旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

昭和前史

2013年08月31日 18時03分51秒 | Weblog

昭和の前史ともいうべき『昭和史 第1巻 幕末ー明治18年 昭和前史・文明開化』『昭和史 第2巻 明治19年ー33年 昭和前史・富国強兵』『昭和史 第3巻 明治34年ー45年 昭和前史・日露戦争』『昭和史 第4巻 大正元年ー15年 昭和前史・関東大震災』の4巻に目を通した。

いかにも図書館向けの丈夫そうな装丁だ。日露の戦争や関東大震災等の大事件だけにとどまらないで、文化・芸能・庶民生活に至るまでバランスよく構成されている。新聞社の編集らしく映像に語らせてから、周到に文字で解説していく。写真を追って解説を読む、それだけで昭和前史の輪郭を掴むことができる。


昭和史

2013年08月31日 07時54分35秒 | Weblog

1冊1冊が大型の箱入り本なので置き場の検討を続けていた。のめどがたったので「決定版昭和史 全20巻」(朝日新聞社)を買うことに決めた。最近、昭和にこだわりはじめている。本屋を散策していてタイムリーにこのシリーズが目に留まった。手元に置いて、昭和という時代を振り返るための事典代わりに利用する予定だ。

それにしても驚いたのは価格だ。このシリーズは新本で1冊が4000円以上する。20巻を新本定価で揃えると8万円を上回る。ところがフタバ図書古書部の定価は新本同様の全20巻揃いで総価格が2100円だ。この種のシリーズ本は置き場に困る、買い揃えなくても図書館で閲覧できる、CD化されたものが多い、なによりも売る側からすれば場所をとって仕方がない等、いろいろな理由の産物なのだろう。

本が好きだから本代はケチる。購入に際しては「最小の出費で最大の効用」を旨としている。それにしても全巻20冊で2100円には驚いた。手に取って中身を点検したのち、嬉々として「取り置き」を依頼した。期日の今日、本通りのフタバ図書に取りに行く。


論語

2013年08月30日 07時34分35秒 | Weblog

昨日はよい仕事ができたので爽快な朝を迎えることができた。しかも明日、明後日と念願の休日が待っている。


孔子の言行録である「論語」の境地を受け止めることができるようになった。儒学は時代の人間学であって宗教ではない。是々非々で読み続けたい一書だ。


添削

2013年08月29日 02時49分27秒 | Weblog

愛犬ゴンタが呼ぶ声で目が覚めた。階下に降りると荒い息をしながら寄ってくる。夜なきは久しぶりだ。これまで暑い日々が続いて、ここ2,3日の明け方は急に気温が下がり始めた。気候の急変で寝つけないのだろう。しばらくゴンタと戯れた。まだ未明だ。

日に5件は提出された文章の添削をしている。他人様が書いた文章に手を入れるのは難しい。書き手と相談しながら手探りで文章にメスをいれる。かれの文章は彼の意向と意欲を正しく反映したものでなければならない。私の意見とかれの意向や意欲との間に明確な一線を引いている。昨日も脳が汗をかくような作業が続くことだろう。

床に入っても脳が汗をかき続けている。久しぶりに夢を見た。


子の曰わく

2013年08月24日 07時59分11秒 | Weblog

子の曰わく、其の似(な)す所を視、出る所を視、其の安んずる所を察すれば、人焉(いずくんぞ)んぞ痩(かく)さんや、人焉んぞ痩さんや。(先生がいわれた、「その人のふるまいを見、その人の経歴を観察し、その人の落ちつきどころを調べたら、その人がらは、どんな人でも隠せない、どんな人でも隠せない。」岩波文庫ワイド版)

この章が引っかかっている。まさしく「学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。(説ばしいは悦ばしい)」の境地だ。「時には」は、たまにという意味に遠く、不断にという意味に近い。「学びて時にこれを習う」の「学ぶ」は、まだ知らないことを悟るというのが本来の意味だが、宇野哲人は、「論語新約」(講談社学術文庫)で、「先覚者に従って聖賢の道を学び、絶えずこれを復習して熟達するようにする。そうすると、智が開け道が明らかになる。」と訳す。

孔子さまに楯突くつもりはない。それにしても果たして、「その人のふるまいを見、その人の経歴を観察し、その人の落ちつきどころを調べたら、その人がらは、どんな人でも隠せない、どんな人でも隠せない。」のだろうか。それとも孔子さまの鑑識眼がそうさせるのだろうか。


この頃

2013年08月23日 05時20分15秒 | Weblog

若者たちを相手に奮闘している。「叱らない、大きな声を出さない、話をよく聞く」ことを心がけているので、傍からみれば頼りにならない「はやとさん」なのかも知れない。それでいいと思う。私にとって「権威主義は親の仇」も同然なのだ。叱責や大声や押しつけではその場しのぎの解決策にしかならない。

瞬く間に一週間が過ぎ去ろうとしている。この間にまたひとつ年をとった。


敬天愛人

2013年08月17日 20時33分59秒 | Weblog

 

薩摩藩の中流武士の子として生まれた。子供のころの刀傷が原因で剣道が不得手だった。成人男子の平均身長が160センチを切っていた時代に178センチに100キロの大男で体を生かした相撲がめっぽう強かった。

農業の振興を担当する役人として下積みが続いていたところ、開明的な藩主である島津斉彬の目に留まって側用人となる。安政の大獄で私淑する主君斉彬は隠居を強いられた。西郷は逃げ場を失ってある僧と心中未遂事件を起こして離島に追いやられて不遇な日々を送る。

島流しから呼び戻されて頭角を現す。思想的には藤田東湖、水戸学の尊王攘夷に共感するものの、翌年東湖が震災で命を落とすと勝海舟の開国論に傾いた。海舟の策略に呼応して薩長連合を推し進め討幕の総指揮官となる。

橋本左内は出会の際に才気を感じさせない凡庸な男だと感じた。また、勝海舟は維新の群雄のうちでも卓越した逸材だと評している。武士階級の価値観の中で頭角を現した。儒学思想がかれの精神的バックボーンになっているようだ。

理解しようとするから掴めないのかもしれない。西郷隆盛の実像を把握するのに苦労している。もっとも西郷は既に伝説なので、余計にわたしを寄せつけないのかもしれない。求められると西郷は「敬天愛人」と揮毫した。


脱稿

2013年08月16日 19時54分43秒 | Weblog

たかが7000文字程度といっても課題がある文章を書くと頭の芯まで疲れる。昨日の昼過ぎから書き始めてようやく脱稿した。実際にパソコンに向かったのは5時間くらいだ。それ以外の時間は内容と構成で頭を悩ませていた。今日は睡眠も不足気味だから早めに床に就くことにする。


もみの木森林公園

2013年08月15日 19時29分06秒 | Weblog

11時前に家を出た。

周防大島か「もみのき森林公園」あたりかで迷った。高陽町から商工センターを抜けて廿日市市に入ったころ「もみのき森林公園」に決まった。丸忠で肉玉うどんを食って、宮内別れから小瀬川を目指して186号線に出た。緑のトンネルが続く。なお北上を続けて「魅惑の里」から「もみのき森林公園」に入った。

「魅惑の里」の木陰は27度だった。「魅惑の里」に沿って流れる小川の水は冷たい。多くの家族連れが水と戯れていた。吉和町にある「もみのき森林公園」の気温は28度だった。もみのき壮では濃い山々の緑を見下ろした。絶景だ。呼吸もおのずと深くなってゆく。

中国自動車道を利用して山から下って可部の町に入ると、車外温度は36度と表示された。爽快なドライブを終えて家に着いたのは15時過ぎだった。

 


副交感神経

2013年08月14日 17時17分02秒 | Weblog

のんびりと坂道を下っている。おいしいラーメンを食べたいくらいの願望しかない。明日は釣竿を提げて海に行く。釣り糸を垂れるかどうか決まらない。暑かったら行かないかもしれない。行動計画をあいまいにして、その日の気分の方に流れていく。怠け者そのものに向かってさらに下ってゆく。

ようやく副交感神経の働きが活発になってきたようだ。


自分で考える力

2013年08月13日 13時01分24秒 | Weblog

「学校は教育機関というよりロボット工場のように見えた。ヒエラルキーに忠実で疑問を持たない生徒を作っていた。先生は教科書に書いてあることだけを教えていた。質問もなく、議論もなく、エッセイを書くこともなかった。その授業は生徒が真実を探求し愛すること、偏見から自由を学ぶことを目的としたものではなかった。教育は学ぶという愛を育てるものである。疑いなく、日本の教育は生徒の学習というものに対する憎悪を拡散させていた。」 池部敦著「さらば 受験の国」(朝日新書)

こういう「自分で考える力」をもった高校生が、日本の文化や風土に溶け込んでいけるかどうか。


ウォーミングアップに1冊

2013年08月13日 07時53分32秒 | Weblog

連休明けからおし寄せる仕事の波に備えてウォーミングアップを始める。重要なのは経験の再点検ではなくて理念の構築だ。辻太一郎著「就活革命」(NHK出版 生活人新書)を読む。本著は、大学制度と学生の就職について、どこが問題なのかをわかりやすく解説している。

『企業にとって重要なのは大学ではなくて「大学入試」だ。企業が大学での成績をあまり問題にしないのは評価基準があいまいで不透明だから。また大学入試を重視する理由は、入試には一定の基本的な能力(記憶力や理解力、忍耐力etc)が求められる。進学希望者のほぼ全員が全力で入試に臨んでいるので、一生懸命のレベルが高く学生個々の基本的な能力が反映されていると考えられる。大学は偏差値によって厳然とランクづけされているので個々の学生の出身校で基本的な能力を推測しやすいということだ。

日本の大学が企業に評価されない理由は、①大学での勉強が仕事に関係ないと思われている。②成績の評価基準があいまいで参考にならない。畢竟、入学試験にうかれば日本の大学は勉強しなくても済むようにできている、そこが問題だと解明する。』 「就活革命」の一部要旨

ただ留意すべきは、著者が京都大学工学部卒の元リクルートの社員である点だ。一般に学校歴エリートはものごとを図式化・単純化しがちで非学校歴エリートのしたたかさや心情に疎い。理性ともなればなおさらだ。世は情で動いているのであって理屈で動いているのではない。

実務の分野では、専門学校(中等教育と高等教育の中間点に位置する)による教育の専門性そのものに疑問を投げかける。仮に、大学が専門学校のように学生に点取り虫的な競争を促しただけで企業が求めるような人材の育成が可能になるかどうか大いに疑問だ。一般学生はこの事実を嗅ぎ分けている。

しかも著者は、他国の超エリート校と比較して日本の大学生が「自分の頭で考える力」が不足していると指摘する。自分の頭で考えることができる学生を受け入れるほど日本の企業には余裕がない。企業が求める即戦力は「自分の頭で考える力」の対局にあることを一般学生は知っている。「自分の頭で考える力」は、「理屈っぽい奴だ」というレッテルを張られることと紙一重なのだ。

大学自体が、「自分の頭で考えることができるようになるまで勉強せい。(自分の頭で考える力を育成する。)」 というドグマに囚われてしまうと企業の下僕を育成するための養成機関に堕してしまう恐れがある。では大学ではどのような教育をすればよいか、浅薄にして軽薄なあたしにゃわからない。禄を食む大学の先生方が「自分たちの頭」で考えて、その成果を実施すればいい。

以上がささやかな読後感ということになる。

 


海舟

2013年08月12日 07時00分40秒 | Weblog

勝麟太郎(海舟)について読むほどに、これまでの人物像の輪郭がぼやけていく。

海舟は貧しかったとはいえ旗本の家柄で、父親小吉がやくざまがいの遊び人であったところまでは確かなようだ。小吉は8歳の時に形だけ勝家に養子に出された。小普請(こぶしん)つまり無役だったので勝家の義祖母とその孫娘(許嫁)ともども男谷家(当主は男谷平蔵)で育てられた。

小吉(三男)の父親である男谷平蔵の父親つまり麟太郎(海舟)の曾祖父は越後出身の盲人だった。往来で凍えているところを奥医師の石坂宗哲にに拾われた。利殖(金貸し)の才能を生かして財を成した。江戸に17か所の地面を持ち水戸家だけで17万両の貸し付けがあった。曾祖父は盲人としては最高位の「検校」を手に入れ、千石取りの旗本男谷家の株を買い取った。息子の平蔵を当主にして自ら男谷検校と名乗った。その平蔵が海舟の祖父である。

著者松浦玲は、この種の話には粉飾が多いとことわりつつも、海舟の曾祖父が利殖の才(金貸し)に長けた盲人であったという事実、当時、蓄財しだいで幕府直臣団である旗本の身分をかなり自由に売買(たとえば、養子縁組をして持参金として支払う)できたという事情は、海舟個人の性格を考えるうえで前提にしておく必要があると指摘している。