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日本では知る人が少ないかも……今日、ジェームズ・ディーン没後60年

2015-09-30 17:21:21 | 映画

              
 1951年から1955年の4年余りの俳優生活で、無名時代も含めて出演作品は8本のみ。そのうち3本は、主演2本、準主演1本。1954年「エデンの東」、1955年「理由なき反抗」は主演、1956年「ジャイアンツ」は準主演。

 アカデミー賞の主演男優賞ノミネートが「エデンの東」と「ジャイアンツ」だった。特に「エデンの東」の監督エリア・カザンがオーディションのとき、ジェームズ・ディーンを見て「この役はジェームズ・ディーン以外考えられない」と言ったという。このコメントは、私にとって忘れられない言葉となっている。

 当時の世相を反映してか世をすねたような虚無感が漂うジェームズ・ディーンは、1955年9月30日交通事故で亡くなった。享年24歳。このニュースは衝撃だった。

 ウィキペディアによるとその事故の顛末は、『「ジャイアンツ」の撮影終了1週間後の9月30日、ジェームズはサリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士ラルフ・ウッタリックと共に、愛車であるシルバーのポルシェ・550/1500RSでカリフォルニア州の州道を走行中、午後5時59分にコレーム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、横からはみ出してきた学生の運転する車と衝突した。

 ラルフは車外に投げ出されて骨折、学生も軽傷で済んだが、ジェームズは複雑骨折、内臓損傷などでほぼ即死状態であった
 
 この交通事故は現在でもジェームス自身が無茶な運転をしたことが原因と勘違いしている者が多いが、実際はジェームス自身、前述の通り運転には普段から注意を払っていた。「理由なき反抗」での役柄からそのようなイメージを抱かせていると思われる。
 
 事故を起こしたポルシェ550は次回のレースのために納車された新車で、本来はトレーラーで運ばれる予定だったが、慣らし運転も必要だったためジェームズ本人がレース場まで運転することになった。また生前のジェームズは、「レースは危なくないですか?」と記者に問われた際に「車に乗っていて危険を感じるのは、レース場ではなく、一般の車道です」と語ったこともあった』

 その一般道での事故死。運命って本当に皮肉だ。「エデンの東」のレナード・ローゼンマン作曲のテーマ曲は、誰でも一度は聴いたことがあるのではないだろうか。それを映像とともにどうぞ!
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