すいか
私はおじいちゃん子だった。市内にある祖父の家にしょっちゅう行っては、祖父に存分に甘やかされて育った幼少期。そんな祖父は夏になると必ずすいかを丸ごと買う。遊びに行くといつでも。時には2玉も3玉も買う。祖父もすいかが好きだったからなのだが、必ず「ケイコのために」と買ってくれた。なので私の子どもの頃の夏の思い出には必ずすいかが登場する。大きくて丸い、真っ赤で甘いすいか。私がたくさん頬張るのを、嬉しそうに見つめていた祖父の眼差しとともに、忘れられない夏の思い出。それなのにいつしか大人になった私は、すいかを食べなくなった。丸ごとのすいかを買っても食べきれない。カットしてあるやつも売っているが、そうまでして食べることはない。すいかは好きだけど、私の生活からはすいかは遠ざかってしまった。ダイエット中だし、ともちゃんはすいかを食べないし、とか色々買わない理由を思い浮かべてはっと気づく。私の中ですいかは、祖父が買ってくれて祖父と一緒に食べるもの。祖父の優しい笑顔があっての、すいか。
きっと祖父はいつだって私のそばにいてくれる。可愛い孫と曾孫を見守ってくれている。亡くなって十数年たっていても、思い出すだけで涙が出てくる私には、まだすいかは買えそうにない。舌が覚えている甘いすいかの味を恋しく思うことがあっても、きっとあのときの光景をこえることはできないから。
【波風氏談】子どもだちが家を出てから、丸ごとスイカもカットされたスイカも買ったことがない。スイカは家族が笑いながら熱中して食べた思い出の果実。その前は、祖父さんのスイカ畑で実った重たい奴を土産にもらって嬉しいけれど満員のバスに乗って運び難渋した思い出。