
「近代彫刻の父」と言われるオーギュスト・ロダンにしても、卓越した才能を除けば横柄で女に甘い一人の男といえる。
1880年、国立美術館建設のモニュメント制作の依頼を受ける。ダンテの「神曲」地獄編に登場する「地獄の門」をテーマに選んだ。しかし、なかなか構想がまとまらない。若き弟子で魅力的な女性カミーユの意見を聞いたりする。このころすでにロダンとカミーユは肉体関係にあった。
制作についてロダンは言う「最高の素材は金、それからブロンズ、石、木、最後が粘土だ。私は序列を覆す。私には粘土が最上位だ」
ロダンの工房には男の弟子もいるが、そんな目も気にせずしょっちゅうカミーユにキスや肉体的接触を求める。そんな合間に作品を仕上げていく。性的な情熱があるから、いい作品も生まれるのかもしれない。
狂おしいほど愛するカミーユについて「君は喜びの感嘆符だ」と礼賛する。ダンスも出来ないくせにカミーユを抱いて踊る仕草。カミーユの「ワルツの三拍子は?」の問いに「抱擁・めまい・情熱」とロダン。カミーユは「接近・苦しみ・死」と答える。カミーユの理解は、彼女の生涯を暗示しているように思える。
というのもロダンにはモデルだった実質的な妻ローズ(セヴリース・カネル)がいる。不用意というかロダンが「イタリア旅行へ行こう。イタリアから帰ってきたら結婚しよう」と言ったときカミーユが何と言ったか。
「契約書を書いて!」と言いながら紙とペンを渡す。「1私を唯一の弟子とする。2周囲に紹介する。3イタリアへ連れていく。4イタリアから戻ったら結婚する。5貞実を誓う。 もう一つ、カミーユが望む場合大理石の小像を与える。書き足しておくわ」
ここから見てとれるのは、カミーユが勝気で自己主張をする女といえる。
ロダンは、長年続いているローズとの関係を断ち切ることが出来ず、優柔不断な態度をとり続けた。制作の依頼もロダンに名指しでくるが、カミーユにはない。業を煮やし喧嘩別れをしてしまう。その後カミーユは、パリで彫刻教室を開いていたらしいが、精神を病んで生涯精神病院で暮らしたという。
ロダンもすべてを評価されたわけでもない。「ロダンは、文芸家協会から小説家オノレ・ド・バルザックの記念像の制作を依頼された。1898年、肖像写真をもとに制作した。これが雪だるま、溶岩、異教神などと言われ、フランスが誇る偉大な作家を侮辱したと協会から作品の引き取りを拒否された。ロダンは像を引き取り終生外に出さなかった。
1917年ロダンが死に1939年になってパリ市内に設置された。ガウンによって写実的なデイテールが覆われ大胆に要約された形態は、ロダンの作品の中でも最も現代に通じるものである」と箱根にある彫刻の森美術館のホームページにある。この像はこの美術館で屋外展示されている。
この時代、ロダン1840年生まれ、ルノワール1841年生まれ、モネ1840年生まれ、マネ1840年生まれ、セザンヌ1839年生まれなど、多くの芸術家が輩出した。2017年制作劇場公開2017年11月

監督
ジャック・ドワイヨン1944年3月フランス、パリ生まれ。
キャスト
ヴァンサン・ランドン1959年フランス生まれ。2015年「ティエリー・トグルドーの憂鬱」でカンヌ国際映画祭男優賞受賞。
イジア・イジュラン1990年9月パリ生まれ。
セヴリース・カネル1974年5月ベルギー生まれ。