旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

「法に関する講話」

2006年12月31日 23時35分35秒 | Weblog



戒律とともに修業して完成された精神統一は大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。精神統一とともに修養された智慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。智慧とともに修養され心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから全く解脱する。

「ブッダ最後の旅」岩波文庫

「衰亡を来たさざる法」

2006年12月31日 23時23分37秒 | Weblog


修行僧たちが未来の世に、

『よく思いを凝らす』
さとりのことがらを修し、
『よく法を選び分ける』
さとりのことがらを修し、
『よく努力する』
さとりのことがらを修し、
『よく喜びに満ち足りる』
さとりのことがらを修し、
『心身が軽やかになる』
さとりのことがらを修し、
『精神統一』
というさとりのことがらを修し、
『心の平静安定』
というさとりのことがらを修すならば、

その間は、
修行僧たちに繁栄が期待され、
衰亡はないであろう。

        

       「ブッダ最後の旅」岩波文庫

お客様各位

2006年12月31日 21時59分17秒 | Weblog
 年末になってまことに恐縮ですが、どうにかカレンダーをお届けすることができました。本来ならばご要望等を受けたまわらなくてはならないのですが『怠け者の大晦日働き』の例のように、あちこちカレンダー配りに走り廻っておりますので叶いません。ご容赦ください。師走ですからお師匠さんですら忙しく走り廻るのが季節の風物詩であるとはいえ、**の営業マンが忙しく走り廻る姿だけは絵になりません。深く反省しております。来年こそは万事もっと計画的に動きます。
 みなさまにとって今年はどのような年でございましたでしょうか?また来年はどのような年にしたいとお考えでございましょうか?私は「来る年」をお客様のために「計画的かつ手堅く動く」営業マンになることを目標にします。お気づきの点やご要望等がございましたら下記までご遠慮なくお申しつけください。曜日にかかわらず着信を確認しだい折り返し対応させていただきます。
 ではみなさま、よいお年を。       2006年12月31日

*****㈱     **支社  *****

怠け者の大晦日働き

2006年12月31日 21時47分47秒 | Weblog
昼過ぎからカレンダーを配った。可部の桐陽台から五日市、廿日市を廻って呉まで足を伸ばしたドライブは、午後の7時で終了した。走行距離は約150キロ、ガソリンは20リットルばかりをくった。配ったカレンダーは45シート、訪問した顧客は35軒である。

この10年間というもの師走の28日を過ぎて働いた記憶はない。期するところあってこの暴挙に挑んだ。もちろん昼食はとらなかった。一気に35軒を駆け抜けた。

新しい発見があった。年末の31日の昼間、新興団地では洗車が盛んだ。午後ともなると恐ろしく車の流れがよい、というよりも車の数が極めて少ない。街は静かだ。

この2ヶ月間、悩むところがあってこころが淀んでいた。思いっきり車を走らせ、顧客の家まで車から降りて走る。数を重ねるに従って爽快さが増してゆく。ひとは考える前に身体を動かすようにできていることが解る。

考える前に言葉が出てくるような心の雰囲気、こいつが重要なのだ。

映画『ライムライト』

2006年12月27日 23時32分40秒 | Weblog
       バスター・キートン





過去の名声から転がり落ちてゆく老コメディアン。老いという現実が彼に悲しみもたらし、観衆を沸かせることができなくなっていることに悩む。

老コメディアンの助けで心の病を克服した若きバレリーナは、ついにプリマとしての名声を得る。老コメディアンに仕事はない。若きバレリーナは老コメディアンにプロポーズをする。彼は固辞する。

若きバレリーナの口利きでピエロの役をもらう老コメディアン、ピエロ役は不評で、彼はいつしか若きバレリーナの前から姿を消す。

そして再会。若きバレリーナと知人たちの助けで舞台に立つ老コメディアン。観衆の前で笑いをふりまいたあと心臓発作で倒れる。舞台で舞う若きバレリーナの姿を見つめながら老コメディアンは静かに息をひきとる。

テーマは老いと愛であろう。

ありふれたストーリーであるが、老コメディアン役を喜劇王チャップリンが演じているので妙なリアリティーがある。しかし、ライムライトのチャップリンは、老いて醜く、その口元は不気味である。

最終章で、老コメディアンの相方が演じる立ち振る舞いが強く印象に残った。バイオリンを奏でようとする老コメディアンの伴奏をする老ピアニスト役である。

目の前に置いた楽譜を何度も何度も台からずり落とすのであるが、ずり落としては台に置き直し、落としては置き直す。その様が実に滑稽なのである。

一生懸命やろうとするがうまくいかない。それでもなんとかうまくやろうとしてまたとちる。表情がないというのに骨太の演技である。

後で調べたら、アルコール中毒で自滅しかかった、かのバスター・キートンそのひとであった。


たまこ

2006年12月21日 01時45分03秒 | Weblog
女友達と焼肉を食べてから、いつものように腹ごなしに古本屋に入った。講談社らしくない「人間の知的財産」シリーズが目に留まったので眺めていた。すると女友達がニヤニヤしながら「たまこ」かあ、と吐息とも独り言ともつかない言葉ををもらした。

「なに、たまこ?」と視線を追ってゆくと、なんとそこには買おうと思っている「朱子」があった。そうだよなあ、朱の左に王か玉を置けば、珠子だよなあと思いつつ、「この『たまこ』とハイデッガーください。」とおちゃらけてみた。

店主は、口をゆがめてニヤリと笑う。「たまこですか?」「そう、このひと、朱子のことを『たまこ』と読むんですよ。」と答える。女友達には、自分に興味のないことに関しては、この程度の教養しかないことを自慢したがる癖がある。

いづれにしても、以前から陽明学について一通りの知識を得ておきたかった。知的財産シリーズは解説が中心だから、しめしめ原著に当たらずに楽して陽明学が理解できるぞとほくそえんだ瞬間、いやな予感がした。

店を出てから、「おい、陽明学は王陽明じゃないのか?」と、どこかから声が聞こえてきたような気がした。れれ、おれが買ったのは、たまこ=朱子じゃないか?オー・マイ・ガッド!後の祭りである。

コンプライアンス

2006年12月21日 00時07分52秒 | Weblog
確かに、『金儲け』と倫理との間には、一見、相関関係がないようだ。しかし、ビジネスの世界では、昨今コンプライアンスの重要性が説かれている。

「金儲け」が本質的にダーティーなものであると捉える国民性があって、ビジネスというものは、法令や社内規定のグレーゾーンを拡大解釈して、お客さんの人の良さにつけこんで成り立つものだという固有の商売性悪論(?)に対して、

ビジネスの側が、法令は遵守しているのだから何が悪いのだ、とコンプライアンスを盾に開き直る風潮があるのは滑稽だ。

『安田講堂 1968~1969』

2006年12月21日 00時05分55秒 | Weblog




一昨日に買った「安田講堂 1968~1969」を読み終えた。

68年の2月、三里塚闘争の支援に加わった学生たちを殴り続ける機動隊を止めに入った反対同盟委員長戸村一作氏が、ヘルメットをはずさせられたうえで頭を警防で乱打されて重傷を負った。この事件以降、青年たちは闘争にある種の決意を持って出るようになった。

元々は理事長の不正を正そうとしたことに端を発した日大闘争や、数年間に渡って無給に近い奉公を強いられる研修医の待遇を改善しようとした東大医学部闘争は、日本社会に深く根ざした封建的桎梏に対する闘いでもあった。ところが、この社会的な問題であるはずの闘争を不発に終わらせたのは、おとなたちの無関心にあったと著者は判断する。

安田講堂の攻防戦では、格闘のプロである完全武装の機動隊員たちが、疲労困憊した学生を追い詰め、襲いかかり、治安という名の暴行を加える。民主的な公開討論を求めた学生に対して、大学は機動隊の導入という暴力で応じたのだ。日大闘争の場合、機動隊に加えて右翼・体育会系学生までが旧体制さながらの理事長の大学統治に組した。

当時の加藤学長代行の目も眩むような閨閥に言及した後、著者である島泰三は、「日本が平等社会だと思うのは、庶民の現状認識の甘さを示している。」と喝破する。統治する側とされる側との間には、身分的な裏づけがあるとでも言いたそうであるが、蛇足とみるべきか、真実なのか、わたしには判断がつかない。

当時、暴力学生と呼ばれた青年たちの主張に対して、おとなたちがもっと理解を示していたならば、旧態然とした大学という名の高等教育機関のあり方、また、医療制度のあり方は大きく変貌を遂げていたであろと著者は断定する。

当時は、全共闘闘争の意味合いすら理解できなかったわたしであった。この著作を読み終えた今、遅まきながらこの意見に同意できる。マスコミをはじめとした傍観者たちの責任は重いと言わざるを得ない。「怖い本」であった。



昨日は、講談社の人類の知的遺産「ハイデッガー」「朱子」を買った。あいも変わらず教養の涵養に勉めている。何をかしこぶっているんだろという気がしないでもない。にもかかわらず好奇心が赴くまま、なお哲学・思想関係書を買い漁っている。



『神学大全』

2006年12月16日 11時22分40秒 | Weblog
積み上げられた本の中で、なぜか、世界の名著「トーマス・アキィナス」が目に留まった。確か、2年ほど前の年末に買ったものだ。早速、索引に目を通してみる。第12問 「神はいかなる方法でわれわれによって知られるか」、このあたりが面白そうだと思いながらページをめくってみる。

第12問の解説によると、ここまでの探求が「はじめから、絶えず啓示の光に導かれてはいるが、しかし探求領域としては、いわゆる自然理性のもとに知られうるかぎりにおける神の知であった。」のであるが、この第12問によって、「われわれの認識能力についての反省がなされるためには、神の知性ではなく、まさにわれわれ人間の知性についての考察が先立ち、前提されなければならない。」とトーマス・アキィナス自身が、自らの認識能力を反省する。やはり、重要な設問なのだ。

続いて第13問では、「神はいかなる仕方でわれわれによって名づけられるか」が問われる。「われわれのものを名づける仕方は、ものを認識する仕方に対応し依拠するという観点から、二つの問いは関連、接続している。」という。 第74問以下の人間論ともども、興味をそそられる。

それにしてもトーマス・アキィナスってほんと、人相が悪い。この点は笑える。思索型の人間って一般に人相が悪い。カントにヘーゲルが典型だ。

無常について

2006年12月15日 23時00分08秒 | Weblog
シャロン・ストーン





忘年会とクリスマス会のシーズンが到来した。昨日は第一回目の忘年会だった。一次会はよく食べて、よくしゃべり、よく飲んだ。二次会は歌い、飲んだ。ところが、三次会では昔話で躓いてしまった。

こちらは、ん十年前の恋について語っているというのにまわりが承知しない。「だから、今も好きなんじゃろ。」と横槍が入る。仲間との語らいに聞き入っていた店のママが、「はやとクンは単に、ん十年前のピュアーな恋を懐かしんでいるだけなのよ。わたしにゃ解る。」と助け舟を出してくれた。そう、そういう感じなのだ。

そりゃ、むかし好きだった女性の前に出ると、なんだか気恥ずかしいし、根が純なものだから言動がぎこちなくなろうというもの。こうゆう種類の動揺によって、ああ、やっぱり、はやとクンはアイツのことが今でも好きなんだと思われているようだ。

でも、はやとクンにしたら、これは、憧れている女優さん、たとえばシャロン・ストーンさんや森口瑤子さんにお会いできたら、きっと出るに違いないであろう症状に近いのであって、現在進行形の恋とはまったく異なる反応なのだ。

「男なら噂が静まるのを待て。他人の口に戸は立てられん!」と言ってくれた友人もかなり酔っていたようだから、どこまで理解してもらえたことやら。シャイなはやとクンはこのように、三次会で躓いたのでした。



それにしても、昨日のアルコールで、言語中枢をかなりやられたようです。言葉が容易に出てきません。


『帰去来の辞』

2006年12月13日 23時23分33秒 | Weblog

月刊の「文芸春秋」を読んで、久しぶりに誤植を発見した。現在はオフセット印刷だから、活版印刷並みに誤植という言葉がふさわしいのかどうかは解らない。だがしかし、その一文字が誤って印刷されているようだ。

ごくたまに朝日新聞の誤植を見つけるし、よく読まれている民法の教科書で誤植を見つけたこともある。さらにその昔、高校世界史の教科書中に、地図の誤りを見つけたことがある。印刷物のあら捜しを趣味としているわけではないが、こういうのを見つけるとワクワクする。自分でも困った性癖だと思う。

「文芸春秋」2007年1月号264ページ、2段目右から3行目から5行目、『帰去来の辞』の冒頭の一文。「帰んなんいざ、田園まさに蕪れんとす、なんぞ帰らざる。」となっているが、もちろん「帰りなん、いざ、・・・。」が一般的。「帰んなん、いざ、・・・。」は例外的。稀な例外を採用したものなら誤植とはいえない。だから今回は少しばかり弱っている。





              
歸去來兮辭  陶淵明
               
歸去來兮 田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役 奚惆悵而獨悲
悟已往之不諫 知來者之可追
實迷途其未遠 覺今是而昨非
舟遙遙以輕 風飄飄而吹衣
問征夫以前路 恨晨光之熹微
乃瞻衡宇 載欣載奔
僮僕歡迎 稚子候門
三逕就荒 松菊猶存
攜幼入室 有酒盈樽
引壺觴以自酌 眄庭柯以怡顏
倚南窗以寄傲 審容膝之易安
園日渉以成趣 門雖設而常關
策扶老以流憩 時矯首而游觀
雲無心以出岫 鳥倦飛而知還
景翳翳以將入 撫孤松而盤桓

歸去來兮 請息交以絶遊
世與我以相遺 復駕言兮焉求
悦親戚之情話 樂琴書以消憂
農人告余以春及 將有事於西疇
或命巾車 或棹孤舟
既窈窕以尋壑 亦崎嶇而經丘
木欣欣以向榮 泉涓涓而始流
羨萬物之得時 感吾生之行休

已矣乎 寓形宇内復幾時
曷不委心任去留 胡爲遑遑欲何之
富貴非吾願 帝郷不可期
懷良辰以孤往 或植杖而耘
登東皋以舒嘯 臨清流而賦詩
聊乘化以歸盡 樂夫天命復奚疑


歸去來の辭

歸去來兮(かへりなん いざ)  田園 將(まさ)に蕪(あ)れなんとす  胡(なん)ぞ 歸らざる
既に自ら  心を以て 形の役(えき)と爲し  奚(なん)ぞ 惆悵して  獨り悲しむ
已往の 諫めざるを  悟り  來者の 追ふ可きを  知る
實に 途(みち)に迷ふこと  其れ 未だ遠からずして  覺る 今は是(ぜ)にして 昨は非なるを
舟は 遙遙として  以て 輕し,風は 飄飄として 衣を吹く
問ふに 征夫の 前路を以ってし  恨む 晨光の熹微なるを
乃(すなは)ち 衡宇を 瞻(あふぎ)み  載(すなは)ち 欣び  載(すなは)ち 奔(はし)る
僮僕 歡び迎へ  稚子 門に候(ま)つ
三逕は 荒に就(つ)くも  松菊は  猶ほも 存す
幼を攜へ 室に入れば  酒 有りて  樽に盈(み)つ
壺觴を引きて 以て 自ら酌し  庭柯を眄(なが)めて 以て 顏を怡(よろこば)す
南窗に倚りて  以て 傲を寄せ  膝を容るるの安んじ易きを 審らかにす
園は 日ゞに渉って 以て 趣を成し  門は 設くと雖も  常に關(とざ)す
扶老(つゑ)を 策(つゑつ)き 以て 流憩し  時に 首を矯げて 游觀す
雲 無心にして  以て 岫(しう)を出で  鳥 飛ぶに倦(う)みて  還(かへ)るを知る
景 翳翳として 以て 將(まさ)に入らんとし  孤松を撫でて 盤桓とす


歸去來兮(かへりなん いざ)  交りを息(や)め 以て 遊びを絶たんことを  請ふ
世 我と 以て 相ひ遺(わす)れ  復(ま)た 駕して 言(ここ)に 焉(いづく)にか求めん
親戚の情話を 悦び 琴書を 樂しみ  以て 憂ひを消す
農人 余に告ぐるに  春の及べるを 以てし  將(まさ)に 西疇に 於いて 事 有らんとす
或は 巾車に命じ,  或は 孤舟に棹さす
既に 窈窕として 以て 壑(たに)を尋ね  亦た 崎嶇として 丘を經(ふ)
木は 欣欣として 以て 榮に向かひ  泉は 涓涓として 始めて流る
萬物の 時を得たるを  羨み  吾が生の 行くゆく 休するを  感ず


已矣乎(やんぬるかな)  形を 宇内(うだい)に寓すること  復(ま)た幾時ぞ
曷(なん)ぞ 心を委ねて  去留を 任せざる  胡爲(なんす)れぞ 遑遑として 何(いづく)にか 之(ゆ)かんと 欲す
富貴は  吾が願ひに 非ず  帝郷は  期す 可(べ)からず
良辰を 懷ひて  以て 孤り往き  或は 杖を植(た)てて  耘す
東皋に 登り  以て 舒(おもむろ)に嘯き  清流に 臨みて  詩を賦す
聊(ねが)はくは 化に乘じて  以て 盡くるに歸し  夫(か)の天命を 樂しめば  復(ま)た奚(なに)をか 疑はん



『縛られたプロメテウス』

2006年12月09日 16時04分12秒 | Weblog

アイスキュロス作のギリシャ悲劇である。

その昔、無知蒙昧な人類を哀れんだプロメテウスが、天上から神々の火を盗んで人類に火を与えた。それがために人類はようやく文化の状態に進むことができた。この行為は厳格なゼウスの逆鱗に触れ、プロメテウスはゼウスより過酷な刑罰を科せられた。

刑の執行役として権力と権威という「無人化された神格」が登場する。また、後半ではゼウスの情欲のために苦悩する少女の物語が加わり、「ゼウスの正義」にたいする疑問が湧いてくるように仕組まれている。見事なストーリー展開でプロメテウスの桎梏が浮き彫りにされる。以下、この作品の一節。

コロスとは合唱隊のこと。
劇中ではプロメテウスの叔父の娘たちが合唱する。
場所は荒野の崖、岩山の下。
プロメテウスがゼウスの命令によって、
岩に青銅の楔で磔にされるシーン。

プロメテウス
「親しい者には見るも痛ましい限りだろうな、私の姿は。」
コロス
「もっとなにかをしたとでもおっしゃいますの。」
プロメテウス
「人間どもに、運命が前から見えないようにしてやった。」
コロス
「そういう運命を癒すために何を見つけておやりでした。」
プロメテウス
「目が見えぬ、めくらの希望を与えたのだ。」
コロス
「とても役に立つものを人間どもにおやりでしたこと。」
プロメテウス
「ついでに、火まで人間どもにくれてやったというわけだ。」
コロス
「その日暮らしの人間どもが、今や輝きわたる火を手にしたわけで。」
プロメテウス
「おかげで人間どもは、将来、さまざまな技術を学び知るようになるであろう。」


ムム、思わず唸ってしまった。
この種の、ハッとするような表現に再々出会う。

それにしても、訳に問題があると考えるのはわたしだけか。
ギリシャ悲劇全集全4巻 人文書院 昭和35年初版、
は、学者による悪い翻訳の典型。
やはり、訳が古すぎたようだ。
上記引用は、わたしなりに書き改めてみた。


☆ 心が痛い 

2006年12月09日 10時57分11秒 | Weblog
めずらしく街は 星でうずもれた
透みきるはずの 体のなかは
氷のように 冷たい言葉で  
結ばれた糸が ちぎれてしまう

心が痛い 心がはりさけそうだ
なにも いわないで
さよならは ほしくないよ

ふたりの間に ひびわれたガラス
小さくふるえる うしろ姿も
終わりがきたのを 知らせるように  
だんだん涙に 消えていった

心が痛い 心がはりさけそうだ
なにも いわないで   
さよならは ほしくないよ
心が痛い 心がはりさけそうだ
心が痛い 心がはりさけそうだ

              作詞 リリィ

歌っていたのはカルメン・マキだと思っていた。
そういえば、あのしわがれ声、リリィに違いない。
カルメン・マキの声はもっと澄んでいる・・・。

2006年12月09日 00時08分17秒 | Weblog
明晰で透明になっていた私が、
企業組織という曖昧さの中で躓いてしまった。

ひとり奥歯を噛みしめてみる。

確かに世の中、
思い通りにはいかないものだ。

でも大丈夫、マイ・フレンド!
私はまだ立ち上がることができる。




☆ 朝日の当たる家  

2006年12月07日 01時02分19秒 | Weblog
House of the Rising Sun

There is a house in New Orleans
They call the Rising Sun
And it's been the ruin of many a poor boy
And God I know I'm one

My mother was a tailor
She sewed my new bluejeans
My father was a gamblin' man
Down in New Orleans

Now the only thing a gambler needs
Is a suitcase and trunk
And the only time he's satisfied
Is when he's on a drunk

Oh mother tell your children
Not to do what I have done
Spend your lives in sin and misery
In the House of the Rising Sun

Well, I got one foot on the platform
The other foot on the train
I'm goin' back to New Orleans
To wear that ball and chain

Well, there is a house in New Orleans
They call the Rising Sun
And it's been the ruin of many a poor boy
And God I know I'm one