旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

読書に没頭

2008年05月31日 18時33分37秒 | Weblog
久しぶりに暇を持て余したので読書に没頭してみることにした。

小林毅著「近代日本の陽明学」との兼ね合いで岩波日本思想体系「水戸学」の本文ではなくて尾藤正英の「水戸学の特質」という解説を読んでみた。内容が「近代日本の陽明学」と酷似、エピソード2「国体論の誕生」は尾藤の解説を読めば私にだって書ける。主要参考文献として挙げているから「ま、いっか!」。学者なんて油断もスキもあったものじゃないという実感を抱く。これじゃまるで「水戸学の本質」のダイジェスト版だ。

先週、ENDO "GILENCE" A NOVEL、遠藤周作「沈黙」の英訳を手に入れた。たまたま"GOOD NEWS" BY A MAN NAMED MATTHEW」(マタイによる福音書)を英文で読んでいる。たとえば「求めよ、さらば与えられん」で有名な章、英文だと
"Ask,and you will receive;seek,and you will find ;knock,and the door will be opened to you.For everyone who asks will rceive,and he who seeks will find,and the door will be opened to him who knocks.Would any one of you fathers give his son a stone,when he asks you for bread?Or would you give him a snake,when he asks you for bread?"As bad as you are,you know how to give good things to your chirdlen.
となる。明快である。「沈黙」の少なくともクライマックスは英文で読むことを心に決めている。

加藤周一著「富永仲基異聞」、なんと加藤周一が書いた戯曲である。口語訳ではあるが富永仲基」の著作は「翁の文」と「出定後話」の一部は読んでいる。プロローグはいきなり作者である加藤と本居宣長とのやり取りから始まる。この書は戯曲仕立てなのである。

明治15年広島市生まれの鈴木三重吉著「古事記物語」。カバー画は富岡鉄斎(東京国立博物館蔵)。童話作家だからというわけでもなかろうが全編漢字には読み仮名がふってある。古事記は神々の固有名詞が多いので助かる。常用漢字と現代仮名遣いに改めた以外は原文通り。とにかく読み易い。

網野善彦著「『日本』とは何か」
いきなり東アジアの地図の上下(南北)をひっくり返して、「日本海は大きな内海だった。」と解説する歴史学者網野善彦は、日本国という国号、国の名前が7世紀の末に決まったということで研究者たちの見解が一致していると述べる。ところが、ほとんどの国民はこの事実を認識していで国家・国旗法について論じる奇妙さを指摘する。

また、戦前の紀元節、神武天皇が即位した日というまったくもって架空の日を「建国記念の日」と定めるような虚偽で満ちた国を愛することができないとことわったうえで、日本が単一民族国家ではなかったことに言及してゆく。通年では孤立した島国であったとされる日本列島が、実は東アジアに開かれた多様性に富む地域であったことを様々な資料をもとに執拗に繰り返し検証してみせる。

ご高齢のせいか文に切れがなく、まどろっこしく退屈なのである。が、これまでに読んだことがないような種類の発想に満ちた歴史書であることだけは間違いないようだ。

文芸春秋編「私の死亡記事」はなかなか面白い。固有名詞の記憶が苦手なのでついいましがたページをめくって100ほどの死亡記事のうちでもっとも気に入った記事を確認した。鹿島茂、概略は以下の通り。わたしと同い年である。>>大学、大学院を通じて専門の勉強はほとんどやらなかった。フランスで古書に魅せられて返済のことなど一切考えずにすべてのお金を古書に費やす。ものを書いて借金を返そうとしたが、書けば書くほど古書を買う必要が生じ、ついぞ悪循環を断ち切ることができなかった。平成大地震の際崩れ落ちた古書の下敷きになって死亡。墓碑銘は「借りた、買った、書いた」<<というのだから呆れる。もちろん鹿島茂さんは健在である。あくまで本のテーマは「私が書く私の死亡記事」なのだから。


RE CREA Style 「リクリエ」

2008年05月31日 18時03分38秒 | Weblog
「リクリエ スタイル」という小冊子がある。TAKE FREEと表紙に書いてあるから無料だ。なんでも中国新聞社の購読者が加入できる「ちゅーピーくらぶ」の会員を対象にした冊子であるらしい。

先週だけで同僚や知人、友人を含めて十数人から連絡があった。実をいうと小生、何かの間違いでこの小冊子に登場しているのである。写真を見た男性軍からは「狸みたいな写真」だの「最近太った?」だの「シワが増えたなあ」だのと打たれっぱなしである。「本文の方はどうだった?」と問いただすと、「難しくてわけ解らねえ」とか「王陽明って誰?」とか「読むのが精いっぱいで、何が書いてあるのかよお解らん、もっと易しく書け」とか夜郎自大である。

反面、女性からの評判がよいことには少々気を良くしている。「へー、ちゃんとした文章書けるんだ」というお褒めのお言葉「勉強になったと母親が申しておりました」という丁重で他人行儀なお言葉「もっと小理屈をこねるのかと思ってたら、すっきりとした文章書いてるね」という励ましのお言葉「痴性派じゃなくて意外に知性派なんじゃね」という思わずこちらが嬉しくなるようなお言葉、その他多くの好意的な読後感をいただいた。

ここに謹んでお礼を申し上げます。みなさまご拝読ありがとうございました。

「燃えあがる緑の木」

2008年05月25日 01時01分29秒 | Weblog
大江健三郎の「燃えあがる緑の木」三部作のうち第一部「『救い主』が殴られるまで」と第三部「大いなる日に」それにシリーズの続編「宙返り」上・下を買った。第二部「揺れ動く」ハードカバーはamazonの中古で送料370円、定価1円で多数が売りに出されている。買うかどうかを決めるのは第一部の読後になる。

20歳を過ぎた頃、高橋和巳の「邪宗門」を読んで小説の面白さに目覚めた。おそらくは大本教に取材したと思われる「邪宗門」と「燃えあがる緑の木」は共に新興宗教の盛衰を題材にしている。もともと宗教の成立過程に好奇心が旺盛なので代表的な鎌倉仏教の経典は揃っているし、原始仏典から聖書、コーランに至るまで蔵書は豊富だ。数年前には大本教の出口王仁三郎著作集まで買い揃えた。この種の小説には親近感を覚えるのだ。

大江健三郎は浪人時代に初めて読んだ。浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢に取材した「セブンティーン」という小説は右翼の青年の心理を巧みに捉えて見事であった。学生時代のゼミでは「厳粛な綱渡り」という評論集と「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「万延元年のフットボール」という暑苦しい小説を2篇読んだ。小説の方は何が言いたいのかさっぱり解らなかった。まるで酔っ払いが書いたような文体に呆れた。のち天皇制に取材した「みずから我が涙をぬぐいたまう日」に至ってはまるっきり小説の意図が読んで取れない。ノーベル文学賞を受賞した後も大江の作品を読む気がしなかった。

それにしても大江健三郎のハードカバー4冊が無残にも古本屋の105円コーナーに並べられているのには少々ショックを受けた。ここまで活字離れが進んだのか、それとも供給過剰なのか。「朝まで生テレビ」の論客たちが集う「リアル国家論」、文章が解りやすいという理由のみで信奉する経済学者岩田規久男著「デフレの経済学」ともども買い求めることにした。新本同様の6冊が〆て630円である。

「燃えあがる緑の木 第一部 『救い主』が殴られるまで」の第7章「燃えあがる緑の木」から読み始めた。なかなか読みごたえがある文体だ。大江が回り道をしていたのか、わたしが大江に追いついたのか定かではない。多分後者の理由であろう。暫くはこの長編5部と取り組んでみようと思う。僭越ではあるが、改めてノーベル賞作家である大江健三郎が「裸の王様」なのかどうかこの目で確かめてみることになりそうだ。


水戸学と三島由紀夫

2008年05月24日 09時35分44秒 | Weblog
小島毅著「近代日本の陽明学」の中に、震災にあって崩れかかった家屋の下敷きになった母親を救い出そうとして、藤田東湖が梁の下敷きになって圧死したことが記されている。攘夷派の頭目であった東湖が急逝したことによって藩に内紛が生じ、江戸にいた水戸藩主水戸慶篤に代わってその内紛を収拾するために派遣されたのが常陸宍戸藩主松平頼徳であった。

松平頼徳は過激派「天狗党」と対立する穏健派「諸生党」と一戦を交えて幕府の介入を招いた責任を取らされて切腹させられる。東湖の遺児である天狗党の藤田小四郎も処刑された。松平頼徳の妹の高子(高姫)は6年間座敷牢に置かれ。のち幕臣永井家の後妻に入って夏子という娘を産む。この騒動から60年後の大正14年に夏子に初孫の平岡公威(三島由紀夫)誕生。血筋でつながる三島と水戸学との因縁である。

小島毅著「近代日本の陽明学」

2008年05月24日 01時01分02秒 | Weblog
紀伊国屋で小島毅著「近代日本の陽明学」が目に止まった。立ち読みをしてみた。この種の本にしては文章が明快なので買った。この書は、江戸時代末期の大塩中斎の反乱に始まり三島由紀夫の割腹に至る時代を通じて、儒学の素養をもつ知識人たちがどのように陽明学と関わったかを明らかにしようと目論んでいる。

「三島由紀夫と陽明学」の解明に際して、ニーチェが「悲劇の誕生」の中で明らかにした、アポロン的な表象とディオニッソスな行動という表現が、突如として躊躇もなく出てくるところには少々戸惑った。が、学者の著作にしては全般に表現が易しくヒュウモアに富んでいる点は大いに好感が持てる。

後半に至り、三島由紀夫(平岡公威)と山川菊枝(社会主義者山川均の妻)の家4から5世代前に水戸学や水戸藩の指導層に属する先祖がいることに着目して、日本の陽明学が水戸学と深く関わってきたことを解明してゆく。

三島の陽明学は予想通りというべきか余りに付焼刃的であったことを明言されている。三島が大学アカデミズムの陽明学研究においてその業績に言及されることのない安岡正篤にあてた書簡は、「書斎派の朱子学に対する敵愾心に溢れ、『知行合一』の陽明学に東洋の真髄をみる立場」に立つ。幕末以来の日本陽明学の心性を見事に表現していると言わざるを得ないと括る。

2時間ほどかけて流し読みをした。勤務先の近くに記念館がある頼山陽、水戸学の藤田東湖、大川周明あたりに興味がもてた。久しぶりに井上哲次郎や内村鑑三、新渡戸稲造の思想の片鱗に触れもした。

また、水戸といえば「大日本史」の編纂事業でのちに藩を疲弊させた天下の副将軍二代目水戸黄門が著名である。中納言に任官した者のことを中国では「黄門」と呼ぶ慣わしがある。水戸藩主で中納言であればみんな水戸黄門なのである。

したがって江戸時代を通じて水戸黄門は7人いた、かの黄門様は2代目なのであるとテレビでいっていたと小島はいう。例えばこのように思想を語る表現が実に気さくなのである。

文部科学省科学研究費補助金を受けてこの軽さ。この明快さ。我が国のアカデミズムもようやく雪解けの季節なのであろうか。経歴によると小島毅はわたしよりひとまわり年少の東京大学大学院人文科学研究科の助教授である。


ゴルフ

2008年05月16日 23時50分13秒 | Weblog
豊平の山中はフジが鮮やかな藤色に佇んでいた。新緑が萌えていた。フジや新緑とは対照的な青い芝生の上で今日は一日ゴルフに興じた。昨年末にあった中学時代の同窓生とのコンペ以来である。

思っていたよりも下手ではなかったことを自覚できる程度のスコアーである。久しぶりにいい汗をかいた。平日であれば流川のスナックに座っただけで請求される料金で半日を存分に楽しむことができた。

前が詰らないし、後ろから追い上げられない。ゴルフをやるならやはり平日がよい。プレイ後はのんびりと湯につかって娑婆を忘れる。湯上りのトマトジュースは格別だ。


「魏志倭人伝」と「三国志」

2008年05月13日 18時34分15秒 | Weblog
以前から心のどこかにひっかかっていた。「魏志倭人伝」の魏は三国志時代の魏、すなわち敬愛する曹操が統治した魏ではないのかという素朴な疑問である。気にかかりながらも確認を怠っていた。つい最近、本箱の片隅に岩波文庫の「魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」をみつけた。

ざっと目を通してみた。やはり通称「魏志倭人伝」は、西晋の陳寿が編集した『三国志』の【「魏書」巻30・東夷伝・倭人の条】の部分をさす。この条の大半は陳寿とほぼ同時代の魚蒙が記した「魏略」によっている。

劉備が「三顧の礼」をもって諸葛孔明を迎え、曹操が詩を口ずさみ、何十万という兵士たちが「赤壁の戦い」を繰り広げている時代に、極東の倭人(われらのご先祖)たちは、体中に刺青をいれ朱の顔料を塗りたくって、袋から首を出したような貫頭衣を着て、そこいらじゅうを裸足で歩き回っていたと記録されたいるのだ。

倭人は文字をもたなかったようだから、わが国にはその種類の記録すら残されていない。持前の好奇心のなせる業か、つい魚蒙という著者やその取材法について知りたくなる。

宗教

2008年05月07日 19時17分48秒 | Weblog
わたしは浄土真宗本願寺派の家に生まれたので東本願寺の門徒ということになるのでしょうね。先週郷里で2度檀家の葬儀があって列席しました。決まって経典である無量寿経や阿弥陀経の読経があるのですが、いまだによく理解できません。蓮如「御文」の「御拝読」の方がはるかに解りやすい。

上記のように最近になってようやく漢文の読み下し文に慣れてきたので、改めて「教行信証」の一部でも読んでみようかなという気持ちになりつつあります。好みで言うと同居人の曹洞宗の方が肌にあっているような気がします。しかし郷里は真宗安芸門徒の牙城ですからなんとも、檀家を抜けると実質村八分ですからね。

旅愁

2008年05月07日 19時09分54秒 | Weblog
あなたをさがして ここまで来たの 
恋しいあなた あなた 今どこに 
風にゆれ 雨にぬれて 
恋は今も今も 燃えているのに 
ああ・・ 
白いほほえみも うしろすがたも 
遠い夢の中 あなたはいない

わたしの夜空に 星は見えない 
あなたに逢える 逢える その日まで 
鳥は飛び 鳥は帰る 
それはいつもいつも 花の咲く頃 
ああ・・ 
白いほほえみも うしろすがたも 
遠い夢の中 あなたはいない

片桐 和子 作詞