旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

2014年03月31日 19時22分07秒 | Weblog

さまざまな症状が跡形もなく消えた。おまけに土曜の診察では血圧の上が150台の前半まで下がっていた。いまだ気分が健康状態に左右されるというのも情けない。自分の体の生理を自分の意志でコントロールできるようになり始めたような予感だけが成果だ。気を良くしたので日曜はさっそく本を漁った。

ご無沙汰していた英文の棚をみたら見慣れた視線がじっとこちらをみつめている。Steve Jobsだ。日本語にも翻訳されてベストセラーになった「スティーブ ジョブズ」のハードカバー版原著だ。ブックオフは文字本の特売日とかで、50%引きの400円で買うことができた。新本と見違えるばかりの「Steve Jobs」by Walter Isaacsonの定価は35米ドルだから、35ドルの本を4ドル余りで買ったことになる。 

本の価値は下がっていないというのに本の価格がどうにも下げ止まらない。古本屋の夢がさらに遠のいていく。


フィルター

2014年03月30日 09時19分18秒 | Weblog

朝日新聞が学(校)歴問題を取り上げている。人気企業が学校歴によって学生をフィルターにかけているという他愛もない特集だ。歯切れが悪く、なにが問題なのか分かりにくい。特集を組むのなら、家族の経済力を含めた子供たちを取り巻く教育環境の格差問題の方が先じゃないかと思う。学ぶことを軽視する、あるいは重視できない家庭から学ぶ意欲を持った子は育ちにくいし、家族や環境の問題で心に葛藤を抱えている子供たちが勉学に専念するのはむずかしい。


農閑期

2014年03月27日 19時28分54秒 | Weblog

出勤前にまたしても異変が起きた。即刻、勤務先に連絡して午前中は休んだ。ここ1ヶ月ばかりのブログは病気と治療の話ばかりなので、どこか深刻に悪いのじゃないかと心配してくれる向きがある。

ご心配は無用だ。確かに依然として血圧は高めだ。しかし、他はとるに足らぬ類の症状だ。今日の午後も颯爽と出勤して退校時間まで立派に勤めあげた。単に体の点検をしているものとみられたい。たとえば、昨日、今日の症状とは30年以上のつきあいになる。

実をいうと業界の慣例に従っているまでだ。3月を体と心の点検に充てて3年(回)目になる。この季節は農閑期のようなものだから、プラトン・デカルト・論語などの古典をじっくりと楽しむことができる。ありがたいことだ。


歩く

2014年03月26日 21時48分36秒 | Weblog

抜き差しならない事態が生じて本日は休暇をとった。朝から診察を受けて昼過ぎになって解放された。この季節の変わり目に次から次へと体に異変が起こる。わずか3週の間に7種類に及ぶ治療を受けたことになる。(幸か不幸か)致命的な疾患はなかった。今回だけは先で内視鏡検査をすることになっている。生まれて初めての内視鏡を受けて立つ。(私はこの手の検査に臆病なのだ。)

ほとんどの症状は生活習慣に起因している。カロリーの摂取過多と運動不足が体調不良全般の原因だとわきまえている。タバコは15年前にやめた。アルコールのがぶ飲みも3年前にやめた。食とストレスとの戦いは続く。病気のせいにして趣味の読書と好きな仕事に手加減を加えるほどの軟じゃない。筋金入りなのだ。歩いて過剰摂取の養分を吐き出すし、ストレスには立ち向かう。生活習慣病なのだから意志の力で克服できる。


善の実相(イデア)

2014年03月26日 15時25分40秒 | Weblog

ラファエロ画 「アテネの学堂」 向かって左がプラトン(レオナルド・ダ・ビンチの自画像がモデルとは何とも・・・)  右がアリストテレス

 

 

本箱の奥の方からプラトンの「法律 上・下」」「ゴルギアス」「バイドロス」「メノン」「プロタゴラス」(いずれも岩波文庫)がでてきた。いつごろ買ったのかは定かでない。その殆どの刷行日が1990年代だから、購入したのはいずれも21世紀の暮方だと思われる。「国家」の前篇にあたる「プロタゴラス」と後篇にあたる「法律」については、蔵書があることさえ忘れて購入を予定していた。改めて、古い友人と久しぶりに会ったような喜びをかみしめている。

ソクラテス(プラトン)はかく語りき・・・。『 認識される対象には真理性を提供し、認識する主体には認識機能をを提供するものこそが、善の実相(イデア)にほかならないのだと確信してくれたまえ。それは知識と心理の原因なのであって、たしかにそれ自体が認識の対象となるものと考えなくてはならないが、しかし、認識と心理とはどちらもかくにも美しいものではあるけれども、善はこの両者とは別のものであり、これらよりもさらに美しいものと考えてこそ、君の考えは正しいことになるだろう。』 プラトン著「国家 第6巻」藤沢令夫訳


プラトン入門

2014年03月25日 07時20分45秒 | Weblog

 プラトン

 

岩波文庫の整理をした。プラトンの「ソクラテスの弁明・クリトン」「饗宴」「テアイテトス」に混じってR・S・ブラック著「プラトン入門」をみつけた。続いて、岩波新書の整理を始めたら岩波文庫「国家 上・下」「パイドロス」等の翻訳者でもある藤沢令夫著「プラトンの哲学」が目にとまった。そういえば、プラトンに関していうと世界の名著「プラトン」の解説にいまだ目を通していない。

対話篇の面白さに魅せられて「国家」を読んできた。まず言葉の巧みさに驚いたし、ソクラテスの名を借りたイデア論や哲人政治論の展開に目を見張った。ところが、人間プラトンの全体像は見えない。プラトン思想の全体像を眺めたり、時代の背景を知るための辞書がわりに両著は重宝だ。

高い山に登るには良いガイドが必要だと思い始めたころ遭遇した。両著はプラトン思想の全体像を明らかにする。読むほどにアテナイ市民との関係、後の時代に与えた思想的な影響が明らかになってゆく。それにしても、学者というのはたいしたものだと思う。プラトンの対話篇に改めて魅せられることになった。


やせ我慢はしない。

2014年03月22日 09時43分11秒 | Weblog

2週間で6つの症状の治療を受けた。オーマイゴット!だ。人間ドックで自分の体を点検したわけではない。顕著な症状が6つあったので治療を受けた。そしてこの2~3日、新たな症状がでている。

免疫力というのは病原菌や毒素に対する抵抗力をいう。免疫力が低下することによって症状があらわれることがあるし、こころのセンサーがよく働いてあちこちの症状を自覚することもある。

『少々体調が悪いくらいでがたがたいうな、君が今やるべきことはかくかくしかじかで、体の具合が悪いくらいでそれができないなんちゅーのは、ひとの風上にも置けん。』 というやせ我慢の思想がある。

軟弱といわれようが、根性なしといわれようが、神経質だといわれようが、穀潰しだといわれようが、症状がでたら治療にゆく。その治療代を支払うために健康保険料を払い続けてきた。

 


水腫

2014年03月20日 17時40分33秒 | Weblog

半年前から明らかに肥大を始めた腫瘍が癌ではないかと懸念しないでもなかった。これは単なる水腫にちがいないと自分に言い聞かせながら思い切って診療所を訪ねた。平日の診療所は老人であふれていた。15人ばかりの男女患者のなかではどうみても私が最年少だ。待たされること30分余りで診察室に呼ばれた。実をいうとこの診療所は2度目だ。20年ばかり前に胆のう結石でお世話になったことがある。その時、膀胱の内視検査で震え上がるような体験をさせられた。

超音波(エコー)検査で「水がたまっていますねえ」「水腫ってことですか?」「なんで水腫を知っているのですか?」「はあ、調べてきました」「ゆうちゃったように腫瘍もどきは水腫ですねえ、癌の可能性はありません。ほら、こことここの暗い部分、ここに水が溜まっています。ここが臓器です。」

「水を抜くことはできないんですか?」「そうねえ、ここに来る老人の皆さんは、ほとんど抜かれませんねえ。それに抜いても何年かたつとまたたまりますからねえ。」「どうやって水を抜くんですか。膀胱の内視検査みたいに痛いんじゃないでしょうね。」「そりゃ、採血みたいに針を突き刺して抜くんですよ。最初にちくっとするだけで、数十分もすれば抜けます。あの検査ほど痛くありません。」正直ほっとした、水腫の水を抜くかどうか思案中だ。それにしても癌でなくてよかった。


『落日燃ゆ』

2014年03月20日 07時32分51秒 | Weblog

                                                   

 明日から職務という名の鎧を脱ぎ捨てる。仕事がひと段落ついたので昨日学校に願いでて休暇をとることにした。これで3連休が4連休になる。やればきりがない仕事なので区切りの休みがありがたい。ひと息もふた息もつくことができそうだ。モノを売る仕事をしていたころは、仕事との関係で商談の相手に合わせざるをえなかったので平日も土曜も日曜も祝日もなかった。営業という仕事から足を洗って5年になろうとしている。

昼休みに寄ったフタバ図書の古本部で「落日燃ゆ」という表題が目にとびこんできた。活字がかなり大きいハード版だ。文庫と英訳『戦犯』の蔵書がありしかも文庫は数度読んでいる。このハード版で改めて読み始めた。広田弘毅は外交官として生きようとする自分自身にその姿勢を言いきかせるために、中学卒業と同時に、丈夫に育ってほしいという父の願いが込められた丈太郎という名から自らの意志で弘毅に改名した。論語「曾子曰く、士はもって弘毅ならざるべからず。」 (志がある人間は度量があり(弘)、強い(毅)人間でなくてはならない。)から取った命名だ。


データベース

2014年03月18日 07時36分22秒 | Weblog

エクセルで整理した資料の点検を進める。2000に余るページを整理してデータベース化しようとしているのだから、特にキーワードの入力ミスや整理番号と見出しの符合に時間をとられる。就職のシーズンが訪れる前までに作業は済ませておきたい。次は検索キーをさらに増やしながら同様の点検を進める。とにかく資料の情報を誰でも利用できる状態にもってゆく。


春分から夏至にかけて

2014年03月16日 22時01分15秒 | Weblog

風邪と風邪薬でボーっとしているうち2日間が過ぎた。しつこい風邪がぬけなかったので、結局ほんとうの休養が先延ばしになってしまった。週明けから4日間勤めたら21日「春分の日」から3連休に入る。もはやこの連休だけを楽しみに働く。本年度はこの11か月と15日間に19日の休暇をとっている。奉職を初めて1年に満たないので有給休暇はほぼ底をついた。

気合を入れるために下着と靴下、シャツ2枚の合わせて8点を買った。これから3日ぶりの入浴で体を磨き上げて明日からの活動に備える。ずいぶん日が長くなってきた。これで帰りの夕暮れを車で走らないですむようになる。昼間は思い切り太陽を心に吸い込み、夕暮れから夜にかけて太陽を呼吸する。日の出とともに起きて、日没とともに読書にふける。これから夏至に向けて夢のような日々が待ち受けている。


スーダラ節

2014年03月16日 10時31分11秒 | Weblog

いい陽気だ。庭のサクランボは満開だし杏子も開花を始めた。今朝服用した風邪薬が眠気を誘うから余計気分は春爛漫だ。デスクワークが続いたので体を持て余している。土の香りがなつかしい。遊歩しながら身をほぐすことを思う。

庭先でよく言葉をかわすひとと診療所の待合で偶然会った。しばらく見かけなかったので何かあったのかと尋ねてみた。何もなかった、時間が合わないだけだろうとの返答だった。彼はよく歩きよく語る。話の中で数十年前からウォーキングを始めたのには理由があることを知った。

「わかっちゃいるけど、やめられない」という。やめられなかった喫煙と暴飲はニコチンとアルコールの取りすぎが毒だと体が知らせてくれたのでやめることができた。かかりつけ医の先生から最近特に、高血圧対策のためにとにかく歩けといわれている。

ところが自覚症状がないものだから現代版の「スーダラ節」がきこえてくる。「わかっちゃいるけど・・・」だ。気をつけなくてはならない、高血圧は典型的なサイレントキラーなのだ。たかが症状に殺されてしまうのは不本意だ。養生に努めようと思う。


ニンニク

2014年03月15日 22時36分32秒 | Weblog

昼食に食べた「遊山」のしょうゆラーメンのだしに、すりニンニクを小さじで3~4杯入れて啜った。しばらくすると体の芯から生気が蘇ってくるようだった。わたしの胃は丈夫だし、よく働く。ニンニクを生で齧っても、もたれることすらない。

だから、風邪薬だってよく消化する。先ほど飲んだ風邪薬の効果がてきめんだ。眠くてしょうがない。一夜明けたら爽快な朝が待っているような予感を抱きながら床に就く。


生活習慣病とプラトン

2014年03月15日 11時00分11秒 | Weblog

午前は風邪と高脂血症の治療があった。血圧については測定結果に一喜一憂しているわけではない。それでも下の血圧が高めにでつづけているので生活習慣の改善を試みる。これから歯の治療に向かう。口腔の衛生と高血圧の合併症について知っているだけに、たかが歯の治療とおろそかにはできない。

プラトンの「国家」から哲学と政治、イデア論について多くのヒントを得た。それにしても平明な言語を使ったこの深い洞察は、ソクラテスの人格から生じるのかプラトンの資質から生じるのか・・・、おそらく両者の賜物なのだろう。

 


イデア論

2014年03月14日 19時32分07秒 | Weblog

待ち焦がれた金曜の夜だ。木田元さんの「反哲学史」の続きを読もう。よい入門書に出会うと、こころのどこかの哲学に火がつく。こういう幸福な時間に読まないとストレス(精神的緊張)になる。木田元さんの本を10冊は買っている。そのほとんどが行方不明というのが悲しい。

目の前にやはり木田さんの「ハイデッガーの思想」(岩波新書)がある。哲学書に対する読書傾向が、より分かりやすい日本語で書かれた著作にシフト(移動)しているので、ハイデッガーは避けて通る。

「反哲学史」に続けて、プラトンの対話篇「国家」でも読むとするか。主役はソクラテスで、その舌鋒の鋭さには畏敬の念さえ覚える。しかし、著者はあくまでプラトンなのだ。思索放浪時代のデカルトも、「国家」のなかでも展開されるプラトンのイデア論に随分手を焼いたようだから。