旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

なぜゆえに私には「あのようにきらめくような青春」がなかったのか。Ⅱ

2008年12月26日 01時32分42秒 | Weblog
相手は著名な会社の社長令嬢で離婚歴のあるお譲さんであった。夕刻になるとレジを〆に現れた。そして必ず砂糖を一杯スプーンですくっては舐めた。お客さんがいるときはカウンターの陰で、お客さんが帰った後ならばわたしの顔をじっと見つめながら砂糖がのったスプーンを舐めていた。

その舐め方のなまめかしさに「色キチ」じゃないかという風評がたった。わたしはそうじゃなかったことを知っている。良家に生まれ、仕事らしい仕事にもつかないでレジを〆に来る。つまりお金を集めに来る。その結構なご身分について彼女に嫌味を言ったことがある。

「そんなことを、好きなひとから言われると辛い。」と言いながら彼女は涙ぐんだ。「へえ、好きなひとがいるんだ。」と話がよく聞こえないようなふりをした。「あなたのことよ。」と言いながら彼女は屋敷に帰っていった。その後の2週間、妹2人が交互に売上を〆にきた。

久しぶりに現れた彼女は妙に晴れ晴れとした表情だった。お見合いをしたのだそうだ。彼女のためにコーヒーをたてた。彼女はカップを両手で包むむようにしてそのコーヒーを時間をかけて飲んだ。そして、カップのふちを瞬時舐めた。「ご馳走さま」という口元の白い歯がこぼれそうだった。

次の日からは店のママ、つまり彼女の母親である社長夫人がレジを〆に来るようになった。一時期、店の従業員が社会保険に加入できるようにしてくれないかと依頼したことがある。ママは「どこの馬の骨か知れないようなひとたちに社会保険はねえ。」と私に耳打ちしたことを覚えている。わたしもその馬の骨のひとりなのかと落胆した。彼女が遠い存在に思えた。

お手伝いさんからお見合いが破談になったことを聞いた1ヶ月のち、わたしは店を辞めた。その半年後、かなり強引に彼女から会う約束を取り付けた。「来るまで待つ」と告げた喫茶店の閉店時間になっても彼女は現れなかった。再婚が決まったとお手伝いさんから告げられたその夜にわたしの恋に終止符が打たれた。

良知

2008年12月24日 00時23分55秒 | Weblog
陽明「伝習録」の中巻「抜本塞源論」を何度も何度も読み返している。

陽明の四句訣、すなわち『善なく悪なきはこれこころの体、善あり悪あるはこれ意の動、善を知り悪を知るはこれ良知、善を為し悪を去るはこれ格物』について、さほど重要な四句ではないとする解釈と、この四句こそが陽明の宗旨であると固執する解釈とがある。

言行にさまざまな解釈はあっても、陽明自身は明快な思想家である。

酒の肴

2008年12月23日 23時46分05秒 | Weblog
師走は連日の暴飲暴食を慣わしとしてきた。今年は未だ3回の忘年会と1回のクリスマスパーティーに出席したにとどまる。酒量が落ちるのは体の危険信号であるというひとがいる。違うと思う。ようやく酒に溺れなくなっただけのことだ。自制が効いてきたというのが正しい表現のように思われる。

今日のクリスマスパーティーで飲んだアルコールはビールでカップに2杯。続いてウーロン茶を5杯飲んだ。飲もうと思えば飲める。しかし、憂さを晴らさなくてはならないような事態もないし酒で紛らわすような苦悩もない。わずかなアルコールが体から抜けてゆく際の眠気は心地よい。

いい肴があればじっくりと飲んでみたいという願望がある。島根にある海辺の旅館で松葉蟹のお造りにメバルの煮付けを肴にして、夕日でも眺めながらというわけだ。昨年までは相手をしてくれる女性がいた。今年はいない。やはり老境に一歩一歩近づきつつあるということか・・・、とひとり呟いてみる。



「失われた10年」

2008年12月21日 23時28分02秒 | Weblog
アリ対リストン



冷たい雨が降る日は暖かい部屋で読書にふける。休日ならばなおさら意欲が湧いてこようというものだ。晴働雨読がわたしのモットーである。会社の向かいにあるブックオフで、ほぼ3日に4冊の割で105円本を購入している。良い本ほど安価であるブックオフに感謝している。

NHKスペシャル「失われた10年を問う」(村上龍編集 2000年5月発行)は、大蔵省の銀行局による強力な行政指導によって、規模の大小にかかわらず、間接金融を旨とする銀行が、同じ融資条件で競争せざるを得なくなった結果、ほぼすべての銀行が不動産や株式を担保にした過剰融資に走らざるを得なかったとを検証してみせる。

実需が伴わないまま加熱した不動産融資(企業や法人からみれば投資)は地価の高騰からやがて地価の暴落を招き、引き続いて株価を暴落させてわが国に長期の不況をもたらした。では当時の銀行の過剰流動性が不動産や株式に向かわせないようにする方策があったかどうかという村上龍の問いに対して、多くの識者たちは言葉をつまらせる。

その識者たちが口を揃えて「失われた10年」は、内需の拡大を強いられたわが国の財政・金融政策が、地価の暴騰を抑止するための有効な手を打てなかったからであると指摘している。傍観者ならではの、解決策を提示しない悪しき意味での批評家のそれである。

確かに、サブプライムローンやCDSが金融恐慌の引き金になった。しかし、アメリカ発の金融恐慌は、前回は株式の、今回は不動産のバブルがはじけてしまったことが原因であることに疑いの余地はない。わたしも偉そうに、国家の破綻を避けるためには1930年代のアメリカの経験よりも20年前のわが国の経験に習った方が有効であろうと無責任な発言をしてみる。

なぜゆえに私には「あのようにきらめくような青春」がなかったのか。

2008年12月19日 23時04分10秒 | Weblog
喫茶店のカウンターやウエイターを渡り歩くうちに、カンナの削り屑のようにペラペラと燃えるような毎日の生活に嫌気がさした。土方や肉体労働を少しやったのち大学の先輩が経営する塾の講師になった。小学校の3年から中学の3年までの7学年の算数・数学それに国語を教えた。着任時の塾生総数50名が1年後には100名を超えた。算数・数学はともかく苦手な国語の方は塾生たちから教えられることの方が多かった。熱気が溢れるような教室が誇らしかった。

1年ほどたったある日、塾長夫妻が高校生に英語を教えている女性とわたしを食事に招待してくれた。当時わたしは塾で数度見かけたことがあるその女性に好感をもっていた。食事ののち縁日の夜店を4人で歩いた。先を行く夫妻の後をふたりは歩いた。振り返りながら奥さんが「あなたとは違っておとなしい娘さんだから、あなたの方から話かけてあげてね。」としきりにふたりの様子を窺う。

津田塾の英文科に通う学生であると聞いたことがある。横顔に化粧気はない。色白な細身の女性である。清楚な女性と居ると妙に緊張する。白いブラウスにグレーのスカートをまとった彼女に何を話しかけていいのか解らない。自分でも消化できていない法哲学に関わる難しい話を夢中になって話した。なにしろ食事の際のビールとワインですっかり酔っていた。彼女はわたしの戯言に最後まで付き合ってくれた。

翌日、奥さんから「お付き合いをしている女性はいるの?」といきなり聞かれた。返答に躊躇した。半同棲中ではあるが別れたくてしようがない女性がいた。それでも「わたしがみる限り、あの先生、あなたに興味を持っているらしいのよ。」と言われると小躍りしたいような心境だった。東京に来てからというもの、こちらが好感をもつことがあっても女性から好感をもたれた記憶というものがない。

「まじめに付き合う気があるのなら正式に紹介するわよ。」と奥さんは張り切っている。ところが当方は正式に紹介されるほど立派な学生ではない。そして「ご家族も東京在住で、いいご家庭のようよ。」と奥さんから言われると、津田塾の彼女の属性に怖気づいた。わたしにはそういう女性と交際できるほど立派な人間ではないという負い目があった。わたしは「付き合っている女性がいます。」と答えた。その夏、彼女は塾を辞めた。

その昔、中学の時に2級下の女生徒から口説かれた。「私の家族といっしょに海に行こう。」という誘いを受けたり、わたしのことを思うたびに名前を書いていたらノートがわたしの名前でいっぱいになったと、そのノートを見せられて正直わたしは怖気づいた。好感をもたれるとわたしはそんなに熱を入れられるほどの男の子じゃない。わたしよりりっぱな男の子は5万と居る。だからおのずと彼女が思ってくれるほどの男の子としての役割を果たせそうにないように思われてくるのである。要は自信がなかったということになりそうだ。

テレビや映画の恋愛ものを見るにつけ、恋愛相談を受けるにつけ思わず叫びたくなる。「なぜゆえに、私にはあのようにきらめくような青春がなかったのか!」と。もちろん原因はわかっている。情けない話であるが、恋沙汰に限らず、いまだに女性というものを理解できないで火傷ばかり負っている。だから、こと女性問題に関して少々大げさに言うと身も心も傷だらけである。

かって知り合いの女性から「もてないことを売りにしている。」と揶揄されたことがある。とんでもない話じゃないかと思う。もてるかもてないかくらい本人が一番よく知っている。不肖はやと、この世に生まれ落ちてからこの方、女性から口説かれたことは2度しかない。1度目は中学生の時、2度目は?。恋多き壮年はやとは「梅雨時の田んぼ」、そのココロは「ふられっぱなし」なのである。嗚呼・・・。

不動院の煤払い

2008年12月15日 00時42分35秒 | Weblog
準備された取り皿、おにぎり、箸、お絞り、お茶をポリ袋で300セット用意するのが私の役目だった。同じポランティアの皆さんの同意をえながら準備を進めるのはけっこう難しい。10時に煤払いの開始宣言が終わるや10名ほどのボランティアの皆さんが勝手にセット作りを始めてしまった。しかも、予定したセットと異なるセットで準備を始めている。予定どおりのセットにやりかえるように指示こそしたものの、既に始まった流れ作業は止めようがない。

実は、煤払いの最中から食事セットの準備をすると子供たちが焼き肉やぜんざい、餅つきコーナーに気をとられて作業に集中できないかも知れないから、せめて、セットの準備は掃除が始まって一定の時間が経過するのを待つように主催者側から指示されていたのだ。

杞憂であった。子供たちはセットの準備に動揺しなかった。1時間ほどかけた煤払いののち、父兄たちとともに山と積まれたセットの前に整然と並んでくれた。そして、予定通り11時には野外宴会が始まった。焼き肉も、もちも、ぜんざいも、おにぎりも、お茶もすっかり食べつくされて飲みつくされた。お茶が不足しそうなのでペットボトル7本を買いに走った。結果的にはいい流れだった。

嵐のような2時間半の煤払いと野外宴会は終わった。父兄やボランティアの仲間も満足そうだった。わたしは最後の打ち上げで、ビール350mlひと缶に「いいちこ」紙コップ2杯飲んで逝ってしまった。心地よい疲労感のなかでしばしまどろんだ。暖かい日差しの中で、準備段階から最も活躍されたご住職と奥様はよいお顔で微笑んでいらした。

ノンアルコールビール

2008年12月12日 23時49分27秒 | Weblog
明日は、師走の風物詩「国宝不動院の煤払い」に参加する。国宝の煤を払ったあとは餅とぜんざいをいただく。焼き肉やおにぎりもでる。そちらは児童生徒におまかせして名刹をゆっくりとながめながら行く年を思う予定だ。ところが、わたしはもてなす側の人間になっているので、どうにも雑用が多い。悠長に過ごす時間などないようだ。無念である。

昨日は今年初の忘年会があった。ノンアルコールビールの小瓶5本にウーロン茶3杯で耐えた。アルコールは口にしなかった。体調が悪いわけではない。参加者のひとりが「飲めそうな顔をしているのになぜ飲まないのか。」とからんできた。「車なので・・・。」と応えた。「代行がある。」と相手は食い下がってくる。

「体調が悪いうえに、代行代がない・・・ので。」と言いかけたらあっちの方へ行った。事情があって飲まなかった、ただそれだけの理由である。実は、アルコールと血圧との相関について人体実験中なのである。

今年は、酒の席で全くアルコールを口にしなかった回数がやけに多い。懐具合のせいなのか、気分の問題なのか、体調の問題なのか判然としない。素面で酔っ払いの相手ができるようになったことだけが進歩といえば進歩なのである。

道楽

2008年12月09日 00時04分48秒 | Weblog
「世界の名著」を第1巻から66巻まで、「続世界の名著」を第1巻から15巻まで、順に並べてみた。世界の英知のパノラマを眺めているようで実に楽しい。畳部屋に座り込んで手に取ってみる。特に世界の名著の方はいずれも初版本なので相応に古びている。一冊一冊ていねいに本を磨きあげている。

鈴木大拙は「本は読むことと同様に、蔵書することそのものにも意義がある。」と言ったように記憶している。事典・辞書の類と「日本の名著」も他の本から隔離して一冊一冊を丁寧に磨きあげておきたいものだ。

引き続いて新書の整理に入った。新書は数10年前から好奇心が命じるところに従って買い進んできた。岩波新書と中公新書が殆どだ。ブックオフに並べられた新書の数割を買い込んでいる。部屋中に散らばった新書を系統別に並び替える作業は骨が折れる。内容や本そのものが古くなった新書は資源ゴミに出す予定だ。それにしてもよく買い込んだ。新書は優に1000冊を優に超えている模様だ。

文庫本は岩波文庫と講談社の学術文庫が圧倒的に多い。数えることすら億劫だ。年のせいか文庫本の小さな活字では目の疲れが激しい。改めて読むこともないように思う。ハードカバーで活字が大きいものを買ってはいるが文庫本と同様の著作を網羅できない。青帯(哲学・思想・社会科学)と黄帯(日本古典)が主体である。

所狭しと積まれた本を眺めながらふと思う。わたしは一体何をしようとしているのかと。山男たちがなぜ山に登るのかと問われると「そこに山があるから登るのだ。」答えるように、なぜそんなに本を読み、蔵書するのかと問われたら、わたしはきっと「そこに読みたい本があるから読むのだ。」と答えることであろう。これを道楽と言わずしてなんと言おうか。

経済学

2008年12月07日 23時27分35秒 | Weblog

本の整理をした。世界の名著全66巻と続世界の名著全15巻を本の山の奥から引っ張り出して書斎とは別の部屋の本棚に移した。年内に全巻を読破する予定であった。しかし果たせなかった。 ブックオフやamazonのおかげで読みたい本が思い通りに手に入る。というよりも、あの広大な売り場やホームページを眺めてみると必ずといってよいほど興味をそそられる本に出くわす。購入するペースに読むペースが追いつかないという状態にみまわれている。本の山から「世界に名著」を隔離しておこうという算段である。

特に、経済音痴を自認するするほど疎い経済関係の場合、理解が届かないと意地になって買い込む。読み込んだかどうかは大いに疑わしいから自慢する気もない。それでも、ざっと数えてみただけでハード本で150冊、新書で100冊、関連する会計学・経営・金融関連を含めるとおそらくは350~400冊の蔵書になる。

今年の後半になって顕在化した金融恐慌については、まさしく青天の霹靂、理解が及ばないことだらけである。今年に入ってから尋常ならざる何かがアメリカ経済におこっていることは推測できた。9月には瀕死の状態であることが明らかになった。耳タコの金融工学とやらは両刃であったらしい。金融でぼろ儲けの背中合わせにははじける泡というリスクがある。ただの泡ならはじけ散ってもどおってことはない。ところが金融の泡がはじけると経済が収縮する。つまり不景気になる。

経済音痴が、なぜアメリカは瀕死の状態になったのかを究明し始めて3か月が経過した。私見ではITバブルと同様に、よく勉強ができる人たちが、「合理的に不合理な夢を見た。」ことに原因があるように思われてならない。またしても、知的エリートは社会から収奪する権利があるかのようの喧伝してみせた。風評の罠に、投資家・企業・マスコミ・社会がまんまと乗せられてしまったというわけである。

「合理的に不合理な夢を見た」人たちがやらかしたことについての顛末は、小幡績著「すべての経済はバブルに通じる」光文社新書、中尾武彦著「アメリカの経済政策」中公新書に詳しい。著者は、ご両名ともに元大蔵官僚である。いずれもリーマン破綻に先立って書かれている。破綻の奈落でもがき苦しむアメリカの金融機関の姿を経済学や金融論あるいは統計数字を駆使して論じている。多分、知的エリートたちには知的エリート達の行動様式が見えるのであろう。


可愛い花

2008年12月06日 23時34分20秒 | Weblog

プティット フルール 可愛い花 
 その花のように いつもやさしく
  プティット フルール おまえのその
   花びらのような 赤いくちびる
    やさしい瞳が おとこ心を
     なぜか 狂わせる
  
  プティット フルール 天使のように
   可愛い一つの 花よ
    小鳥のような その胸に
     何時か 恋も芽生えて

  プティット フルール その名のように
   可愛いこの世の 花よ



            訳詞:音羽たかし


スノキ

2008年12月04日 02時11分46秒 | Weblog
        スノキ



その昔、わたしがまだ無邪気に野山を駆けまわっていた頃の話である。晩秋になるとマツタケ狩りをしたあとで、決まって口にする小さな木の実があった。悪童たちはこの実のことを「オヒマ」と呼んでいた。たまにはこの「オヒマ狩り」が目的で山に出かけることもあった。

最近、愛犬「ごんた」と近くの恵下山を散歩中に、このなつかしい「オヒマ」をみつけた。数10年ぶりの懐かしさがこみあげた。10月の初旬のことなので、実は朱色で、口にしても酸っぱいばかりであった。今日あたり、もう十分に熟しているだろうと「オヒマ」目当てに愛犬「ごんた」を駆って恵下山に登ってみた。

黒く熟した「オヒマ」がたわわに実のっていた。固有名詞を覚えるのが苦手だから固有名詞にはこだわる。だれが言い出したのかは知らないが、その昔、わたしの郷の町の大人達も子供達もこの実のことを「オヒマ」と呼んだ。無性にこの「オヒマ」の正式名称について知りたくなった。検索をかける前から典型的な方言であるという妙な自信があった。googleをもってしても「オヒマ」ではヒットしない。

「晩秋 黒 実」で検索をかけて「スノキ」らしいことを掴んでから一気に映像で検索をかけた。外れていなかった。「オヒマ」には、つつじ科スノキ属スノキというりっぱな名前があったのだ。google恐るべしである。最近、洋種のブルーベリーが目に良いと評判である。風味から推して「オヒマ」がブルーベリーの仲間であることは以前から予想していた。

否、ブルーベリーの方が野生種の「オヒマ」の系統であろうと推測していた。やはり外れていなかった。ブルーベリーは、つつじ科スノキ属ブルーベリーというのが正式な名称である。ブルーベリーと「オヒマ」は同じスノキ属なのだ。

なぜ「スノキ」なのか。実や若葉が酸っぱいから「酸の木」なのだ。確かにこの「スノキ」は十分に熟して黒くなるまではまるでスカンポのように酸っぱい。だから鳥にも狙われない、突かれた様子もない。十分に熟した「スノキ」を手のひらにいっぱい摘んで口に放り込んだ。熟した「オヒマ」は、まるで晩秋の里山のような甘酸っぱい味がした。幸せな瞬間であった。


田口久美子

2008年12月03日 01時39分16秒 | Weblog
たまたま新幹線口の「フタバ図書」で立ち読みをしていたら「書店風雲録」という文庫本が目にとまった。題名に惹かれるところがあったので目を通してみた。予想通り面白い。著者の田口久美子さんが西武百貨店グループの「リブロ」と「ジュンク堂」の名物店員であることは一読して判った。なによりも書籍販売にかける志しが高い。最近、目が疲れやすいので活字がやや大きいハードカバーを買うことにした。

問題は買い方にある。帰宅するや愛用のPCでamazonにつないで田口久美子で検索をかけてみたところ、中古でリブロ時代の「書店繁盛記」とジュンク堂の副店長になってからの「書店風雲録」の総計50冊ばかりが文庫版の半値以下で売りに出されていた。もちろんハードカバーである。しかも送料を加えても文庫版の定価以下だ。5日前に注文をしたら今日2冊が届いた。ともに新品と同様の程度だ。

読者を顧客とする流通側のひと(出版社や取次業、書店の内情)について詳しい。好奇心旺盛なわたしは、好きな読書に関して古本屋さんの実態にとどまらず新本を扱う一般書店の内情について知るところとなりそうだ。ドキュメントタッチの読みやすさにつられて数時間で「書店風雲録」の約半分を読み終えて、ただいまコーヒーブレイク中である。

先日、カポーティの「冷血」をDVDで鑑賞した。ノンフィクションの草分けといわれる「冷血」はやはり活字で読んだ方が興味深かった。映像表現にはどうも想像力を妨げるという制約があるようだ。