旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

日照

2009年07月18日 22時48分53秒 | Weblog
早朝から市民農園に出かけて草むしりに励んだ。そして2時間ほどの作業で3抱えほどの雑草の山を築いた。農業を志す者として雑草が生えるのを放置するわけにはいかない。

「親がなくても子は育つ」の喩のように一週間放置しても次から次へと野菜は実を結ぶ。今日も、とても食べきれないほどの収穫である。特にインゲンやキュウリは惚れ惚れするほど形のよい実をつける。

完璧な有機農法である。農薬や化学肥料は使用していない。この1週間は雨と曇りの日が多かったので、日照不足のせいかナスの成長が少し悪いように感じる。

ピーマンの茎が一段と太さを増している。しっかり根を張って多くの花や若い実をつけている。夏の日差しが続けばよい収穫ができることであろう。

やはり日照不足から少し元気がないトマトは、幸運にもカラスにやられていない。雨避けをやっていないのでひび割れが生じているものの味は良い。作業中は赤い完熟トマトについ手が伸びてしまう。

落花生は黄色い花をつけ始めた。オクラも実をつけ始めた。


軟禁

2009年07月16日 22時46分46秒 | Weblog
官署に専門職として任用された。即戦力が期待されているといっても、コンピュータが官署に固有のソフトを使用しているので、まず、そのソフトの使用法から学ばなくてはならない。職務はコンサルタントであるから一通りの研修を終えれば、あとは面の皮の厚さと皺の数でなんとかなる。ところが、その結果をコンピュータに入力する際に躓く。随分とシステムが古めかしいのだ。

任用されて早くも2週間が経過しようとしている。市民の皆さんを相手のコンサルティングの方はどうにかこなせるようになった。日に10名ばかりの市民の皆さんの相談相手になっている。ところが、イレギュラーなコンサルタントの結果をコンピュータのデータベースに反映させようとすると苦労する。入力に融通が効かないことが原因の一つである。

もともと時間に拘束されるのが嫌で営業の仕事を長く続けてきた。せめて自分の時間だけは自分で管理したかった。現在は時間に縛られている。元同僚のほとんどの皆さんは、朝の7時過ぎに家を出て8時前に職場に着き、5時までデスクワークをするような仕事が私にむいていないと思っていることだろう。ところが、意外にむいていることを発見して本人すら驚いている。年のせいなのであろう。時間はたおやかに流れた方がいい。

自宅からかなりの高低差があるJRの駅までの1.5キロを歩く。午前7時前後といっても夏場である。駅に着くころには汗が体中から噴き出す。公務員への転身は毎朝の出勤のためにこの難路を歩かざるをえなくなって、メタポ対策ができるようになったことと、これまでとは違って昼食を官署内でとるため、日中は実質官署に軟禁状態で外出もままならない。従ってお金がかからない。転職の効用はこの2点に尽きるといっても言い過ぎではないような気がする。


農作業と収穫

2009年07月12日 12時14分47秒 | Weblog
早朝の4時過ぎにごそごそと起きだして未明の県道を北進した。20分ばかり車で駆けるとちょうど夜明け前に農園についた。1週間ぶりである。車道からみるとまだ網を張っていないトマトの近くに赤い実が2・3落ちている。カラスにやられたことを直感した。幸いにも悪戯をされたのは2個にとどまっていた。ほっとした。あわててトマトを収穫した。プチトマトも含め40ほどを収穫することができた。

収穫後見渡すと雑草の繁茂が激しい。先週に草むしり・草取りをしたばかりだというのに農園は雑草の緑で覆われてしまっている。特に昨年休耕していた半分の緑が濃い。ひとりぽっちの農作業を始めた。一時間ほどの作業で畑は土色に変わってきた。二抱えほどの雑草の山ができた。汗だくになった。それでも爽快だ。

7時ころになって管理人の農家の方が閉鎖された農園を解放するためにやって来た。カラスが私の区画に来てトマトに悪戯することを心配していた。他の区画の皆さんは防御策を講じているそうだ。来週中に網を張る予定である旨を告げた。

キュウリも一本がカラスに悪戯されていた。カラスの場合、実を食べられるのではない。突かれるのだ。カラスの悪戯に遭ったキュウリにしてもトマトにしても嘴で突かれた跡が鮮明に残る、ただそれだけのことだ。約40㎝に過大生育した濃緑のキュウリが緑の葉のなかにカラスの嘴を連想させるえぐられた白い果肉をさらしている。「あ、やられてしまった。」という心境だが、カラスと共生できているようで少し胸が弾む。プロ農家であればそうはいかない。こちらはアマチュアなのだ。

インゲン豊作、ナス豊作、オクラもようやく花をつけ始めた。サツマイモの生育のよさは大振りな葉に表れている。落花生の葉にも勢いがある。日照が回復するとピーマンも多くの実をつけることであろう。コーンは3本ばかりが虫にやられている。来週の土曜は虫退治だ。キュウリも先々週新たに撒いた種5つが花をつけ始めた。初夏の私の区画はインゲンと先行するキュウリが勢いを失い、サツマイモそれに落花生に勢いがある。ナスとトマトが収穫の季節を迎える。

農薬や化成肥料は使用していない、完全な有機農法だ。有機でやるのだから除草剤は使わない。当面は肥料が十分に効いた雑草の繁茂に手を焼いている。2時間ほどの除草作業と収穫でひと汗かいた。山あいの農園に日が差し始める8時前に作業を終えた。キュウリがナスが各20本ばかり、トマトが10にプチトマト30、ひと抱えのインゲンが昨日の収穫である。

研修

2009年07月07日 22時20分25秒 | Weblog
自宅からのんびり歩いて20分で最寄りのJR駅に着く。駅から通勤客車に揺られて20分で広島駅だ。駅の構内から歩けば15分ほどで勤務先に着く。ウォーキング仕様のGORE-TEXのビジネスシューズだからフットワークも軽快だ。

外回りが多かった従前のビジネスとは違ってデスクワークが主体の仕事だから不慣れでかなりきついのではないかと思っていた。予想は見事に外れた。よく考えてみると6時間も7時間もぶっ通しでネットで遊んでるのだからデスクワークなんてさほどの負担ではない。

研修が続いている。土曜日の早朝に畑に出かけることと午後の読書を励みにして耐えている。とはいっても、われわれの基本的人権の一翼を担う部署である。研修はきわめて興味深いし好奇心を大いにそそられる。

岐路

2009年07月06日 23時33分45秒 | Weblog
お役所は大きく変貌を遂げたようだ。数十年も前のような厳めしさがない。この国の経済的な窮地に対して、ただ懸命に対症療法を試みている子羊たちの集団を見ているような思いに、つい駆られてしまう。守秘義務があるので詳細について述べることはできない。官庁勤めが今日から始まった。ほぼ一日が研修であった。

長く営業に従事してきた。退職してからというもの無性に公務員的な仕事に従事したくなった。そして叶った。わたしは専門職という身分の公務員としての道を歩き始めた。民間で長くやってきて何かの岐路に立たされた。そして民間の延長線上に惹かれた公務が見えてきたという印象だ。

新・哲学講義

2009年07月04日 23時57分44秒 | Weblog
『最初から「何でもあり」を決め込んでしまうのは、単なる思考の弛緩である。何ひとつ排除しない思考は思考の責任を果たすことができない。他を排除する二種類のやり方があるように思われる。ふつうにいう排除とはコミュニケーションの傲慢な打ち切りを意味するか、そうでなければ自分の見解の未熟さを糊塗する強がりを背景にしている。これとは対照的な、いわば方法論的な排除がある・・・・・。提示した内容に自信があれば、容易には他に譲らない気構えを伴うであろう。ただそれはお互いに学びつつ、納得ずくで変貌することを前提している。謙虚に学ぶことを願うなら、まず強くしなやかに自分を打ち出してみようではないか。』
新・哲学講義「別巻 哲学に何ができるか」はしがき

「新・哲学講義」全9巻(うち7巻)が届いた。哲学書にしては平明な文書で書かれている。

邦訳

2009年07月01日 21時51分42秒 | Weblog
読書を業とする学者や評論家たちとは違って凡俗が書籍を紐解き思索することができる自由な時間は限られている。だからわたしは将来読む時間が取れるようになるであろうその日に備えて懸命に蔵書(積読)しているのだ。冷静に考えてみると残された時間は自ずと減っているというのに蔵書の方は増え続けている。大いなる矛盾だ。

ヤフオク(ヤフー・オークション)に日本思想大系全67巻(岩波書店)が出品されていた。オークションの開始価格は24,800円だ。あの荘厳ともいえる体系の一冊あたりの単価が350円に満たない計算だ。結局ひとりの応札もなく入札は締め切られた。応札するべきかどうか悩んでいた。体系は既に20有余冊を蔵書している。厳選して購入したつもりである。悲しいかな神道や水戸学関係以外殆ど読んでいない有様だから応札を断念した。

来週からの就業が本の整理に入らなければならない時期が到来したことを告げている。これからしばらくは紐解く著作も絞り込んでいかざるをえない。それでも採用内定の通知が届いた安堵感から無性にアルベール・カミユの「反抗的人間」と「シジフォスの神話」を読み返してみたくなった。両者ともにわたしの労働観に大きな影響を与えた著作だ。

まず「反抗的人間」を本棚の隅から引っ張り出して読み始めた。最初から引っかかった。どのように読んでも和訳が酷い。過去に読んで感銘を受けた著作であるからすんなりと入ってくるものと思っていた。これが入ってこない。最初からつまずくのだ。

『反抗的人間とは何か?否(ノン)という人間である。しかし、拒否しても、断念はしない。最初の衝動から、諾(ウィ)という人間でもある。一生、命令を受けてきた奴隷が、突然、ある新しい命令を受け容れることができない、と判断する。この否(ノン)はいかなる内容をもっているか?』「第一章 反抗的人間」の書き出しである。

「一生、命令を受けてきた奴隷」が「ある新しい命令を受け容れることができない。」できなくなることはありえない。なぜなら、奴隷は一生、命令を受け続けて従い、そして死んだのだから。「一生、命令を受けてきた奴隷」という翻訳がこの喩の理解を妨げる。なぜカミユがかくも難解なのか。その原因は翻訳者の側にあると断じざるを得ない。若かりし頃は翻訳のこの曖昧さこのいい加減さを高尚な思想と勘違いするくらい浅薄な人間だったらしい。

カミユ全集を買うくらいなら日本思想大系を全巻揃えておけばよかったと若干後悔している。日本思想体系は原文も解説も注釈も日本語で書かれている。残念ながら原著を読む事ができるほどフランス語に強くはない、というよりもフランス語には疎い。サルトル・カミユの英訳を5・6冊もっている。邦訳で読むよりも英訳を読んだ方がはるかに解り易いと思うのは気のせいか?わたしの読書は岐路に立っている。

雇用問題

2009年07月01日 11時27分11秒 | Weblog
願望が肥大化してついに妄想かと危惧したくらいの採用内定だった。昨日、郵便が届いた。2度頬をつねってみた。痛かった。採用の内定は現実のものだった。安堵した。

昨日のニュースはしきりに雇用環境の悪化を伝えている。正社員の有効求人倍率は20%に近い。10人の求職者に対して2人分の正社員の求人しかないということだ。

ところが最近になって「空求人」が問題になっている。ハローワークに求人は出しているが雇用する気がないと判断せざるを得ない求人を空求人というらしい。

その「空求人」を考慮すると、雇用環境はさらに悪い。深刻である。昨日の報道によると、広島県の先月の有効求人倍率は54%だそうだ。この数字には非正規社員の求人も含まれている。

これでは近い将来に、いくら意欲があっても仕事に就けない人が街にあふれてしまう。