旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

道元著 典座教訓

2007年10月28日 18時33分20秒 | Weblog
文字・弁道の真意

「文字を学ぼうとする者は文字の真実の意味を知ろうとするものだ。文字は一つ一つの言葉に他ならないが、文字は個々が独自性を有し、他に置き換えることができない絶対性を有する。
坐禅修行の道にいそしむ者は、坐禅修業の真実の意味を知ろうと求めるものだ。真実は包み隠すことなく、ありのままの姿でこの世界に顕現している。座禅修業といえども生活の営みを離れてはありえない。」

岩波講座 地球惑星科学

2007年10月26日 22時43分07秒 | Weblog
地球惑星科学入門 1

目次
1 太陽系の中の地球
2 地球の構成
3 分化
4 生命の起源と進化
5 太陽系の起源

3 分化
 1 地球の熱史と年代
 2 地球史と分化
 3 分化の仕組み
 4 核とマントルの分化
 5 マントルと地殻の分化
 6 地球物質大循環
 7 マントルと地殻の分化と同位体進化

たまには自然科学も良い。「3 分化」は用語の意味すら解らなかった。小見出しを一瞥してようやく「分化」の意味を読んで取ることができた。社会科学の教科書は各論から読んだ方が理解し易い。たぶん、自然科学の講座ものも同様なのであろう。

われわれが住んでいる地球という惑星について知ったからといって、別に懐が温かくなるわけではない。しかし、「5 太陽系の起源」から読み始めると面白い。宇宙の歴史はたかが数10億年なのだ。確実に心が豊かになっていくような気がしている。

ゼミ

2007年10月24日 16時29分18秒 | Weblog
やはり社会経験の差なのでしょう。単なる教養として学問を身につけるのと実体験を踏まえながら自分の思想を極めてゆくのとでは、その切実さや姿勢が自ずと異なるように思います。

20年前は、ゼミに入って若い人たちと経済・法律について議論しました。でも若い人たちは実体験がないものですから教えられることに慣れてしまって、まるで高校の授業みたいに教授の話を押し黙って聞くばかりなのです。社会科学の場合、特に社会経験がものをいう部分もあるので、ゼミらしく議論を盛り上げようと歯に衣着せぬ論駁をしたら、結局、教授の方が社会人である私に対する指導を拒否してしまいました。

その教授は間もなく退官して東京の私大の教授になりました。当時は私と同世代の若い教授だったので妙だな、広島みたいな田舎がいやだったのかなと思ったものですが、最近になってその教授、教え子に対するセクハラ容疑で大学から査問を受け自主退職したのだということを知りました。


自由と責任について

2007年10月23日 23時37分27秒 | Weblog
佐野眞一著 だれが『本』を殺すのか

本の流通について調べ上げた良著である。読書人なら気がつき始めているであろう、制度疲労を起こして瀕死の状態に陥った本の流通改革について、アマゾン、セブン・イレブン、ブックオフ等の経営者たちが詳細にわたって打開のための戦略について語っている。

この書を読めばうっすらと見えていた本の流通の実態が、明確な産業として見えてくる。著者は平明な文章で困難な課題と取り組んでいるものの2001年の発行だから情報全般がやや古いのが難点。500ページのハードカバーであるが4時間ほどで一気に読み終えた。偶然にも著者の「カリスマ」「東電OL殺人事件」の著作は読んでいた。佐野は綿密な取材に定評があるノンフィクション作家である。

同じく今日買った「『人を動かす』英語の名言」という本の中で「夜と霧」(原題はMan's Search For Meaning)の著者として知られる精神科医ヴィクター・フランクルの名言が取り上げられていた。

英語は上級なので邦訳のみ引用する。「東海岸の自由の女神は、西海岸の責任の女神によって補完されるべきである。」または「責任という観点から生きなければ、自由は単なるわがままに堕落する可能性がある。」とは上手いことを言うものだ。

フランクルは「夜と霧」の中で、「ナチスの強制収容所の中の生活であっても、なんらかの意義を見出した人が生き残る確率が高かった。」と述べている。絶望するより希望を抱けといっているようにも読める。





犯罪

2007年10月21日 18時06分12秒 | Weblog
その昔、一般の殺人に対して、尊属殺(平たくいうと親殺しです。)の科刑を加重して無期懲役または死刑と定めた条文の憲法裁判で、少数意見として合憲を主張した最高裁の裁判官が、典型的な儒教的世界観を持ち出して、子が親を殺すなどという道徳律に反する行為が、一般の殺人の刑罰と同様であってよいはずがないと主張して学界から呆れられたことがあります。

当時、尊属殺に至った事例の殆どには実に悲惨な背景がありました。殺された尊属の大半が、精神的。肉体的に被告を虐待していました。その実態よりも、「子たる者は何が何でも、親の言うことに従わなければならない。それをいかなる事情があろうとも殺めるとは何たることか。」という忠孝を旨とする儒家的価値観で法律を論じる裁判官の少数意見だったのですから。

国家による刑罰権の限界といいますか・・・。当時は、犯罪を引き起こす要因が社会やそのシステムや家族制度にあるとみるのか、個人の資質にあるとみるのか、そのあたりの刑罰理論論争が活発でした。最近特に、人を死に至らしめておいて反省の色が全くないタイプの犯罪者が増えています。あなたと同様に、犯罪によっては現行の刑罰規定が甘すぎるのではないかと考えるようになりました。もちろん、尊属殺や子殺しについては量刑をもっと厳しくする必要がありそうですね。

教育刑

2007年10月21日 18時02分20秒 | Weblog
「法律学小辞典」有斐閣 1972年4月刊によりますと、 心神耗弱とは、「精神機能の障害により、是非善悪をわきまえること、あるいはわきまえたところに従って行動することが著しく困難な状態をいう。一時的なもの(神経衰弱・酩酊)継続的なもの(アルコール中毒・認知症)とがある。刑法はこれを限定責任能力として、その刑を軽減する。」 ということになります。

心神耗弱の概念は若き法学徒たちを大いに悩ませます。最近、呉智英さんが誰かと共著で、とんでもない理屈であると異議を唱えていました。誰が、正常な神経で人を殺せるか、たとえば殺人の場合、精神的に異常であるからこそ他人を殺せるのじゃないかというわけです。

あいつは罪を犯したのだから、「目には目を、歯には歯を」で刑によって相応の苦痛を与えるべきだという考え方は応報刑主義的な考え方の典型です。その対極に教育刑主義という考え方があります。刑の目的は犯罪者の社会復帰のための教育、更生にあると考えます。

応報刑じゃないと済まないような犯罪者が増えていることに戦慄を覚えます。私が法学徒であった頃は、同情すべき犯行というのが多かった。稀有の殺人鬼であるといわれた永山則夫ですら、その連続殺人の背景にはどうしようもない貧困という問題がありました。最近の殺人って、殆どが衝動的な殺人でもっともらしい理由がない。いやな時代になったものです

就労

2007年10月20日 12時11分09秒 | Weblog
同僚に迷惑をかけるとか、自分がいないと仕事がうまく進まないだろうとか考えたくなる気持ちもよく解ります。私の場合、加えてお客さんに迷惑がかかるという強迫観念から、社会人になってからの丸6年間というもの、ほとんど休日なしで朝早くから深夜まで働きづめでした。同僚たちもそうでした。

その結果、新入社員の退職が相次ぎ、当時中四国管内で採用された新卒社員50有余名のうち、7年目まで残ったのは私とあとひとりを残すのみでした。働き過ぎると人間、判断力が鈍ります。ある日、自分は一体何をやっているのか解らなくなってきたので、はずみで上司に退職届を出しました。さんざん慰留されました。当時、退職届を病院のベッドから送った社員、本人の所在が解らないという理由で親御さんが会社に退職届を持参された例すらありました。

過労で将来に希望が持てないと思いこんだ私は、結局、前職を辞めることになりました。ところが、ありとあらゆる上司からの指示に反抗し、「自分がやらなくたって会社にはいくらでも代りがいる。仕事はほどほどでいい。」と豪語する薩摩男児がいました。やるだけのことをやるとさっさと飲みに行って女の子を口説きまわる。ヤクザの女に手を出して脅迫される。しかし、「自分は人生を楽しむために働いているのであって、働くために生まれてきたのではない。」という姿勢を崩さない。

彼は現在も(前職 上場会社)の役員をやっています。私と彼の選択、どちらが正しかったのでしょうか。私には、スーパー業界や百貨店業界に友人や知人が多い。コンビニ業界を含めて、生き馬の目を抜くといわれる小売業界の人事労務には凄まじいものがあることもよく知っています。

私が就職活動を始めたころは、スーパー、住宅、車のディーラーが不人気の御三家でした。しかし今では、車のディーラーはともかくスーパーや住宅(特にプレハブ)は産業としての地盤を確立しています。優良企業ですし何よりも不況に強いというわけです。募集すれば応募があるのですから会社は強気です。だからこそ冷静になって自分を見直す時間が大事です。不本意でしょうが、とにかくもっともらしい口実をつけて休養を取ることです。仕事を休むことです。

会長は、当時わたしが勤めていた会社の社長と同様に万事強気ですからね。学ぶべきところは学ばないといけないのでしょうが、すべてを真に受けると殺されてしまいますよ。彼の薫陶を受けた現社長への対応も然り。会長さん、一心不乱にゴルフをやって話をする暇もなかい。息がつまりそうだったと一緒にゴルフをやったひとがぼやいていました。前社長も体調を崩して短命でしたね。長くビジネスマンを続けるためには心身ともに健康である必要があります。過去の成功事例に押しつぶされないようにくれぐれも気を付けてください。




刑法

2007年10月20日 11時59分57秒 | Weblog
往年の法学徒とはゆえ出来が悪かったもので、現行刑法の法源ともなるとなんとも・・・。

日本評論社 s48年5月刊 「現代法学辞典」で引いてみました。
刑法とは、「その実質的意義においては、何が犯罪となり、またどのような刑罰が科せられるかを規定した法律である。」のですから、戦後民主主義の成果を踏まえ、刑法という法律はわれわれ国民が定めたということになります。私が知る限りでは我が国刑法の理論的な水準はかなり高いので、どこかの国の刑法を真似た云々ではなくて我が国固有の論拠を持っていると考えて良いのではないのでしょうか。

こうも非情な犯罪が蔓延してくると、法的には犯罪者の人権そのものに対する再評価、再考察をせざるを得ないでしょうね。私は個人的に基本的人権の歴史とか、基本的人権の寄って立つ思想的な背景とかに興味を持っています。国家権力の発動としての科刑と基本的人権の関係についていうと、犯罪者にとっても被害者にとっても難しい問題が山積しています。

光市母子殺人事件が地元で裁かれています。心情的にはもっと早く判決が出せないものかと思いはしますが、死刑の残虐さや冤罪の問題を踏まえるとなんとも言えません。この裁判を機会に死刑の問題が国民的な議論になればいいのじゃないでしょうか。個人的には死刑を廃して懲役100年とか200年とかの禁固に処した方が犯罪者の薬になるような気もしますが・・・。かといって、死刑廃止論者に与することもできない。こういう問題に関していうと、やはり、人間がいい加減なのですね。

タッピングとタイピング

2007年10月13日 00時24分55秒 | Weblog
入力がうまくいかない理由がようやく解った。入力中に袖か何かがフラットポイント(備え付けのマウス)に接触していたようだ。マウスのプロパティを開いてキーの操作中はタッピングを停止するように設定したら、解決した。ひとさまが入力中に、PCが勝手にタッピングしてクリックしたりダブルクリックしたりしていたのだから文書の作成どころじゃない。これからはカーソルが勝手に移動して、入力がうまくいかなくなったり、せっかく文章が台無しになったり、突然文章が消去されるようなことは起こらないことだろう。

落雷でお釈迦になった複合機能プリンタの修理も済んでようやく印刷ができるようになった。入力がうまく行かないと疲れる。血圧も上がった。わずか1000文字の入力に2時間を要した。半日かけてあれこれコンピュータをいじった。いつもの悪い癖でマニュアルを読まずにいろいろやってみた。時間の無駄であった。結局、ネットで改善法を見つけた。

車の後部から金属が擦れるような音がした。修理工場にいくと原因はプレーキパットの摩耗であった。予測はしていた。あれこれ故障続きでこころが少々疲れている。今のところ肝心な体には故障がないのだからとあきらめてみることにした。

パドマバリ

2007年10月12日 09時37分35秒 | Weblog
レギャンビーチの夕日




9月7日
デンパサール空港に到着したのは南海に宵闇迫る5時、空港に出迎えてくれたお馴染のMさんほかダマン**の女性会員10有余の熱烈な歓迎ぶりには少なからず驚きました。レイの香りにつつまれて気分は南国。Mさんの案内で宿泊先のホテル・パドマバリに向かいました。

バリでは椰子の木より高い建物の建築が禁止されています。バドマバリは熱帯植物園の中に点在する二階建ての豪華なコテージ風。バリ滞在の3日間を豪華で快適なツィンの部屋でくつろぎました。

ディナーはなんと焼いた秋刀魚に刺身の盛り合わせ・焼き鳥に鍋焼きうどん・日本酒にビール・焼酎まで飛び出すホテル近くの日本料理店でした。食材は日本から輸入しているというのにリーゾナブルな食事代でした。Kツアー隊長に感謝。
この夜、T・F・Mの若手会員3名は、天井がとてつもなく高く、太い木材で建築されたバカでかいホテル内の豪奢なレストラン兼パブで心行くまで南国情緒を味わいました。

9月8日
バドマバリの眼の先にはインド洋を望むレギャンビーチがあります。早朝の海岸にはサーファーの姿が多く見受けられました。その昔、ヒッピーやサーファーたちがレギャンビーチに集うようになってからビーチの名は世界中に知れわたる様になりました。

みんなで朝食のバイキングをとってからウブドで開かれる記念式典の会場に向かいました。

*******寄贈10周年記念式典
インドネシアでは行政の区分が州・県・村なので日本でいう市や町がありません。村といっても、日本的な感覚でいうと「町といった感じの村」を挙げての歓迎でした。式場にはどこかで見かけたことがあるようなおかみさん風の女性たち100有余名や村長・医師が参列していました。なぜか韓国の女性のみの**の会員10有余名が列席していました。

村長の祝辞および謝辞に続いて女性のドクターによる熱のはいった公衆衛生の指導がありました。続いておかみさんたちが入れ替わり立ち替わりで婦人移動検診車の寄贈に対する感謝の気持ちを述べ、更なる支援を受けることができるように訴えます。

会場の一番後ろの方に突っ立って、ときおり大きな声をあげているおじさんがいました。マイクを握り締めて曰く、「ほんらいインドネシアの行政府がやるべきことを日本のみなさんが手を差し伸べて助けてくれているのだ。みんなもっと感謝しなさいということを訴えたかった。」とのことでした。「井戸水を飲むときには、井戸を掘った人のことを忘れるな。」のたとえが引用され、閉会に先立つT団長による挨拶は大きな拍手で迎えられました。

婦人検診車の前で記念撮影をしてから午後はゴルフの練習組と観光組との別行動になりました。

観光組はバリ県立病院まで足をのばして血液センターを視察?に行きました。あいにくの休館で中に入ることはできませんでした。しかし外からでも寄贈した*****の名前は読んで取れます。テロ事件直前に寄贈設置された血液センターのおかげで尊い人命が救われたことを多くのバリ市民は知っています。

場所を変えて、夕刻から始まったダマン**主催のレセプションの列席者は100有余名に達しました。広島北**のY会員に託されたKガバナーからのメセージの代読や、今回出席できなかったN会員からのメーッセージの代読、広島安芸**のN会員からの謝辞、団長T会員の挨拶。最後はT会員の生誕**年のアニバーサリー。この間に韓国**からの挨拶があって、日本語・韓国語・インドネシア語が入り乱れての盛大な式典が終了した頃には時計はとうに9時をまわっていました。レセプション後のパーティーは歌ありダンスありで大いに盛り上がりました。

この日もパドマバリに帰ってから、やはり若手3人でパブが閉まるまで飲みました。

9月9日
この日の夕方から、ダマン**の皆さんとの懇親会がありました。バリの舞踏を鑑賞しながら王侯気分で飲んで語る楽しい催しでした。Tさんの挨拶が受けました。「アイアムジャパニーズ マイワイフイズジャパニーズ サンキュー」。空港でも若手3人は飲みました。深夜デンパサール空港からガルーダ・インドネシア航空機は日本に向けて飛び立ちました。岩国**のY会員、お疲れ様でした。



柘植久慶著『あの頃日本は強かった』中公新書

2007年10月08日 10時44分47秒 | Weblog


日本兵7・8人がロシア軍の小部隊が露営しているのを発見して将校と下士官を殺害したところ、大きな図体をしたロシア兵たち30余名は幼児同然のありさまで戦闘を続行できなかった。

日本兵は違った。将校や下士官が全員戦死したり重症を負ったにしても残った中で最も上級のも者が指揮を執り、それなりの戦闘能力を発揮し続けることができた。ロシア兵は多くが文盲であった。したがってロシア兵と日本兵の間には自ら考えたり判断を下すという能力に歴然とした差があった。

文盲のロシアの兵隊さんからみると日本の兵隊さんが怖かったことであろう。文字が読めるということは、命令を理解しているということである。理解した上で命令を反復継続できるということである。つまり、敵前逃亡をすれば殺されることを理屈と体で明確に理解している日本の兵隊さんたちと戦ったのだから。

当時の日本兵の平均身長は5尺3寸(160cm)、ロシア兵の平均身長は5尺7寸(173cm)取っ組み合いの喧嘩ならロシア兵に分があった。ところが時代は近代戦。日露戦争は軍組織を根底で支える下士官兵の質の差は歴然としていた。このことが日本の勝利の一要因であったと著者は続ける。

ロシアの陸相として日露戦争の前に日本の小学校を視察したクロポトキンは日露の大いなる愛国意識の差に愕然とした。敗戦の責任をとらされて追放された彼は小学校校長として余生を児童教育に専念したそうだ。


わたしは断じて日露戦争勝利万歳派ではない。日露戦争の勝利によってもたらされた国家統制の強化がわが国に禍根を残したことを知らないわけでもない。しかし、三面記事的なこの種の著作を読まないわけでもない。

羊たちの沈黙

2007年10月07日 22時16分25秒 | Weblog


黒い背表紙で殺風景なハードカバーの洋書が目についた。TOMAS HARIS HANNIBALと読めた。裏表紙の折り返しを読んで確信した。"His novel'The Silence of the Lambs' was published in 1988"とある。映画「ハンニバル」の原作である。

ジュディー・フォスターの演技が光った「羊たちの沈黙」、レクター役のアンソニー・ホプキンスが殺人鬼の狂気を余すところなく演じきった「ハンニバル」ともに映画で見た。実によくできた作品であった。

赤茶と黒の背景に金色の著者名とタイトルが表示されている。装丁に重量感と手ごたえがあれば読むに値する本であるという先入観がある。秋の夜長の楽しみがまたひとつ増えた。



儒学と民主主義

2007年10月05日 10時41分16秒 | Weblog
民主主義の理念は個人主義に根差しています 。個人主義では個人の人格の自由な発展こそが国家や社会の目的であると考えます。ところが、儒教世界ではそもそも、こういう民主主義的な考え方が欠落しています。

したがって、儒学的・儒教的な世界観で民主主義世界を解釈しようとすると様々な矛盾に陥らざるをえません。儒学では、国家や社会の安定を齎すために個々の人格を陶冶しなければならないという考え方が根底にあるのですから。

「山田準著 陽明学講話」

2007年10月04日 01時39分44秒 | Weblog
昭和9年8月、日本放送協会が朝の修養講座として聖典講義のラジオ放送を企画し、二松学舎専門学校の校長、山田準が陽明学の講話を担当した。その時の講話を元にして本書は昭和9年9月に出版されている。

日本に固有の現人神であった天皇を戦前の儒学者たちがどのように評価していたのか、また、国民を教化するために儒教の世界観をどのように利用したのか、の2点を知る上で参考になった。

平成9年11月の第2版はその改訂版である。著者が観念論に傾きがちな儒学を日本的あるいは土着型の精神論にものの見事に置き換えていることを窺い知ることができる。

日本放送協会での講話がもとになっているので文章は平明。戦前の歴史的背景さえ踏まえておけば、陽明学の入門書としては水準以上。一読に値する。

冗談じゃねえ!

2007年10月01日 21時47分38秒 | Weblog
愛するpcに続いて、好きなプリンタまで落雷でやられていることが判明した。pcは瀕死の重体、プリンタは重症といったところだ。思えば高い玩具だった。そのお宝を、ちょうど3年ほどで雷さんが奪っていった。「残念(ザンネン、3年?)」と地団太踏んでも、おもちゃは帰ってこない。あーあ!である。