旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

高級クラブ

2006年09月30日 23時48分27秒 | Weblog
著名な高級クラブに行った・・・、いいや、連れて行かれた。ひとりひと座り2万円で、わたしが所属するクラブの会員であれば、ひとりひと座り1万円と5千円に割り引かれるという。それにしても高い。

やはり高級な和食店の個室でともに食事をした和装の女性が同伴だ。接待を受けるほうだから断れない。藤色の和服を着た女性には色香が漂う。聞きもしなかったがおそらく35歳もつれであろう。

クラブに入ると和服の女性たちが入れ替わり立ち代りで挨拶にくる。そういえばこのクラブに2、3度来たことがある。長いこと来たことがないので忘れかけていた。女性たちにとっては名刺交換が飯の種なのだ。

最も若い娘が残った。おいしくもない水割りを飲む。和服の下からその下肢をぴったりとこっちの下肢にくっつけたまま他愛もない話が続く。これがスキンシップというやつか。暑苦しい。

あーあ、今日も接待を受けているがいつかはお返しをせにゃならんと憂鬱になってくる。ここでもてたって仕方がない。要はお金なのだ。お返しにお金を使うのならもっと有意義な使い道がある。あーあ!

などと悩んでいるうちに三次会は場末のふつーのスナック。ここでおおいに飲み歌った。で結局、昨夜は6時間を食べて飲んだ。必然的に今日は朝から二日酔いで貴重な時間が悪寒と頭痛に奪われてしまった。

ひとりでぼやく。「酒とおねーちゃんがいない国に行きたい・・・。」と。そして親愛なるKさんからあきれ顔で責められるのである。「まあ、何回ゆうても聞かせても懲りんひとじゃねえ。勝手に苦しめ!」

とほほ。

ハギ

2006年09月26日 23時59分55秒 | Weblog
夜明け前の5時に徳山港を発って九州の沖に着いたのが7時半。途中で久し振りに海から昇る太陽を拝んだ。15人は乗れそうなフィッシャーボートが魚場に止まったら釣りの開始だ。海上の空気は冷たい。深度は約30m。関鯵に関鯖狙いの釣りだと聞かされていたが、なぜか急遽ハギに変更になった。それでもいっせいに仕掛けを放り込む。

昼過ぎまでの釣りで、大ぶりとはいえハギが8尾しかあがらなかった。不漁だ。9名の参加で最高が10尾、最低が6尾というのだから大差がない。技術が釣果に結びつきにくい漁場だったのだ。10尾釣った参加者に漁師の船長が、8尾しか釣れなかったひとに「釣り方を教えてあげろ。」と言うのにも驚いた。船長にしても余程釣果が不本意だったのであろう。

1時に納竿して、徳山港まで引き返したのが3時半過ぎ。車で広島に着く頃には5時を回っていた。ハギはいたむのが早い魚だから、イケスからクーラーに移すおりに船長が血を抜いてくれた。帰宅後さっそく3枚におろして刺身にしていただいた。白子でお腹を膨らませたハギは油がよくのっている。翌朝は吸い物にした。やはり、新鮮なハギは美味しい。

和服

2006年09月18日 22時08分39秒 | Weblog
仲間と食事をした際に和服の話になったことがある。最近では、結婚式といえども和服を着る女性が少ないという。「文芸春秋」十月号の「蓋棺録」によれば、「着物は着る人の魂のよりどころです。」と鶴見和子は語り、常に和服で生活したとある。60歳代になって、足腰を鍛えるために中断していた日本舞踊の稽古まで始めたそうである。

鶴見和子(享年88歳)は鶴見俊輔の姉さん女房だと思っていた。思い込みに反して実のお姉さんであった。往々こういう種類の思い込みがあるものだ。

アインシュタイン曰く

2006年09月17日 11時27分15秒 | Weblog
ドイツの諺を思い出します。
『ひとはみな、自らの靴のサイズで物事を計る。』

真理や知識の領域において裁判官になろうとする者はみな、
神々の笑いによって難破してしまうでしょう。

信念は、推進力としては役に立つが、
調整役としては役に立たない。

人間の真の価値は、
おもに、自己からの解放の度合いによって決まる。

人間性について絶望してはいけません。
わたしたちは人間なのですから。

われわれはいろいろなことをするが、
なぜそうするのかについて知らないことが多い。



Bite Size Einsteinより

アインシュタインって、ほんとに面白いおじさんですね。

意志と表象としての世界 第4節 

2006年09月14日 00時35分58秒 | Weblog
悟性と直感

『因果性を認識すること、これが悟性の働きである。一切の因果性、いっさいの物質、即ち現実の全体は悟性に対応している。直感とは、結果から原因を悟性的に認識することである。したがって直感は因果律を前提とし、反論できない確かさで証明する。ゆえに直感、即ちあらゆる経験は因果律に依存する。』

ラストダンスは私に

2006年09月09日 18時11分25秒 | Weblog
"Save The Last Dance For Me"

You can dance-every dance with the guy
Who gives you the eye,let him hold you tight
You can smile-every smile for the man
Who held your hand neath the pale moon light
But don't forget who's takin' you home
And in whose arms you're gonna be
So darlin' save the last dance for me

Oh I know that the music's fine
Like sparklin' wine,go and have your fun
Laugh and sing,but while we're apart
Don't give your heart to anyone
But don't forget who's takin' you home
And in whose arms you're gonna be
So darlin' save the last dance for me

Baby don't you know I love you so
Can't you feel it when we touch
I will never never let you go
I love you oh so much

You can dance,go and carry on
Till the night is gone
And it's time to go
If he asks if you're all alone
Can he walk you home,you must tell him no
'Cause don't forget who's taking you home
And in whose arms you're gonna be
So darling,save the last dance for me

'Cause don't forget who's taking you home
And in whose arms you're gonna be
So darling,save the last dance for me
Save the last dance for me
Save the last dance for me.

lyrics by Dolly Parton


あなたの 好きな人と
踊っていらして いいわ
やさしい微笑みも その方にあげなさい
けれども 私がここにいることだけは
どうぞ 忘れないで

ダンスは お酒みたい
こころを 酔わせるわ
だけどお願いね ハートだけはとられないで
そして 私のため 残して置いてね
最後の 踊りだけは

あなたに夢中なの いつか二人で
誰もいないとこへ 旅に出るのよ

どうぞ 踊っていらっしゃい
私ここで 待ってるわ
だけど送ってほしいと 頼まれたらことわってね
いつでも 私がここにいることだけ
どうぞ 忘れないで
   
きっと私のため 残して置いてね
最後の 踊りだけは
胸に抱かれて 踊る
どうぞ 忘れないで

            岩谷時子訳詞    



意志と表象としての世界 第4節 

2006年09月09日 11時31分37秒 | Weblog
因果の法則

『変化とは、空間の中の同じ場所にいまひとつの状態があり、その後ひき続いてもうひとつの状態があるということ、時間の中の同一のある一定時に、ここにこの状態があり、あそこにあの状態があるということである。単に時間の中でさまざまな状態が継続するのではなくて、一定の空間に関連してこの継続がおこる。さまざまな状態が一定の場所に存在するのではなくて、一定の時間に存在することなのである。このように時間と空間とが互いに制約しあうがゆえに、因果の法則に意味と必然性を与える。』改竄

Representation≒Idea(表象)

2006年09月09日 10時02分11秒 | Weblog
”Arthur Schopenhauer used the word representation (Vorstellung) to signify the mental idea or image of any object that is experienced as being external to the mind. It is sometimes translated as idea or presentation. This concept includes the representation of the observing subject's own body. Schopenhauer called the subject's own body the immediate object because it is in the closest proximity to the mind, which is located in the brain."


概念と観念 表象

2006年09月09日 07時49分53秒 | Weblog
概念(consept) 
『思考の対象について或る判断を形成する際に、その判断において結合されるところの意識に現れるその対象の像、即ち表象を、主観における表象作用から切り離して捉える時、その内容を概念という。このように、概念は直接的な経験の一部をなすものであるであるが、その概念が言葉によって表現されたものを名辞という。したがって、概念が或る表象の内容の符号であるあるとすれば、名辞は符号の符号であるということができる。』

観念(idea)
『観念が、主観としての人間の意識の対象または内容(表象)という意味をもつようになったのは、近世の、主観。客観の対立が明白にされた時である。しかし、観念が単なる流れる感覚ではなく、理性によって固定され、思考の対象となるという意味合いは、イデアというギリシャ語にすでに含まれている。』

現代哲学辞典(講談社現代新書)

意志と表象としての世界 第4節 

2006年09月06日 23時17分16秒 | Weblog
時間と空間について

時間の本質は継続である。空間の本質は位置である。物質の存在とは物質の働き・作用・影響・活動のことである。『なにかひとつの物質的な客観が、別の客観に働きかけた結果として認められるのは、働きかけを受けた方の客観が、これまでとは違った仕方で直接の客観(身体)に向かって働きをかけを行った場合に限られる。したがって、原因と結果が物質の全本質である。』(一部改竄)