旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

意志と表象としての世界 第1節 

2006年08月31日 22時59分21秒 | Weblog
「若さを脱却せよ、友よ、目を覚ませ!」というジャン・ジャック・ルソーの巻頭言からショーペンハウアーの「意思と表象としての世界」は始まる。

「世界はわたしの表象である」という多分に扇動的な書き出しである。かれの記述をそっくり引用すれば、『哲学的思惟が芽生えたあかつきに、人間にとって明らかになり確かになってくるのは、人間は太陽を知らないし大地も知らないこと、人間が知っているのは太陽を見る目にすぎず、大地を感じる腕にすぎないこと、人間を取り巻いている世界はただ表象として存在するにすぎないこと、すなわち世界は、「世界」とは別のもの、人間自身であるところの表象するもの自体、ひとえに「世界」との関係において存在するにすぎないということである。』(一部改竄)

表象 : 心に思い描くこと 心象 想像 観念を含む

梁塵秘抄

2006年08月28日 21時00分33秒 | Weblog
今日は月曜でビジネスに身が入らない。そこで夕刻、「井原西鶴集 全3巻」を言い値で買った例の古本屋さんで暇つぶしをすることにした。究極的にはブックオフには置いていない小学館の日本古典文学全集の値踏みが狙いだ。

「謡曲集 全2巻」と「神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集」の計3冊を買う腹が容易に固まった。検討したスペイン語辞典と「平家物語 全2巻」については、先の楽しみに取っておくことにした。いまどき、あわててこの種類の古本を求めるようなひとはいないので、あせる必要がない。

閑吟集には、「何せうぞ 燻んで 一期は夢よ ただ狂え」という好きな小歌がある。この前の小歌は「燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして」「夢幻や 南無三宝」さらに前には、「ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や」という小歌が続く。

梁塵秘抄の長歌十首は、「君が代は千代に一度ゐる塵の 白雲かかる山となるまで」という祝事から始まる。「わが君のご長寿は、これをたとえていえば千年に一度地にとまる微小の塵が、積もり積もって、白雲のかかる高い山となるまでの、そのような限りない間のことであろう。」と現代語訳がなされている。

細石が巌になる「君が代」よりも遥かに壮大で、時間と空間の広がりを感じることができる。なぜこちらの長歌を「君が代」にしなかったのであろうか?理解に苦しむ。「梁塵秘抄」の選者は、かの後白河院である。

コーンのエタノール分画法

2006年08月27日 21時56分43秒 | Weblog
『戦傷者の外傷性ショックに血漿の輸血が有効であった。そして、血漿の輸送を軽量化・小型化するためにはアルブミンの分画が必要になった。低温の各種条件下で結晶に各種のエタノールを添加し、種々のエタノール濃度で不溶化し析出してくる蛋白を、それぞれ遠心で回収する方法。これをコーン(開発者のハーバード大学の生化学教授Edwin.J.Cohn)のエタノール分画法という。

軍の要請によって、第二次世界大戦中に血漿蛋白分画法の開発を行った成果であり、その後の血漿蛋白分画法の基本となった。この方法で採取されたアルブミン分画はただちに戦場に送られ、多数の傷病兵の命を救った。第二次世界大戦中に米国では1300万人の献血が行われ、そのうち約1000万人分が乾燥血漿にに処理され、224万人分がアルブミンの製造に利用された。

日本軍においては、このような研究は殆どなされておらず、多くの命が無駄に失われた。もっとも、研究以前の問題であったのかも知れない。日本でアルブミンが製造されるようになったのは、大戦後15年を経過した後であり、日赤がアルブミンの製造を開始したのは、はるかに遅れた1983年のことであった。』

「血栓の話」(中央新書)の中で、著者である青木延雄氏は、「この日米の差を単に経済力の違いによると片付けられうるだろうか?」と疑問を呈している。

三人吉三廓初買

2006年08月27日 17時05分08秒 | Weblog
左から 
お尚吉三  <4代>市川小団次 
お嬢吉三郎 <3代>岩井粂三郎 
お坊吉三  <初代>河原崎権十郎





『籠にゆられてとろとろと、一杯気分の初夢に、金と聞いては見逃せねえ、心は同じ盗人根性、去年の暮れから間が悪く、五十とまとまる仕事もなく、遊びの金にも困っていたが、なるほど世間は難しい、友禅入りの振袖で、人柄作りのお嬢さんが、追落しとは気がつかねえ。』 河竹黙阿弥作「三人吉三廓初買」

川運

2006年08月27日 11時59分25秒 | Weblog
海上運送を海運というのであれば、河川を利用する運送は何と表現するのであろうか?小学館の「日本国語大辞典」全20巻にあたっても河運または川運という言葉は見当たらない。ところが、ネットで検索をかけてみると河運や川運という言葉はかなりヒットするのである。

小袖曾我薊色縫

2006年08月27日 00時22分52秒 | Weblog
『人間わずか五十年、守備よく行けば又十年、二十年も生き延びて、襤褸を纏う身の上でも、金さえあればできる楽しみ。同じことならあのように、騒いで暮らすが人の徳。一人殺すも千人殺すも、取られる首はたった一つ、とても悪事を仕出したからは、これから夜盗家尻切り、人の物はわが物と、栄耀栄華をするのが徳、こいつは滅多にに死なれぬわえ。』 黙阿弥作「小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)」 赤坂治績著「知らざあ言って 聞かせやしょう」新潮新書より

THESAURUS

2006年08月26日 00時14分21秒 | Weblog
THESAURUSという名の英英辞典を買った。日本流にいうと類似語辞典ということになる。英米では明確にdictionaryとは区別される種類の辞典だ。これが滅法面白い。驚き感激の連続である。類似の用語を読むと単語の意味が面白いように理解できる。ブックオフで一冊105円で買った「WEBSTER'S POCKET THESAURUS」がそれだ。

功利的な理由でないことだけは確かなのだが、この歳になってなぜゆえここまで英文にこだわり始めたのか本人にも理由がわからない。それでも当面は、気分が赴くままうんざりするまで英文に親しんでみようと思っている。

人間ドックと古本屋さん

2006年08月25日 23時47分27秒 | Weblog
今日は人間ドックに掛かった。故障だらけの体なので、年に一回は必ずドックで定期的に検診を受ける。前日からきつい食事制限を受けるので、検診が済むまでは空腹だ。近年では、胃の検査時に飲むバリュームを美味しく感じるほど当日は飢えている。最後のドクター診察時までの検査では致命的な症状はない。何でそうなるのかは自分にも解らないが、ご褒美に古本屋さんに寄ってみることにした。

実をいうと、この二ヶ月間、買うか買わずに済ますかで悩んでいる本があった。小学館の「日本文学全集 井原西鶴 全三巻」である。馴染みの古本屋さんの奥に積まれている。今日はなんだか気分が良かったので、値切らずに値札どおりの一冊500円で買うことにした。一度は本の汚れを口実に値切ろうとしたが、店員が固まってしまったのでやめた。店番はうら若き娘さんたったひとりだったのである。新本の10分の1以下の価格だからどーってことはない。

思えば・・・

2006年08月24日 21時01分17秒 | Weblog
広島市の近郊で生まれ町立の小中学校で義務教育を終えました。市内の公立高校を出てから八丁堀大学(広島YMCA高等予備校)で酒と喫煙をおぼえ、東大の入試が中止になった翌年に東京の大学に進学しました。大学は学園紛争の煽りを受けてロックアウトに続くロックアウトで期末の試験に代えてレポートの提出という惨状でした。おのずと大学から足が遠のきました。パンとバターのために塾の講師をやる傍らで哲学・文学書を読み漁る毎日が続きました。

いいところまでいったものの本命の採用試験に落ちたので、やむなく新聞広告を頼りに本格的な就職活動に入りました。住宅メーカーが即内定をくれました。民間は似たようなものだと腹を括り、大学を卒業した日からわたしの営業マン人生が始まりました。その住宅メーカーで7年、民間の信用調査会社で6年、地元の企業で約1年間お世話になった後、請われて現在の外資に入社しました。

入社した際の社員番号が0154ですから、当時は社員総数が170名くらいの規模の○○会社でした。現在では営業部門だけで3200名、従業総数も4000名近くを数えます。気がつけば広島支社120名の中では最古参かつ最年長の営業マンになっていました。勤続18年目に入ろうとしています。「青年老いやすく、営業なり難し。」の典型で、もしも、「継続は力なり」という格言が正しければ、わたしもひとかどの営業マンになっていなくてはならないのでしょうが、なにぶん老いてなお邪念が多く、未熟者の謗りを免れそうにありません。

三国志の奸雄、曹操孟徳は『烈士暮年 壮年不已』と書き残してくれました。「激しく生き続けてきた人間の老境なんて、元気旺盛な働き盛りみたいなものだ。」といった意味にでもなりましょうか。心の支えになっている言葉です。どちらかというと自分の人生を激しく生きてきたように思います。

趣味は読書とファーミング(農業)にドライブです。「原始仏典」と世阿弥の「風姿花伝」を学生時代から読み続けています。

中学ではサッカー部に所属して県体で3連覇という輝かしい実績があります。高校の器械体操は、丸3年間励んだもののついにものにならなかったようです。5年前まで会社の同好会に所属してサッカーの試合に出場していました。もとより典型的な体育会系なので体を動かすことは好きなのです。ところが、スポーツと長く親しんできたというのにゴルフが苦手です、上達しません。そういえば、サッカーボールより小さいボールを使用する球技は悉く不得意です。特に野球なんてどうしようもなく下手なのです。

思えば他愛のない人生だったような・・・。
でもないか・・・。

風姿花伝

2006年08月24日 20時48分58秒 | Weblog
                 能面


何度読んでも得るところが多い。いい年をして、なお競争社会に生きているがゆえか。

明日はいよいよ人間ドックだ。タバコをやめた弊害で肥満と高血圧に悩まされている。禁煙して7年目を迎えるが、禁煙の年数ほど体重とウエストが増えた。弱っている。

ドックの結果を踏まえて、次は体重のコントロールに挑む所存だ。観阿弥が能楽に対したような強固な意思と禁欲で体重を落とすのだ。なんてね?

団塊の世代

2006年08月18日 21時53分35秒 | Weblog
先日、一風変わった同窓会があった。60人足らずが参加した。同じ中学を出た団塊の世代3学年が、一同に会したのである。幹事のひとりとしては、厳しい競争を潜り抜けた者同士が集まって一緒に呑んで食事をすれば、何かが始まるものと気軽に考えていた。ところが何も始まらない。
それどころか、出席しておいて何のために集まるのか理解できないと訴えるひとや、中〆で会が面白くないとぼやく幹事まで現れた。司会役としては大いに戸惑った。考えてみれば、いい歳をしたオヤジやオバさんが集まって、面白く盛り上げようなんてのが間違いだ。要は盛り上げたいのなら、自分で盛り上げろということだ。
2次会のカラオケ大会は盛況で、出席者の8割以上が参加した。3次会を終えての帰り道、なんだか侘しさだけが残った。団塊の世代は確実にパワーを失いつつあるように思えたからである。

Hospitality

2006年08月12日 08時45分08秒 | Weblog
hospitalityという英語をご存知ですか?「お客さまをもてなす心意気」という意味合いです。接客業の場合、この心意気が大切です。徹底的にhospitalityを発揮しても相手に通じない場合、切れるか、それでもhospitalityを維持するのか?ヒジョーに難しい問題です。でも、こういう事態に陥って、悩んで、苦しんで、初めて人間が磨かれるのじゃないか?最近ではそのように考えるようになりました。

若いうちなら、どうすればお客さまに満足してもらえるのかについて、徹底的に悩んでみるのも悪くはありません。いい年をしてくると、プライドが邪魔してこういう貴重な経験ができなくなります。 それにしても、ほんとにいやなお客さんっています。張り倒したくなるくらい傲慢なのが・・・。

天気予報

2006年08月12日 07時44分59秒 | Weblog

ただ今わが家は激しい雷雨に見舞われています。ところで、本日12時から18時までの降水確率は20%。降水確率が20%ってどういう意味なんでしょ?

一週間の予想気温。これも猫の目のように変わります。明日の予想気温が32度で、当日の気温が36度なんてザラ。当日になるとちゃっかり変更されています。

気象衛星で天井から雲の動きを見ていて、なお予想がはずれるなんて、占いのおばちゃんといっしょ、当たるも八卦当たらぬも八卦。しばらくすると、この辺りにも雷雨注意報が発令されて降水確率も60%に変更されるんでしょうね。

最近では、体で感じるカンで天気を予想したほうが、天気予報よりよく当たります。こういうのを年の功というのでしょう。天気予報を思うと、妙にオジン臭くなります。クタバレ気象庁!・・・です。