旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

企業

2013年09月29日 18時48分52秒 | Weblog

ここ2、3日悩まされた肩こりと頭痛の原因がわかったのでハゼ釣りはやめて散髪にいった。散髪をすませて肩に鎮痛薬を貼ると、頭が軽くなって肩こりと頭痛は吹っ飛んだ。気を良くして、昼過ぎから今日の深夜に放映された「朝まで生テレビ 雇用」の録画をみた。「生テレビ」ではブラック企業に対して社会がどのように対応してゆくのかについて議論された。

雇われる側がブラック企業を「過重労働やサービス残業といった労働基準法に抵触するような労働を強要して、最終的に心理的な脅迫によって辞職を強いるような企業である。」と定義したら、雇われる側が労働基準法に抵触するような仕打ちを受けていると確信するならば、雇う側の違法性を追求したうえで辞表を叩き付けて辞めればよい、という意見が雇う側から続出した。

守戦一方の雇われる側は、ブラック企業に心理的に追い詰められ痛めつけられている多数の人間がいることを指摘するばかりで、改善策や提言・意見がない。せいぜいがブラック企業に対処するための立法、労働基準監督行政の強化、ボランティア弁護団の支援に期待するばかりだ。

法律論や議論だけではなくて、重要なのは「過重労働やサービス残業といった労働基準法に抵触するような労働を強要しておいて、最終的に心理的な脅迫によって辞職を強いるような企業」を告発し続けることなのだ。なんとなれば、雇う側も指摘するようにブラック企業をこの社会に蔓延らせてはならない。存続させてはならない形態の企業をブラック企業と呼ぶのだから。


ライオン

2013年09月27日 06時30分08秒 | Weblog

昨日の2冊は、高橋健二訳「ゲーテ格言集」と福田恒存訳「老人と海」(いずれも、新潮文庫)だった。古本屋の方が並べられた本に年代的な広がりがある。週に2、3度は寄って、気に入った数冊を買い求めるようになって久しい。

ヘミングウェイの「この男に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ、眼だけがちがう。」「老人はライオンの夢をみていた。」などの表現はしぶいし、福田訳の漢字とひらがなのバランスは絶妙だ。ゲーテの格言集はどこから読んでも・・・、深い。悲しいことに朝から目がしょぼしょぼしている。


似島

2013年09月23日 20時37分20秒 | Weblog

広島港の待合を歩いているうちに船に乗りたくなった。近場の似島に決めたのが出航の5分前だったので、待合から乗り場まで走って出航直前のフェリーにようやく乗り込むせわしさだった。乗り込んでみると似島行は乗用車を10台ほど積載できる意外に大型のフェリーだ。眼下の水クラゲや似島の島影に立つ安芸小富士をのんびりと眺めているうちに、(似島)学園前桟橋に着いた。9時30分に広島港を発って9時50分に島の桟橋だから、約20分の短い航海だった。

潮の匂いが懐かしい似島は3度目になる。1度目は20数年前に似島学園前の砂浜で釣りとバーベキューを楽しむために、2度目は15年ほど前になるだろうか、慰労のための宴会があったペンション「にのしま」を訪れた。今回はこれという予定がないので似島学園前桟橋から似島港まで歩いてみることにした。


腫れ

2013年09月23日 07時37分20秒 | Weblog

昨日の朝だった。目じりのわずか上、左眉のかなり下あたりが赤く腫れていた。おまけに目じりの奥の方がゴロゴロする。持病のメボ(霰粒腫 「ものもらい」ではない。)の再発かと恐れた。今朝になって鏡を見たら腫れはいくぶんかひいていた。

医学書で確認したわけではない。それでも糖分や炭水化物の摂りすぎが霰粒腫(非細菌性のメボ)の原因だと考えている。過剰なカロリーが消化しきれないと脂肪と化してメボの原因になると考えている。だから食べ過ぎた翌日は、余ったエネルギー源を懸命に体外に放出する、発散に励む。昨日は朝方から庭の手入れや墓参で汗をかいたり、日本語教室のアシスタントで声を出したのがよかったのだろう・・・、と納得しかかった。

ところが鏡にしばし見いったあとで思い出した。眠気まなこの暗闇の中で、目じりのそのあたりをドアの角に強くぶつけて「ギャー!」と呻いたのが、腫れた前日か前々日のことだった。腫れは、「ものもらい」ではなく、霰粒腫でもなくて単なる打撲が原因だったようだ。細菌性であろうが非細菌性であろうがメボは実に鬱陶しい。この事件を思い出して心が晴れた。


少年老い易く

2013年09月22日 06時22分22秒 | Weblog

『少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず』 朱熹(朱子)

南宋の儒者朱熹(朱子)の詩句、 『若い時期は短いのに学問は完成し難い、わずかな時間も無駄にしてはならない。』 「一寸」とは、わずかなという意味。「光」は昼、「陰」は夜のことで「光陰」は時間、年月の意味。(Webことわざ辞典)

若いころは受験勉強はともかく学問全般に興味が湧かなかった。周りの動向に合わせて、いつのまにか面白くもない受験勉強に精を出していたのだから当然だ。著作を読んでその内容をどのように解釈するかは、単純に読み手の自由だと思っていた。国語が苦手だった。

 「老人と海」

受験勉強と資格試験で回り道をした。わたしが本格的な読書に目覚めたのは人生の折り返し地点を過ぎたころのことだ。ニーチェの「ツァラトストラ」とヘミングウェイの「老人と海」を読み返した。そして、ひとは然るべきひとから学ばなくてはならないという思いを抱き続けたまま現在を生きている。


初秋

2013年09月21日 12時45分04秒 | Weblog

朝早くに目覚めた。新聞に目を通して近くを散策していたら農家の無人直売所でイチジクと栗を売っていた。直売所は売り切れになることが多い。手持ちがなかったので急いでとって返して買い求めた。ずしりと重い大栗ともぎたてのイチジクを携えて自宅に着くころ陽が昇り始めた。栗を水につけて朝食代わりにイチジクを食べたら、秋の足音が聞こえたような気がした。


秋の気配

2013年09月19日 21時00分31秒 | Weblog

明日を乗り切れば3連休が待っている。この連休中に本の整理を済ませようと心に決めてはみたものの本の山を見ただけで気持ちが萎える。書庫を作る計画があるので猶更だ。

秋の気配がする。久々にハゼ釣りに出かけようか。そういえばお彼岸を含む連休なので、ハゼの殺生に気乗りがしない。連れがおいしいコーヒーを飲ませる店をみつけた。うち一日はコーヒーのちドライブになる。


未熟

2013年09月19日 05時44分05秒 | Weblog

『先生(孔子)は言った。「事物の道理を聞いて、これを口に出さないで内に留めておいて忘れないこと、学を好んで厭かないこと、人を教えて倦まないこと。自らを反省してみるのに、この3つのうちのいづれもできてはいないのである。」』 「論語新訳 述而第七」 宇野哲人訳


知ること

2013年09月16日 13時07分43秒 | Weblog

『先生がいわれた、「お前に知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ。」』

『先生がいわれた、「学んでも考えなければ、ものごとははっきりしない。考えても学ばなければ、独断に陥って危険である。」

以上「論語」(ワイド版岩波文庫) 為政第2 から。


糖分

2013年09月15日 18時13分00秒 | Weblog

この1週は明らかにオーバーワークだった。ストレスもたまった。昨日は久しぶりにアルコールを飲んだし甘いものを食べた。覚悟して今朝、かかりつけ医の先生のもとで血圧の測定をした。上が160少々だった。

意外な数値に浮かれて、わくわくしながら買い物に行った。疲れているのでイチジク、チョコレートにモナカ、とにかく甘いものに目がいく。糖分の過剰な摂取が血圧をあげることを体が承知している。昨日は旬の栗を食べたので今日はイチジクはやめた。チョコもミルクチョコ2枚からブラックチョコ1枚に減らした。モナカはばら売りのものをひとつ買っただけだ。ここで節度を失うわけにはいかない。浮いたお金で野菜をたっぷり買って今夜のメニューは野菜鍋と相成った。

我慢をしているわけではない。体が以前のように糖分の摂取を望まないのだ。甘いものをひかえたら体調がいい。糖分や炭水化物を控えただけで体重が70キロを切った。糖分や美味しい澱粉には中毒性があることを体が感じ始めたようだ。


暗黙知の次元

2013年09月14日 08時56分51秒 | Weblog

 

 

昨年の秋から気にかかっているマイケル・ポランニーの「暗黙知の次元」を読む。

「外部の事物を表示している言葉を定義するときには、その事物を指し示すという方法に依らざるをえない。ある単語が何を意味しているかを教えたいと思う相手に指し示して命名した単語は、ひとつのギャップを覆い隠している。そのギャップは、言葉(単語)が何を意味しているかを伝えたい相手の方の知的努力によって埋められなければならない。言葉の意味が相手に受けとめられるかどうかは、言葉のみでは伝えることができないことを相手が発見できるかどうかにかかっている。」(引用のうえ改竄、翻訳がまずいのか著者の表現が下手なのか、この翻訳文の原文はかなり読み辛い。)


休養

2013年09月14日 07時36分34秒 | Weblog

心に余裕がないと良い仕事ができない。今日はゆっくりと休養する。

 論語に記された孔子やその高弟たちが理解できそうな境地だ。少々長ったらしい孟子を読み込む季節が訪れた。ご両名から教えを乞いながら、その教えをゆっくりと心に落としてゆく。