旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

風邪

2011年05月31日 21時37分37秒 | Weblog
あの夜は酔っぱらっていたのでイビキをかいたにちがいない。早朝からノドがヒリヒリした。自業自得ゆえ言い訳もままならない。約束通り高松への遠征を決行せざるを得なかったことが災いしたようだ。風邪の菌は、飲酒で免疫力が落ちたわたしの体内にまんまと侵入を果たした。月曜日から風邪の症状に悩まされている。

わたしの風邪は一般にノドの痛みから始まる。鼻ヅマリや咳・微熱・頭痛などの症状で風邪にかかったことを自覚し、肩凝り・関節痛で症状はピークに達する。死ぬの生きるのと大騒ぎになるのは決まってこの頃だ。やがて、カラ咳がはじまって鼻ヅマリがなくなると治癒に向かっていることを知る。目下、ピークと完治の中間あたりの症状ではないかと観測している。峠は越えたようだ。

風邪をひく際にはノドの痛みが先行することが多いので、アレたのどから風邪の菌が侵入して全身にまわる。そして各地でわたしの免疫と壮絶な戦いを繰り広げる。風邪の菌はのどから鼻へ、脳から肩へ、そして全身の関節へと侵攻してわたしの免疫力に挑む。そして敗れる。こういうイメージで風邪の症状を捉えている。だから、わたしの勝利の徴が空咳と鼻汁ということになる。

悪意はない。今日はふたりの求職者と長話になった。それでも話が長引くにつれ症状が軽くなっていくのを感じた。他人にうつすと風邪は治るといわれる。こころなしか今日は相談に力が入っていたように思う。重ねて、悪意はない。今となっては、おふたりが早急に、しかも、さりげなく、うつす相手をみつけてくれることを祈るばかりだ。すでに「賽はふられた」のだから。


技能検定

2011年05月29日 17時34分06秒 | Weblog
2級キャリアコンサルティング技能検定が間近にせまった。1ヶ月後に論述、面接の検定がある。今回はキャリコン技能検定の制度趣旨を理解して検定に臨む。論述ではクライアントの要望に共感・共鳴できる演出ができるかどうか、口述では、自分の力量がロープレに反映できなかったことをうまく試験委員に伝えることができるかどうか、全般では、自己理解を促すスキルを身につけているかどうか、このあたりが課題だ。完璧な論述、口述でない限り合格は覚束ない。検定する側の要望にどこまで応えることができるかを試されることになる。

菜園

2011年05月29日 16時34分01秒 | Weblog
台風2号が近づいている。強風が心配になって午後は菜園にでかけた。予想通りジャガイモの葉が一部なぎ倒されていた。土寄せをしながら懸命に茎をたて直していると、土の中の成長したイモが目にはいった。茎の近くを掘りすぎたようだ。直径5㎝ほどの黄土色で幸い傷つけずに済んだ。収穫前にイモを見るのは稀だ。とっさに土をかけていた。収穫前のジャガイモをみるのはメインディッシュの調理材料をみるようなものだ。掘り起こすまではみないにこしたことはない。成長が楽しみだ。

トマトの成長には驚く。3日も放置しておいたら脇芽が太く成長して花までつけている。ある百姓さん流にいうならば「餌」がよいのだろう。ようやく実がつきはじめた。ナスは肥料が足りないようだ。隣接するトマトの発育ぶりが良いので肥料を控えめにしてきたことが災いした。根の張り具合が思わしくないことは葉や茎の発育ぶりからうかがえる。発育不振の原因が肥料が足りないせいなのか、根の発育が悪いせいなのか見極める必要がありそうだ。肥料喰いのナスだから「餌」が足りないのだろう、2~3、紫の花をつけた。

シュンギクは収獲の盛りだ。とれたての春菊を刺身を食べるようにわさびと醤油でいただく。これを「春菊の刺身」という。ウン十年の東京は小岩、場末の小料理でよく食べていた。そこの女将がいきなり「春菊の刺身をたべてみない?」と進めてくれたのが食べ初めだ。店によるたびにかならず注文していた。生食だから水洗いを念入りにすれば食感、香りともに申し分ない。口の中に東洋の香りがひろがる。

ダイコンの葉っぱが好きなので根(ダイコン)が成長するまでにその殆どを葉ダイコンの一夜漬けにしてしまう。10本ばかり残したダイコンが4~5㎝の太さになった。次は白いダイコンの根をいただくことになりそうだ。サトイモが2カ月目にしてようやく芽を出した。楽しみだ。エンドウは植えるのが遅すぎた、菜園で最初の失敗事例になった。つるありインゲンの成長には目をみはるばかりだ。ホウレンソウは2回目の種まきに入る。

エンドウのように経験がない野菜はうまくいかない。農業にも経験が必要なのだ。できれば、空梅雨であってほしい。よいジャガイモは日照の賜物なのだから。

カント

2011年05月29日 11時48分27秒 | Weblog
頭脳が正常に機能しているかどうかを確認するためにカントを読みたくなることがある。「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」の3大批判書にあたるとボリュームがあるので頭脳が正常に機能しているかどうかどころの話ではなくなる。カントもしくは翻訳者のうんざりとするほど冗長で理屈っぽい話につきあわされてしまう。

親しんでいるカントの著作は「道徳形而上学原論」だ。ドイツ語からの英訳「FUNDAMENTATAL PRINCIPLES OF THE METAPHYSICS OF MORALS」と和訳を携えて注意深く読む。精読というやつだ。本日は久しぶりにカントによる序言と翻訳者による訳者後記を隅から隅まで丁寧に読んだ。

ものを考える仕方としてカントは、Ⅰ 自分で考える。Ⅱ 論理的に考える。Ⅲ 相手の立場に身を置いて考える、という3つの要件を挙げた。カントは特に、首尾一貫して考え、従ってその時々のに自分の身びいきによって道理を歪曲することを潔しとしない(論理的に考える。)心的態度の良き教師であろうと訳者篠田英雄はその訳者後記で述べている。


高松

2011年05月29日 05時21分27秒 | Weblog
沖縄あたりまで北上した台風が梅雨前線を刺激しているという。広島から尾道、福山、倉敷、児島をつなぐ山々の緑は雨に打たれて霧に煙り、瀬戸中央道の高い橋脚は降激しい雨音のなかで霧に浮かんでいた。霧に包まれた湿っぽい大気の中を駆け抜けて、四国の坂出経由で高松にたどり着いたのは昼前だった。

現地の身内といっしょにゴボウ天にナス天、いなり寿司をふたつにかけうどんという昼食をとった。親しんできた広島風のうどんはやわらかい。母親は、こしが強いさぬきうどんがお気に召さないらしい。半部ほど残して寄こした。私に食べろというサインだ。躊躇なくいただいた。うどんはかけうどん(すうどん)が一番だ。

身内の社宅でこれから生まれてくる命のビデオを見た。日当たりが良い部屋でのびのびと大きく育ったおおぶりな観葉植物とそのほとりに小さく置かれたミニバラや、ベランダのやけに葉が巨大ないちごの素姓についてああだこうだと語り合って他愛のない話が尽きる頃、別れのあいさつを済ませて帰路に就いた。

高速道のドライブインの庭は、曇天の雨の中に赤、黄色、ピンクに白いバラが咲き乱れ、まぶしいほどだ。そして、繰り返し青緑の壁と天井の霧を突き抜けたら3時間で広島にたどり着いた。母親の自宅に近いレストランで私は肉を食べ、母親は洋風の中華丼ぶりをたいらげた。母親を送り届けると兄が出迎えた。

実存主義とは何か

2011年05月26日 22時39分49秒 | Weblog
実存主義とは何か
J‐P・サルトル
人文書院



そのむかし実存主義にかぶれていた。「実存は本質に先立つ。」、「人間は未来むけて投企する存在である。」、「主体性」などの魅惑的な言葉が蘇える。たまたま当時読んだ松浪信三郎著「実存主義」を読み返した。「実存とはなにか」で始まる第1章から雲行きが怪しい。松浪はいきなり実存という言葉の定義から探り始めるのだ。この書き出しは私の記憶と大きく異なっている。サルトルには「実存主義とは何か」という通俗講演を一冊の本にまとめた実存主義の入門者がある。ほどなく、サルトルのこの著作と松浪の「実存主義」を取り違えているらしいことに気がついた。「19世紀の合理主義的観念論および実証主義的思潮に対する反駁としておこった。主体的存在としての実存を中心概念とする哲学的な立場およびその20世紀における継承を実存哲学という。」平凡社 哲学辞典

J・P・サルトルの「実存主義とは何か」が届いた。無神論的実存主義者というレッテルを貼られて憤慨した御大ハイデッガーに言わせると、通俗的な講演記録なのであえて著作とは記さない。
『17世紀の哲学者がみた人間観
人間という概念は、神の頭の中では製造者の頭にあるペーパーナイフの製造技術と同一に考えてよい。神は職人がひとつの定義、ひとつの技術に従ってペーパーナイフを製造するのと同じように、さまざまな技術とひとつの概念にしたがって人間を創るのである。こうして個々の人間は神の悟性のなかに存するひとつの概念を実現することになる。
実存主義的人間観
実存が本質に先立つとは、人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿を現し、そのあとで定義されるものだということを意味する。実存主義の考える人間が定義できないのは、人間が最初はなにものでもないからだ。人間は自らがつくったところのものになる。したがって人間の本姓は存在しない。人間は自らそう考えるところのものであり、自ら望むところのものである。また、実存してのちみずから考えるところのものであるにすぎない。つまり、人間は自らつくるところのもの以外のなにものでもない。』J・P・サルトル「実存主義とは何か」より抜粋のうえ一部改竄。

ハイデッガーのサルトル批判はともかく、松浪信三郎著「実存主義」(岩波新書)よりもわかりやすい講演記録だ。サルトルの「実存主義とは何か」1955年8月初版に続いて、その改訂版「実存主義とは何か」1996年2月初版が届いた。1955年版については講演の記録にしては翻訳のキレが悪く著述のようなまわりくどさを感じていた。40年を経た1996年改訂版では伊吹武彦の翻訳が一掃されて気鋭の若手研究者による翻訳によって講演の臨場感がうまく表現されているのではないかと期待した。迂闊だった。改定版なのだから気鋭の若手研究者が登場することはない。初版と同様に伊吹訳だった。1988年に伊吹は逝去しているというのに殆ど手が加わっていない。この改訂版のために「1945年の実存主義」を新たに書き下ろした海老坂武がひかえめに伊吹訳を「平明でわかりやすく、リズムのあるすぐれた翻訳」だとことわったうえで、「ここはややわかりにくいのではないか、ここはやや原文から外れているのではないかと思われる箇所」を巻末の訳注ページに訳し直している。その数は「実存主義はヒューマニズムである」で58箇所、「討論」で38個所に及ぶ。もちろん、海老沢の訳し直しの方が日本語としてみるとはるかに明晰だ。残念なことに、こういう改訂版だから講演の臨場感など望むべくもない。初版の表紙は薄い。改訂版がハードカバーなので読む際に心なしか緊張する。「時代に巻き込まれている、拘束されている以上は、自分を積極的に時代に巻き込む、拘束することを選ぶ。身に起こることを受け入れるのではなく、身に起こることを引き受ける。状況に対する受動性から能動性への転換、これがサルトルのアンガジュマンという用語の誕生点である。(海老沢による巻頭文「1945年の実存主義」から引用ののち一部を改竄)また海老沢はおなじ巻頭文のなかで、「貧困という経済状態がひとを革命的にするという命題」に対して、サルトルが「貧乏人が貧困を捉え直し、自らの貧困として引き受け、さらに貧乏人によって貧困がはっきりと許しがたいものとなる人間世界の中に置き換えられるということがあってはじめて、貧困は革命的な力になりうるのだ。」と考えていたことを明らかにしたうえで、かれは社会的・経済的・歴史的な要因が人間をつくるのではなくて、人間的主体性の自由な投企が歴史をつくるのだと考えていたと解説する。

宇宙

2011年05月22日 20時09分25秒 | Weblog


かなり粗雑に言うと、宇宙の果てまで到達しようとすれば光速で137億年かかる。というよりも、137億光年前に発せられた天体の光が太陽系に届くまでに光速で137億年かかる。確認できる最も遠い天体、つまり宇宙の果てがその辺りにある。

それでは宇宙の果ての向こうに何があるのか。宇宙とは存在するもののすべてを指す。宇宙があることを前提にして有無の判断が可能なのだ。だから宇宙の果ての向こう側は無であることにはならない。では宇宙の果ての向こう側に何かあるのか。やはり何かあるということにもならない。

宇宙や空間に思いを巡らせてみると単純にみえる宇宙が謎の空間と化す。二日酔いに煩わされながら東広島天文台を見学した。宇宙の広大さをコンピュータグラフィックで眺めることができる。地球から出発して宇宙の輪郭を眺めて地球に帰還した。めまいがしそうだった。

身近に置く本

2011年05月19日 21時19分19秒 | Weblog





この10年間、手元に置いている、置き続けている本がある。オリバー・ストーン監督「WALL STREET」の英文シナリオ、同じく英文の「THE WIZARD OF OZ」(「オズの魔法使い」)、英文「GOOD NEWS BY A MAN NAMED MATTHEW」(「マタイによる福音書」)、ドウス昌代著「ブリエアの解放者」、「大学・中庸」、原始仏典「ブッダ最後の旅」、マルクス著「『経済学批判』への序言・序説」といった本だ。

アンガジュマン

2011年05月18日 22時03分35秒 | Weblog
サルトルの「実存主義とは何か」1955年8月初版に続いて、その改訂版「実存主義とは何か」1996年2月初版が届いた。1955年版については講演の記録にしては翻訳のキレが悪く著述のようなまわりくどさを感じていた。40年を経た1996年改訂版では伊吹武彦の翻訳が一掃されて気鋭の若手研究者による翻訳によって講演の臨場感がうまく表現されているのではないかと期待した。

迂闊だった。改定版なのだから気鋭の若手研究者が登場することはない。初版と同様に伊吹訳だった。1988年に伊吹は逝去しているというのに殆ど手が加わっていない。この改訂版のために「1945年の実存主義」を新たに書き下ろした海老坂武がひかえめに伊吹訳を「平明でわかりやすく、リズムのあるすぐれた翻訳」だとことわったうえで、「ここはややわかりにくいのではないか、ここはやや原文から外れているのではないかと思われる箇所」を巻末の訳注ページに訳し直している。

その数は「実存主義はヒューマニズムである」で58箇所、「討論」で38個所に及ぶ。もちろん、海老沢の訳し直しの方が日本語としてみるとはるかに明晰だ。残念なことに、こういう改訂版だから講演の臨場感など望むべくもない。

初版の表紙は薄い。改訂版がハードカバーなので読む際に心なしか緊張する。「時代に巻き込まれている、拘束されている以上は、自分を積極的に時代に巻き込む、拘束することを選ぶ。身に起こることを受け入れるのではなく、身に起こることを引き受ける。状況に対する受動性から能動性への転換、これがサルトルのアンガジュマンという用語の誕生点である。(海老沢による巻頭文「1945年の実存主義」から引用ののち一部を改竄)

また海老沢はおなじ巻頭文のなかで、「貧困という経済状態がひとを革命的にするという命題」に対して、サルトルが「貧乏人が貧困を捉え直し、自らの貧困として引き受け、さらに貧乏人によって貧困がはっきりと許しがたいものとなる人間世界の中に置き換えられるということがあってはじめて、貧困は革命的な力になりうるのだ。」と考えていたことを明らかにしたうえで、かれは社会的・経済的・歴史的な要因が人間をつくるのではなくて、人間的主体性の自由な投企が歴史をつくるのだと考えていたと解説する。

人間観

2011年05月12日 21時35分04秒 | Weblog
J・P・サルトルの「実存主義とは何か」が届いた。無神論的実存主義者というレッテルを貼られて憤慨した御大ハイデッガーに言わせると、通俗的な講演記録なのであえて著作とは記さない。

『17世紀の哲学者がみた人間観
人間という概念は、神の頭の中では製造者の頭にあるペーパーナイフの製造技術と同一に考えてよい。神は職人がひとつの定義、ひとつの技術に従ってペーパーナイフを製造するのと同じように、さまざまな技術とひとつの概念にしたがって人間を創るのである。こうして個々の人間は神の悟性のなかに存するひとつの概念を実現することになる。

実存主義的人間観
実存が本質に先立つとは、人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿を現し、そのあとで定義されるものだということを意味する。実存主義の考える人間が定義できないのは、人間が最初はなにものでもないからだ。人間は自らがつくったところのものになる。したがって人間の本姓は存在しない。人間は自らそう考えるところのものであり、自ら望むところのものである。また、実存してのちみずから考えるところのものであるにすぎない。つまり、人間は自らつくるところのもの以外のなにものでもない。』J・P・サルトル「実存主義とは何か」より抜粋のうえ一部改竄。

ハイデッガーのサルトル批判はともかく、松浪信三郎著「実存主義」(岩波新書)よりもわかりやすい講演記録だ。

実存主義

2011年05月08日 16時02分32秒 | Weblog
そのむかし実存主義にかぶれていた。「実存は本質に先立つ。」、「人間は未来むけて投企する存在である。」、「主体性」などの魅惑的な言葉が蘇える。たまたま当時読んだ松浪信三郎著「実存主義」を読み返した。「実存とはなにか」で始まる第1章から雲行きが怪しい。松浪はいきなり実存という言葉の定義から探り始めるのだ。この書き出しは私の記憶と大きく異なっている。サルトルには「実存主義とは何か」という通俗講演を一冊の本にまとめた実存主義の入門者がある。ほどなく、サルトルのこの著作と松浪の「実存主義」を取り違えているらしいことに気がついた。

「19世紀の合理主義的観念論および実証主義的思潮に対する反駁としておこった。主体的存在としての実存を中心概念とする哲学的な立場およびその20世紀における継承を実存哲学という。」平凡社 哲学辞典


石見銀山街道

2011年05月07日 23時12分10秒 | Weblog
道の駅「赤来高原」のレストランのランチがいけるという話を聞いて島根まででかけたのが発端だ。噂どおりランチパスタと食後のコーヒーの味は完璧だった。シェフはただ者ではない。農産物の直販店で試食したタクアンとラッキョが美味なので買った。値段が実にリーゾナブルだった。

奥出雲へのドライブでは時間的にタイトだった。三江線に沿って新緑の中を走ってみようということになった。目の当たりにしたのは、車線を縫うように走る三江線の軌道を包み込むような新緑の氾濫だった。田舎ティックな景色と新緑の中を時間がたおやかに流れた。

(国道54号線を島根の道の駅「赤来高原」までとばしてから食事をとった。駅を過ぎてすぐに54号を左折して石見銀山街道に入った。三江線(三次~江津)との最初の接点にあたる沢谷駅あたりから三江線に沿って三次方面に向けて上り、旧作木村(三次市)まで引き返してから高宮経由で甲田インターに着いた。)

東洋思想

2011年05月05日 07時58分30秒 | Weblog
『思想という用語は広く一般に使われているが、哲学・思想用語中ではもっとも曖昧な用語のひとつである。丸山真男は、「広義の思想」を次の4つの成層としてとらえている。いちばん上には、(1)もっとも高度に洗練された体系的な理論、学説、教義などがある。次に、包括的に、(2)世界についてのイメージ(イマージュ)である世界観、世界像、あるいは人生観などがあり、その下には、(3)より具体的な問題に対する具体的対応としての意見、あるいは態度といったものがあり、そして一番下には、(4)理性的反省以前の生活感情、生活ムード、実感、さらには意識下の次元がある。この分類でいけば、哲学の理論や学説は、第(1)の分類に属する。』「小学館 哲学辞典」から引用のうえで一部を改竄。

ユダヤ思想1,2 イスラーム思想1,2 インド思想1,2,3 インド仏教1,2,3 チベット仏教 東アジアの仏教 中国宗教思想1,2 日本思想1,2の全16巻「岩波講座 東洋思想」が届いた。儒学(儒教)を広義の思想ととらえるのか宗教ととらえるのか興味深いので中国宗教思想1,2から入った。ついでチベット仏教、インド思想1,2,3の順で読み進む予定だ。



フラワーフェスティバル

2011年05月04日 20時46分30秒 | Weblog
平和大通りは華やかなフラワーフェスティバル一色だ。喧騒と人ごみの中をスーパーフジから平和公園までのメイン会場を歩いた。夥しい数の屋台と企業や役所の出店が所狭しと並んでいた。どこかに隠れていたのか、へえぇーこんなにいたのかと感じるくらい若者の姿が目についた。

平和公園への途上で広島文化学園大学の学生さんが骨粗鬆症の検査をやってみないかと声をかけてくれた。同伴者が希望したので私も測定してもらった。成人男子のほぼ平均値で同年齢の平均値と比べると1割ほど骨の密度が濃いという結果に満足した。

あちらこちらの屋外ステージでは音楽や歌唱を中心に様々なエベントが開催されていた。大音量が初夏のような日差しに向けて拡散して心地よい。バックミュージックにしながら歩いた。道中の終盤に平和公園内の人だかりにつられて、むかし懐かしいツイストのパフォーマンスを拝見した。

中にとてつもなく躍動的で上手な女性がいて際立っていた。他の女性たちとは表現力が格段に違っている。動きそのものが色っぱい。たまにはにかむと実に煽情的かつ挑発的なのだ。好いものを見せていただいた。合掌しながら会場を後にした。も、もちろん他の約5名の女性たち、リージェントに黒いボディコン衣装の3名の男性たち、皆さんも普通に素敵でした。