旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

労働

2006年07月31日 22時58分12秒 | Weblog
わたしなんぞは典型的な賃金労働者ですから、働く以外に食ってゆく方策が無い。したがって、わたしのような一般人にとっては、職業が人格形成に大きな影響を与えることになります。高利貸しや詐欺的商売に身を染めれば人間、卑しくなりましょう。一方、高い見識と事業意欲に燃える若者が育てば、この国やアジアの将来に期待が持てます。

日本の産業の世界では、大量生産や大量消費という言葉は死語になりつつあります。高等教育を受けた消費者は小品種多生産を好みません。多品種少量生産が潮流です。過去の産業界の要請を受けた大量教育は既に危機に瀕しています。

従前の私立文科系、特に法経商の学部学科を出ても学卒にふさわしい仕事はありません。無駄な教育の典型です。

たまに学歴(実は学校歴)の話になります。あいつ早稲田、慶応云々の話ですね。わたしは決まって言います。私立「法経商」卒はみんな同じ、地方の3流私立と大差は無い。だって、入試科目は2科目か3科目、英語に国語に社会一科目。まともに勉強していない。特に数学をやっていない連中のひどさには目を覆いたくなります。数学をやっていないから論理的な文章すら書けない。ところが、大学ではよく遊ぶものですから妙な社交性だけはうまく身につけている・・・と。

時代の要請だったのだから仕方が無いといえばそうなのですが、日本の教育は自分の頭で物事を考えるという教育をやっていない。国際化が進展する中ではこの点が致命傷になることでしょう。

ここに至っては政治の力が大きいと思うのですが、自民党は明らかに土建に農業、重厚長大が頼りですから、新しい時代を切り開いてゆく組織的資質を欠きます。民主党も似たようなものでしょう。バカな国民にはバカな政党がふさわしいということでしょうか?

求人

2006年07月31日 22時55分02秒 | Weblog
友人にホテル業界に身を置く者がいます。ご存知のとおりの慢性的経営不振を打破するために、社内から営業マンを募りました。応募がありません。次に、ハローワークに求人を出しました。応募がありません。ちょうど事務職に欠員があって同時に募集をかけました。50人を上回る応募がありました。友人は嘆いていました。営業が仕事を取ってこないことには社員が食えない、ホテルが生き残れないというのにこのザマだって。

わたしはこの事態を十分に理解できます。職業訓練校で25名の生徒にアンケートをしたことがあります。資格を取って専門職が5名、20名が事務職希望でした。

営業主導型の企業はこれからも伸びることでしょう。一方、楽な仕事、安定した仕事を求める人は公務員になるか、大きな会社に入って歯車と化すしか生き延びる道が無いように思います。

ああそれなのに、それなのに・・・。

営業

2006年07月31日 22時51分41秒 | Weblog
たとえば三菱東京UFJ銀行から「お客様のような社会的にステイタスが高い方を対象に特別な口座を準備いたしました。ご興味がおありですか?」とやられると、アッパーミドルを自覚するたいていのひとなら、その話を聞いてみたくなります。興味がなくても「じゃ、パンフレットだけでも送っておいてよ。」ということになります。

「武田薬品工業の直販部でございます。(こういう部隊があるかどうか知りませんが?)今回、お客様のモニターをかねて自然食品の頒布をいたしております。来年から一般市場で販売いたしますが、今回はお客様を当社基準にしたがって選ばせていただいた上で、このサプリに関するモニターに答えていただくことになっておりますので頒布は無料とさせていただきます。ご不明な点等ございましたら、最寄の武田薬品工業の支店までお問い合わせください。後日改めて連絡させていただきます。 とやられれば、同様です。

たとえば住宅やマンション屋さん。数千万円単位の買い物を決断させるためには相応の追い込みが必要ですから、一般に押しが強い。しかもわが国の場合、売る側が、賃貸で通すよりもマイホームを買っておいた方が得をするするという確信を持っているからなお更です。わたしが知るマンションのトップセールスはノルマとして毎日300件、何が何でも電話することを自分に科していました。相手が、監督官庁の課長であろうが、上場企業の社長であろうが、同業であろうが、とにかくかたっ端から。で、コンマ数パーセントの確立で契約に持ち込んだのです。

指摘されるように向こうも必死なのです。営業って、自分が売る商品に疑問を抱いたらお終いです。だから相手の意向を聞いている暇なんかない。とにかく片っ端から電話する。アポを取る、売り込む。これが仕事の重要な一部なのです。一生懸命やればいつかお客さんは解ってくれると思うが故の勇み足が、無神経な電話が世の顰蹙を買っていました。

武田薬品工業も三菱グループも、野村證券も創業の当初はこの売り込み方で自社のブランドを築いたにちがいない。飛び込み(電話も文明の利器を用いた、ある種の飛び込みのようなもの。)と押し売りで業績を上げたわたしの前勤務先である積水ハウスも、今では立派なブランドです。やり方によっては電話が来ても迷惑がる方は少ないことでしょう。

個人情報の保護立法があって、今では電話セールスを撃退するのは簡単です。「この電話番号、どこで調べたの?」これでいいのです。きっと、二度と電話してきませんよ。個人情報保護法は、名簿等を取得目的以外で使用することを禁じています。たとえば自治会の名簿、同窓会の名簿、その他もろもろの名簿は自社製品・商品の販売目的で使用することができません。社員名簿然り、同好会の名簿然り、卒業在学者名簿然りです。個人情報保護法は営業目的でこういう名簿を社内に保管することすら禁じました。今や、大学の先輩に直接電話をして営業をすることすらできないのです。

最近になって、営業部門にもコンプライアンス(法令順守義務)が要請されるようになりました。ところが、営業の本質は法や通達のグレーゾーンをどの程度ホワイトゾーンとして世に認知させるかという技術であると仮定すると、ホワイトゾーンのみでは営業やセールスは成り立ちません。このことは、逆に、商品やサービスの情報について、消費者が商品情報を完璧に理解していることを前提とした市場を想定するということになります。そこで、確かな情報を解りやすく伝えることができる営業マンの育成が急がれます。ところが、企業内でも高学歴のひとほど営業を嫌う傾向が顕著です。残念なことです。

欲望という名の電車

2006年07月27日 22時51分03秒 | Weblog



若かりし頃、テネシー・ウィリアムにかぶれた。「焼けたトタン屋根の上の猫」や「欲望という名の電車」「ガラスの動物園」といった戯曲の題名や、登場人物たちの苛立ちや倦怠感に魅せられたものだ。

今日は、価格の安さに引かれて「欲望という名の電車」を買った。ビビアン・リーとマーロン・ブランドが主演だ。その昔読んだ戯曲を映像で鑑賞してみるというのも洒落ている。

その昔、読みかけて中断したジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」もヘンリー・フォンダの主演で映画化されている。ヘミングウェイの「武器よさらば」ゲイリー・クーパー主演、と「片目のジャック」マーロン・ブランド主演と合せて買うことに決めている。

名画がただの500円で買える時代に感謝するばかりである。

センダン

2006年07月27日 16時55分28秒 | Weblog
               センダン

植物図鑑を買った。どこをどう調べていいのかわからない。ある木の名前を知りたいのである。最初のページからめくっていって姿かたちを追っていくしかない。数10ページ目にセンダンの木があった。まがうことのない「わたしのアカシア」である。心の霧が晴れた。

この木の名を知ったとき、「センダンは双葉より芳しい」という言葉を思い出した。はあ、この木があのセンダンなのか。誤っていた。「栴檀は双葉より芳し」のセンダンは、別種のビャクダンのこと、なのである。

ニセアカシアといい、センダンといい、悩ませてくれる。ニセアカシアがアカシアで、わたしがアカシアだと思っていたセンダンは、栴檀(センダン)ではない。あーあ、またしても心に霧がかかってきた。

わたしのアカシア

2006年07月27日 16時39分50秒 | Weblog
この木がわたしのアカシアである。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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分類
界 :  植物界 Plantae
門 :  被子植物門 Magnoliophyta
綱 :  双子葉植物綱 Magnoliopsida
亜綱:  バラ亜綱 Rosidae
目 :  ムクロジ目 Sapindales
科 :  センダン科 Meliaceae
属 :  センダン属 Melia

学名
Melia azedarach L.
和名
センダン
英名
Japanese Bead-tree
センダン(栴檀)は、センダン科の落葉高木である。

別名 アミノキ、オオチ。
分布 四国、九州を含むアジア各地の暖地沿海地に自生。
樹高 5~15m。非常に成長が早い。
葉  奇数2~3回羽状複葉で互生する。小葉は楕円形で浅い鋸歯がある。葉は草質で薄い。一枚の葉全体の長さは50cm以上。
花  5~6月、若枝の葉腋に淡紫色の5弁の花を多数、円錐状につける。南方熊楠が死の直前に「紫の花が見える」といったのはこの花のことだと言われる。
果実 10~12月、楕円形の核果を黄熟させる。
用途
樹  街路樹、庭木、公園樹
果実 生薬の苦楝子(くれんし)として、ひび、あかぎれ、しもやけに外用。整腸、鎮痛薬として煎液を内服。
核  数珠珠
樹皮 生薬の苦楝皮(くれんぴ)として、駆虫剤として煎液を内服。
材は建築・器具用材。
葉  強い除虫効果をもつため、かつては農家において除虫に用いられていた。
「栴檀は双葉より芳し」のセンダンは、別種のビャクダンのこと。

キリマンジャロの雪 

2006年07月23日 21時45分19秒 | Weblog
          キリマンジャロ



真昼間からヘミングウェイ原作の映画「キリマンジャロの雪」を見ていた。壊疽で死にかかっているハリー(グレゴリー・ペック)の女性遍歴がテーマである。

献身的なシンシア(ハワード・ヒューズの元女房エヴァ・ガードナー)との愛は、ついに冒険好きのハリーの足手まといになることを厭う彼女の出奔によって終末を迎える。
富豪の愛人との火遊びは、彼女の束縛が煩わしくなった段階で破綻する。
出奔したシンシアを忘れられないハリーは、彼女をを探し求めるうちにスペイン動乱に巻き込まれる。ところが、再開して互いの求め合う愛を確認したその日にシンシアはこの世を去る。
街で間違えて声をかけたシンシア似の未亡人と、キリマンジャロの麓で狩をするハリーが、一命を取り留める希望がでてきたところで、ジ・エンド。

「ハイエナが近づくと死ぬ、禿げたかが近づくと死ぬ・・・」で、妙にハリーは死に囚われる。未亡人は懸命に勇気付ける。男の弱さは万国共通か?
「アフリカなら女を牛で買える。だめな女なら代金を返してもらえばよい。ところが西欧ではそうはいかない。」あたりのひといごとはまるでコメディ。

さて、キリマンジャロの頂上の近くで氷詰めになった豹について、伯父がハリーになぞをかけるのであるが・・・、このなぞは、簡単に解けそうで解けない。

地球温暖化のせいでキリマンジャロの根雪もあと10年はもたないそうだ。合掌。

大本営発表

2006年07月22日 01時54分49秒 | Weblog



「幻の大戦果 大本営発表の真相」(NHK取材班)を読んだ。

最近では、その成果を過大に評価することを大本営発表と茶化す。台湾沖航空戦こそが大本営の嚆矢的発表となった。1944年10月の3日間にわたる空襲によってアメリカ海軍の航空母艦19艘、戦艦3艘を含む米艦50有余艘を撃沈轟沈したと大本営は発表した。ところが実際には駆逐艦2艘に打撃を与えた程度の戦果しかなかった。どうしてこのような誤報がなされたのかをNHKの取材班が解明してゆく。この件については次回。

台湾沖航空戦に続いて一週間後、フィリッピン(レイテ)沖海戦にのぞんだ日本帝国陸海軍は、壊滅したはずの米海軍の艦艇・戦闘機に惨敗する。大本営はこの航空母艦を主力にした艦隊を、別の艦隊であると判断せざるを得なかった。この戦いを境に、性能の悪いアメリカの物量作戦に日本が敗れたのだという神話が確固としたものになってゆく。

ところが、日本は技術的にも劣勢だったのだ。台湾沖航空戦において雷撃機に搭載された日本機のレーダーは使い物にならなかった。ところがアメリカ艦隊のレーダーは、数キロ先から迫る日本機の姿をはっきりととらえていたし、レーダー付の高射砲の弾丸は、命中しなくても日本の雷撃機の近くで自動的に炸裂した。1分間に100万発以上の弾丸を発射できる機銃は弾幕(弾の幕である)を形作って雷撃機の空襲を悉く撃破した。

以降、神風特別攻撃隊による攻撃も恒常化していく。思うに、われわれの世代は、前の大戦について余りに知らない。知らされていない。この本を読んでいるうちに、そういう気がしてきた。

ガラスの聖女

2006年07月21日 00時34分46秒 | Weblog
                井上堯之


さびしいんだ とてもとても
さびしいんだ たまらなく
どうしてなの 僕の愛は
君の愛を つかめないの
愛しても君は 愛しても君は
涙のひとつも 僕にくれない

ザ スパイダース (井上堯之歌唱)
なかにし礼 作詞  
ザ テンプターズ 松崎由治 作曲

政治について

2006年07月19日 12時16分26秒 | Weblog
小泉首相の政治的な能力や功績については、大いに不信感を抱いています。その原因は、彼がグローバルスタンダードに固執したからではなくて、政治的スローガンに掲げたグローバルスタンダードについて、国民に対して十分な説明をしていない点、性急に過ぎた点にあろうかと思います。

石原慎太郎について言うと、彼のような政治家を首長に選んだ東京都民が愚かなのか、賢者なのか・・・。わたしは賢明な選択であったと思います。彼には官僚機構に振り回されないだけの政治的センス、手腕があります。誰しも、青島やノックよりはましじゃないかと思うのではないでしょうか?

アジサイロード

2006年07月19日 00時12分33秒 | Weblog
山陽自動車道の広島インターから入って五日市インターに向けて車をとばし、広島北インター方面への進入路を右折する。広島北インターを過ぎるとまもなく中国自動車道に合流する。最初のインター戸河内でおりて、国道191号線を益田方面に向かって進む。

雨模様の山間(ヤマアイと読む)は絶好のアジサイ日和だった。老いた母を乗せてアジサイロードを走った。青いアジサイや赤いアジサイは今が盛りだ。高地のため気温が低く、しかも日当たりが悪いので、平地と比べると例年開花は一ヶ月は遅れる。今が見ごろだ。さらに、黄色いアジサイや白いアジサイはまだ5分咲きだから、来週か再来週までアジサイを満喫できそうだ。

「せらふじ園」の藤・「備北丘陵公園」のコスモス・「湧永庭園」のバラ・「周防大島」の桜「甲山ふれあいの里」の枝垂桜・「旭鳳農園」のチューリップ・「花夢の里」の芝桜、それに、このアジサイロードのアジサイ。これらの花の名所のドライブは毎年欠かさない。アジサイロードのドライブは今年でもう3回目になる。

おだてりゃ豚でも木に登る

2006年07月17日 01時33分25秒 | Weblog
至言です。

実をいうとわたしの声はでかい。出す気になれば皆様が驚くほどの大声を出すことができる。外観とはかなりチグハグな印象をもたれる方も多いが、その気になれば岩をも砕くようなでかい声を張り上げることができるのです。(これはあくまでも比喩、もののたとえですよ。)

この大声を認められて、同窓会では過去3年間というもの母校にエールを送る役を仰せつかっています。母校にエール?要は「フレー!フレー!○○○」の音頭をとるのです。でも今回も固辞したかった。実際に岩を砕くことはできませんが、それでも岩をも砕くような声でエールをやってしまうと喉をやられて、一週間は声に感情を込めることができなくなります。つまり、ビジネスに支障が出てしまうのです。

しかも、同窓会の翌日には恒例の「銘酒を楽しむ会」でおんなじ様なエール飛ばしの依頼を受けていました。二日も続けてこれをやると、2週間はしわがれ声になります。外観と同様にビジネスの世界では声も重要ですから、これは痛い。

でも結局、2回ともやってしまいました。同窓会の後ひとりで二次会をやっていると、クラブ(といっても実際は平凡なスナック)のママなり、ねえちゃんなりが同情をしてくれて、カラオケを勧めませんでいた。で、ひたすら飲み続けて4次会の4軒目の店を出たころには空が白み始めていました。

翌日は、意識も朦朧の二日酔い状態で、要望されたエールを断るだけの勇気すら湧いてこない。ところが、飲み始めるや「広島の○○○(日本酒のブランド)を楽しむ会」だというのに、ビールの4、5杯目を浴びる頃には、「やっぱ、ビールが一番だね。」という隣の紳士とふたりでできあがってしまってビールを片手に絶好調。アドリブまで加えて立派にエールを切り、大いに盛り上がりました。

同窓会にしろ楽しむ会にせよ、幹事がこっちを乗せるのがうまいんですね。「も、これは幹事会の全会一致で決まったことですから・・・。」とか「いやあ、あんたのあれがないと会が終わらんから、頼むよ・・・。」とか、で、結局おだてられた豚は、とうとう昨日も一昨日も木に登ってしまったのです。

ちなみに一昨日の夕方7時から昨日の深夜3時までというと32時間になります。この32時間のうちの19時間を飲んだことになります。回りも心配していますが、それ以上に本人が自分のことを怖くなっています。昨日のこのごろは協調性を著しく欠いた例のビール紳士と、ビールやらウィスキーやらを飲んふたりではしゃいでいました。何をはしゃいでいたものか、いまだに思い出すことができません。

同窓会

2006年07月17日 00時08分45秒 | Weblog
全日空ホテルで同窓会があった。同じテーブルを囲んだのは、両の隣りが大学教授に弁護士のセンセ、向かい側には県庁のお偉いさんに市役所のお偉いさん、パチンコ店の経営者、元県議会議員、地元大手デベロッパーの社長、こういうメンバーだ。年をとると偉くなれたひとしか同窓会には出てこない。

全体を見渡しても、わたしを除けば、世に言う社会的な評価がそこそこ高い人たちだ。壇上に登場される皆様に至っては、さらに拍車をかけて、お顔から風体にいたるまで風格があるのである。「ひとは外見が95%」ということを改めて知らされた。肩書きを問われるとこちらは赤面してもじもじするほかない。学校を出てからというもの、こういう肩書きとはとんと縁がない人生を送ってきた。

同窓会といっても支部総会を兼ねているから、開会とともに来賓の挨拶が延々と続く。支部の役員さんの挨拶が終わっても尚、県議会議員さんやら、市会議員さんやらの挨拶なのか、選挙運動の予告なのかよくわからないスピーチが延々と続く。やれやれこれでようやく懇親会が始まるのかと思いきや、大学本部の理事さんが登場して、「えー、本日は7分間の貴重なお時間をいただいておりますから・・・」という切り出しの寄付募集が終わるころには1時間が経過。総会・懇親会は合せて2時間しかない。

隣の大学教授は、「いつまでたっても飲めねえよなあ。」とぼやく。スピーチが続いているというのに、こちらに向けてしきりに話しかけてくる。「おい、講義中に学生が雑談するのはいやだろ?おとなしくしとけよ。」と言いたかったが、こちらも腹は減るし、長いスピーチに辟易していたので会話に応じた。こうなると同じ穴の狢、後で聞くとある来賓から厳重な注意があったようであるが、掛け合い漫才のような会話で盛り上がったわたしには聞こえなかった。隣の弁護士センセも終始ニヤニヤこっちの掛け合いに耳を傾けながら、議事の進行にかなり辛らつな批判を加えていた。


続 議論について

2006年07月13日 01時58分36秒 | Weblog
大戦後、ドイツ人250万人が虐殺されたと強弁するものですから、
犠牲者はドイツ国外への植民者だから、
ドイツ人とかドイツの市民とかいう表現は適切ではない。
満蒙開拓団の例を出して、
表現法に問題があるじゃないかと指摘すると、
alは、250万人虐殺の事実は、
クライン孝子氏の著作に明記してあると言い張る。

で、クライン女史はホームベージをもっていますから、
alの投稿を貼り付けて意見を聞いてみたわけです。
すると、クライン女史はきっぱりと、
そのようなことは書いていないと仰る。
むしろわたしが指摘したように、
満蒙開拓団の引揚げの際の苦難に近いものであって、
凍死・餓死が多く、虐殺されたのはその一部であろう、
250万人が虐殺されたと表現することには、
大いに疑問が残ると明言された。

ところがalは根拠にした著作の著者であるクライン女史が否定してもなお、
250万人が虐殺されたと強弁し、
終いには、クライン女史に敵意をむき出しにする。
この時ですね、明確に彼の異常さが尋常ではないと知らされたのは。
ここのトピに残っていますから、是非読んでみてください。

alの奇天烈さはこの話だけじゃない。
waさんの誠実な対応に対して、
alがどのように対応しているかをみると、
彼の異常さが容易に読んで取れます。

alには生活臭がありません。
waさんは初老のおっさん、
わたしは高校生じゃないかとみています。
初老のボケ老人にせよ、思春期のオナニストにせよ、
迷惑な奴です、こいつは。