旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

歴史哲学テーゼ

2009年05月31日 00時36分12秒 | Weblog
Ⅰ 「歴史の反実在論」
過去は客観的に実在するものではなくて、「想起」を通じて解釈学的に再構成されたものである。

Ⅱ 「歴史の現象主義」
歴史的な出来事と歴史的な叙述とは不可分であり、歴史的出来事は歴史的著述の内にのみ存在する。

Ⅲ 「歴史の物語論」
歴史叙述は記憶の「共同化」と「構造化」を実現する言語的制作にほかならない。

Ⅳ 「歴史の全体論」
過去は未完結であり、いかなる歴史著述も改定を免れない。

Ⅴ 「サントリーテーゼ」(「サントリークレスト12年」のコマーシャルコピー)

時は流れない。時は積み重なる。

Ⅵ 「歴史の遂行論」
物語りえないことについては沈黙せねばならない。

岩波講座 現代思想 「1 思想としての20世紀」
野家啓一著 「7 歴史哲学の可能性と不可能性」

「単なる記憶や想起ではなく『語られたり書かれたりした』記憶や想起こそが実在的な歴史の根拠なのである。したがって歴史の基礎単位は記憶や想起に支えられた『物語行為』にほかならないということになる。歴史の女神クレイオーが記憶の女神ミネーモシュネーを母として生まれたというギリシャ神話の伝承は、歴史の基底にかかわる看過できない重要な真実の一端をわれわれに告げ知らせている。」野家啓一(改竄引用)



試験

2009年05月29日 23時08分29秒 | Weblog
今日の面接を終えて1週間もすれば採否の通知がもらえるものと思っていた。求人票にもそのように記載されていた。40分間余りの面接を終えた後に突如、さらに役員面接があると告げられた。出し抜けに2次面接の話を切り出されたのだ。

今日の選考結果は10日以内に文書または電話で連絡をするとのことである。文書なら不合格、電話なら合格だ。そして次の関門である役員面接に臨むことになる。買い手市場だから選ぶ権利は先方にある。面接を終えて眺めた都会の空は青く眩しかった。

もちろんこういうご時世だから一部上場企業のマネージャー職には雲霞(ウンカ)の如く求職者が殺到している。10日前に確認した時点で70名を超えていると聞いた。しかも該当者がいない場合には改めて選考をする。企業は強気だ。

中学のころの2クラス分の生徒(失業者)相応数が応募して1人の採用という気が遠くなりそうな選抜だ。もともと試験には極めて弱い。入学試験、入社試験、資格試験、昇進試験と種別を問わない。中学校の入試以来あらゆる種類の試験を経験した。まともに「本命」の選考に残った試しがない。

おまけに今日のニュースによると県下の有効求人倍率は空前の55%まで低下しているという。ハローワークから熱心さが足りないと言われるとようやく「そうかいな?」と思えるようになった。あんまり悲観・期待しないで謙虚に次の応募先の検討に入ることにする。下手な鉄砲の例である。

履歴書を書いて送ると書類選考にはなぜか残る。書類選考落ちの門前払いなら腹も立つ。しかし面接をして落とされた場合はご縁がなかったと諦めるしかない。最近の履歴書はワープロでよいらしい。既に6部の履歴書を送った。うち3社、1官庁、1協会は書類選考に残った。

1事務所は年齢制限に引っかかって書類選考落ち。書類選考にうかった1社は内定直前まで行ったがやはりというべきか地元の人を採りたいという求人側の翻意によってあえなく落選、勤務先は島根県であった。残りの官庁は最後の3名に名を連ねるも志望職種と求人職種がマッチしないという理由で落選。もっとも応募時は前職に在職中だった。

6月の月初には別途、書類選考にうかった某協会の面接がある。40分間の面接である旨が明記されている。官庁の外郭団体なのでなんだか怪しい。官庁の天下りか何かかで採用者は既に決まっているような気がする。

他人様が何をやろうが、運も実力の内であるようにコネクションンも実力の内だと観念しているからドーってことはない。わたしならコネクションに頼るくらいなら就職浪人を選ぶ。だからもしもわたしがうかったら、コネが決定的な意味合いをなさない選抜であったとが明らかになる、それだけの話だ。

ハローワークの話だと、若年の事務職社員の募集で40人から50人の応募がある。まともな会社が中高年社員を対象に募集をかけると、応募者が100名を超えることも珍しくないというご時世だから、畑でも耕しながら辛抱強く福音が届くのを待ち続けることにする。


面接

2009年05月28日 23時24分23秒 | Weblog
「岩波講座 現代思想」全16巻が喉から手が出るほど欲しい。決まってそうなのだが小遣いが底をつくと欲しくてならない本が現れる。「岩波講座 東洋思想」全16巻まで目にとまってやるせない。興味が惹かれる本には、鈴木大拙がいう「発散する気」がある、わがものにしておきたいのだ。手に入れることができたとして熱心に読むかどうかは大いに疑わしい、怪しい。それでも欲しい、身近に置いておきたい。

明日は求職先の面接がある。
「ご趣味は?」
「はい、読書です。」
「どのような分野の?」
「はい、現在儒学に興味を持っています。」
「はあ、なんとも古い・・・。」
「他には?」
「アルベール・カミユやニーチェを愛読しています。」
「カミユ?ニーチェ」
「読書のことではありません。他のご趣味は?」
「はい、ファーミングに釣り、ドライブといったところでしょうか。」
「ファーミング?」
「園芸といいますか、農業といいますか、野菜や薔薇を育てるのが好きです。」
「ほう、ご趣味が儒学に園芸ですか?」

「当社に応募された理由は?」
「ブレッド&バター、つまり生活のためにということになりましょうか。」
「当社に入って何かやりたいことはありますか?」
「別にありません。仕事は最小の努力で最大の効果を挙げればそれでよいと思います。そうそう、肉体労働とルーティーン化された仕事は苦手です。」
で、結局不採用が確定。

このような調子の面接になるのではないかと思う。ところが「策士はやと」は裏をかくのだ、けっこう役者なのだ。そういえば来月の上旬にも面接が控えている。求職をそれなりに楽しんではいるのだが、いつまでこのように悠長なことを言っておれるやら・・・。

見回り

2009年05月28日 00時39分02秒 | Weblog
良い天気が続く。撒いた種が気にかかったので3時過ぎに農園に向かった、予想通り畑は日照りにやられていた。インゲンの葉はちぢれスイートコーンは発育不足。ところがホウレンソウの苗がやられていない。

ホウレンソウを撒く前に種を1日水につけた後に冷蔵庫にいれておいてから撒くと発芽率が高いと管理人さんから言われた。冷たい空気を浴びた後でいきなり暖かい(というよりも熱い)土に撒かれると季節の変化を感じたホウレンソウが慌てて春の準備(発芽)をするらしい。一理ある。

ホウレンソウを撒く前にこの教訓と手続き踏むのを忘れてしまった。そこでわたしがとった手法は種をまいたあとホウレンソウの種に灼熱地獄を味あわせて、もう季節は春どころか夏なのでこのチャンスを失うと種は捨てられ、2度と子孫を残せないという恐怖感を与えるショック療法である。

種をまいて十分に散水した後にいきなり畝を透明なビニールシートで覆い放置すること炎天下で3日、4日目になってシートをとった。このホウレンソウの発芽率と発育がすこぶる良いのである。この種を捨てるという意思をどうやって種に伝えるのか?これは企業機密というやつである。

ピンポン玉くらいのトマトの実の一部が変色していた。疫病でないことを祈る。採ってトマトの遠くに捨てた。それにしてもここの畑は豊穣だ。これまでの菜園やプランターとは野菜の成長のスピードが違う。野菜の逞しさも違う。

ピーマンは既に実り始め、ナスやトマトの茎の太さや背丈は倍にまで成長した。はっきり言って、トマトにキュウリ、インゲン、コーン作りには年季が入っている。残った農園に植えるために、ニンジン、ゴボウ、大根、根切り虫やられたキュウリの種を買った。農夫はやと3週間の記録。

快眠

2009年05月25日 22時20分17秒 | Weblog
早くも2ヶ月が経過しようとしている。勤務先については2社と1協会の返答待ちだ。余熱があるうちにとか燃え尽きる前に転身するとかというもっともらしい理由をつくって前職を辞めた。ところがどっこい周知の不況で前途は多難だ。

まず年齢が拙い。この歳で正社員で採用してくれることが稀だ。たまに正社員で採用と求人票に書いてある。決まって怪しい会社だ。嘱託とか契約社員とかの非正規社員でどこかに潜り込めたらよいくらいの発想で就職活動を進めている。

営業を長くやってきた。確かにモノやサービスを売る仕事は重要である。しかしもう卒業したい。卒業させていただきたい。なにしろどこまでが給料でどこまでが接待交際費なのかが不明だ。それに日時を問わないクレームや要望の電話はたまらない。

この1か月で受けた電話は両手の指の数に満たない。前職では日に受ける数がこれを上回っていた。4時間ほどの農作業を終えて家に向かう前に確認しても電話が入っていることが殆どない。この方が精神衛生上も好ましい。

知り合いの耳鼻咽喉科をたずねて片方の鼻づまりの治療薬をもらった。快眠ができるようになった。心配していた耳鳴りも前回とは違って、単に難聴と高血圧が原因なので内科の範疇だと告げられた。胸をなで下ろしている。

タヌキ

2009年05月19日 22時53分14秒 | Weblog
キュウリの苗が3本やられた。原因は「根食い虫」らしい。管理人さんと根元を掘り起こしてみても見つからない。残りの苗も危ないようだ。「こういうことはよおあることじゃけん。」と慰められる。これが農園なのだ。家庭菜園やプランターのような具合にはいかない。

自前の苗を育てるように管理人さんから指導された。奴にやられるたびに苗を買って植えると不経済このうえない。自前で種から苗を育てることになった。育てば奴にやられることはない。奴を見つけて八つ裂きにするか、やられるたびに苗を植えかえる。奴との闘争が始まる。敵は黒っぽい姿をした青虫という風態と聞いた。

オクラがアブラムシに少々やられていることが気にかかるくらいでトマトにナス、スイカにマクワウリ、ピーマンは順調に育っている。トマトとナスは脇芽を摘んだ。インゲンとホウレンソウは一斉に芽を吹いた。サトイモはまだ芽を出さない。

気がかりなトウモロコシが成長を始めた。管理人さんにタヌキ対策について聞いてみた。「利口なけだものなので害を防ぐのは難しいわいの。ま、農園でサツマイモを育てとるけん、そこのイモを食い尽すまではここまでこんけん安心しんさい。」というご宣託である。

(なに?トウモロコシのみならずサツマイモまでタヌキから狙われている?)「いやあ、わしはトウモロコシがタヌキにやられんか思うて心配しとるんじゃが。」と応えた。管理人さんは「まあ、タヌキにトウモロコシを食べられとうなかったら周りにネットを張り巡らせてタヌキが近づけんようにしとくことじゃね。ほうよほうよ、カラス対策もやっておかんといけんよ。カラスも利口な鳥じゃけんね。」と言い残してそそくさと場を去った。管理人さんはもちろん近くの農家のひとである。

農園は山間にある。カラスが鳴くと彼方の山の中からタヌキの高笑いが聞こえたような気がした。

晴耕雨読

2009年05月17日 11時59分45秒 | Weblog
最近の天気予報はよくはずれる。先週種をまいたコーンとインゲンが心配なので、昨日の昼下がりに農園に向かった。やはり、降るか降らないか心配でならない。降らなかった場合に備えて農作業に取り組む方と立ち話になった。先達の話には大いに耳を傾けるべし。

「コーンの収穫時にタヌキがでる。このタヌキの食いっぷりが人間よりも立派で、実ったコーンをきれいにたいらげた後はそこいらじゅうに芯が放り投げてある。その芯には微塵の食べ残しもない。3~4年前のことなので何らかの対策が講じられているかも知れない。それでもコーンを植えたのなら気をつけた方がいい。」とのことである。

見渡すと確かにイノシシやシカが侵入しにくいようにフェンスが張り巡らされている。しかしタヌキやキツネなら容易に侵入できそうだ。先日農家のひとから聞いたように空からの敵なら網やら釣りの糸を張り巡らしておけばいい。四足ともなると対策に悩む。作物の防御について農家のアドバイスを受ける予定だ。

インゲンもコーンも一斉に芽を吹いた。勢いがある。もっと土作りに時間をかけたらよかったと若干の後悔が残る。キュウリ1本のみ元気がない。あとはすべて順調に根づいている。昨日施肥した熟成鶏糞が今日の雨でよく土と馴染むことだろう。天の恵みだ。

本日は「野菜の育て方」もの2冊を久しぶりに読み返す予定だ。地中に残したジャガイモの収穫は4カ月から5カ月、サツマイモに至っては2カ月と聞かされた。根菜類についてはもっと長く地中で保存できると思っていた。農家のアドバイスがありがたい。

珍しく天気予報が当たった。晴耕雨読を地でいくように本日は本を読む。

「野菜の育て方」ものを読んだ後は、「日本の名著」口語訳 安藤昌益「自然直営道」が待っている。安藤昌益は土の思想家と呼ばれる。ハーバート・ノーマンのいう「忘れられた思想家」である。封建体制を批判した。1750年台に著述に専念してから150年余りを経た明治32年になってようやく狩野亨吉によって主著が発見された。その著作こそが「自然直営道」である

キュウリにトマト

2009年05月11日 23時25分09秒 | Weblog
昨日の農作業を終えた段階で根付きが悪いトマトの苗が1本あった。気にかかって仕方ない。植替え用の苗を買ってから市民農園に出かけた。昼下がりであるにも関わらず炎天下で農作業に励む姿があった。

予想に反して苗は他と同様に若緑に輝いている。杞憂であった。近くの農家の長老が野菜の栽培について蘊蓄があるアドバイスをくれた。オクラの苗は3本仕立てになっている。3本ひと組のオクラを50㌢ほど離して植えていたら、もっと近づけた方がよいという。競わせるのだそうだ。

さらに長老は続ける。畑に行った時はそっと野菜に声をかける。できればやさしく触れてやる。それだけで豊作になるのだそうだ。野菜を慈しみ育てれば結果が出るという意味なのか、実際に植物がひとの呼びかけやスキンシップに反応するという意味なのか解らない。

その長老の知り合いの農家の方からサツマイモの苗の挿し方が間違っているという指摘を受けた。差し込み方が浅いのだそうだ。30本ばかりの苗を土中から取り出して全て埋め直した。

結果ナス8本、キュウリ7本、ピーマン4本、オクラ2本、サツマイモ30本にサトイモ5本、マクワウリにスイカ、トウモロコシ30粒にインゲン50粒でようやく7割方が埋まった。長老は早くも朝採りに夕採りといわれるキュウリの加工について教えてくれる。とても食べきれないと言うのである。

長老はホウレンソウを奨めてくれた。前日に種を水につけてから冷蔵庫で冷やす。その種を昼間に撒けば、二日間で冬から暖かい春の経験をしたように錯覚してしまったホウレンソウの種が発芽しやすいのだそうだ。

野菜たちにしっかりと水をやって畝を整え、帰り支度をすると5時を回っていた。


2009年05月10日 00時04分46秒 | Weblog
真紅の薔薇が咲いた。15cmもあろうかという大輪だ。玄関先が明るくなった。挿し木にした白くて可憐な薔薇も花をつけた。農園に出かける前にホームドクターのA先生のところに寄った。妙に血圧が高かった。

農園に出かけた。畝作りに没頭している。本日はトマト10本にオクラ2本を新たに植えた。ナスを3本追加した。サツマイの苗を30本ばかり植えてからトウモロコシとインゲンの種を撒いた。

見張はもう初夏の気候だ。やけに暑い。2区画、100㎡はさすがに広い。それでもようやく畑らしくなり始めた。水をきらすわけにいかない。何度も何度も放水をする。それでも土はすぐに乾いてしまう。

他の区画の人たちは水をやる手間のかからない作物を植えている。市内の中心部から約30キロ離れた見張まで水やりのためにだけ来るのは少々きついと利用者たちはぼやく。

めいめいが農作業に没頭する合い間に作物作りの和やかな交流がある。近くの区画の皆さんと知り合いになった。農事の会話がはずむ。ひと談義あったあとは相手も私も黙々と農作業に励む。

農園からの帰りに左の唇がしびれているような気がした。4時間ぶっ通しの農作業だった。だから、頭の細い血管でも切れたのかと不安になった。農業は体を酷使する。命がけの減量が始まった。

市民農園

2009年05月06日 22時58分36秒 | Weblog
一昨日はひたすら雑草をぬいた。そして50㎡の広さに圧倒された。畝をつくって土に牛糞を混ぜ苦土石灰を撒くころにはとうに正午を過ぎていた。さすがに残りの50㎡まで手が出なかった。

体のあちこちが筋肉痛にみまわれたので昨日は休養した。そして本日、苗を植える予定であった。指導員の農家の方がJAの苗の方が豊作が見込めると言ったので近くの農協の購買部で買おうとしたら本日は定休日であった。

気を取り直して市民菜園に向かった。残りの50㎡の草むしりと畝づくりに励む予定であった。指導員の方から耕運機の使用った方がよいと言われたので素直に従った。残りの50㎡は、3年ばかり放置された農地である。

しかし、いきなり耕運機といわれても困る。こちらは一度も使ったことがない。操縦法の説明を受けて使ってみたら意外に簡単であった。うんざりしかかっていた草取りについても耕運機で耕せばその必要がないこともわかった。

耕運機で100㎡、30坪の土地を耕すのに30分もかからないので仕事が捗る。本日は畝つくりに没頭することができた。クタクタになって帰り、シャワーを浴びて体重計に乗るとなんと75キロを切っている。農業が目論見通りメタポ対策になりそうだ。趣味と実益を兼ねるとはこういうことを言うのであろう。整備された畝に明日は苗を植える予定だ。