旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

勝負の9月

2015年09月30日 20時31分48秒 | Weblog

「勝負の9月」は幕を閉じようとしている。第一次のステージではクライエントの内定率が80%に迫った。主役のクライエント本人と家族の皆さん、担任の先生方の尽力に心から感謝している。10月以降は、うまくいかなかった20%余りのクライエント+進路を変更したクライエントの為に全力を尽くす。大方の手は打ってある。10月中にはすべてのクライエントが内定する見込みだ。


中秋

2015年09月30日 06時53分44秒 | Weblog

思い切って血圧計を買い替えた。10数年間使ってきた時代物に未練がなかったわけではない。ときおり突拍子もない数値をはじき出すのでやむなく決断した。この10日間の測定でみる限り良い数値が出ている。起床後1時間以内の測定値平均で上が125下が82~83といったところだ。1年前と比べたら上下ともに概ね3分の2程度まで血圧が低下したことになるのだから恐れ入る。
カロリーと塩分の摂取過多の調整と農作業で体重を8キロ落としたらウエストも8センチばかり細くなってメタポ症候群は霧散した。幸い後遺症はない。8か月前の症状と検査結果の悪夢がよい薬になった。降圧剤と縁を切る日を夢ながら今日もやや禁欲的な生活を楽しんでいる。我儘で独善的な患者を辛抱強く見守ってくれた、かかりつけ医の先生と家族にただ感謝している。そして季節は中秋を迎えた。

 


サポート

2015年09月29日 06時57分27秒 | Weblog

大筋の内定状況が見え始めた。決して満足しているわけではない。しかし上手く求人難という時流にのることができたので、つい評価が甘くなる。クライエント本人とサポートの要(かなめ)である先生方に感謝するばかりだ。
集団的な支援を余儀なくされてきた。再びマンツーマンの対応に戻ることができる。教育的指導は私の流儀ではない。今回はうまくいかなかったクライエントひとりひとりとふりかえり(談笑か?)を始めた。
幸いなことに、うまくいかなかったクライエントは15名に満たない。外部・内部の力を結集しながらサポートを続け、10月いっぱいには将来のための足固めを済ませる。主役はもちろんクライエント本人だ。


季節

2015年09月28日 07時40分36秒 | Weblog

畑の雑草は毟った。種撒きも終えた。道の駅で買い求めたアケビとイチジクは腹いっぱい食った。とれたてのサトイモは蕩けるようだし、焼いた鳴門金時は甘く香ばしい。
ワクワクしながら興味を持って読めそうな本を積みあげている。社会科学ではカール・シュミットとハンス・ケルゼン、現象学でメルロ・ポンティと木田元、心理学では國分康孝、アレン・K・アイビイ、カール・ロジャーズ、マーク・L・サビカスを読み直す。勤労と読書、行楽向きの良い季節が到来した。


青天の霹靂

2015年09月25日 19時31分32秒 | Weblog

意気込みが環境に変化をもたらしたものか、持ち前の気力の気が相手に届いたのか、数年前からこういう結果になるように何者かの手によって予定されていたのか、本日は「お祈りの手紙」が僅かに1件だった。しかも、この手紙はFAXで送られてきたので正確に言えば手紙ではない。「お祈りの手紙」は0件で、「お祈りのFAX」が1件だったという見方もできる。
この晴天の霹靂によって累計で「お祈りじゃない、喜ばしくて嬉しい手紙(とFAX)」の割合が一気に80%を超えた。この数値は10月から始まる第2ラウンドの励みになる。今朝は、悪い結果に押しつぶされそうになる夢で目が覚めた。この半日で事態は一転した。明日の土曜は思いっきり羽をのばして自然の中で寛ぐことができる
それにしても、このような数字で一喜一憂しているようでは、まだまだ修行が足りないと思う。重要なのはクライエントの満足なのだ。

『お祈りの手紙』
企業から来る不採用通知の事。文末に「今後のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。」とかならず入っているので、こう呼ばれるようになったと思われる。

青天(せいてん)の霹靂(へきれき)【青天の霹靂】
《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。
[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。


誓い

2015年09月24日 21時05分16秒 | Weblog

昨夜半から降り始めた雨のおかげで畑は十分に潤った。私の勘は天気予報よりも当たる。種を撒いて軽く水をかけておいたら予想通り一昨日は曇り昨日は降った。散水は自然の力を借りる。五感で天気模様を察しながら野菜育てに励む。明後日の土曜はサトイモの大きな葉の上で水玉がきらめくことだろう。
吉報に沸くほどに「お祈りの手紙」の悲しさが際立つ。連休明けの今日、冬が訪れる前に「お祈りの手紙」を絶滅することを誓った。悩めるクライエントがひとりでもいる限り私は幸せになれない。3人のクライエントの話に耳を傾けているうちに今日も陽が落ちた。かれらの要望や気持を聞き切れていないわが身に一抹の不安が残る。

『お祈りの手紙』
企業から来る不採用通知の事。文末に「今後のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。」とかならず入っているので、こう呼ばれるようになったと思われる。

 


鷹の爪(唐辛子)

2015年09月23日 11時47分53秒 | Weblog

 

正面にゴボウ、右手にジャガイモと青しそ、奥左手にサトイモ、その手前に鷹の爪とゴボウとナス、右手中央上にサツマイモ(鳴門金時)、正面ゴボウの向こう側にニンニクを植え付け、大根の種を撒いた。右手ジャガイモの隣、中央下あたりの畑に、大葉春菊と大根の種を撒いた。あとひと月ほどで農園は実りの秋を迎える。


アケビ

2015年09月22日 23時36分41秒 | Weblog

午前中は三田農園に行って雑草をむしり、畑を耕してニンニクを植え、大根・大葉の春菊の種を撒いた。4時間ほどの農作業を終えて帰宅してから、昼ご飯のデザートに数日前に道の駅で買った小ぶりなアケビ7個ほどを食べた。わたしにとって秋の味覚といえば松茸とアケビだ。子供のころから秋になるとアケビや松茸を求めて深い山に入った。アケビよりも松茸の収穫の方が多かった。焼きナバ(松茸)は手ごろなおやつだった。アケビは貴重な果物だった。
散策を兼ねてフタバ図書の高陽店を歩いていたら、「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子供たち」が目に留まった。かの灘高の名物教師によるユニークな国語教育の記録の、おそらくはダイジェスト版だ。以前から引っかかっていた本なので、購入を即断した。「国語は学ぶ力の背骨」と考える橋本武さんが、仲勘助著「銀の匙」のみをテキストにした精読を通じて灘中高生の国語力を高めた。そしてついには灘高の東大合格者数が全国一になった。その秘訣を明らかにしようという、ま、冷静に考えればなんてことのない内容だ。ただ読書論としてみると、精読とはどういうことかについて大いに参考になった。
橋本さんは世紀の大辞典「大漢和辞典 全13巻」の編集作業にも関わっていた。この経験が教育の現場で生かされたようだ。作業の30年後に諸橋轍次から贈られた「大漢和辞典 全13巻」は、橋本家の書棚の中央に鎮座しているという。橋本武さんは言葉を正しく理解させる習慣を灘高生に植えつけるために並みならぬ努力をした形跡と経験が窺える。読み終えて私は、「日本国語大辞典 全20巻」と「大漢和辞典 全13巻」が書斎に横たわっているというのに、いまだ世の為になるようなことを何ひとつやっていない。この点について少々後悔しているが、十分に反省していない自分に気がついた。ただ、「銀の匙」一作の精読を説く高橋武さんのこのドキュメントを、1時間余りで読んだことが痛快だった。


DVD

2015年09月21日 20時17分46秒 | Weblog

『國分康孝のロールプレイングに学ぶ』(5年ばかり前の収録と思われる。)を買った。実技試験対策としては、文字情報(読書)よりも動画、動画よりも自らロールプレイングに参加する方が効果があるように思われる。それでも次善のこのDADから國分康孝さん(1930年生まれ)のスキル、謙虚さと聡明さを窺うことができた。スキルについては言わずもがな、謙虚さを学ぼうと思うし聡明さには敬服するばかりだ。
そういえば、「カウンセリングの理論」と「カウンセリングの技法」に加えて「カウンセリングQ&A1、2、3」も本棚にある。「カウンセリング辞典」は間もなく届く。これらの著作とこのDVDを読み聞き比べて、國分さんは理論の人というよりも実践の人じゃないかと直感している。つい最近、日本語として練れた翻訳「カウンセリング」を読んで感心した旧東京教育大学の故友田不二男は國分康孝さんの師匠筋にあたる。


本の整理と頭の整理

2015年09月20日 20時28分16秒 | Weblog

國分康孝さんの「カウンセリング辞典」を買った。法律・経済に加え教育関連や心理学の本が増え続けて本の置き場に窮している。教育と心理学に関わる本を分けて、それぞれの分野ごとの置き場を確保する必要性に迫られている。かなりの数の本を処分することになりそうだ。今日の朝日新聞で、ほぼ同じ悩みを持つ先達が興味深い本の整理法を披露していた。大いに参考にしながら、シルバーウイークの中日に当たる明日は本の整理をすることにした。


サビカスのキャリア構築論

2015年09月19日 21時52分23秒 | Weblog

広島JALシティホテル(リバーサイドホテル)でパスタランチを食べてから、車で大手町に移動して東急ハンズを連れと歩き回った。年に数回程度ならこの店は飽きない。多品種少数展示の多様さには目を見張るものがある。帰りに、久しぶりに広島バスセンター街AQA6F、紀伊国屋書店に寄った。いつものように哲学・思想・心理学のコーナーを眺めていたら、サビカス著『キャリア・カウンセリング理論』副題「自己構成によるライフデザインアプローチ」が目に留まった。
キャリアについて学んだテキストでは、サビカスは2011年に「キャリアカウンセリング』を著して「キャリア構築論」を集大成したと解説されている。この英語原著が日本語に監訳されたのが上記の著作だ。2015年7月の初版だが、早くも読書会が開かれているとネット上で紹介されていた。購入を即断して読み始めた。カール・ロージャズ(ロジャーズ)選書の「カウンセリング」と「人格転換の心理」、アイビイの「マイクロカウンセリング」、サビカスの「キャリア・カウンセリング理論」に加えて、かなり買い進んだ國分康孝さん、河合隼雄さんの助けを借りながら、わたしの就職支援は続く。
時間が取れる良い機会が間近かだから、カウンセリングとキャリアについて本格的に学びなおしてみることにした。


心の雑草を抜く

2015年09月18日 20時44分23秒 | Weblog

今日の午後になって休暇よりもはるかに重要な2件の相談を受けた。5連休が明けたら寄せられた相談にクライエントと共に取り組む。休暇どころではなくなった。24日・25日と続けて休暇をとれば9日間の連休になるという甘い夢を見ていたのだが霧散した。連休明けのクライエントを一人にするわけにはいかない。明日土曜の市内散策とあさってのぶどう狩りで秋を楽しんだ後は、先週石灰を撒いた畑に白菜、春菊、大根の種を撒いて雑草を抜いてゆく。それから仕事の準備に入る。いたたまれない気持を抱えているだろうクライエントふたりにも、この連休はできるだけリラックスして休養するように伝えてある。


雑感

2015年09月18日 07時20分39秒 | Weblog

余波はいまだに収まらない。秋の日差しを見据えた監視が続く。9連休は断念した。あらゆる情報を感知するために私は現場にとどまる。険しい峠の向こうに峻厳な山々が待ち受けてわれわれを拒むのか、秋風が吹き抜けるさわやかな草原が待ち受けているのか未だみえない。真夏の陽や秋の霧の中をひたすら峠を目指して歩み続けてきた。微力ながらクライエントを支える一助たり得ているか、失意のクライエントに一歩踏み出す勇気を与え続けているかどうかを思うとやるせなくなってくる。クライエント全員が安心できるまで私の支援は続く。


二人のカール

2015年09月16日 07時06分58秒 | Weblog

盆過ぎから頂上に向けて山をよじ登っていくような苦行が続いた。この苦行のような生活から解き放たれて書斎でくつろぐ。今日からしばらくは秋空を滑空するような気分でいることができそうだ。
繁忙期に衝撃を受けたカール・シュミットの「現代議会主義の精神史的地位」は議会主義の欠陥を見事に突いている。ワイマール共和制時代の議会主義と日本国憲法下の議院内閣制を同次元で論じることには慎重であるべきだが、それにしてもシュミットの舌鋒は鋭い。「パルチザンの理論」「政治的なものの概念」とともに読み進む。また、シュミットの論敵ケルゼンの「一般国家学」にも目を通しておきたい。
カール・ロジャーズの「カウンセリング」「人格転換の心理」では原著の内容以上に、友田不二男の翻訳技量に魅せられている。友田訳を軸にしてわが国のカウンセリングの変遷を学ぶ。
買ってはみたものの手つかずの状態で積み上げたままの本の山がある。読みあげてしまいたいと思いながらいまだ読破できない。木田元著「メルロ=ポンティの思想」(岩波書店)やゲルウィック著「マイケル・ポラニーの世界」、マイケル・ポラニー著「暗黙知の次元」などだ。良い季節になった。読書の秋が忍び足で近づいている。