旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

「たそがれ マイラブ」 

2006年04月30日 21時31分29秒 | Weblog
            大橋純子


好きな歌がある。大橋純子の「たそがれ マイラブ」と石川セリの「八月の濡れた砂」が双璧だ。ともに昔から好きで、何回聴いても飽きないし何回歌っても新鮮だ。

ところが悲しいことに、作詞は阿久悠に吉岡治というれっきとした男性なのだ。純子ちゃんにセリちゃんが情感をこめて歌ってくれるのは、悠くんに治くんという男性の作詞家によって作詞された曲なのだ。

「サントワマミー」のアダモの例を出すまでもなく、男性が作った女性の歌はありふれている。だから、男性が作った歌だからどうってことはない・・・と考えたいのだが、この歳になると心境は複雑だ。

どうりで純子ちゃんやセリちゃんが、捨てられた身の悲しさを切々と歌うほどに、こちらまで悲しくなってくるはずだ。「たそがれ マイラブ」も「八月の濡れた砂」も、ありゃ、女性が歌う、捨てられた「男心の歌」なのだ。だから、歌詞が妙に未練がましい。

運命の神さま

2006年04月30日 09時53分39秒 | Weblog


大きな仕事が舞い込んだ。
この仕事をうまくこなせば、
1年間は遊んで暮らせることになる。

わたしのビジネスチャンスに際して、
同僚たちは決まったように、
「この世に神はいない。」と嘆くのだ。

もしも、この世に神がいれば、
わたしのような怠け者の遊び人を、
神が祝福することなどありえないというわけだ。

ところが、わたしの場合、
小さな仕事はだめだが、
大きな仕事なら、なぜかうまくいく。

無論、
この大きな仕事の成就は、
かなり難航している。
成就にはそれなりの困難さが伴うのだ。

きっと、同僚たちには、
わたしの苦悩がみえていなに違いない。




さて、この世に神がいるものかどうか・・・。

わたしは、『この』世に神はいないと思う。
だって、神は『あの』世にいるのだもの。

八千代湖

2006年04月17日 23時22分19秒 | Weblog


八千代湖に桜を見に行った。土師ダム周辺の桜の木の数は約6000本という。土師ダムに沿った道路は混雑を避けるためだろうか、なんと一方通行になっていた。凄まじい車両の数だ。

レストランや温泉、貸しサイクル前の道を走る。満開の桜のトンネルが続く。駐車場はどこも満車。工事中の土師ダムを右手に観ながら、ついに54号近くまで引き返し、再び八千代湖に向かう。

渋滞が続くので、土師ダム南岸近くの駐車場から歩くことにした。花冷えというのだろう、風も強い。歩道をひたすら歩く。大きな(ラブ)ホテルの手前に古道具屋さんがあって、若い女性が店番をしていた。狭い店内を一周したが心が動くような商品がない。

その先を湖に向かって下ると、「花水木」という喫茶店がある。2階は磨きあげられている。店の前や屋根裏部屋に陶器の展示場まで併設されている。しゃれた建物だ。

昼時を少しまわっていた。先客の後始末の為か、店が開いていない。持ち前のづうづうしさで店に入り込んだ。同伴者(女性)はトイレに直行した。

古本 アマゾン 図書館

2006年04月16日 01時42分43秒 | Weblog
昨年の暮れに『部長島耕作』のバイリンガル版第2巻と3巻をブックオフで買ってからというもの、その1巻をいろんな方法で探していた。全集や体系もの、シリーズものに欠けた巻があることが許せない性格なのである。

ところが全くの気まぐれで、アマゾン・ドット・コムで当たってみたら、第1巻どころか4巻、5巻まで揃えていることが解ったので注文した。初めてアマゾンを利用したことになる。購入の手続きはかなり容易であった。

それにしても、書斎に本が溢れて使いづらくなってきた。本の海に溺れそうである。いろいろ対策を考えてきたが手詰まり状態にある。そこで、図書館を利用することにした。広島市立図書館や広島県立図書館、広島市立大学や広島大学の付属図書館も一般に公開されているようだ。専門書は図書館を利用するに限る。

空き領域12%

2006年04月14日 00時21分09秒 | Weblog
急にPCが重くなった、といっても、重いのはもちろん操作だ。インターネットオプションのファイルを削除しても履歴をクリアしても、マイ・ピクチャーから映像をガンガン削除しても軽くならない。システムの復元にも挑んだが解消しない。HDDディスクの空き領域は、ついに本日、全領域の12%まで低下してしまった。

そこで、ファイルやフォルダのプロパティを片っ端からめくって、サイズを確かめてみる。するといたいたWindowsの近くに、おいたをする犯人じゃなくて犯フォルダが・・・。こいつが22ギガ以上を食っていたのだ。ソクトと関連がないただのフォルダであることを確認してから消去した。すると空き領域は一気に70%を上回った。

1ヶ月ほど前からデフラグをかけようと思って分析をすると、ほぼまっ赤っかだったので、いろんなひとに原因を尋ねた。古くなったのだから買い換えろとか、セットアップしかないとか、ウイルスのせいだからあきらめろだとか散々に言われた。

しかしめげずに、2時間もかけてフォルダを徹底的にチェックしたのが良かったのだ。そういえば、1ヶ月ほど前にワードを酷使したところ思うように動かなくなった。それでも作業を続けた。あれが悪かったのであろう。

やはり、自分のことは自分が一番良く知っているように、自分のPCのことは自分が一番良く知っているのである。この成功によっていっそう小生が独善的な人間になりそうで、なんだか怖い。

八月の濡れた砂

2006年04月12日 22時39分21秒 | Weblog




あたしの海を まっ赤に染めて
夕日が血潮を 流しているの
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの
悲しみさえも 焼きつくされた
あたしの夏は あしたもつづく

打ち上げられた ヨットのように
いつかは愛も 朽ちるものなのね
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの
思い出さえも 残しはしない
あたしの夏は あしたもつづく

作詞 吉岡治


霧笛が俺を呼んでいる

2006年04月12日 10時49分04秒 | Weblog
         赤木圭一郎


霧の波止場に 帰って来たが
待っていたのは 悲しいうわさ
波がさらった 港の夢を
むせび泣くよに 岬のはずれ
霧笛が俺を 呼んでいる


さびた錨に からんで咲いた
浜の夕顔 いとしい笑顔
きっと生きてる どこかの町で
探しあぐねて 渚に立てば
霧笛が俺を 呼んでいる


船の灯りに 背中を向けて
沖を見つめる 淋しいかもめ
海で育った 船乗りならば
海へ帰れと せかせるように
霧笛が俺を 呼んでいる

作詞 藤原秀行

おもいで

2006年04月12日 09時02分17秒 | Weblog



貴女と歩いたあの道に
夜霧がつめたく流れてた
何にもいわずにうつむいて
涙にくれてたあの人よ
さよなら初恋もう二度とは
かえらぬ貴女のおもいでを
淋しくせつなく今日もまた
呼んでみたのさ霧の中

貴女のやさしいほほえみも
夜霧の向こうに消えたのさ
星降るなぎさのくちづけも
今では悲しく散った夢
さよなら初恋もう一度
かえらぬ貴女と知りながら
あの日の言葉が我すられず
呼んでみたのさ霧の中
呼んでみたのさ霧の中

作詞 水島哲

スワンの涙

2006年04月11日 23時24分03秒 | Weblog



君のすてきな(シャラララ)
ブラックコート(シャラララ)
ふたりで歩く(シャラララ)
坂道に(シャラララ)
こぼれるような 鐘の音
誰も知らない ふたりの午後は
港が見える 教会の
小さな庭で お話ししましょう
いつか君が 見たいといった
遠い北国の みずうみに
悲しい姿 スワンの涙

(セリフ)
「あの空は あの雲は
知っているんだね。」

離れたくない(シャラララ)
ふたりの午後は(シャラララ)
ブラックコーヒー(シャラララ)
飲みながら(シャラララ)
街のテラスで お話ししましょう
いつか君が 見たいといった
遠い北国の みずうみに
悲しい姿 スワンの涙

作詞 橋本淳 

霧の摩周湖

2006年04月11日 22時31分52秒 | Weblog



霧にだかれて しずかに眠る
星も見えない 湖にひとり
ちぎれた愛の 思い出さえも
映さぬ水に あふれる涙
霧にあなたの 名前を呼べば
こだませつない 摩周湖の夜

あなたがいれば 楽しいはずの
旅路の空も 泣いてる霧に
いつかあなたが 話してくれた
北のさいはて 摩周湖の夜

作詞 水島哲

眠れない夜

2006年04月09日 09時13分17秒 | Weblog



眠れない夜 風が窓をたたき
手招きして 誘い水をまく
眠れない夜
金色のネオン ピンク色の壁
都会の暮らしは 底無しで
眠れない夜

憧れにつられてやてきたら
自分だけが ただ憧れてる
眠れない夜がいつまで続くやら
北の汽車から
南の船へ 乗り急いだよ
ぼくの足は こんな所で疲れた

めずらしい見世物は すぐあきて
自分だけが 珍しくなってく
眠れない夜が いつまで続くやら
手紙も書いた 日記もつけた
だけど宛名はすべて ぼくのところ
眠れない夜 眠れない夜
眠れない夜 眠れない夜

作詞 泉谷しげる

健康保険

2006年04月07日 23時24分10秒 | Weblog


按摩・マッサージ・指圧・鍼灸の場合、医師の同意書があれば健康保険で治療を受けることができます。上記の施術は1時間で4000円から7000円が相場ですから、1200円から2100円の自己負担で1時間ばかりの治療を受けることが可能です。

ところが、西洋医学が主流の日本の医師の場合、一般に同意書を書くことを躊躇します。西洋医学を学んだ者としては安易に東洋医学的治療に同意することができないというわけです。
懇意なわたしのホームドクターに同意を依頼したところ、「あなたが望むなら同意書を書くが、西洋医学を学んだ者としては不本意だ。」と言うので依頼を撤回した経験があります。

整体やカイロプラクティクの場合、健康保険の対象となる余地はありません。知り合いの某鍼灸・按摩師曰く。「あんなもの国家資格でもなんでもないのだから当然だ。」という次第です。

わたしは、ちょいと違うように思うのですが・・・。

「人は見た目が9割」

2006年04月05日 19時15分41秒 | Weblog


竹内一郎著 新潮新書「人は見た目が9割」によると、アメリカの心理学者アルバート・マレービアン博士は、人が他人から受け取る情報の割合について、次のような研究成果を発表している。

見た目・身だしなみ、仕草・表情   55%
声の質・大きさ、テンポ        38%
話す言葉の内容             7%

学校教育では「言葉」だけが「伝達」の手段として教えられる。だから7%を全体と勘違いしている人が生まれる。たとえば、「本をたくさん読む人」が「たくさん勉強している人」という錯覚が生まれる。「本をたくさん読む人」が必ずしも「情報をたくさん摂取している人」ではないのである。(p18・19)

・・・まるでショウペンハウアーのようなことを言う人だなあ。伊集院氏は7%で夏目雅子を口説いたのでしょうね?