旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

廉売

2008年03月31日 22時44分02秒 | Weblog
大手町のブックオフがこの29日・30日に半額セールをやった。目をつけていた本がこの廉売で他人の手に渡ると後悔することになるので、少々慌ててPETER BEALES著「CLASSIC ROSES」を前日の金曜日に買った。前から狙っていたのだ。

この「CLASSIC ROSES」の値段は1550円である。翌日ならば775円で買える。ところが古本好きは鼻が利く。しかも、なぜか似たような本を好む。決断に躊躇しているうちに目をつけた本が売れていたという苦い経験を何度もしている。翌日から廉売である。迷いはなかった。そそくさと買った。

帰宅後、amazonで調べてみたら古本で1万円以上の値がついている。1998年出版時の定価は65ドルである。

廉売日の30日の夕方になってブックオフに寄ってみたら、なんと研究社の英和大辞典第六版があった。最新版でどうみても未使用の新品である。定価18000円に7200円の値がついている。105円本以外がすべて半額だから3600円だ。日本国語大辞典全20巻の縮刷版を5000円で買った時と同様の感動を覚えた。迷わず買い求めた。

帰宅後、気にかかる英単語を引いてみた。辞書用例を読むだけで楽しい。有罪を意味するguiltyという単語のスペルがなかなか出てこない。courtやjudge、lawyerと引いてみてようやく見つけた。こういうのも最高の暇つぶしだ。貴重な時間が流れた。


難しい話

2008年03月26日 00時01分53秒 | Weblog
もともと素養がないのであるから当然といえば当然である。王陽明全集全十巻の読破が遅々として進まない。手頃な入門書として吉田和男著「桜の下の陽明学」「現代に甦る陽明学」の2冊は読み終えた。ところが、吉田は副題を「伝習録(巻の上)を読む」とした「現代に甦る陽明学」のあとがきの中で、「この書籍を『陽明学の注解書』としてではなく、『陽明学を通じて現代の精神を考える書』として読んでいただければ幸いです。」と述べている。

彼が主宰する桜下塾では、テキストに新釈漢文大系第13巻、近藤康信著「伝習録」(明治書院)を用いている。明治書院の新釈漢文大系といえば「韓非子」上・下ほか数点の蔵書がある。体系は、原文(漢文)、漢文の書き下し文、通釈(口語訳)に語訳(解説)までついている。「私としては、可能な限り独自の解釈を行おうと努めましたが、その解釈および背景の解説をも含めて、近藤氏からテキストを通じて大いなる学恩を蒙りました。ここに記して、厚く御礼申し上げます。」だって?おいおい、ほんまにオリジナリティーがあるのかいな?

こういう種類の後悔が数度あって後、吉田も専門家であると認める岡田武彦著「王陽明大伝 生涯と思想」の第五巻の中に、「伝習録」中巻の冒頭にある「抜本塞源論」の口語訳を見つけた。この口語訳が実に「達意の訳」で見事であった。岡田は、まえがきで述べている。「私たち東洋の哲学思想の研究者は、彼らの生涯を詳細に知り、その体験を追体験するような立場をとって研究しなければ、西洋の哲学思想に対する東洋の哲学思想の特色を理解することはできず、その学問も活字とはなりえない。」と。

昨日、勢古浩爾著「思想なんかいらない生活」(筑摩新書)を読んだ。勢古はこの著作の中で「知識人やインテリ」と呼ばれる著名人をメッタ斬りにしている。この本を読んだ後、自分はいったい何をやってきたのであろうかと後悔の念がたった。しかし、岡田のように良心的な研究者の著作を紐解くと、自ずと後悔や知に対する疑念は消えてくる。勢古は誠実な知の探究者を攻撃しているわけではない。


上関

2008年03月25日 00時37分42秒 | Weblog
こわばった心が湯船に溶けてゆく。忘れかけていた体中の筋肉が癒される。湯上りで気分は爽快、香ばしい「ひれ酒」を4杯は飲んだ。静かな夜だ。宴会場のテラス越しに暗い海が見える。上関町の先端にあるペンション風の釣り宿「芸陽」、2度目の宿泊になる。晩の食事は毎度お馴染みのふぐ刺しに呆れるほどでかい白子、ふぐちりにひれ酒といつもの「ふく三昧」である。

最近、飲んだ後はいつもそうなのであるが、「ものぐるほし」い妄想に駆られて感情が燃えてくる。寝つけない。殆ど眠れなかった。

朝食を6時に済ませてから港をでた。船は2艘に別れた。5~6人乗りに3人だから余裕がある。小雨の中で大物を探る。きた!強い引きである。ハリスがもつかどうか。食いつき方はメバルのそれだ。バレないように竿先のしなりを利用しながらゆっくりとリールを巻く。2、3度激しく竿を引き込まれた。用心深く引き寄せる。かなりの大物だ。30センチ近い。ほごメバルであった。船長(漁師さん)の手網ですくい上げてもらった。船長の日に焼けた笑顔が良い。

釣りに熱中した後は、睡眠不足の心が軽くなっていた。「ものぐるほし」さも霧散していた。

面影橋から

2008年03月22日 10時27分25秒 | Weblog
面影橋から 天満橋  
天満橋から 日影橋
季節はずれの 風にのり
季節はずれの 赤とんぼ
流してあげよか 大淀に
切って捨てよか 大淀に

いにしえ坂から わらべ坂
わらべ坂から 五番坂
春はどこから 来るかしら
風に吹かれて 来るかしら
めぐりめぐる 思い出に
歌を忘れた 影法師

   田中信彦・及川恒平 作詞

売買

2008年03月22日 00時46分52秒 | Weblog
全身全霊を傾けて商品の説明をした。顧客は頷き契約を交わした。ところが翌日から連絡が取れない。コールバックの伝言をしても無しの礫である。2週間余りが経過した。入金の期日はとうに過ぎている。職場を訪問してみた。そこには居ないはずの本人がいた。声をかける気にもならなかった。契約の破棄に必要な書類を事務方に渡して会社を後にした。キリリと胃が痛んだ。頭がボーとした。いい歳をして泣きたくなった。その場に蹲りそうになった。

営業やセールスは物欲の権化のような仕事だ。商品を売って集金しないことには何も始まらない。顧客の欲を煽り自分の欲を煽って契約に結びつける。相手がある仕事であるから事がこちらが思うようには進まないことくらいは承知だ。それにしても顧客とは10年来の付き合いだ。気心は知れている・・・と信じた。そしてまた裏切られた。

やけ酒をあおり十分な睡眠をとってから好きな読書に親しんだ。陽明に依らずとも良知を曇らせるのは物欲であり色欲である。私はどちらかというとそのいずれに対しても欲が深い方であることは自覚している。だからといって契約の相手方が「待つ身の辛さ」を知りつつ、携帯の電源を切っていい、居留守を使っていい、コールバックをしなくていいということにはならない。

少なくとも私の方が相手方の立場ならば契約を済ませた後になってこのような仕打ちはしない。面と向かって契約を破棄する旨を担当者に伝える。そして詫びる。「売る苦労」を積んだ営業マンは(一般に)逆にものを買う側に回ると買う買わないの判断が早い。売る側の苦労を思いやっての行動なのである。

古典

2008年03月19日 23時06分02秒 | Weblog
学界に固有の事大主義というのですか、権威主義というのですか、その昔、学問を志す者に必須と思われるような書籍がありました。時代の風潮というのでしょうか、わたしが若いころは、特にマルクス、サルトル、ニーチェあたりを読んでおくことが暗黙の了解で、実存主義の入門書を手に、ああだこうだと訳のわからない議論をしていた記憶があります。その種の本ですらブックオフでは取ってくれません。売ってもいません。きっと需要がないのでしょうね。

老骨

2008年03月19日 23時04分29秒 | Weblog
勤労経験があると、なかなか理屈だけの世界(文字の世界と言ってもいい。)に安住することができません。わたしはあなたさまとは逆で、娑婆のビジネスに少々疲れてきました。この土曜に、大学院の先生に師事して東洋思想の研究を続けている方と釣りに出かけます。道中でその蘊蓄に耳を傾けてみたいと思います。御歳80歳の学徒さんです。久しぶりに、舌鋒鋭い「歎異抄」論を聴くことができそうです。

大江

2008年03月19日 23時02分13秒 | Weblog
芥川自身が今昔物語のパクリで名をなした小説家ですから賞自体が原罪を抱えているのかも知れません。大江に関してはよく友人と話すのですが、「大江って、文章下手くそだなあ。何を言いたいのかさっぱり解らん。」と誰かが言い始めたとします。「裸の王様」の世界です。「大江は何を言いたいのかさっぱり解らん。」という大合唱が始まりそうです。デビューした頃の「セブンティーン」には感銘を受けたのですが、芥川賞を受賞した頃から、もう駄目ですね。自慰の世界ですよ、彼の世界は。

2008年03月18日 22時08分21秒 | Weblog
妄想を文字で捉えようなんて、とんでもない野心をもった平野啓一郎の「一月物語」を買った。通読に30分もかからなかった。「おい平野啓一郎、これが芥川賞受賞後の第一作かよ。読者を舐めんじゃねえ。まるで泉鏡花の下手なものまねじゃねえか。三島由紀夫の文体までパクりゃがって。本代を返せ。」と叫びたくなるような衝動を覚えた。駄作である。時間の浪費であった。ハードカバーとはいえ105円の古本だから、ま、いいか。

五木寛之著「サイレント・ラブ」。ポリネシアン・セックスとやらが笑わせる。あの道はそれぞれ手探りなのだ。自分が歳をとったからといって爺風の性を若者に説く了見というものが理解できませぬ。そうそう、五木さんも天下の直木賞作家でした。通読に5分。

そういえば、骨太の思想家である王陽明について書かれた、岡田武彦著「王陽明大伝」の2巻と3巻を急いで購入しなければ。実感として「青年老い易く、学成り難し」なので、せめてあの世に行くまでには、「そうか、陽明はこれが言いたかったのか。」くらいの理解を得ておきたい。その陽明は57歳で逝った。

昼下がり

2008年03月17日 21時07分39秒 | Weblog
今日は、やり残した些細な事務の処理から始めた。明日は、まず愛車を洗って磨いて部屋の掃除を済ませてから、本屋巡りをする予定だ。当面はビジネスものは抜きで、手頃な日本古典を買い込む。できれば肩が凝らないのが良い。

庭の李もサクランボも薄桃色の花をたっぷりとつけている。のどかな日々がしばらくは続きそうだ。明後日は、部屋の机をちょいと移動してのんびり日向ぼっこでもするか・・・。

読書

2008年03月17日 00時13分36秒 | Weblog
とても生きているうちに読み切れないほどの本をいまだに買い続けている。不経済このうえない。不経済を知りつつ本屋に行くとついまた買ってしまう。経済的な合理性に叶わないのである。

なぜ本を読むのかと問われたら「読みたいから読む。」とか「好奇心が旺盛だから。」としか答えようがない。

ところがこの世では往々にして言語では理解できない現象が興る。本で知ったことは解明の指針になることはあっても、その現象そのものを理解する手助けにはならないものだ。

昨日はウィスキーを浴びるほど飲んだ。どうやって家に着いたか記憶がないほどだ。ある女性社長の言動が理解できない。理解できない自分への屈辱感に身を焦がし、気がつくとウィスキーをストレートで口にしていた。

おかげで今日は一日中、二日酔いで寝ていた。目覚めると心は軽かった。理解できそうにないものを理解しようとしたから感情が過熱した。やけ酒と十分な睡眠で熱は冷めた。

文字ならばそれなりに理解できる。今日も鎮静剤代わりに本を読んだ。選んだ本は、田中貴子著「もてようがない男 だまされやすい女」講談社+α新書に斎藤孝「教え方」宝島社の2冊である。


たそがれマイラブ

2008年03月12日 20時55分46秒 | Weblog
今は夏 そばに貴方の匂い
幸せな夢に おぼれていたけれど
夕立が 白い稲妻つれて
悲しみ色の日暮れにして行った

しびれた指 滑り落ちた 
コーヒーカップ 砕け散って 
私はただ 貴方の目を
言葉もなくみつめるだけ

さだめといういたずらに
引き裂かれそうなこの愛

今は冬 そばに貴方はいない
石畳白く 粉雪が舞い踊る
引き裂かれ 愛は欠片になって
それでも胸で熱さを無くさない

凍える手で 広げて読む
手紙の文字が 赤く燃えて
私はもう 貴方の背に 
もたれかかる夢を見てる

さだめといういたずらに
引き裂かれそうなこの愛



             作詞 阿久悠






大系

2008年03月07日 22時53分17秒 | Weblog

入荷した古書の目録をメールで送ってくれる古本屋がある。歴史・思想関係の専門店らしい。入荷したての古書200点余りの保存の程度と内容にコメントを加えたメールが先日届いた。岩波の「日本思想大系」全67巻が43000円也、白水社の「ショーペンハウアー全集」15巻の新装復刊が52500円也、「新岩波講座哲学」全16冊が9000円である。

定評があるこの種の全集の暴落に心が痛む。新本ならば再販価格が定価であるが、古書の場合はあくまで定価は市場価格である。値段は需給の関係で決まる。一般に古書というものは年を追ってその希少性が増してくるものだ。それでも値が下がるということは著しく需要が落ちていることの証なのであろう。

それにしても、日本思想大系はその一冊一冊がケース入りの風格がある装丁であり、その内容と同様の重量感がある書籍である。その大系が古書とはいえ、月刊文芸春秋並の一冊600円余りで買えるとは泣けてくる。断じて嬉し涙ではない。

「道元」上下「親鸞」「法然一遍」「中世神道論」「世阿弥 禅竹」「近世神道論 前期国学」「本居宣長」「国学運動の思想」「水戸学」「伊藤仁斎 伊藤東崖」「吉田松陰」「民衆運動の思想」ほかに厳選した十数冊を蔵書している。

「読んだか?」と問われると返答に躊躇せざるを得ない。殆どの大系は巻頭から巻末まで読み切れていない。しかし、日本仏教に失望したときには必ずといってよいほど上記の鎌倉仏教に関わる三冊が手元にあった。

また、茶番化されがちな武士道について真摯に考える時には水戸学や伊藤親子の著作に当たった。世阿弥の能論はビジネスマンとしてのわたしに、競争社会で生きてゆくための指針を提供してくれた。ナショナリズムについて考える機会を提供してくれたのは宣長、松陰である。

大系を紐解く際には、長い解説をまず読んで本文に当たることにしている。本文が原文に補注という難解さである。とはいっても、こちらには中央公論「日本の名著」の口語訳がある。鬼ならぬ、初心者に金棒である。一歩間違うと金棒に潰されてしまいそうなお粗末ぶりである。


但馬屋

2008年03月02日 00時17分18秒 | Weblog
理由は自分でも解らない。なぜか鞄が好きだ。かなり以前から目を付けていた鞄をようやく手に入れた。そこそこの値段なので感激もひとしおだ。褐色の渋い色合いである。

愛用の鞄よりもひとまわりもふたまわりもでかい。その鞄は、どちらが年長であるかを店主と賭けて、1歳差で敗れた3年ほど前に買った。他愛のない衝動買いである。

久しぶりに店主と対面した。あいも変わらず若い。輝いている。鞄を売りつけることに躊躇がないところもそのままだ。濃い眉と目に愛嬌がある。客を迷わせない男だ。