旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

新書

2011年06月30日 22時32分27秒 | Weblog
趣味は読書だから暇になると本を漁る。今日は思うところあって清水真木著「これが『教養』だ」新潮新書と田島正樹著「読む哲学辞典」講談社現代新書を買った。前者は加藤周一的教養について語っている部分に興味を引かれ、後者はタイトルの奇抜さから買うことに決めた。

決めた理由の奥の方には「思うところ」があるのだが本日はその理由については語らない。最近は学者の手になる本といえども随分と読みやすくなった。かえりの列車の中で読み始めたところ。わずか20分の車中でおおかた4分の1を読み終えていた。

読み方が雑になってきたのか、読むスピードが増したのか、おそらくはその両方が原因なのだろう。内容にもよるが、新書なら概ね1時間から2時間ばかりで1冊を読み終えてしまう。そのむかし、新書なら1週間もあれば1冊を書きあげると豪語したドイツ語の教授がいた。ならば、2時間で読みきることができても不思議ではない。

中沢新一

2011年06月30日 06時20分01秒 | Weblog
            中沢新一


中沢新一の著作4点と、木田元著「ハイデガーの思想」岩波新書を注文した。木田のこの新書は、すでに買っていて、どこかの本棚の底で眠っているような気がしないでもない。読みたいときに見当たらない蔵書には意味がない。改めて、本の整理を始めなくては。

中沢の何を言いたいのか解りにくい、もやっとした文体のなかに感じるものがある。かれの催眠にかかりかけているのか。近いうちに覚めそうな予感もするのだが。

太陽と雨

2011年06月28日 22時41分29秒 | Weblog
たっぷりと肥料(餌)をやった。あとは太陽と雨にまかせることにしよう。

トマトの生育が悪い。やはり土壌に難点がある。肥料や石灰で微調整しなければならない。農業は実に頭脳労働なのだ。地這いキュウリが実をつけ始めた。勢いがない。これは肥料不足と日照不足が原因だろう。梅雨が明ければ解決する。インゲンが実をつけ始めた。できるだけ早い時期に収穫する。大きく育つと不味くて喰えない。オクラも然りだ。サツマイモの苗を植え込んだ。全く手間がかからない根菜だ。たまに雑草をとるだけでいい。肥料はいらないし土壌も選ばない。サトイモがそろって芽を吹いて、一斉に成長を始めた。葉の上の水玉が踊り輝く。辛いダイコンは「おろしうどん」にあうし、葉っぱの一夜漬けは茶漬けや炊きたてのご飯にあう。

近くに50坪ばかりの農地が貸しにでている。心が揺れている。地代はいくらなのだろう。

解答例

2011年06月28日 21時47分24秒 | Weblog
クライアントは、会社が確実に成果の出るものしかやらせてくれない。 自分の力を試したいのだけれど、制約が多すぎてやりたいことができないことが不満なのだ。すなわちクライアントは、 会社がリスクをとらないから自分が達成感を感じることができないと思い込んでいる。

クライアントには、同僚・上司、或いはトップマネージメントといった他者をどのように動かすのかというヒューマンスキルが不足していると言わざるを得ない。

ぼやいている暇があるなら身近なところでは、上司とリスク管理と新規企画について協議してみるとか、 前職の同僚や先輩からマネージメントについて教えをこうとか、 企業家セミナーでも受講して、企業を維持発展させるためには何が必要か等について真摯に学べば見えてくるものがある。

クライアントは自分の企画力に自信を持っているようだから、こういうタイプに理詰めは無効。自己理解のためには、逆に経験で企業を語ることができる会社の上司や、成功したとクライアントが持ちあげている前同僚や前上司、企業家セミナーの講師たち等、クライアントを理解しえる立場にある人たちの力を借りるのが良い。

技能検定

2011年06月26日 00時25分20秒 | Weblog
明日の午後にキャリア・コンサルティング技能検定の論述試験がある。むかしから合格するための試験勉強が得意でない。今回も苦慮している。

合格のレベルが解りやすい試験と解りにくい試験がある。この技能検定は解りにくい部類だと思う。合格のレベルがどのあたりにあるのか定かでない。もっとも受検者の殆どがキャリア・コンサルタントの資格保有者だからノン・ホルダーの私だけがレベルを掴んでいないだけの話なのかもしれない。群れるのが嫌い、ひとに教えるのが嫌い、ひとから教えてもらうのが嫌いだからこういう時に困る。

キャリアコンサルティングを直訳すると職業相談ということになる。ところが労働省では、キャリアコンサルティングを「労働者がその適性やその職業経験等に応じて自ら職業生活設計を行い、これに即した職業選択や職業訓練の受講等の職業能力開発を効果的に行うことができるよう、労働者の希望に応じて実施される相談およびその他の援助」をいうと定義している。

職業相談については、「①求職書の能力に適合する職業を選択することを容易にさせるために、②求職者との間の面接・会話を通じて、③その希望内容、適性と能力、職業活動上の課題を把握し、④自己・労働市場・職業・応募方法などに関する理解の促進と助言をすることにより、⑤その職業選択・就職活動における認識・自己評価・態度・行動について必要な変容をもたらす相談をいう。」と定義している。

はやと的理解によると、キャリアコンサルティングが抽象的で職業紹介の定義が具体的だということ以外に定義内容の差はないと思われる。もっとも、この差を読解できないことがノン・ホルダーゆえにという可能性がないともいえない。だから、この技能検定に応募し続けている。

職業相談を始めてこの7月で3年目に入る。カウンセリングやキャリアコンサルティングに関わる本を十分に読んでいるし、月を追うごとに蔵書数は増えている。それでもうからない。もともとテキストが極めて少ない分野だから基準書というものはない。心理学というよりもカウンセリング技法に関わる本も含めると本屋に並んでいる関連本の殆どを読み終えた。それでも合格のレベルというものが見えてこない。弱っている。次の日曜日には口頭試験が控えているからなおさらだ。鬱。

木田元

2011年06月25日 08時27分11秒 | Weblog
今週はよく本を読んだ。木田元著「闇屋になりそこねた哲学者」、メルロ・ポンティ著「眼と精神」、プロ教師の会 諏訪哲二著「なぜ勉強させるのか?」、工藤順一著「文書術」、林達夫「歴史の暮方」、久しぶりに「文芸春秋(七月号)」、池内了著「物理学と神」、産経新聞大阪社会部「生活保護が危ない~『最後のセーフティネット』は、いま」エトセトラだ。

週に2度はシフトの勤務なので火曜・木曜の終了時間が午後の6時になる。6時20分発の三次行きは混む。6時40分の下深川行きが到着するまでの約25分間を、本屋さんでぶらつくという至福の時間を楽しむ。

「哲学は人生の役に立つのか」を読んで以来、興味を引かれるまま木田元さんの本を一冊づつ買いそろえている。「闇屋になりそこねた哲学者」は木田の半生記だ。哲学を生業とする者のなかにも実直で一本気な生き方を全うした人間がいる。

木田はメルロ・ポンティをフッサール現象学の正統な後継者だと評価する。フッサール、ハイデッガー、メルロ・ポンティについて辞典レベルの理解はしているし「世界の名著」ほかでも数冊の著作に当っている。全体像が見えにくい厄介な哲学者たちだから、木田さんの助けを借りながら改めて読みなおそうと思う。

著作「眼と精神」のなかの「哲学をたたえて」で、メルロ・ポンティは「哲学者であること」は「自分は何も知らないのだということを知っていること」だと述べ、哲学の講座を担当する喜びをスタンダールも言うように、「おのれが情熱をを燃やすことを仕事とする」のは幸福なことであるだけに率直に自分の任務を喜ぶと、その序言を締めくくっている。

元哲学する営業マンで現在は末端の行政を担う私は、自分は何も知らないのだということを知っている典型的な哲学的俗物だ。そして目下、青年たちの学習に関わる仕事を担当できるかどうかが試されようとしている。できれば、スタンダールの「おのれが情熱を燃やすことを仕事」にしたいと思ってはいるものの、競争相手の殆どが博士課程の修了者ともなると敗色が濃い。

そういえば、ソクラテスの無知の知の問いかけの対象に商人はいたっけ。「ソクラテスの弁明」を読みなおさなければならない。これだから哲学は面倒で楽しい。

懇親会

2011年06月18日 23時06分59秒 | Weblog
前職のOBひとりに現職4人とわたしの総計6名が待ち合わせて居酒屋で飲んだ。気の置けない連中ばかりだから、互いに会うのが2年ぶりだというのに、挨拶など瞬く間にすっ飛んで、罵詈雑言、誹謗中傷、足の引っ張り合い、誰が追加分を負担するかという醜い争いと喧騒の内にわずか2時間の1次会が終了した。

とにかく深刻な話がない。意義のある話がない。為になる話がない会合があっという間に終わった。たまにはこういうバカげた飲み会も良い。もちろん、他の参加者が口を揃えたように、場を最も賑わせはしゃいだのは、はやとその人だったことに疑問の余地はない。わたしは、兎にも角にも大騒ぎが大好きなのだ。

履歴書

2011年06月18日 20時01分34秒 | Weblog
接客の仕事に就きたいという女性から、簿記2級の資格を持っていることを資格・特技欄に記載すべきかどうかで迷っているという相談を受けた。(もちろん仕事外での話だ。)なんでも、商業高校の在学中にとった資格なのだが、卒業後経理の仕事に就いたことがないうえに5年は経ったので簿記についてすっかり忘れてしまった。どちらにしても経理をやる気はないのでできれば記載したくないとのとのことだ。

実務経験が不要な資格試験の場合、往々にして実務経験がないと使い物にならない場合が多い。簿記の資格も例外ではない。資格のホルダーに経理向きの資質があることは推定できる。ところが実務能力は実務についてから修得する。したがって、即戦力を求める求人側が、資格ではなくて実務能力を求めることの方が多い。

書くか書かないかは採否と関係なさそうなので対応を本人に任せるとして、学位であって資格ではないにしても、大学を出て10年もすれば、学んだことなどすっかり忘れてしまっているというのに、臆面もなく履歴書には大卒と書くわたしのような輩がいる。「恥ずかしくて赤面の至りですよ。」と相談にきた女性に洩らしたところ「じゃ、高卒にしときゃ。」という即答が返ってきた。

履歴書の学歴に関していうと高卒が大卒と書けば学歴詐称になって入社後といえども解雇されることがあるように、大卒なのに高卒と書くと学歴の詐称になるという判例があったように記憶している。もっている資格をもっていないと履歴書に記載した場合にも、悪意があればなんらかの不法行為が成立する可能性だってある。もっとも相談にきた女性の場合は善意だから問題はない。


前夜

2011年06月10日 21時31分07秒 | Weblog
久しぶりの休暇を楽しもうと思いをめぐらせてみた。せっかくのバラの季節だからと湧永庭園か牛田の市民バラ園あたりの散策を思う。梅雨空にバラは似合わないので気乗りがしない。季節はずれの砂浜にマットを敷いて空を見上げ海を眺め砂浜に目をやるのも悪くない、要はゴロゴロするのだ。少々の雨ならかえって爽快に感じることだろう。現実的な検討を要す。

田舎者よろしく広島シェラトンのホテル探検という選択肢もある。流行っていない様子なので怖いもの見たさという面もないではない、というよりも多分にある。先週食事をした広島プリンスのコーヒーは800円だった。ホテルのコーヒーは飲み放題なので割高感はなかった。果たして広島シェラトンはいくらとるのだろうか、ラウンジにはどのような格好をしていけばよいのだろうかなどと想像してひとり苦笑する。めぐらせる思いのスケールがどうにもちゃっちいのだ。

本棚・本箱の整理が進むにつれて行方不明の本が明らかになってゆく。メルロ・ポンティの「見えるものと見えないもの」など買ってから何カ月も経っていないというのにすでに行方知れずだ。この水曜日に注文した加藤周一の「読書術」が3冊届いた。わたしの読書遍歴はこの本から始まったといっても過言ではない。最近になって岩波同時代ライブラリーの一冊として再発行されていることを知って躊躇なく注文した。本好きの仲間を増やすために使おうと思う。木田元著「闇屋になりそこねた哲学者」も文庫とハードカバーと2冊注文した。なぜ2冊買ったのか、本人にもいまだその理由が解らない。判然としない。

Shift

2011年06月09日 07時00分46秒 | Weblog
帰宅後に畑にでかけてダイコンと春菊を収穫した。葉ダイコンの一夜漬けが好きだ。せっかく菜園で栽培するのだからフツーのダイコンを撒いてみた。フツーのダイコンなのだからどんどん成長する。葉ダイコンよりも美味なフツーのダイコン葉の一夜漬を堪能したので、勢いがよいのを10ばかり残しておいたら思惑通り見事なダイコンに成長していた。春菊とともに収穫したのは葉っぱではなく、ダイコンそのものが2本。地産地消どころではない、野菜についてはほぼ自産自消だ。

毎日がシフトならば「行革の鬼」土光さん張りに出勤前に農作業をすることも可能かもしれない。こころの雑草を取り払ってから役所に行けば、さぞかし爽快なことだろう。ところが、シフトの日といえども8時半には家を出なくてはならない。凡俗の軽薄で末端の公務員の時間的な限界だ。「態勢・配置の変更」を意味する(岩波国語辞典)『シフト』によって、6月は火曜・木曜は始業から1時間遅れの9時半の出所になっている。就業が18時だから勤務時間に変更はない。起床はいつもどおり5時半だから「ひとときの余暇」を楽しむばかりだ。

会話

2011年06月08日 19時53分05秒 | Weblog
「まるでカモシカのようなお御足(おみあし)ですね、うらやましい。」
「あれ、ほめてくださってるんですか。はやとさんこそなかなかの・・・。」
「なかなかのなんですか。なかなかのカモノハシですか。」
「まあなんのことでしょうか、それって。」

同僚にバカ話をふっかけていたら列車に乗り遅れそうになった。平和だ。


太陽と水

2011年06月08日 05時35分22秒 | Weblog
早朝から恵みの雨が降っている。この日曜に菜園の除草を済ませた。たっぷりと肥料も施している。生育は自然の力に頼るのがいい。今週は水やりの手間が省けそうだ。2か月たってようやくサトイモの芽が出揃った。トマトは専業農家のそれのように逞しく成長している。ナスの根も張った。花をつけた茎は太さを増して蒼黒く葉の色つやもよい。ジャガイモは花を吹いて葉の黄緑が濃い。インゲンの葉が大きいのは肥料が適度に効いている証しだ。ダイコンも間引きの結果太さを増して収獲間近だ。初夏の菜園は手がかからない。大方が肥料に害虫、水やり、たまに草むしりに気をつかっていればよい時節だ。ようやく太陽と水、虫に気を払うだけでよい農閑期が訪れた。

日曜日

2011年06月07日 06時41分27秒 | Weblog
朝から菜園にでかけた。オクラの種をまいてから、菜園の草むしりと水やりに没頭した。先週から気にかかっていた。野菜たちに肥料を与えたることができた。しっかりと汗をかいた。キュウリの生育は順調だ。

帰りの道すがら逝去した同級生の姿を追っていた。少なくともうち6名の笑顔を思い浮かべることができた。

午後は兄も交えて母親とプリンスホテルで昼食をとった。そしてなぜか広島駅の構内のレストランでそろってクリームソーダを飲んだ。久しぶりに兄との間で哲学・宗教・音楽論の話題に花が咲いた。母親の愚痴もしっかりと聞くことができた。よい一日だった。

同窓会

2011年06月05日 20時54分06秒 | Weblog
18時前に受付を済ませると間もなく同窓会は始まった。予想を上回る89名が出席した。最も関係が濃かった体操部の仲間7名のうち4名が出席していた。ほっとした。元呉市区役所職員、元県立高校校長、それに元小料理店の店主、元外資系生保の社員で2年前から末端の国家公務員に転身したはやとの総計4名がその内訳だ。出席できなかったのは建設関連会社の役員、中学校の教員に元女子部員の3名だ。司会者が初っ端にもらしてしまったように、見渡せば禿げに白髪、皺の3拍子揃った立派なオジサン、オバサンのオンパレードだ。逝去した者の数が確認できただけで20有余名という数字は痛い。同窓会は立食パーティ形式なのでギリギリに受付を済ませたものだから腰を下ろす場所すらない。また不肖はやと、群れるのが嫌いだから誰彼と待ち合わせをするでもなく単身で会場に出向いている。体操部の仲間以外に知り合いがいないのではないかという不安が脳裏をよぎらないわけでもなかった。

杞憂だった。ざっと見渡しただけでかなりの知人がいる。片っぱしから旧交を温めることになった。話しているうちに高校生時代のわたしを、同級生たちからどのように見ていたのかがしだいに明らかになっていった。やはりというべきか、小柄だが妙にエネルギッシュで口が立つ硬派の山猿というイメージが最大公約数だ。4割がたが女性だった。見渡して記憶が蘇るのはおひと方だけだ。声をかけたがそっけない。苦手な女性たちにインタビューするのは困難だと判断して男性軍と談笑していたら、突如として女性3人から声をかけられた。「あっのう、どちらさん、いや、誰じゃったかいねえ。」「は、○○です。」と即答した。姓を聞いてなお3人連れは、わたしが誰だか解らないという。ところが、である。3対1の会話のなかで彼女たちがしきりに声をそろえ頷き合うのが「こんなかっこいいひとが同窓生にいたことを知らんかった。」とか「若いねえ、もてるじゃろ。」とかいう信じがたいお言葉の数々なのであった。もっとも、ご3名さまともにかなりアルコールが入っていたようだし、お目がお悪いことだってありうる。割り引いて聞かなければならぬ。ほかにも多々考慮しなければならないことがあるにちがいない。

最近、さるうら若き美女お二人から過分のお言葉を頂戴したので「ひょっとしたら、おれって・・・。」と分不相応な夢想をした。勇み足的にさる女性にその旨を伝えたところ「単純ねえ。」と切り捨てられている。賞賛の背景に何かあるのじゃないかと疑いながらも、懲りもしないでひとり喜びにうち震えていた。やはり根が単純なのだ。同窓会出席に傾いた理由ひとつに、ウン10年ぶりに再会した同級の女性たちが、わたしのことをどのように評価するか知りたいという不純な動機があった。ひとは突如として加速度的に老けこんだり、心の病気か何かで輝きを失うことだってありえる。だから、保険という意味合いでこういう話は軽く聞き流しておくにこしたことはないのだろう。また、ブログにせよ日常のつき合いにせよ、他人の自慢話ほど面白くもなんともないものはない。だから以降は自慢話の類は自重することにする。






噴飯もの

2011年06月03日 20時56分28秒 | Weblog
ある女性
「さきほどからはやとさんが連発している、フンパンモノってどういう意味なんですかあ。まるでウサギかヤギの糞の様な何かをパンで包んだモノ、たとえばマックの新商品かなんかのペットネームとか。でも、そんなペットネームじゃ食べる気がしません。つまらないものとか不味いものっていう意味じゃないのかと思ってはいるんだけどお。」

はやと
「うら若き女性が糞だなんちゅう下品な言葉を使うものじゃありません。フンパんもののフンは噴射、噴火の噴、つまり噴き出すという意味のフンにパンは主食は主食でもパンではなくて、ご飯のハンが噴と結びついてフンパン。つまり、食事中に礼儀を欠いた、口中のご飯を噴き出さざるを得ないような、とんでもない話や呆れた話、矛盾だらけの話などを総称して噴飯ものと表現するのです。」

はやと
「じゃ、話を元に戻して。まあ、わたしのような完全無欠の仕事師に対して、どこにでもいますわな、やることなすことが全く頓珍漢で噴飯ものという連中が・・・、たとえば、ええー・・・。」

ある女性
「はっはあ、はやとさん。こういう話を噴飯ものと言うんですね。はやとさんが完全無欠だなんて呆れるしかないですね。正しく噴飯もの、くくっ。」

はやと
「ほお、早くも噴飯ものという言葉を自家薬籠中のものにしたんだよねえ。たいしたもんだ。」(たじたじ。)

「ジカヤクロウチュウノモノ」と聞いた「ある女性」の目がきらりと輝いた気がした。次は何を言われるのかとわたしはどぎまぎした。仕方なくもごもごと言葉を濁した。めったなことでもない限り、うら若き女性に対して、知識を披かしたり自慢したりするもんじゃないと痛く思った。とほほ。