旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

ラスキ「近代国家における自由」

2014年11月28日 07時02分24秒 | Weblog

                                             

「自由の第一条件は経済的発展である。というのは、この条件が満たされてはじめて、人々は希望を抱き、そして希望こそはおそらく、法律に対する尊敬を確保する必須の条件である。そこでは暢達の気風と敢為の気性とがみえる、私益は真に公益に連なるという確信が存在する。いわば、自信を持った社会である。こうした社会では懐疑が脅威と目されることなく、討議の範囲が拡大される。
これに反して、自由が危殆に瀕するのは一社会の経済が縮小し始めるときである。経済の収縮は常に恐怖であり、恐怖は常に猜疑を生む。社会の支配者が自由に対して嫌悪の目を向けるのは、まさにかかる時である。支配者は、人民が現状に対する不安から支配者の識見に疑いを抱き、新しい声に耳を傾け始め、やがては変革を要求することを知るのである。
一社会の経済が縮小し始めると、対策を政府に求める人々の期待は募って、その実施が要求されるであろう。ところがその実現は、経済的発展を可能にする新しい方法が発見されてのみ実現を期しうるのである。それに失敗した政府が依然権威を維持しようとすれば、その道はただ二つのみである。ひとつは国内抑圧、他は戦争である。」
飯坂良明訳(翻訳に難がある・・・、一部を割愛したが、ほぼ翻訳文通り。)


散策

2014年11月26日 21時03分41秒 | Weblog

学校は期末テストに入った。まだ行き先が決まらないのは4名を残すのみ、順調に内定通知が届いている。仕事の先細り感が募る。さて、全員が内定したら先をどうするか。100メートル道路の紅葉が盛りを過ぎた。この日曜に沿道を散策しながら考えてみようと思う。


休養のあとで

2014年11月24日 22時08分36秒 | Weblog

行き当りばったりの休日は瞬く間に過ぎた。本の整理は捗ったが心の整理が捗らない。重要な課題をふたつみっつ考えてみるだけで疲れが押し寄せる。本でも読んで気を確かに持つか、何も考えずに時の経過を待つか、揺れている。
母が回復しつつあるのは何よりだ。仕事は終盤の仕上げの段階に入った。順風満帆で非の打ちどころがない。今月中に大筋を終えて最後の微調整に入る。関係者の皆さんに感謝 ! 気持ちよく今年の仕事に幕を引くことができそうだ。


資源ゴミ

2014年11月23日 20時43分14秒 | Weblog

本の整理を始めた。かねてから別棟の書庫が欲しいのだが、大した庭じゃないとはいっても大型のヨド物置やプレハブだと景観を損ねるし、木造だと強度に問題が残る。うず高く積み上げるだけでは、蔵書の用をなさない。買った本は読みたいときに、いつでも引っ張り出せるようにしておきたい。
まず、この5年間読み返していない本は自然ゴミとして原則捨てる(収集してもらう)ことに決めた。何の未練なのか、例えば発行年度がかなり古い六法全書が10冊ばかりある。判例六法も含めて広島市にこの10冊を収集してもらうことになる。次に、同じく古い企業会計や税制に関する注解書が20冊ばかりある。これらも不要だ。法律や会計学関係は「3日遅れの古新聞」が多い。そろって収集車行きだ。
英和辞典を筆頭に和英辞典、研究社の新英和大辞典やロングマン和英中辞典にいたるまで、独和・西和を含めて20冊余りの外国語の辞典が埃をかぶったままだし、哲学辞典や哲学事典も岩波と平凡社の大事典をはじめかなりの数がある。英和、和英・哲学・経済学関係の事典はこれから仕訳を始める。
辞典・事典の仕分けがすんだら、他の専門書の仕分けに向かう。Webのおかげで知らないことを明らかにすることが随分と楽になった。Webで確認して済むような本をわざわざ蔵書しておく必要はない。
心境の変化なのだろう。関心が向くまま本をがつがつ読むよりも、うっすらと見え始めた私の道に引かれるような読書と思索が始まったようだ。私の書斎は皆の居間に戻してよい時期に来たようだ。さて、どのような書庫を残したものか、本をめぐる楽しみはこれからも尽きることがない。


Indian summer

2014年11月22日 21時13分24秒 | Weblog

この2か月ほどかけてほぼ毎日少しずつ溜めてきた睡眠不足が一気に襲ってきたように、朝から眠くて仕方がない。朝刊を読み終えたかと思ったらうつらうつら。食後のコーヒーを飲むといつの間にか仮眠状態に陥って、ふっとわれに返る。昼過ぎに書斎で小林秀雄のランボー論を読んでいたら、椅子に腰かけたままで数十分眠ってしまったようだ、涎までたらすという体たらく。家人に依ればいびきをかいていた由。
奈落の底まで落ちそうな眠気ならば病院に直行するのだが、その種類の眠気ではない。夕方から町に出て食事を済ませ本屋に寄ってから明日の買い物をした。まったく眠気は襲ってこなかった。きっと気の緩みが眠気と化して体のどこかに悪戯をしているのだろう。
陽気もいけない。正しくIndian-summer、今日はまるで春のような陽気だった。ひとは適度のストレスを抱えて丁度よい動物のようだ。それにしても眠くて仕方がない。

 


ランボー「地獄の季節」

2014年11月21日 21時36分42秒 | Weblog

   

 

               ランボー

 

ここ2、3日気にかかっている本がある。ランボーの「地獄の季節」だ。「上田敏全訳詩集」(岩波文庫)がでてきたので、久しぶりにランボーの「酔いどれ船」を読んだ。引っ掛かるところがある。小林秀雄の「地獄の季節」の翻訳も、改めてていねいに読んでみた。いっそう疑問が増した。小林秀雄全集の第二巻には「ランボオⅠ」「ランボオⅡ」「ランボオⅢ」ほか4篇のエセーと「地獄の季節」をはじめとするランボーの翻訳詩が収録されている。小林秀雄が詳細に解説するほどに、なお「天才ランボー」の詩は、酔っぱらいの戯言にしか聞こえなくなってきた。今日から3連休だ。しばし読書という執着を捨てて、行き当たりばったりの3日を過ごすことにした。


安堵

2014年11月17日 21時36分20秒 | Weblog

         シーシュポスの神話

 

修行が足りないことを棚に上げて、先輩諸氏やクライエントである若者たちに能書きや説教を垂れてきた。今期あたりで雇い止めかと観念していたら、予想に反して本日、さらに来期も任用される旨の内示を受けた。年明けからハローワーク通いを始める決心をした矢先だ。向こう17か月が視界に入ってきた。私は、働く場所がある限り働く。仕事を通じて社会と関わり続ける。


読書の晩秋

2014年11月16日 21時17分15秒 | Weblog

この2ヶ月間は仕事ばかりを追っていた。やっと繁忙期から解放されたので、1ヶ月ぶりに近くのフタバ図書に寄った。特に日曜日のフタバ巡りは久しぶりだ。好きな3面記事的新書からアカデミックな新書の順を、おおよそ表題から知ることができる。
3面記事的新書の筆頭はロム・インターナショナル(集団)著「日本のモノづくり力はやっぱり凄い」(KAWADE 夢新書)、沢田健太著「大学キャリアセンターのぶっちゃけ話」(ソフトバンク新書)。星野仁彦著「発達障害を見過ごされる子ども、認めない親」(幻冬舎新書)、清水博著「生命を捉えなおす 生きている状態とは何か」(中公新書)。いづれも2009年以降2013年までの発行だ。4冊で〆て324円也。
「大学キャリアセンターのぶっちゃけ話」はキャリアセンターの裏話だ。ぶっちゃけて話している割に、「キャリアセンターは企業社会と大学教育の橋渡し役である。」と喝破するなど、大いに仕事の参考になりそうなので一気に読み上げた。「発達障害を見過ごされる子ども、認めない親」、この問題に向かいあわざるを得ないことがある。私の能力を超えた問題なのでリファーを心掛けてきた。しかし最近、この問題から逃げ続けることはできないような気がし始めている。

 


コーヒーブレイク

2014年11月15日 12時51分52秒 | Weblog

クライエントのひとりを相手に「ピタゴラスの定理(三平方の定理)」と「三角形の内角の和が180度になる」ことを証明した。途中で、「和」の意味が解らないから教えてくれというので呆れた。不安になって「定理」の意味について訊ねてみた。クライエントは「定理の意味はうまく言い表せないが、定理はあくまで定理として理解している。」という。あとで三角形の内角の和の問題と三平方の定理の問題を4問ばかり解かせた。数分間で回答して全問正解だった。私の教え方が上手いのかクライエントに遊ばれたのか、実感としては前者なのだが・・・。のどかな「花の金曜日」はこうして暮れた。週明けにかれは某専門学校の選抜試験に臨む。もちろん数学は試験科目だ。


ほころび

2014年11月13日 05時45分35秒 | Weblog

ほころびは終盤に現れるものだ。3件の約束を反故にしなければならない。平身低頭、相手の意向に沿えなかったことを詫びた。相手方も予期せぬ事態に戸惑いつつも、事務的に手続きを進めざるを得ないことを明らかにした。人の心を縛ることができないことは承知だが、「規定」や「約束」というものの脆さを改めて思い知った。


ワイン

2014年11月11日 19時55分42秒 | Weblog

早くも忘年会の予約が4件入った。アルコールを控えめにしているし、食事の量も自制している。大いに飲み大いに食べないでおいて何の忘年会かといわれそうだが、私の辞書から暴飲暴食という文字が消えて久しい。
酒の席ではほろ酔い気分で心がこもった会話を楽しみたい。ここのところ、飲めばフランス人になってワインとしゃれこんでいる。それで年を越せるのか?「 ウィ!」。飲むと決まって大トラになっていたあの頃がなつかしい。


準決勝

2014年11月09日 20時10分34秒 | Weblog

1年ほど前の同窓会で、 『 母校と勤務先の高校が対戦することになったら、私はどちらの高校を応援したらよいのだろうか? 』  と戯れに問うてみたら、意に反して多くの同窓たちに  『 勤務先の高校に決まってるじゃないか! 』  と応じられて、少々さびしい思いをした。
今日、広域公園第一運動場で全国高校サッカー選手権、県予選の準決勝があった。勤務先の高校と出身校の対決だ。当然のように勤務先の高校を応援していた。
半に、出身校の選手が蹴ったボールが私の目前に飛んできたので、直接パンチでボールを会場に弾き返すという体験をした。出身校は優勝候補だ。弾き返した瞬間に大番狂わせが起きるのではないかと閃いた。予感も空しく勤務先の高校サッカー部は敗退した。


晩秋

2014年11月08日 09時54分35秒 | Weblog

性能が落ち始めた頭脳を120%稼働(単なる実感であるが・・・)させると、家路を急ぐ頃には頭の中を仕事の残像が飛び交って、腕の筋肉だけで車を運転しているような錯覚に陥ることがある。その際には仕事の残像のスイッチを切って車の運転に集中する。
今週は3名に採用通知が届き、2名が落ちた。3名が新たに応募した。
失意の渦中にある生徒ひとりひとりの支援に全知全能を傾ける、これが私の仕事だ。「生徒を追い込まない。」、これが私の信条だ。


秋晴れ

2014年11月05日 20時08分58秒 | Weblog

アベノミックスと雇用の神様のおかげで、今年は上手くいった。残念なことに10名ばかりを積み残し、個々に強力な支援が必要だようやく自分の時間をコントロールできるようになった。峠は越えたようだ。
本領発揮はこれからだ。全員の内定を目論んでおり勝算はある。冬が来る前に今年の仕事を終えたい。昨年の倍近い90
名余りのクライエントを抱えてきた。


秋の歌

2014年11月03日 10時56分31秒 | Weblog

秋の歌(落葉)
   
ポール・ヴェルレーヌ

Chanson d'automne
                
Paul Verlaine

Les sanglots longs
Des violons
 De l'automne
Blessent mon coeur
D'une langueur
 Monotone.

Tout suffocant
Et blême, quand
 Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
 Et je pleure

Et je m'en vais
Au vent mauvais
 Qui m'emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
 Feuille morte.



落葉
            上田敏 『海潮音』より

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。



秋の歌
            ポ-ル・ヴェルレーヌ(堀口大學訳)

秋風の
ヴィオロンの
節(ふし)ながき啜泣(すすりなき)
もの憂き哀しみに
わが魂を
痛ましむ。

時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来(こ)し方に
涙は湧く。

落葉ならね
身をば遣(や)る
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風(さかかぜ)よ。


秋の唄
            ポ-ル・ヴェルレーヌ(金子光晴訳)

秋のヴィオロンが
いつまでも
 すすりあげてる
身のおきどころのない
さびしい僕には、
 ひしひしこたえるよ。

鐘が鳴っている
息も止まる程はっとして、
顔蒼ざめて、
 僕は、おもいだす
むかしの日のこと。
 すると止途(とめど)もない涙だ。

つらい風が
僕をさらって、
 落葉を追っかけるように、
あっちへ、
こっちへ、
 翻弄するがままなのだ。



秋の歌
            ポ-ル・ヴェルレーヌ(窪田般彌訳)

秋風の
ヴァイオリンの
  ながいすすり泣き
単調な
もの悲しさで、
  わたしの心を傷つける。

時の鐘鳴りひびけば
息つまり
  青ざめながら
すぎた日々を
思い出す
  そして、眼には涙。

いじわるな
風に吹かれて
  わたしは飛び舞う
あちらこちらに
枯れはてた
  落葉のように。