旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

ゴルフ

2008年07月27日 10時04分32秒 | Weblog
中学生の頃は本格的にサッカーをやっていた。チームは県の大会で3連覇した。3年生の時には、不肖わたくしめが主将を務めた。だから、球技には自信があると言いたいところである、言いたいところではあるが・・・、球技はサッカーまでであって、球技の球が小さくなってゆくに従って苦手になってゆく。ソフトボールや野球クラスの球の大きさになるともうついてゆけない。卓球になるともうその球のスピードに呆れて立ち尽くすのみである。静止した球を打つだけのゴルフといえども例外ではない。はっきり言って不得手である。

蒸し暑い日々が続く。昨日は運動不足の解消と練習を兼ねて気の置けない友人たちとゴルフに出かけた。太陽の照りつけが尋常ではない。体中から汗が噴き出す。コースを歩くだけで体力を消耗する。この半年ほどで3度目のゴルフだ。いずれも異なったコースなのでスリルがあっていい。根が陽性なのでひとりではしゃぎながらひたすらホールを目指してコースを進む。もちろん得意なサッカーのようにはいかない。

高校時代にサッカー少年転じて器械体操部で2年と半年間ほど上半身を鍛えたので、腕は太い。否、太くなってしまった。きゃしゃな腕で鉄棒の車輪でもやろうものなら、それこそ遠心力で鉄棒から吹っ飛ばされてしまう。だから、つい棒(グリップ)を握ると力が入ってしまう。打ち方がぎこちなくなる。ならば、全身の力を抜いて重力に逆らうなという指導を受ける。すると手足に腰が蛸状態になってしまう。再び足のバネと腕力を使えとなる。要はこちらの運動神経がかなり鈍いだけの話しだ。

鞭打ち症で通院したことがある医院の院長が「太い腕をしとってですねえ、ゴルフをやってんなら飛ぶでしょうなあ。」「はあ、ゴルフをやらんわけじゃありませせん。確かに当たれば飛びますが。(ほとんど芯に当たらないので。)」程度の腕前なのである。

久しぶりにその気になったゴルフはメタポ対策である。ところが、最近の人間ドックの結果によると公私共に認める純正のメタポから、かろうじて正常値を上回る境界型のメタポ(こんな医学用語はないと思います。)に移行しつつある。腹囲をあと9㎜しぼり、血圧が下であと4ポイント下がると数値をクリアできるのだ。心境は複雑である。

このあたりでダメ押し的に、仕事や日常生活の煩わしさから離れて、海辺のリゾートホテルか高原のコテージで数週間もくつろいで、何もかも忘れてあたりの景色を愛でながら散策をするだけでメタポは完全に治癒するであろう。ところが、これまでがそうであったように、くつろぐためのための暇とお金がない。最近しみじみ思う、メタポリック症候群というのは金欠病の一種じゃないのかと・・・。

東洋的英知

2008年07月25日 17時39分39秒 | Weblog
本の整理に追われて本を読んでいない。不思議なものだ、それでも本の整理が進むに従って頭の整理が進む。これまでモヤっとしていた頭がスッキリしてきた。もう一息で整理は終了する。そして、わが読書生活の総決算が始まろうとしている。

儒教という思想に触れてからというもの東洋回帰が進んでいる。「徹底的に極めてみたい。」という精神が薄弱になっているので、世界観という大上段に構えた哲学よりも、倫理系というか宗教系というか、人間について深く洞察を加えた類の本を読むようになった。

知的怠慢と言えばそうなのかも知れない。しかし、限られた時間の中でどういう書物を読み、これから何について考えをめぐらせてみるのかを思うと、読書もおのずから制約を受けることになりそうだ。残された時間はそんなに多くはない。背筋が凍る思いにとらわれることもある。

それほど豊かじゃないから、これからも生活に必要な金銭を稼ぎ続けなければならないだろうし、自己主張が強すぎるので今の職種には向いていないという強迫観念が私を捉えて離さない。おまけに、自他共に認める浪費家なので始末が悪い。

冷静になって来し方を振り返ってみれば、これからの人生の方向性も見えてくるような気がする。東洋的な英知が道しるべになりそうだ。西洋哲学は円熟という言葉と無縁なようだ。人間学である東洋哲学は老人の思想である。だから、読む者に優しい。

朝日ジャーナル

2008年07月18日 01時53分34秒 | Weblog
1992年に廃刊となった「朝日ジャーナル」の記事のうち、編集者が重要であると考える記事を再編集した。そのアンソロジーが1993年に「朝日ジャーナルの時代」という書名で発行されている。久しぶりに「朝日ジャーナル」の記事に目を通してみた。

特に重要な記事は、目次では太文字のしかも大文字で印刷してある。1965年から1969年までの記事のうちで太字の大文字になっているのは、宮本陽吉の「アメリカの反戦歌」、J・P・サルトルの「知識人の役割」、小田実の「四人の米脱走兵」、特集「現代の青春 実存をかけた問い」、特集「セックスの今日的状況」、横尾忠則の「現代の偶像ビートルズ」、山本義隆の「攻撃的知性の復権」、秋田明大の「秋田日大全共闘議長の獄中日記」である。

引っかかったのが山本義隆の「攻撃的知性の復権」である。要するに何が言いたいのかよく解らない。記事の前半でかれは、全共闘運動に先立つ大学管闘争で大学側の当事者であるはずの教授たちを追及すると必ず、大学当局という言葉を引き合いに出して自己の責任から逃れようとしたことを引き合いに出しているうちに、自らも大学当局の一員であることに気がついて、どうしようもない自己矛盾に陥ったようだ。

ようやく自らの言葉で語るのは「僕たちの闘いにとって、より重要なことは政治的考慮よりも闘いを貫く思想の原点である。もちろん僕たちはマスコミの言うように玉砕などはしない。ひとりになってもやはり研究者であろうとする。僕も自己否定に自己否定を重ねて最後にただの人間・・・自覚した人間になって、その後改めてやはり一物理学徒として生きていきたいと思う。」である。では、その思想の原点や自覚した人間とやらはいったいどういうことなのか?なんとも空虚な総括である。

過去、医学部の研修医制度やインターン制度にみられた医師の卵たちの教授に対する、あるいは医療制度そのものに対する不満には頷ける。ところが、量子力学の研究者である山本義隆が東大全共闘議長として「大学の自治」や「研究の自由」という妙な連帯感を掲げて医学部に固有の問題に介入していった根拠が明らかでない。

たとえば、数年前に山本義隆は岩波文庫から2冊の量子力学に関わる翻訳本を出している。量子力学の歴史とは、ニールス・ボーア一派が唱える新しい物理学と古典力学との理論闘争の歴史に他ならない。古いものを守ろうとする側に挑戦するのは、新しい考え方を持った人たちであるというのは世の習いだ。

私は門外漢だから理解度は知れている。それにしても、山本のやさしい言葉使いと丁寧な訳注にもかかわらず、その翻訳は合理性や一貫性を貫こうとする余り、通読すると逆に曖昧な理解しかできなかったように記憶している。私の浅学のせいなのかどうか、いまだ判断に苦しんでいる。

岩波の翻訳とジャーナルの記事を読み終えて、自己の解体などと空虚なことを考える暇があったら、研究生活を続けてゆくために理学部大学院の改革をなぜ推し進めなかったのか。。学者の存在意義は研究実績にある。実績さえ残すことができればよい世界に政治を持ち込んだのが全共闘運動であった。大学当局の一員としてのリーダー山本の弱さ、限界を感じた。


陽だまりの老人

2008年07月17日 00時15分35秒 | Weblog


筆者紹介では「1924年東京生まれ。常に現実の問題と向き合い、文学・思想・政治・思想・宗教など広範な批評活動を展開した思想界の巨人。」と記されている。おん歳83~4の老人が「真贋」という著作をものにしている。

「誰もが生死をかけて自分の人生を生きている。当たり前のようで、誰も当たり前には思っていないのかもしれない。」「今の世の中は、あまりにも常識的な「問い」と「答え」にあふれ、実は本当に考えるべきことを考えずに、考えなくてもいいことを考えているのではないか。滑稽ですらある。」というキレの悪いまえがきの後から日本の文化批評が始まる。

「才能とコンプレックス」では三島由紀夫を論じている。国語の教科書にでも採用されそうな枯れた評論である。ほかに「善悪二元論の限界」「批評眼」「本物と贋物」「生き方は顔に出る」「今の見方、未来の見方」という項目を構えて含んで言い聞かせるような説法が続く。口調がまるで今はやりの人生相談調であるのが情けない。この種の著作は暇な時に読むに限る。老人の名を吉本隆明という。

人間ドック

2008年07月16日 00時50分26秒 | Weblog

今日は朝から人間ドック入りをした。心配していた血圧は下が100を、上が150をきっていたのでひと安心だ。精神安定剤が効いてきたらしい。私の高血圧は主に心因性なのであろう。こうみえて意外に繊細なのだ。

昨年の人間ドックで1.5と2.0を記録した視力は両眼ともに1.2に落としておいた。言うのもなんだが、やる気になれば両眼ともに1.5以上をマークしてみせる自信がある。マサイ族でもあるまいし、現代人の場合は遠くが見えればよいというものでもあるまい。それ以上の測定をお断りして今回は1.2にとどめておいた。

身長は前回と変わらない。最近は、やや姿勢が悪くなったような気がするので、少ばかり背が縮んだのではないかと危惧していた。杞憂であった。1年前と同様に1mと72㎝を少し上回っていた。体重は1年前と変わらない74.9キロだから、数値上では軽度の肥満である。

笑ったのはウエスト(腹囲)の測定だ。お腹を大きく膨らますことができるという特技がある。思い切り膨らませてみたら1mと7㎝、逆にお腹を絞ると80㎝をきる。「じゃ、自然にしてください。」と言われたので姿勢を正した。85㎝と7㎜であった。これじゃメタポ予備軍だ。

最後の診断の際「ねえ先生、ジャイアント馬場のウエストはどう見ても1mを裕に超えていましたよね。彼もメタポの予備軍だったのですか。」と意地悪な質問をしてみた。

「腹囲のメタポ判定については、身長とか骨格も考慮します。ウエストが85㎝を超えたからといって、一律にメタポ予備軍とは言えませんよ。だって現実的にBMAによる判定では軽い肥満のあなたの体脂肪率が基準値を大きく下回っている。ま、個人差がありましてね。いちがいには言えないんです。この腹囲の問題はあくまで参考指標で・・・。」とまるで昔ながらの国会答弁のようである。

体脂肪率といえば、計った看護師さんが「ええっ?16.7!」と素っ頓狂な声をあげた。再度計っても変わらない。「ずいぶん筋肉質なんですね。」となかば呆れていた。前回は確か21前後だったので約3kgの脂肪が他の成分に変わったことになる。「糖分にでも変ったからこんなに甘い人間になったのでしょうかね?」と冗談を飛ばしてみたらご高齢の看護師さんから無視された。

胃の検査に先立ってかわいい顔をした若い看護師が筋肉弛緩剤を左肩に注射した。痛い!血液検査の際にも恐怖に震える私から血液を採取したひとだ。「天使みたいなかわいい顔をして、よく悪魔みたいに注射が打てるね。」と耳元でささやいてみたらやはり無視された。

バリュウムの味が好きなので、従来は気管支から胃にかけての検査は嫌いではなかった。ところが今回は違った。胃を膨らませるための炭酸の効果が凄まじった。いくら飲み込もうとしてもげっぷが出そうになる。腹はパンパンだ。検査中は生きた気がしなかった。げっぷひとつで検査は中断されるのだ。

血液検査はまだ判明しないものの特筆するような症状はないようだというドクターの診断結果に満足した。これで、ホームドクターのA先生に胸を張って日ごろの養生をアッピールできる。血液検査の結果を待たないと大きなことは言えないが、普段の節制と養生によって体調はすこぶるいいという実感を得ることができたドックでの半日であった。

わたしのブログ観

2008年07月13日 10時03分25秒 | Weblog



滅入るような事態の連続でなかなか連絡が取れませんでした。お元気そうなので安心しました。なによりです。近いうちにどこか肴のおいしい店でいっぱいやりましょうね?事態にめげることもなく相も変わらず好奇心の赴くままに好きな本を読んでマイペースの生活を送っています。

「なぜブログなのか?」というのは極めて難しいご質問です。わたしの場合読書が唯一の趣味ですから、読んだ本の読後感を残しておきたい、ただそれだけの理由でブログを続けているように思います。ほぼ完全に読書日記代わりですね。

実を言うとわたしの筆圧は極めて高い。文章を書くことが苦痛でした。文章はすでに心の中にできあがっているのにそれを迅速に書きとめることができない、そのもどかしさに悩まされ続けてきました。頭(心)の中に既にできあがっている文章をその何分の一かのスピードでしか書けないというのは、わたしのような多弁型の文章を書きたい人間にはほんとうに辛いことでした。

ところが、ワープロやワードの出現によって事態は一変しました。わたしは25年以上も前からワープロ(ワード)を愛用しています。手書きよりも当時の旧式のワープで打ち込む方がはるかに早く文章化することができたのです。それがうれしくって乱視になるという副作用が生じるまで書いて書いて書きなぐって現在に至っています。しかも当時は調査をしてその結果をレポートで提出することを生業としていましたのでなおさらです。目をやられましたが凄まじい肩こりからは解放されました。

その延長線上で書いていると考えてください。心にできあがった文章を同じ速度で書き記すことができる喜びを享受しているというわけです。手書きの日記を公開することは難しいのですが、ワードなら公開が容易です。ですから皆様に披瀝させていただいています。たまにはサービス精神を発揮することもあります。しかし基本的に皆様に楽しんでいただこうなどいう発想はありません。それでも日に50名から100名の方に読んでいただいていることに感謝しています。


梶原一騎の「空手バカ一代」

2008年07月12日 14時59分23秒 | Weblog
指で両目に突きを入れる。痛みに耐えかねた相手は無意識に顔に手をやる。目が見えないうえに痛みがはしると部防備になる。そこで相手の金的を蹴り上げる。男性の急所であるから体から力が抜落ちて、相手は前に倒れかかる。その倒れかかるボディのみぞおちか顔面を狙って思いっきりカウンターの蹴りを入れて相手をノックアウトする。典型的な喧嘩(空手)である。

その昔「空手バカ一代」という漫画があった。「巨人の星」や「柔道一直線」の原作者でもあった梶原一騎の原作である。漫画の中の大山倍達はまるで超人である。無敵である。「牛殺しの大山」と称されたように実際に牛と闘っている。敗戦後まもなくかっての敵国アメリカ遠征に出向き270戦無敗で凱旋して「ゴッドハンド」と称賛された。机上に置かれただけのビール瓶を手刀で切り倒したり、天然石を手刀で割る。10円硬貨を三本の指で折り曲げる。硬貨を千切ったことすらあるといわれる。力道山も空手バカとの試合には及び腰であった。

こういう超人的な人間がいることを疑わなかった。本当に喧嘩が強いひとというのは、鍛錬と努力で神に近いほどの域に達しているらしいことに戦慄を覚えながら漫画「空手バカ一代」を読み続けた。最近、2006年発行の「大山倍達正伝」を読んだ。「空手バカ一代」は梶原一騎の創作に近いフィクションを大山のコメントを加えることで読者にノンフィクションの印象を与えた紛いモノであることを知った。

「昭和の武蔵」は敗戦の混乱期に(現)在日本韓国民団の武闘派として鳴らした。朝鮮の旧制中学時代に習ったボクシングとウエートトレーニング、それに密航した日本で習得した剛柔流の空手という腕力で活躍した。滅法腕っ節が強く喧嘩慣れしていたので現朝鮮総連との武力闘争でおおいに活躍したのである。したがって、出自をはじめ30歳前後までの大山の伝説は嘘っぱちであったということになる。

整理

2008年07月07日 23時42分29秒 | Weblog
10個ばかりの段ボール箱と積み上げられた1500冊ほどのホームレス本の山を残して蔵書は収まるべき所に収まった。以前と比べると飛躍的に本を系統別に集めるめることができた。ようやく頭の整理が進みそうだ。これから思想・哲学・歴史系を軸にして経済学・法律学ほかの社会科学、人文系の本、それに呆れるほどの量の新書本・文庫本の仕分けが始まる。

続 本の整理

2008年07月02日 02時42分44秒 | Weblog
本の整理が続いている。蔵書が本棚に収まりきらないことが確定してからというもの、不要な書類をかたっぱしからシュレッダーにかけて涙ぐましい収納スペースの確保を試みたが焼け石に水、資源ゴミとして捨てることを決定した数百冊の本とは別に、依然として2000冊ばかりの本が空しく床に積み上げられたままだ。これから売るか捨てるか、本の命運・選別を進めてゆかざるを得ない。

掃除機で大雑把に埃を吸わせては、「クイックル」を使って丁寧に1冊ずつ埃を取り除いてゆく。学生時代から愛用してきたスチール製の本棚に並べた本は埃まみれなのだ。その埃まみれの本のなかに懐かしい表題と作者を見止めるとついページをめくってみたいような衝動を覚える。が、めくらない。黙々と整理に勤しむばかりである。そんなことをしていたら整理に時間がかかって仕方がない。衝動を意志の力でかみ殺す。

経済・経営・法律・保険関係の本が多いのではないかと思っていた。ところが意外に少ない。意外に少ないのではないかと思っていた思想・哲学関係が啓蒙書を含めるとかなりの量に達していることが明らかになった。岩波の黄色帯以外は殆どないと思っていた日本の古典文学関係が小学館の日本古典文学全集をはじめとしてけっこう揃っていることに気がついたのだ。近松・西鶴・謡曲から古今集・新古今集・平家物語・今昔物語あたりまではあの世に行くまでには読み終えておきたい。

「THE PILLOW BOOK OF SEISHONAGON」早い話が「枕草子」だ。どこでいつ買ったのか全く記憶にないが、スチール製の本棚の隅から出てきた。そういえば「THE IZU DANCER」から「THE KORAN」(コーラン)まで英語のペーパーバックが200冊ばかりある。受験勉強とは関係なく、確か松山に住んでいた頃「EAST OF EDEN」というハードカバーの洋書を初めて買った。ジェームス・ディーンの「エデンの東」の原作である。以降は予算の都合によってペーパーバックの「MOBY DICK」か「SYOUGUN」(将軍)、つい最近「エデンの東」を書いたスタインベックの「THE GRAPES of WRATH」(「怒りの葡萄」)を買った。通読中である。確かヘンリー・フォンダ主演で映画化されている。(こっちもCDで鑑賞してみる予定だ。「SHOUGUN」は映画で見ても、英文で読んでも、和訳で読んでもどうしようもなくつまらない作品であった。)

同世代の沢木耕太郎はよく読んだ。テレビレポーター並みの解りやすさが良かった。守備範囲も意外に広い。知的好奇心をそそられてつい買ってしまい読んだ後になって少々後悔する立花隆。ご両名の著作への関心は薄くなったようだ。同じノンフィクション?系ならば、「日本の名著」の「水戸学」「藤田東湖」あたりから日本の思想の門を叩いてみようと思う。歴史によって検証済みなのであるから、現在進行形の皆さんのノンフィクション、あるいはドキュメントよりも遥かにエキサイティングであろう。きっと蔵書は生きているうちには読み切れない。だから、これからは(これからも)読む本を選ばなくてはならない。