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デジカメ持って小旅行「観福寺(かんぷくじ」

2009-10-20 12:28:40 | 旅行

          
 逢善寺のある茨城県稲敷市から千葉県佐原市に向かった。稲敷市から佐原市へは、県境の利根川を渡ればすぐのところだ。一般道愛好者のわたしは、近頃は地図の赤い線、つまり国道も極力避けるようになった。黄色で表示の県道や緑の地方道を選んで走っている。今回もそんなことで、のんびりと走った。
 佐原市は、最近人気のスポットで江戸時代の風情を残した街並みが一部残っている。もう一つの目玉は、大日本沿海輿地全図を作成した伊能忠敬(いのうただたか)が有名。観光客に開放されている忠敬の住居が、江戸時代の街並みの中にある。
 その佐原でのお目当ては、荘厳寺、法界寺それに観福寺であった。ところが、観福寺の参拝を済ませて法界寺と荘厳寺に向かったが、今日から向こう三日間お祭で車通行止めとなっていて、二つのお寺を断念しなければならなかった。もっとも駐車場を見つけて、徒歩で行く方法もるが土地不案内の身であれば、またの機会にと気が変わった。
          
 さて、この観福寺広い駐車場を持った真言宗豊山派の寺院で、寛平2年(890年)尊海僧正の開基といい、本尊は平将門の守護仏とされる聖(しょう)観世音菩薩。 千葉氏の祈願所として歴代武将の厚い信仰を受けていたが、中世以降佐原の伊能家一族の信仰を受けるようになった。
          
 山門を入ると掃除が行き届いているのか、台風の置き土産小枝の散乱もなかった。全体にしっとりとした風情を感じさせるお寺だった。
              
 そしてここには、伊能忠敬のお墓がある。伊能忠敬の凄いところは、五十歳から江戸幕府で西洋暦学を修得、幕命によって17年間をかけて、全国の海岸線実測を成し遂げたことだ。江戸八丁堀において73歳でこの世を去った。遺体は浅草源安寺に葬られ、このお墓には遺髪と爪が納められているという。
 なお、国指定重要文化財として、釈迦如来坐像『弘安5年(1282年)銘』、十一面観音坐像『弘安5年(1282年)銘』、地蔵菩薩坐像『延慶2年(1309年)銘』、薬師如来坐像がある。あともう一つ、ここには仁王門や仁王像はなかった。