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読書 川端康成著「美しさと哀しみと」大成した作家の身内に起こる悲劇

2019-04-17 17:03:20 | 読書

                  

 「十六・七の少女」で文壇に躍り出て大成した大木年雄55歳。日本画で有名になった上野音子40歳。上野音子の弟子、坂見けい子。それに大木年雄の妻文子や息子太一郎も絡む。

 書き出しはこうだ。「東海道線、特別急行列車「はと」の展望車には、片側の窓際に沿って、五つの回転椅子が並んでいる。その端の一つだけが、列車の動きにつれて、ひとりでに静かに回っているのに、大木年雄は気がついた。それに目をひかれると、はなせなかった」

 この書き出しは、「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」という域に達していない。毎回、名文を求めるのは酷かもしれないが。

 大晦日、大木年雄は京都に向かっていた。「十六・七の少女」のモデルになった上野音子と除夜の鐘を聞きたいと思い立ったためだった。24年ぶりになるが、妻子ある大木年雄31歳、音子16歳のとき、いきさつは判然としないが肉体関係に落ちた。そして、大木は音子の肉体の隅々まで知り、音子に女としての喜びを与えた。

 音子の懐妊から流産を境に、音子が一時精神を病んだこともあって、大木から遠ざける意図を持った母の思いが京都への転居という形になる。その音子に押しかけて弟子入り希望する坂見けい子を初めて見たとき、音子は「まるで妖精が現れた」かのような興奮を覚えた。

 この作品で音子とけい子に強い光を当てていて、容貌や着るものや言葉遣いが微細に表現される。大木年雄や太一郎などは、まるで幻影のように儚い存在。

 魔性の女、けい子から見れば、大木が音子に孕ませ流産の上捨てた卑怯な男となる。しかも、24年も経っていながら音子が大木を愛しているのが理解できないでいる。というのも音子とけい子はレズビアンの関係だからだ。音子に「大木一家に復讐する」と言ってはばからない。

 その端緒が京都駅だった。大晦日、大木年雄は電話帳で調べた上野音子におそるおそる電話で誘った。了解してくれて、都ホテルに迎えに来たのは坂見けい子だった。予約してあった座敷に舞妓二人と音子を含めて三人の会食で知恩院の除夜の鐘を聞く。大木は音子が二人っきりになるのを避けたと理解する。

 翌日の元日には、京都駅まで見送りに来たのも坂見けい子だった。「音子先生の言うあなたの気ちがいじみた絵を、一枚でも二枚でも送ってみてください。あなたのおうちは東京なんでしょう。東京に帰ったら、僕の家にも寄ってください」

 川端康成の美しい日本語の連なりを満喫しながら、けい子の復讐が成し遂げられる。国文学者の太一郎は、京都二尊院の奥山にある三条実隆の墓を見たくなったと言って京都へ行った。行く前に速達でけい子に知らせてあった。

 合流した二人は嵯峨野にある二尊院(山号小倉山)の静寂の中で、けい子の術中にはまった太一郎はメロメロになる。メロメロになるのは当然で、「嵯峨野に宿る千年の歴史と文学とが風景として生きてきた。小倉山も池の岸から見えた。嵐山の前に低くなだらかである。野山の眺めに誘われる太一郎の古典の思いは、けい子がそばにいるために、なおみずみずしくあふれるようであった。これで京都に来たと、太一郎は強く感じた」

 そう、色白の肌でまつ毛の長いキレイな目でみつめられたら、誰だってけい子と離れたいとは思わないだろう。騙されてもいい、殺されてもいいと思うかもしれない。そんな魔性を持ったけい子なのだ。

 二尊院のあと琵琶湖に足を延ばす。琵琶湖ホテルに部屋をとり太一郎が浴室で汗を流しているとき、けい子がお家から電話よと言ってきた。太一郎からすれば家には詳細を知らせていない。にも拘らず電話とは? 

 そしてけい子が言った。「あたしがおかけしたんです。太一郎さんと琵琶湖ホテルに来ておりますって言ったんです。結婚のお約束をして下さいましたって言ったんです。お許しを戴きたいって言ったんです」
 電話口で母は絶叫する。「やめて……、太一郎やめなさい。その人に毒があるからです。その人はお父さまも誘惑しようとしたんじゃないかと、私は疑っているんですよ。すぐに鎌倉に戻りなさい」

 太一郎は鎌倉に戻らなかった。そのあと水着に着替えたけい子は、ホテルのプールで飛び込み台からキレイな水しぶきをあげた。そして琵琶湖で泳ぎたいと言って太一郎を誘った。

 それから三時間後、ホテルの部屋で鎮静剤の注射をうたれて寝かされているけい子を見つめる音子。「音子は苦しい息をしながらベッドに倒れ込んで、けい子の寝顔を見つめた。けい子の目じりから涙のつぶが流れた。「けい子さん」けい子は目をあいた。涙をきらきら浮かべたまま音子を見上げた」
 太一郎の捜索はまだ続いていた。事故の状態はつまびらかではないが、それはこの小説には大して問題にならないだろう。

 川端康成が大木年雄を造形した意図は何だろう、と考えるが分からない。川端自身の体験なら最悪だが。いきさつは判然としないが、16歳の少女と家庭を持つ31歳の男が肉体関係を持つという理性に乏しい行為には敵意さえ感じる。だから、復讐した魔性の女けい子に乾杯のグラスを揚げる。

 そして、けい子の造形だが、色白で彫の深いまつ毛の長いエキゾチックな容貌になっている。というのも大晦日の展望車にアメリカ人がいて富士山の写真を撮っていたり、都ホテルで廊下を駆け巡る外国人の子供の記述を見ると、川端康成はエキゾチックな想像をしていたのではないかと思われる。

 この作品にはキス・シーンや男女が絡む場面もあるが、私が一番エロティックに感じたのは、元日に大木年雄を見送りに来たけい子が、お土産として持参したものの中に音子の手作りのおにぎり弁当があった。
 列車が動き出して暫くののち、大木年雄がその弁当を食べる。「握り飯は小さくきれいに握ってあった。それに女の心が込めてあるようだった。むかし少女の音子を踏みにじった男のために、音子が握ってくれたものだろう。一口か一口半ほどの握り飯をかみながら、大木は音子の許しが舌や歯にしみてくるのを感じた。いや、許しなどではなくて、それは音子の愛であろう。いまも音子の深くに生きる愛であろう」

 この大木に対して少々歯がゆいが、それは確かだろう。音子のキレイな細い指先に、塩をそっとのせて体温で溶けはじめたとき白いコメ粒が一口大のおにぎりになる。音子の体温を感じるおにぎりに。まぎれもなく愛が包まれている。私にとって印象に残るくだりだった。

 この作品は映画化もされているが、もし私が映画化すればどんな音楽を挿入したいかといえば、映画「オリエント急行殺人事件」に入っていたミッシェル・ファイファーが歌う「Never Forget」がぴったりな気がする。

 例えば、音子とけい子が西芳寺(苔寺)の庭の石を眺めるシーンから、ここの茶室付近のしっとりした雰囲気に着物を着た日本人でも、ブロンドの外国人でも思索する表情ならかなり合いそうだ。
 ちなみに西芳寺は、突然行っても入れない。往復ハガキの予約制らしい。特に梅雨時と紅葉時は申し込みが多いとのこと。確かにこの二つの時期は、素晴らしいだろう。念のために拝観料は、1人3000円。

では、その「Never Forget」をどうぞ!

 

  

歌詞の一部を紹介しよう

All the days of sorrow will vanish in tomorrow

You can count on me, my love

To be here

We will all be ready, love and kindness steady

We will never forget you

You are home, my love

WeのところをIに変えればより一層ぴったりな気がするし、伴奏のピアノもいい雰囲気。


   



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