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映画「女は二度決断する」どうも武士道を曲解しているように見える

2019-07-24 16:00:07 | 映画

           

 欧米で「サムライ」は人気だそうだ。ドイツ、ハンブルクに住むカティヤ(ダイアン・クルーガー)は、左横腹にサムライのタトゥーの下地を友人に見せて「カッコいい」と言われる。カティヤの体にはそれ以外にもタトゥーがある。

 いわゆる普通の女性ではなさそうだ。それもそのはず、恋人のトルコ人ヌーリ(ヌーマン・アチャル)が出所してくる。そしてすぐに結婚した。

 この映画は、三章から構成される。

 第一章 家族。子供が6歳。その子供をヌーリの仕事場に預け、カティヤは友人に会いに行く。戻ってみるとその仕事場は、爆発で粉々になっていてヌーリと子供が行方不明。狂乱のカティヤ。やがて追い打ちをかけるように二人の死亡を告げられる。

 事件捜査の刑事に協力を求められ、「ネオナチ」の仕業に違いないとカティヤは述べる。ドイツの移民の中で多くを占めるのはトルコ人だ。約300万人と言われる。2017年のドイツの人口は、約82百万人。移民人口12百万人。人口に占める割合約15%。トルコ人は、移民人口の25%を占める。

 ネオナチは、外国人排斥・ホモホビア(同性愛者に対して嫌悪感を抱く)・反共主義が柱となっていてトルコ人移民が標的になった。

 第二章 正義。ネオナチの男と女が逮捕された。それの裁判が始まる。ドイツの裁判制度は、参審制で裁判官三人と市民二人で構成される。その中の裁判長が取り仕切る。被害者もこの輪の中に入るのが珍しい。したがって、カティヤも弁護士の隣に座る。

 裁判長の質問、弁護士の発言、法廷の中央に証人。証人に向かって裁判長の許諾もなくだれかれとなく質問が飛ぶ。アメリカの陪審員制度の丁々発止の検事と弁護士のバトルをする映画と違い面白味があまりない。

 ネオナチの弁護士は有能なのだろう。カティヤの薬物吸引を持ち出して信頼性に穴をあける。しかもギリシャでホテルを経営する男が事件当時自分のホテルに二人は投宿していたと証言する。決定的な証拠がないまま審議され、疑わしきものは罰せずの合理的な疑いという原則通り無罪の判決がなされた。

 第三章 海。カティヤは、判決を聞いて一時は茫然自失となったが、浴室の鏡に映る「サムライ」のタトゥーを眺めているとこれを完成したくなった。彩色すると一段と見栄えがして断固たる決断をうながした。そして、ギリシャに向かう。 

 法廷で証言したギリシャ男のホテルは、海から少し離れた道路わきに建っていた。小さな三階建てで駐車場は雑草で覆われている。(ホテルといっても、日本でいう民宿のようなもの)カティアは駐車場に止めた車から黒い大型のピックアップ・トラックを見張っていると、その男が出てきた。トラックを追尾していった先に法廷にいたネオナチの男と女がいた。キャンピングカーで寝泊まりしているらしい。そして決まったように二人で海辺のジョギングに出かける。

 法廷で検事が述べていた詳細な爆弾の材料をホームセンターで揃えて作りザックに入れた。ジョギングに出かけた二人を確認してザックを車の下に入れた。遠隔操作で爆発させるつもりだった。二人が帰るのを待ちながら思いにふけるカティヤ。爆弾で二人を殺すというのは、彼らが行ったことと同じで卑怯ではないか。

 ならばサムライの自己犠牲にならって自らも運命を共にする。(そのように思ったのではないだろうか)二人はジョギングから帰ってきて車に乗り込んだ。追うようにカティヤもキャンピングカーへ、寸刻ののち爆発炎上した。

 私は実に不満なのだ。ドイツ社会の移民問題を掘り下げていないし、サムライを単なるイメージにしか扱っていない点だ。

 武士道の七つの要素は、もっと厳粛なものだ。情け「仁」、フェアプレイ「義」、思いやり「礼」、本質を見極める「智」、信頼「信」、愛する者への忠誠「忠」、言ったことは命がけで守る「誠」。この監督はこれらのことを理解しているのだろうか。単なるあばずれの復讐劇に映る。

 主役のダイアン・クルーガーが、本作でカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞しているが、それほどの演技だったとは思えない。批評家の10点満点中5.7点はまあまあといったところか。2017年制作 劇場公開2018年4月

     

監督
ファティ・アキン1973年8月ドイツ、ハンブルク生まれ。2007年「そして、私たちは会いに帰る」でカンヌ国際映画祭脚本賞受賞。

キャスト
ダイアン・クルーガー1976年7月ドイツ生まれ。

ヌーマン・アチャル1974年10月トルコ生まれ。

 

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