旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

雨あがり

2011年07月31日 17時20分28秒 | Weblog
雑草をとってから菜園を耕し、種を蒔いていたらにわか雨に打たれた。ほとばしる汗に雨は心地よい。そのまま農作業を続けた。ひとしきり降り終えてから日が射した。腕がヒリヒリした。午前11時ころ、雨上がりの広い菜園にいたのは老中国人とその息子、それに私の3人だけだ。「熱いねえ。」と老中国人が声をかけてくる。「熱いですねえ。」と返した。

中国人の菜園は農業用水に近い。無理な姿勢で農業用水の水を汲もうとしていたら、老中国人が「危ないよ。」と声をかけてくれた。「もしも落ちたら、暑いからそのまま用水で泳ぐよ。」と答えてはみたものの、やはり理解できないようだ。息子と中国語で何やら語り合っている。「この日本人が何を言ってるか解るか、息子よ。」「早口だから、何言ってるのか解らないよ、父さん。注意してくれてありがとうとでも言ってるんじゃない。」きっとこんな会話をい交わしたのだろう。

それにしても、この老中国人はいい野菜を作る。私と互角の技術を持っている。週に2、3度菜園に行く。行けば必ずといってもよいくらいこの老中国人または、一家の誰かと会う。まめに野菜の健康状態と向き合うことが農業の基本だ。老中国人の一家はこの基本を守っている。この菜園を長く利用しているらしく農具もなかなかのものだ。観察力には自信がある。老中国人は農業の経験があるに違いない。

労働価値説

2011年07月31日 16時07分42秒 | Weblog
「諸国民の富」第一篇 第一章 「分業について」から読み始めた。第二章は「分業をひきおこす原理について」、第三章「分業は市場の広さによって制限されるということ」と続き、「分業が確立されると、あらゆる人は交換によって生活する」と前提して、第四章が「貨幣の起源と使用について」について説く。

そしていよいよスミスは、第五章「諸商品の実質価値と名目価値について、すなわち、それらの労働価値と貨幣価値について」で、「したがって、労働は唯一の普遍的標準である、それゆえ、労働は価値の唯一の普遍的な尺度であり、また、唯一の正確な尺度でもあるということ、すなわち労働は、いつでも、またどこでも、われわれがそれによってさまざまの商品の価値を比較しうる唯一の標準である。」という労働の価値について明らかにする。この第五章が興味深い。

この労働価値説は、Wぺティから、スミス、リカードを経てマルクスによって完成された。『W・ぺティが、「租税貢納論」の展開にあたって根本原理としていたのは、「土地が富の母であるように、労働は富の父であり、その機能的要素である。」という思想と、社会経済諸現象を支配する自然法則の認識であった。税負担の公平という租税原則にたって税源や租税転嫁を究明してゆく過程で、地代の神秘的な性質や諸物品の価値の解明の形で労働価値説を展開した。』大阪市立大学編集 「経済学辞典」岩波書店



 

新制度

2011年07月30日 19時18分45秒 | Weblog
仕事の内容の一部が今年の下半期から新制度に移行する。移行に先立ってこの5月に法律が制定され、2、3日前に施行規則、即ち省令が大臣名で発令された。この発令を確認したうえで、手続きの流れを掴もうとしている。私の場合、通達によるよりも法律や施行規則を直接読んだ方が制度主旨を理解しやすい。新制度の適用は10月1日からだ。日程的には十分に余裕がある。法律と施行規則をダウンロードして読み始めた。量的には1週間もあれば理解できる分量だ。

旧制度では法と通達の不一致という局面で何度も思考を停止せざるを得なかった。経験が浅いから行政の本質を把握できていなと考えるように務め大勢の判断に従った。行政通達の解釈をめぐって1度だけ議論になったことがある。当局の判断が明らかに誤っていると確信したが引き下がった。私以外の皆が誤った当局の判断に従っている以上、私が異なった見解を持つことはできない。法を適用する立場に立ってようやく2年が経過した。




古典から学ぶ

2011年07月30日 06時11分01秒 | Weblog
古典と称される著作は、長く読み継がれているので多くの参考図書がある。古典を読むことは、過去の風雪に耐えた他者の話に耳を傾けることに他ならない。だから、古典を買い求める際には脚注や索引を重視する。脚注や索引は、研究者たちの意見だ。たとえば、思想や哲学の古典に関していうと、脚注や索引は量や質、翻訳は違和感がない表現、古典そのもののは深さや質にこだわる。古典本を読むことは生きることだと観念している。


スミス

2011年07月29日 19時45分43秒 | Weblog
アダム・スミスの「諸国民の富」Ⅰ・Ⅱ(岩波書店)が手に入った。学術書、しかも古典にふさわしい重厚感のある装丁に満足している。同じく、岩波文庫の5分冊「諸国民の富」とペーパーバックの「THE WEALTH OF NATIONS」は既に蔵書している。

まずは目次に目を通して興味が湧く所から順に読み始めようと思う。重要なのはスミスが自らの理論をどのように展開しているかを確かめることであって「諸国民の富」を理解することではない。明日の早朝、菜園の手入れを済ませてのち、シャワーを浴びてからクーラーがきいた部屋で読書に入る。

行政

2011年07月27日 21時14分46秒 | Weblog
たまにというよりも暇な時に行政っていったい何なのだろうかと考える。主権者である国民の僕(しもべ)という見方ができる。菅総理の手先、または?大臣の子分(私なんぞは三下といったところ)あたりは「ありきたり」だ。

行政サービスというサービスの提供を担うのだから、来所するひとに「よいサービスを受けた」と満足して帰っていただくことが行政の主旨なのじゃないかというのが私の見解だ。末端公務員の平均値から随分離れたところに立っているような心地がする。


有機栽培

2011年07月27日 20時29分50秒 | Weblog
私は、自分のために作るジャガイモ料理が得意だ。例年、夏場には安芸津産のジャガイモの味覚を心ゆくまで楽しんできた。今年は菜園のジャガイモが豊作だったので、「自産自消」のジャガイモを楽しんでいる。品種は男爵系の「キタアカリ」だ。完全有機栽培、しかも味覚を確かめるために収穫期を数回に分けるなどの努力までした。

毎日、収穫したジャガイモを食べて満足してきたというのに、今日のジャガイモにはコクがない。食感が武骨で舌に愛嬌がない。収穫して1カ月になるので味覚が落ち始めたのかとあきらめかかった。正体が、お隣からいただいた安芸津のジャガイモであることがわかった。私が育てた「キタアカリ」は、ついに「安芸津のジャガイモ」の品質・風味を超えてしまったのだろうか。

不況の影響

2011年07月27日 20時24分05秒 | Weblog
若い頃に不況を経験したひとは、「人生の成功は努力よりも運による」と思い、「政府による再分配を支持する」が、「公的な機関に対する信頼を持たない」、という傾向があるそうですよ。しかも、この価値観は年齢を重ねてもあまり変わらない。(大竹文雄著「競争と公平感」中公新書)

節目

2011年07月27日 19時51分34秒 | Weblog
「3日、3週、3か月、3年」という。ある日何かをやり始めるとする。3日目、3週目、3ヶ月目、3年目に節目が訪れることを示している。禁煙ならば3週目が最も苦しく、3か月を超えればほぼ禁煙は成功する。私の場合はそうだった。煙草をやめて10年がたった。

仕事の場合はどうだろうか。6年目で2度会社を辞めている。しかも、いづれも3年目で1度辞表を出した。最も苦しいのは3年目らしい。だから、はやと版の節目は「3日、3週、3か月、3年、6年、20年」目に訪れる。末端の国家公務員に採用されて、この7月で3年目に入った。下半期から仕事が飛躍的に忙しくなる模様だ。さて・・・。


中村とうよう

2011年07月22日 23時54分39秒 | Weblog
『ソロでコロムビア主催のフォークコンテストに出場。中国大会で課題曲だった「花はどこへ行った」をブルースアレンジで演奏し、2位に終わったものの中村とうようから特別賞が与えられ決勝大会に進出した。ここで自作曲「土地に柵する馬鹿がいる」を、針金を曲げて作った手製のハーモニカホルダーと改造した12弦ギターで歌う。』ウィキペディア「吉田拓郎」より

その中国大会で優勝したのは、ファイブ・フェニックス・メイツという広島大学の学生5人で結成されたグループだ。広大を象徴するフェニックスをグループ名に取り入れていた。ブラフォー(ブラザーズ・フォー)が時代を風靡していた。その影響を受けた歌唱力があるグループで、広島フォーク村結成まえの広島でもかなり知られていた。リーダーが私の身内だから割り引いたにしても、吉田拓郎ほか他の出場者たちの力量を圧倒していた。数年後、吉田拓郎と私の身内はジョイント・コンサートを開く。

ファイブ・フェニックス・メイツの優勝が決定した後で審査員(審査員はひとりだった)の中村とうようは、そのオリジナリティーを高く評価・賞賛して吉田拓郎に審査員特別賞を与えた、私はあの日、その会場の客席から決勝(全国大会)に進んだひとりの男と5人グループを見つめていた。吉田拓郎のディラン紛いのファッション・センスには羨望したが、音楽そのものもディランのコピーに過ぎない。音楽的にみると中村とうようのいうオリジナリティ云々という評価はふさわしくないように思った。

つい最近、その音楽評論家、中村とうようが自殺したというニュースが流れた。享年78歳、昭和の思い出がまたひとつ遠のいた。

日記

2011年07月21日 22時08分14秒 | Weblog
夜明け前に鶯のさえずりを聞いた。弱々しく澄んだ鳴き声だった。電線のうえで鳴いていたウグイスの悲鳴にも似た声とは違っている。

トマトとインゲンの支柱が倒れたのではないかと不安だった。それたとはいえ台風一過、どうしても気にかかるので菜園をのぞいてみた。倒れていなかった。思い起こせば全体重を乗せて支柱を土にさしこんだ。少々の風で倒れようがない。

真っ赤に熟したトマトを10ばかり収穫した。オクラも小ぶりなのを5ばかり収穫できた。隣の菜園からもらったバジルの根がついた。葉を摘めばいい香りが辺りに漂う。


昨日仕事が引けてから出かけた居酒屋は、開店55周年記念とかでビール1杯が55円だった。このビール3杯が呼び水(酒)になった。好きな濁り酒がとまらない。なみなみと注がれたコップで4、5杯はは飲んだ。同僚の男3人に女ひとり、ワイワイガヤガヤと盛りあがった。猛者たちは飲みだしたら止まらない。みんなよく飲みよく食べよく語った。

修行が足りないと思う。深酒は「気」を下げる。こころの集中力が散漫になる。もう酒はこりごりだ。朝から軽い二日酔いに悩まされながらひとりぼやく。こんな時にはかなり本気で「あー、お酒のない国に行きたい。」と思う。


電話

2011年07月17日 22時45分53秒 | Weblog
古い知り合いから久しぶりに電話があった。困っているのだという。途中まで本気で相談にのった。対処法の違いが明らかになるにつれて相手は、東大出の弁護士がこういっている、キャリア官僚がこのよう教えてくれたなどと他人の言葉や権威を多用し始めた。

私の場合、こちらの意見に対する返答が本人オリジナルではなくて、他人の言葉や権威だと苛つく。再三「で、あなたはどう考えているのか?」と問いただした。相談相手は「どのように考えたらよいのか解らないからあなたに相談している。」と答えながら、なお他人の言葉で語り続ける。

「私なんかよりももっと勉強ができて、頭が良い人に相談しなさい。」と伝えて電話を切った。古い知人は、最初から私に相談する気などないのだ。本気で助けを求められると何とかしてあげたいと思う。しかし、自分の意見や他人の意見を突き通す者の相談にのるほど暇じゃない。

夏の輪郭

2011年07月17日 10時45分52秒 | Weblog
菜園は夏の盛りだ。トマトは赤く、ナスは黒紫に、ピーマンは緑に実った。まもなくオクラが真っ黄色の花をつけることだろう。たらたらと汗を流しながら草むしりに励む。近くの農業用水路から水を運ぶ。汲んで撒いて、汲んで撒いてようやく野菜たちの葉の濃い緑が輝きを増す。頭上から降り注ぐ日射しが顔面に痛い。この過酷さを野菜たちとともに耐え忍ぶ、夏の菜園は光の輪郭が濃い。

2011年07月17日 05時51分14秒 | Weblog
早朝に、鴉との合唱で送り出してくれて、夕刻には、さえずりで出迎えてくれた、あの鶯が声を消した。木立の中でさえずるウグイスの声を聞いたことがある。朝夕と日に2度も姿を目の当たりにしたことなどない。随分と痩せ細っていたあの電線のうえの鶯ちゃん、どこに行ってしまったのか。

珍事

2011年07月16日 10時09分56秒 | Weblog



電線にとまった華奢なウグイスが「ホー、ホケキョ」と鳴いた。少し離れて電柱にとまった真っ黒なカラスが「カア・カア」と鳴いた。ありふれた組み合わせだ。ところがよく聞いてみると、ウグイスが「ホー・ホケキョ」と鳴くたびにカラスが「カア、カア、カア」と鳴いている。

「ホー、ホケキョ」「カア、カア、カア」の合唱が延々と早朝の空に響くばかりで、その鳴き声が重なることはない。しかも、ウグイスが鳴いた後に一定の間をおいてカラスは鳴いていた。カラスの奴、うまいことウグイスの気を引いておいてウグイスを喰ってしまおうという算段だなと同情しながら駅への道を急いだ。

夕刻、ウグイスが「ホー、ホケキョ」のさえずりで私を出迎えた。一週前から駐車場近くで「ホー、ホケキョ」と鳴き続けている馴染みのウグイスのようだ。早朝のウグイスとそのウグイスは同じウグイスだったようだ。声の質と、鳴く時の癖がそっくりだ。

早朝の駅前では数日前から、モンシロチョウやモンキチョウが数十羽飛び交っているし、わが家のキンモクセイが初夏に狂い咲きを始めた。これは本来ならば春の光景だ。それに、最近の大気の澄みようは尋常ではない。 何かが起こる予兆かと心が騒ぐ。

ウグイス
『鳴き声 [編集]
さえずりは「ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……」、地鳴きは「チャッチャッ」。このうち「ホーホケキョ」が接近する他の鳥に対する縄張り宣言、「ケキョケキョケキョ」が侵入した者への威嚇であるとされている。ちなみに「ホーホケキョ」と鳴くのはオスである。
平地にて鳴き始める季節が早春であることから春告鳥。ハルツゲドリの別名がある。 本州中部あたりでは 2月初旬頃からさえずり始め、 8月下旬頃までがよく聞かれる時期だが、10月頃まで弱いさえずりが聞かれることがある。』ウィキペディアから引用

モンシロチョウ
『成虫は3月頃から10月頃まで長い期間にわたって見られ、年に4-5回ほど発生するが、発生する時期や回数は地域によって異なる。北海道の一部のように寒冷な地域では年に2回ほどしか発生しないが、温暖な地域では年に7回発生することもある。蛹で越冬する。』ウィキペディアから引用

でもないのか・・・。