今週最後のご奉公日だ。残った力を振り絞って仕事に向かう。こちらは仕事だから区切りがつく。ところがクライアントのキャリア構築は、私が休んでいる間も続いていることだろう。休養と充電のための土日がありがたい。
新しい職場で就職支援を始めて3年目に入ろうとしている。朝から「ワールド・オブ・ワークマップ」を眺めながら考えた。勤め人としての仕事はここが最後になることだろう、さてそれからどうするか・・・。
講談社学術文庫「徒然草」㈠㈡㈢㈣を買った。分冊は初めてだ。これで10冊目の「徒然草」になる。口語訳や訳注も出版社もそれぞれ異なっている。「論語」もそうだ。一部行方が知れないものの10冊を優に超える翻訳を蔵書している。
10数種類の注釈や翻訳、口語訳があれば、原文が古文や漢文で書かれていても兼好法師や孔子が残した古典を深く味あうことができる。原文に当たるべしという畏友もいる。時間的な制約があってもはや及ばない。
所用で久しぶりに紙屋町界隈にでた。帰りにフタバ図書で中島義道著「観念的生活」を買った。「哲学は、生きることの虚しさに飲み込まれないための、最後に辿り着いた『気晴らし』なのだ。」(「あとがき」より)。この一節がよく理解できる。
夕食後、好きなストーンズの「テル・ミー」や「サティスファクション」「ペイント・イット・ブラック」の正確な英語歌詞を知りたくなって検索をかけてみた。シンプルな詩に魅せられて、ストーンズを聞きながらひとりあのころを偲んだ。
アダム・スミスの「諸国民の富」全5冊(岩波文庫)にはカバーがなかった。100円ショップで買った文庫判クリアブックカバー(12枚入 うち5枚)でカバーをかけた。かなり貧相だった文庫本が、作業を終えたら妙に色っぽくなった。
先生がいわれた、「われとわが身に深く責めて、他人を責めるのをゆるくしてゆけば、怨みごとから離れるものだ。」「君子は才能がないことを気にして、人が自分を知ってくれないことなど気にかけない。」「話しあうべきなのに話しあわないと、あいての人をとりにがす。話しあうべきでないのに話しあうと、ことばをむだにする。」「君子は何事も自らをかえりみて反省し、小人は他人を責める。」「人間が道を広めることができる。道が人間を広めるのではない。」 金谷治訳「論語」から抜粋のうえ、一部を改竄。
子貢がおたずねしていった、「ひとことで言えて、一生行っていけることがありましょうか。」 先生は言われた、「まあ恕(思いやり)だね。自分の望まないことは人にしむけないことだ。」 金谷治訳「論語」から引用のうえ、その一部を改竄。
「論語」は人たるものはいかに生くべきかについて述べた孔子の言行録だ。一編一編が心に沁みわたる。今週だけで3度「論語」を読み通した。孔子の生き方はしぶとくてしぶい。私もあやかりたい。
今回で3度目になる。県対抗男子駅伝出場選手のコース伴走ドライバーや送迎を手伝っているうちに3日間が過ぎた。昨日は宮島口の「うえの」で岩手県の選手たちと同じ釜の穴子を喰って、今日は沿道から応援した。
昼間に高校の器械体操部でいっしょに汗をかいた故人の仏前に手を合わせた。昨夜は高校同窓の親睦会があった。いつの間にやら親睦会のメンバーに迷い込んでしまったようだ。小中学校に大学を含めると、小中高大同窓のすべての親睦会に首を突っ込んでいることになる。年輪を重ねたひとりひとりの面構えや体型に時の経過を思う。
女友達からなつかしい電話があって話が弾んだ。デスクワークから4日間離れてお日さまの下で呑気に過ごした。これだけで十分に幸せだった。昨日の深夜に高倉健の映画「網走番外地」を見た。丹波哲郎演じる保護司が底抜けに善良で、服役者たちはやんちゃだ。
立ち読みで、上巻の目次、「 Ⅰ現代社会とカウンセリング Ⅱ カウンセリングにおける家族の問題 Ⅲ不登校のカウンセリング Ⅳいじめとカウンセリング Ⅴ 事例研究の大切さ Ⅵ カウンセラーの責任と資格 」 に惹かれるところがあった。
何年か前に、かれの風貌のように「癖がない」著作を数冊は読んでいる。淡々とささやくような文体に何の感銘も受けなかった。先週の金曜日に立ち寄ったブックオフで、河合隼雄著 「 カウンセリングを考える 」 上下2冊を買った。
『 言い聞かせている人というのは言われる方に、本当は金を払って言うべきだと思うんですけどね。言ってる方が楽しんでいるのですから。そういうことがわかってくると、それをやめてただ待っているようになる。われわれはそれができるからカウンセラーになっているわけです。 』 という謙虚さに少々驚いて、一気に上巻を読み通した。
19日に広島市および近郊で県対抗の男子駅伝がある。例年、岩手県の選手団が早めに広島に入ってコースを試走する。そのチームの監督かコーチ付きのボランティア・ドライバーを始めて3回目になる。この連休が明けたら火曜・水曜に出勤してのちは選手団と広島岩手県人会付きのボランティアに励む。
数か月前に送られてきた重い段ボール箱を開けずにそのままにしておいた。朝日新聞社の「昭和史」全20数巻の下敷きになって、取り出して中身を確認するのも億劫だった。たまたまヤフオクを眺めていたらかれの本がオークションにかけられていた。かれ=フロイトの著作集に違いない。昨秋から多くの本を買い進んでいる。なんとしても本の整理を急がねばならぬ。
久しぶりに日本経済新聞を読んでいたら、これまでより解雇要件を緩和する改正や、雇用期間の定めがないアルバイト社員に対する同一労働、同一賃金の原則を拡大する改正等が進められていることを知って少々驚いた。
だからというわけではない。アップ・トゥー・デイトな読書もたまにはよいと思って古本屋を漁る。買い出しに1時間を要した。表題のみ記すと「団塊の世代とは何だったのか?」「勉強しろと言わずに子供を勉強させる法」「住まい方の思想」「住まい方の実践」「やっぱりバカが増えている」「僕が2ちゃんねるを捨てた理由」「行儀よくしろ。」「人格障害かもしれない」「こころがフッと軽くなる瞬間の心理学」「職業とは何か」「ダイエットに強くなる」の計11冊を買い込んだ。〆て924円也、定価だと7、8千円はする。出かけるたびに思う。古本の世界では恐ろしいばかりのデフレが進んでいる。
新書の場合この数年というもの、読ませるための努力をしていることが窺える。文体はともかく以前の新書と比べるとずいぶん読みやすくなった。内容によってはものの1時間で読めるものもある。「ダイエットに強くなる」を読み終えるのに1時間もかからなかった。少々はまり気味の小濱逸郎著「やはりバカが増えている」についても、かれの思考の癖がよめていることもあって難しいことを言っている割には馴染みやすい。就寝前の2時間ほどでひと通り目を通した。相も変わらず純粋な人だ。「団塊の世代とは何だったのか」は好みの週刊誌的読みやすさで悪くはない。本人が団塊の世代の一員なので読み始めたものの感動が薄い。私の経験談のほうが面白いのじゃないかと、つい思ってしまう。
年が明けた。今日は1月の2日だ。年末に風邪をひいてのどの痛みと微熱が続いた。とにかく床について眠れるだけ眠ったら、ようやく治まった。
儒学の世界には副交感神経の働きを高める効果があるようだから、なお四書(論語 孟子 大学 中庸)の精読を続ける。副交感神経の働きを高めるために鼻呼吸を意識する。第二の心臓といわれるふくらはぎの鍛錬をして心臓の負担を下げる。摂取エネルギーと消費エネルギーを意識しながら適度のスポーツで汗を流せば減量できる。これらを達成できたら血圧は下がる。
血圧を下げるために副交感神経の働きを高め、交感神経の働きを抑える方法を探求して実践する。これが今年の努力・・・、目標だ。