旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

定有堂書店

2010年08月29日 20時06分04秒 | Weblog
灼熱の鳥取砂丘を這い歩いたのちに、砂丘からリフトで上がった「砂の美術館」の『アフリカの呪文』(岡本太郎著「原始の呪文」という表題を参照した。)にうなった。砂丘と芸術の余韻を懐にしながらマイカーを走らせて次の目的地である定有堂書店に急いだ。

どこにでもあるようなサッシュドアを押して入った。照明がおさえ気味で店内は妙に落ち着きがある。入口付近に並べられた本はありふれたそれだ。好奇心は、哲学・思想・歴史、宗教にどの程度のスペースが割かれているか、どのような本が並べられているかに尽きる。だから余計にそのような気がしたのかも知れない。

哲学・思想・宗教分野のために幅5~6mのコーナーがさかれていた。著作の数々が何かの法則にしたがって整然と並んでいることに感動を覚えた。大規模な本屋でもここまでの品揃えはない。噂通り本の並べ方が個性的だ。ざっと目を通して眼前の1000冊(冊数は確かでない)の約半数に興味を覚えうち約1割を即座に入手したいと思ったほどだ。もちろん予算には限度があるから数冊のみを買い求めた。空調も控えめで心地はよかった。

鳥取駅周辺は飲食店が驚くほど少なかった。居酒屋は多いのだがレストランや和食店が見当たらないというよりも殆どない。広島の本通りに飲食店がないようにメインストリートだからないのではないかと裏道も歩いた。やはり見当たらない。36度の炎天下をとぼとぼと鳥取駅まで行ってから駅内の食堂で「サンマの空揚げ定食」をむさぼった。

それから、境港までマイカーでとばして「水木しげるロード」でお化けたちと戯れているうちに日は落ちた。8時前に境港でサザエの刺身と天ぷら定食を食べるとぐったりして、広島までの300キロが億劫になってきたのでビジネスホテルを探した。松江で何かの大会があったとかでどこのホテルも満室だった。

広島に直帰することにした。往路は中国自動車道津山から鳥取に入った。所要時間は約3時間半だった。復路は米子道備後落合経由中国自動車道か、45号線経由三次中国道か迷った。結局、後者を選択した。2度ドライブインで仮眠したので広島に着いたのが午前3時だった。思えば家を出たのは前日の早朝5時だ。走行750キロ、22時間のドライブが終わった。熱いシャワーを浴びてから横になった。ほほに鳥取砂丘の熱を感じた。


贅沢な趣味

2010年08月26日 20時12分45秒 | Weblog
他人のものの見方や考え方を参照にするという意味で、読書に勝るものはない。言葉から得た情報は言葉で表現できるのだからなおさらだ。絵画や映画、音楽の似たようなところがある。言葉が介在しない点で絵画や音楽と読書は一線を画す。映画はやはり言葉より映像が前に出るので絵画に近い。

所有できたことによる満足で読書欲が萎えかかっている。やはり、なんとしても手に入れたいと思いたったころがもっとも読書欲が旺盛だった。もっと気候がしのぎやすくなったら巻ごとの表題15と各巻の小項目を眺めながら興味がもてそうなところから読み始めようと思う。


敬愛する評論家

2010年08月25日 21時48分35秒 | Weblog
一晩の個人的な接待や遊びに、これらの本の価格の数倍、数十倍を費やしたことが何度もある。その散財が惜しかったとかもったいなかったとか考えるほど野暮じゃない。当時はその方が楽しかったのだからそれでよい。最近は夜の街に出る機会がない。照明を十分に落としたうえに、アルコールで少々感覚が鈍った目で眺めるおねえちゃんのご機嫌を取りながら酒を浴びることは極く稀だ。
                  
そして、禁欲生活1年を経てのち突如として3人の評論家に回帰したのだ。本屋で立ち読みをしたり図書館で拾い読みをするたびに身近に置いておきたい気持ちが募る著作集・全集がすべて揃った。林達夫、加藤周一の著作集と小林秀雄の全集がそれだ。ようやく揃ったという気持ちの半面で、併せてわずか36巻ほどの本を入手するのになぜかくも長い日時を要したのかを思わずにはいられなかった。この週末には鳥取市にある著名な本屋まで出かける予定だ。

読書術

2010年08月24日 20時59分04秒 | Weblog
加藤周一の「読書術」がきっかけで読書が好きになった。思い出の「読書術」がはいっているかどうか胸をときめかせながら到着を待っている。届くのは1976年から刊行された著作集の第1期、15冊だ。円熟した大家の文章というものを好まないので第2期については図書館での拾い読みで済ませる。

10数年前、研究と知識の裏付けがある林達夫の合理的かつ率直な物言いにしばし興奮を覚えた。恩人加藤周一の第1期の著作集の内に似たような切れ味を感じることができるだろうか。朝日新聞のエセーでは大家然とした文体がたまらなく退屈だった。書斎の人が老いると知識の披歴に堕してしまって輝きを失う。

文武

2010年08月22日 21時20分50秒 | Weblog
読みかけの全集が小林秀雄、アルベール・カミユ、林達夫、斎藤茂吉。三島由紀夫だって読み終えたわけではない。王陽明についてはまず朱熹について学ぶことが前提になるので朱子学の門から入りなおすことにした。原始仏典や儒教についても願望ほどに読書が進まない。

数えてみると、この半年ほどに買い込んだカウンセリングや心理学、キャリアコンサルティング、雇用問題に関わる本だけで優に100冊を超えた。そして、加藤周一著作集全15巻を手に入れようとしている。読みたい本を身近に置いておくことが重要なのだと苦笑いする。

昼間は職業相談と訓練相談に明け暮れている。日に15名ほどの相談に乗る。離職して求職中の皆さんは必死だ。いい加減な対応をするわけにはいかない。全身全霊をもって対応する。「相談に乗る者」「相談する者」、互いの脳と心で真剣勝負なのだ。

キャリア・コンサルタントの技能検定に合格すれば、もっとじっくり相談に応じることができるような部署に移ることができるのであろうか。合格したにしてもこちらは職員ならぬ専門職、非正規の職員なのだからままならないように思う。

廣松渉著「世界の共同主観的存在構造」と茂木健一郎著「脳と仮想」が届いた。偶然なのだが茂木はこの著作で小林秀雄賞を受章した脳科学者だ。第一章は「小林秀雄と心脳問題」だ。小林が講演で「科学的経験というものと僕らの経験というものは、全然違うものなんですよ。」と述べたことをえらく高く評価している。

昼食

2010年08月21日 23時51分32秒 | Weblog
中華定食を注文したら見た目がみすぼらしい八宝菜が運ばれてきた。私は目で食事をするひとだ。かなり食欲が減退した。味噌汁とご飯、それにヒジキ、漬物が申し訳なさそうに付いている。ちょうど昼過ぎの空腹時だったので、ままよと八宝菜に箸をつけてみた。

想像と違いこれが驚くほど美味い。胃袋が「食べよ」と急かして火傷しそうになったくらいだ。食材はイカにエビ、アサリとハクサイこれだけだ。きっと出汁に仕掛けがあるのだろう。美味い料理の例どおりボリュームがあるのに胃にもたれない。

呉方面から海沿いに竹原までドライブをした。途中で「灘」というドライブインに寄って昼食を取った。海を見ながら食事ができる。その店の中華定食だ。中華定食に味噌汁・ヒジキ、漬物はないだろうとも思ったが許せた。これらの1点、1点がまた美味しかったのだ。中華に和食、この味覚の競演に違和感がなかったから不思議だ。料理は見かけによらないことをこの年になって知った。

ランボオ

2010年08月07日 03時56分57秒 | Weblog
職場は閑散期に入った。お盆前は例年こうなのだそうだ。来所者の姿はまばらだ。手続きのマニュアルに目を通したり、過去の仕事を点検するだけの時間的な余裕を持つことができるようになった。

暇な時には行政とは何か、とか、ひとにとって職業はどのような意義を持つのだろうか、とか、職業教育と学校教育とをうまく調和させることはできないものだろうか、とかについて考えてしまう。思いを巡らせても現在の仕事と絡めてしまうのが私の癖だ。もっと普遍的ななにかに目覚めるとよいのだが、根がワーカーホリックで趣味が読書なのだからやむをえまい。

小林秀雄のランボオ論を読み直してみた。詩を放り投げたのちのランボオの内在は商売人のそれだ。今となっては、ランボオ10代の詩は思春期という「過剰な時代」を表現したありふれた作品だといわざるをえない。魂の冒険家であったランボオに対する小林の羨望が見え隠れする。 

もう一度ランボオ論を読み返してから、以前読んだ「無常といふ事」を紐解きたい。何十年ぶりにかに読み直すことになる。読み終えたのち私の成長をみるか衰退をみるか、そこが楽しみだ。