旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

駄本

2014年07月28日 20時52分19秒 | Weblog

ブックオフやフタバ図書で30分ばかり眺めても購入意欲をそそられるような本がない。惰性でつい甘いものを口にするように、昨日の日曜日は角川新書「勝つ組織」(サッカー女子日本代表、佐々木監督共著)、岩波文庫「ワークショップ 新しい学びと創造の場」(著者が東大の宗教学科を出ているからかどうか、目は通してみたもののやはりなんだか胡散臭い。)、ちくま新書「世にも美しい数学入門」(藤原正彦著 この人の愛国心にはうんざりしている。)の3冊を惰性で買ってしまった。実際に読んでみたら想像したよりも、さらに面白くなかった。


ささやかな菜園

2014年07月27日 20時58分02秒 | Weblog

きゅうりの収穫期が終わった。ささやかな菜園は、普通サイズのトマトを5つばかり食卓に供してさらに、炎天下で10ばかりの大ぶりなトマトの実を育んだ。隣の黄色いプチトマトも、数えきれないほどの実をつけて朝日に輝いてみえる。ネギに青シソ、ピーマン、オクラも良く採れる。この熱射に高温多湿で野菜たちの生命が煌めいている。


通り雨

2014年07月27日 07時59分05秒 | Weblog

この2,3日というもの35度に近い高温が続いたから水遣りを控えめにしてきた。降雨は今日の午後という予報だった。ところが山沿いの気象は気まぐれだ。住宅街は早朝から通り雨に見舞われた。

 

早朝の雨

『 朝早く 雨の中 わずかのお金を握りしめ
心に痛みを抱え ポケットには砂をかむような思い出が一杯
故郷を遠く離れて 愛する人のことを想う
朝早く 雨にぬれて 行くあてもない

707が離陸準備をしている9番滑走路のはずれで
冷たい風に吹かれて 僕は立ち尽くす
酒は美味かった 女達は気まぐれだった
彼女も行ってしまうのさ とうとう彼女も出て行ってしまうんだ

エンジンが力強く響き 空高く銀色の翼が飛び立つ
彼女は西に向けて飛び立った 雲の中を彼女は飛んでゆく
朝の雨が降らないところに 太陽がいつも降りそそぐところに
三時間もすれば俺の故郷の空を通る過ぎところさ

この古びた空港は俺の気持ちをへこませる もう俺には必要ない
だって俺はここに立ち尽くしている 冷え切って 酔いつぶれて
貨物列車に飛び乗るようには 飛行機には飛び乗れないのさ
だから俺は朝の雨に打たれながら自分の道を進むのさ 』
どなたかの訳詞

 ピーター・ポール&マリー

 

Early Morning Rain

In the early mornin’ rain with a dollar in my hand
And an aching in my heart, and my pockets full of sand
I’m a long way from home, and I miss my loved one so
In the early mornin’ rain with no place to go.

Out on runway number nine, big seven-o-seven set to go
But I’m out here on the grass where the pavement never grows
Well the liquor tasted good and the women all were fast
There she goes my friend, she’s a rollin’ down at last.

Hear the mighty engine roar, see the silver wing on high
She’s away and westward bound far above the clouds she’ll fly
Where the mornin’ rain don’t fall and the sun always shines
She’ll be flyin’ over my home in about three hours time.

This old airport’s got me down, it’s no earthly good to me
Cause I’m stuck here on the ground,
Cold and drunk, as I might be.
Can’t jump a jet plane like you can a freight train
So I’d best be on my way in the early mornin’ rain.

So I’d best be on my way in the early mornin’ rain

作詞作曲 Gordon Lightfoot


特訓

2014年07月26日 06時17分35秒 | Weblog

採用試験で試されるのは、学力というよりも頭のよさに近い何かだ。「なぜ?」と聞かれたら、頭をフル回転させて蓄積された情報の中から素早く、しかも的確に応答を絞り出す、あの頭脳の働きのスピードがそれだ。インプット対策として情報の歪みを正しながら、自らが情報を組み立てていけるようになるまで特訓を続ける。7月は少々脱線してアウトプットの対策に触れた。数学の力を借りて論理的な思考について説いた。クライエントに対するアドバイスは「遅い!」「もっと思考のスピードを上げろ!」「曖昧なことを言うな!」「誰が聞いてもわかるように話せ!」「小学校の低学年レベルの算数ができないのか!」といった慈愛に満ちた言葉で彩られている。地獄の特訓は5ヶ月目を迎えた。私の特訓はすべてマンツーマン方式だ。いまだ脱落したクライエントはいない。クライエントが満足しているか、かれ彼女の要望に的確に応じているかどうか、日々の特訓での反応を参照しながら楽しく他の業務をこなしている。


炎天下

2014年07月25日 20時50分24秒 | Weblog

なんだこの暑さは。夜の帷が下りたというのに街も山も大気さえも燃え上がりそうだ。クーラーが効いた部屋でテレビを眺めながら今週を思う。週末はどこかの浜辺にでかけて潮に浸かる。明日が熱さのピークだと天気予報が告げている。

向くは別の漢字じゃないかと懸念した。若者に向く仕事=若者に適した仕事であることを辞書で確認できた。引っ掛かっていた。向く=適したであって「若者に向く仕事」という表現に誤りはなかった。胸のあたりが軽くなった。


汗疹と沐浴

2014年07月24日 21時11分33秒 | Weblog

火曜の通勤途上で太田川放水路に目をやると、白い車が涼しげに浸かっていた。車を羨ましいと思った。
この日曜日に事故があったことが報じられている。事故は私が同じ道を車で走った1時間ばかり後に起こったらしい。私と同世代のドライバーは重体だという。白い車は2日ばかり太田川に浸かったままだった。
ここのところの高温と多湿にやられた。肩から首にかけて汗疹が噴き出して参っている。


滑空

2014年07月18日 06時52分50秒 | Weblog

 

金曜日という峠にさしかかった。私が時間単位のうちで週を意識し始めたのは、いつごろのことなのか。前職では月単位、前々職では季節単位あたりを時間単位の中心に据えていたように思う。たぶん現職についたころから週を意識し始めた。
今日の午後から週の滑空体制に入る。夕方から学年の暑気払いがある。誘われたので躊躇なく出席することにした。グライダーで滑空するようにビアガーデンの喧騒を楽しむ。そして、忙しかった今週に終止符を打つ。


渥美東洋さん

2014年07月14日 21時07分02秒 | Weblog

渥美東洋さんは講義のあとでいつも学生たちに囲まれた。まるで講義を続けているかのように質疑に応えていた。英国風のダークスーツを着こなしたいでたちで、学生相手といえども直立不動の姿勢を崩すことはなかった。太く通る声で、学生ひとりひとりの目をみつめながら真剣に持論を展開した。
朝日新聞の「惜別」で紹介されているように、講義途中で退席した学生を、学外まで追いかけて連れ戻したとか、反抗的な学生に激高して辞書を投げつけたとか、刑訴の単位が取れないために卒業できない学生が泣きついたところ、「学問は、そんなに甘いもんじゃない。」と一喝したとか、30歳の半ばですでに学部の伝説だった。
「刑事訴訟法を本気で学ぶ気がない学生は私の講座を取らないように、単位を取得できないだろうから。しかも、法律学科の学生は刑事訴訟法が必修だから、本気で学ぶ気がない学生が私の刑訴
を取ると卒業できなくなる。」と断言して憚らなかった。実際に7割以上の学生に不可をつけたことがあると初回の講義で明らかにした。
その渥美さんがこの1月に亡くなったことを朝日新聞の「惜別」で今日知った。「旧満州で生まれ、その地で終戦を迎えた。公務員の父はシベリアに抑留され、母と2人の姉とともに帰国した。かって父親が住んでいた浜松市は焼け野原になっていた。」(「惜別」から)。講演ではいつも「法を理解し、法を通した平和を考えよう。」と説いていたという。
講義の中で「私は仏教徒です。」と明言したことを懐かしく思い出す。享年79歳。


カミユとサルトル

2014年07月13日 09時39分15秒 | Weblog

          
アルベール・カミユ

 

メルロ・ポンチ(メルロ・ポンティー)は1947年に『ヒューマニズムとテロル』を発表した。マルクス主義にモラルや自由主義的価値のみを対置しようとする態度を改めさせようと、当時の反共宣伝に重要な役割を演じていたケストナーの「真昼の暗黒」を批判したのだ。ポンチは同著のなかで、モスクワ裁判で処刑されたブハーリンに取材して、革命家は単に主観的潔白だけを頼りにするわけでなくて同時に他人の目から見た責任を負うているのだと主張し、プハーリンが主観的な潔白を申し立てながら自ら告発にも同意していった態度を解明した。
この著作を読んで激怒したカミユが、ポンチに向かってこの本はモスクワ裁判を正当化していると強く非難し、ポンチに近いサルトルとも絶交状態になった。(朝日選書『戦後世界史の断面(上)』「カミユとサルトル」から引用のうえ改竄。)  以前から引っ掛かっていた3日遅れの古新聞的関心「カミユ・サルトル論争」が見え始めた。仕事がひと山越えたので、久しぶりにカミユ全集「2 反抗的人間」と「6 異邦人・シーシュポスの神話」を読み返した。


走る哲人 黒い苦行僧

2014年07月10日 19時37分57秒 | Weblog

 


アベベ・ビキラ
1960年9月10日、6ヶ月の練習でローマ・オリンピックのマラソンに出場、ハダシの金メダリスト。1964年、東京オリンピックのマラソンで金メダル、2連覇。1968年、メキシコ・オリンピックのマラソンで途中棄権。1969年3月23日、交通事故で全身麻痺。「ことの初めから、すべての現実を徹底的に受け入れようと思った。」「将来のことは神の手にある。誰でも明日死ぬかもしれない。だが私は完全に治すために努力する。できるかどうか、それはわからない。立派な兵士はどんな困難も克服せねばならない。」とインタビューに応える。事故から4か月後、車椅子の姿でパラリンピックの洋弓競技に出場。翌70年夏、パラリンピックに出場、サイン攻めにあう。71年4月、ノルウェイで開かれた身障者スポーツ週間に参加、犬ぞりレースで優勝。その2年半後に永眠。死因は脳出血だったと伝えられる。41歳の若さだった。『戦後世界史の断面 (下)』「アベベ・ビキラ その栄光と死」(青木利夫)を参照抜粋


老犬で愛犬のゴンタ

2014年07月09日 21時31分00秒 | Weblog

ゴンタは今年で16歳になるミックスだ。仲介者との約束で男の春を迎える前に去勢した。ゴンタは太い声で吠えるがめっぽう喧嘩は弱い。5戦して5連敗の体たらくだ。引き取るための条件だったとはいえほんとうに気の毒なことをした。
今日は久しぶりに老犬ゴンタのお伴をして歩いた。散歩中は暗い夜空から一粒の雨もこぼれなかったというのに、わが家の庭にたどり着いたと思ったら生温く大粒の雨が降り始めた。雨に打たれながら湾岸沿いにある学園の、蒸し暑い夏を思った。