ラッシュに揉まれて帰宅したらドット疲れました
娘時代は三ツ沢からトロリーバスで横浜に出て、ぎゅうぎゅう詰めの湘南電車で通勤していましたが
今ではもうラッシュに耐える体力&気力はないとつくづく感じました。
どこでも、特に子供はなかなか思うようにいかないようですね。
ご先祖への供養を怠りなく努めるnaoさん、ご苦労様です。
弟さん息子さんと、頼りになる男手は心強いですね。
独り身のお母さんに応えて下さるのも、嬉しいことですね。
お仕事時代の友だちと繋がりが続くのも、素晴らしい!
都心の美術館は地図に弱く、展示物も詳しく無いんですが・・・
上司の方の好意も、当時の信頼関係がもたらすものでしょうね♪
保土ヶ谷の三ツ沢下町に3年半住んだので、懐かしい地名でした(^^)
都庁に20年も通ったのに(月に2度だけど)未だに新宿界隈はさ迷います。
nao♪さんは良い会社に勤められたのですね。しかも配置が美術館だったので今も続く交友、普通はあまりないことです。それを大切にされてお顔を出されていらっしゃること、普通はあまり出来ないことなんです。
この本読みましたが映画は見ていませんでした。
青葉台の旧店主宅も立派なのですね。勿論知りませんでした。管理される方がいらして、やはり大会社もしっかりしているところは違うなあと思いました。
私も茅ヶ崎から東京まで通学、通勤しました。帰りは東京駅から座りました。今は上野東京ラインになって東京駅で座れるとは限らないです。今でなくて良かったなんて思いました。今は山関係は朝早く、友人と出かけるのはラッシュ過ぎとなりました。とてもあの時間帯に電車に乗れません。
こちらがラインを入れても反応が鈍いこと!
丁度良い時弟が来てくれました。
恵那様はお孫さんと雨模様の中、葛西臨海公園での観覧車・・・
孫も小さいころはふれあう機会が多々ありますが、最近はそれぞれの興味に私がついていけず。。。
出番はすっかりなくなり、ATMになり下がりましたよ。
遠い故郷へのお見舞い行脚お疲れさまです。
私は連続の台風襲来も含めて、夏から色々あって心身ともに打撃を受けました。
でも落ち込んでいては先に進めませんので、古い友人たちとの触れ合いには参加しました。
このOL仲間は20歳の頃からの付き合いですから、もう50年以上になります。
東京会館で「ローストビーフ」をご馳走してくれたS氏は当時、私の親しい友人が属していた他の部の部長さんでした。
現場では厳しい上司だったようですが、美術館には息抜きによく来ていて・・・
私たちも気軽に応じていたのが御曹司の彼には心地良かったのでしょうね。
良く覚えていてくれました。
だんだんさんは三ツ沢に住んでいたのでしたね。
父は最終的には横浜南部の、今の我が家の隣の区に家を建てましたが、その前は三ツ沢のマンション住まいでした。
「売り上げの達成!」とか「月末月初の忙しさ」とかといった会社特有のせわしなさとは無関係な美術館勤務でした。
最初の仕事は倉庫にある品々を撮影し、整理番号を作っていくことでした。
ただ日々扱うものは高価なものばかりで、破損させたら大変です。神経は使いましたね。
受付を交代でやりながら、理事の先生方を訪ねてくる高名なお客様も多く、お茶出し係もやりました。
お付きもつけずにひょっこりやってくるのが三笠宮様でした。
宮様のために「中近東文化センター」を作ったくらいです。
展示替えの時が修羅場で、肉体労働でした。
人間尊重&家族主義をうたい、、、
出勤簿もない・有給休暇もない(もちろん組合もない)摩訶不思議な会社でした。
休みたい時休めば良いといわれてもなかなかそうはいきません。
でも・・・
50年以上前に働いていた女性社員に写真アルバムを送ってくれるなど、良い会社だったのだと思えますね。
時間がたつのは早すぎます。もっとゆっくり進んでくれればいいのに、最近そう思うようになりました。
弟さんと実家のお墓参りに行って来られ、一安心されたことでしょう!
2人だけの姉弟さんなんですね。
墓地近くの紅葉もきれいですね。
来年3月は我が家も7回忌 来年早々お寺さんにお願いしてこなくてはと思ってます。
OL時代の皆さんと銀座でお食事会 50年のお付き合い すごいことですね。
良い会社にお勤めされ、美術館勤務とのこと私は美術のことは詳しくありませんが、いろんな知識が得られたことでしょうね。
師走になってからは雑用が多く、慌ただしく過ごしています。
昨日は暖かく、でも今日は寒さが戻った感じです。
お元気でお過ごしくださいませ。
今週は忘年会やら遠方からやって来た友人たちと会ったりで、体力勝負の忙しい日々でした。
お返事が遅くなり申し訳ございません。
青春時代の4年間を過ごしたこの「美術館勤務」、一見優雅ですが、徹底的に日本人女性の美徳を鍛えられた感じです。
実際の展示場にお花を飾り、高名な建築家の谷口吉郎先生作のお茶室でのお初釜など催さなばならなかったので
立場上草月流のお花と表千家の茶道は必須でした。
言葉使いも「御苦労さまは、目下にいう言葉!」など躾けられました。
若い男性は居なくて、お偉い先生ばかりに囲まれて心ときめく事はありませんでしたが、今考えれば
お給料をもらいながら淑女としてしつけられた感じです。
その後の私は山女でおよそ淑女とは縁遠いいのですが・・・
いざという時は役立つ教育を受けた感じです。
紅葉がきれいでした。
頼りになる弟さん・・・
仲のよい姉弟はよいことです。
大きなローストビーフ・・・
美味しそうでした。
同じ禅宗だから良いか~という感じでしたね。
鎌倉時代は円覚寺の離宮のような存在だったそうです。
我が家からは実家よりも近くて、実家の仏壇にお線香を手向けるよりもこのお墓にくる方が圧倒的に多いです。
エビタイの200gのローストビーフ、ほっぺたが落ちるほど美味しかったですよ!
92歳がペロリと平らげていました。