旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

Socialism

2008年10月29日 15時45分55秒 | Weblog
恐慌前夜に「金持ちや投資家に対して思い切った増税」をするとアナウンスメントしてしまえば金融システムの崩壊に追い打ちをかけることになります。金融政策や財政政策は景気と政策との妥協の産物のようなものです。アメリカがsocialismに傾いているという議論の中では、民間企業が政府からの資本注入を受けることは市場主義の原則に反する、競争に敗れた金融機関は市場から撤退せよと主張するひとが多いようです。

さもないと連邦政府による民間部門の統制を招き、「金持ちからの増税とインフラの整備を充実させ,人間の生活に不可欠な農林水産業や人間そのものを癒し育てる病院や学校にこそ,重点的に資金配分」する社会政策的な要素の濃い政策を標榜する大きな政府が登場する。これを揶揄してsocialism、socialismといっているのでしょう。民主党オバマに対するネガティブキャンペーンの一貫なのかも知れません。

銀行預金の政府保証、保険契約者の保護が金持ち優遇の政策であるとは思えません。また、相続税の最高税率も75%に引き上げられるといいます。先週の「朝生」で田原が、しきりに、敗戦後の日本は社会主義の優等生であったと強弁していました。大きな政府による大きな官僚機構によって統制される経済が社会主義のひとつの側面であったことは、共産党から国家社会主義労働者党、ニューデーラー、戦後の日本国政府に至る社会主義の系譜の特徴であったと理解しています。

金融恐慌

2008年10月29日 02時29分32秒 | Weblog
既に金融恐慌なのですから政府としてはなんとしても金融システムの崩落を食い止めなくてはならない。ところが政府が大盤振る舞い。10兆円の資本注入をする、さあいらっしゃいと「国の信用供与の大安売り」をやった途端に日経平均は7000円割れです。打つ手がないようです。もっとも、打つ手がないから恐慌なのだということもできます。

バブルの芽を摘もうとしてもバブルは発生します。たとえばエコノミストたちがバブルは近いうちにはじけるから投機を控えなさいといったとします。しかし、バブリィーに財貨の価額が上昇する限り投機は止みません。しかも警鐘を鳴らしているはずのエコノミストたちも投機に走ってしまうからバブルなのです。

バブル経済と逆の現象が起こっています。これは一過性の金融不安だから、今のうちに株を買っておきなさいとエコノミストたちがいうほどに、株価は下がり続けます。買えと言っているエコノミストたちも株には手を出せません、瞬く間に昭和57年の株価水準ですもの。この1年間で250兆円の株価がぶっ飛びました。

今の会社を辞める予定でしたが、この事態で辞めると顧客から敵前逃亡と言われかねないので、しばらく会社に留まることにしました。アメリカの親会社の株価はこの1カ月で半値になりました。国内の同業者の株式含み益5兆円は既に含み損になっていることでしょう。

アメリカのブログやボードを覗いてみると、最近はsocialismという表現に出くわすことが多いですね。金融業に対する資本注入はすなわち社会主義につながるとみているアメリカ人が多いようです。それにしても、アメリカの市場至上主義的資本主義経済がいつまでもちますことやら。

確かに、100年に一度といわれる歴史の転換期に近づいているのかも知れません。大企業や金融が政府の管理下に置かれて、まさか、あのアメリカが社会主義の国になったりして・・・。自由競争か国家の統制か、資本主義はその谷間で揺れ動いているような印象を受けます。

学力 人間力

2008年10月23日 19時49分33秒 | Weblog
宮内さんはアメリカ風の守奴銭で随分人相が悪いですね。御手洗さんはどうみても暗愚という印象です。ご両者ともにアメリカ的合理主義の洗礼を受けています。政商宮内はともかく、私学出(わたしの母校です。)初の経団連会長御手洗さんは派遣労働者問題で躓きました。宮内さんも関学の卒業です。

われわれが就職活動をする際には指定校制というのがあって、たとえばわたしなんぞ、財閥系の金融機関や商社、メーカーは門前払いでした。あれは実に理不尽です。最近では指定校制度が撤廃されて、母校から都市銀行に入ることができるようになったようです。

こうなってくると、世にいう大企業のなかで一流大学卒の社員がこれからも経営の中枢を担っていけるものかどうかはおおいに疑問です。社会人ともなれば学力ではなくて学力以外のファクター、たとえば体力とか人間性で勝負することになります。

門戸さえ開いてしまえば学校歴区別(差別)を受けている側が、学校歴で既得権を感じている者以上の努力を強いられて、逆に人間として磨かれて、出世競争上では優位になっていくという妙な現象がおこります。

学問の世界と比べるとビジネスの世界は実に単純です。儲かるか儲からないか、これが全てです。暗愚であろうが(御手洗さんは創業者の末裔です)守奴銭であろうが、企業を存続発展させることに寄与した者が評価を受けます。

世襲であれ、たたき上げであれ、経営陣が知的でない理由は、まさしくこの点にあります。経営者にとって賃金はコスト(費用)に過ぎないのです。だから、団体交渉が難航するのです。Tさんの苦悶はしばらく続くことになりそうですね?


学者

2008年10月23日 19時45分06秒 | Weblog
確かに竹中さんの顔つきには子泣きジジイ的小児性を感じます。「のぞき」でマスコミから追放された植草さんも似たような顔をしていました。そういえば、最近評判の、三菱の水野さんの明るさにも似通った何ものかを感じます。

きっと、他人ごとなんでしょうね。娑婆がどうなろうが金融の根幹を理論(理屈)付けている近代経済学は、ザインの社会科学であってゾーレンのそれではない。価値観とは無縁の数学に過ぎません。先行する世界観(哲学)がないのですから、センセイたちは我が身を安全な場所に置いたうえで、いつまでも評論家でいることができるのです。

最近、象牙の塔からマスコミへの進出が著しい東大や京大教授のコメントも似たようなものです。確か、水野や植草は東大出。元東大教授の猪口(女房はオカメインコみたいなあの四谷の神学校出の国会議員です。)や伊藤もそうです。

弁解の名人(高級官僚)を量産したことが暴露されたうえに、2流大学のロースクールにガチンコで負けている東大法学部。受験勉強はできる。しかし、どうみても東大は学生の教育に失敗していると言わざるを得ません。東大の権威は崩壊しつつあります。

そういえば、広島YMCA高等予備校のトップを突っ走り、東大入試がなかったのでやむなく、京大法学部に進んで大蔵省にトップで入省した(といわれる)知り合いの男が、今日テレビに出て税制について数分間わけのわからないコメントを加えていました。

肩書きをよくみるとわたしの母校のロースクール教授でした。数年前に彼が著わした税制に関する新書を読んでいただけに愕然としました。文章も満足に書けない男でも「京大出て大蔵省のOBという肩書きだけで大学院の教授だって?まともに講義ができるのかよ。」と憤慨しています。

それでも、世の親御さんたちは既得権狙いの1流大学志向です。既得権なんて既に砂上の楼閣なのです。子供達がかわいそうでなりません。

阪大 一橋

2008年10月23日 19時41分33秒 | Weblog
学生時代に読んだ「近代経済学」という基本書の執筆者のひとりが阪大卒の阪大教授でした。あれだけの基本書を書ける人間はやっぱ違うわ。とうとう政府税制調査会の会長までのぼりつめちゃったのかいな。権威主義が跋扈するああいうポストは東大かせいぜい京大・一橋クラスの出じゃないと無理かと思っていたが、やるじゃん本間さん、実力主義の時代はこうでなくちゃいかんな、などと呑気なことを考えていました。

暇な日曜だったので、Tさんにコケにされている本間さんが気の毒になって、久しぶりにその「近代経済学」を手にとってみて、あれっと思いました。本間正明の名がありません。よく見れば阪大出の著者は新開陽一さんでした。長いこと経済学入門の基本書である有斐閣「近代経済学」の著者のひとりを本間正明だと思い続けていました。これはわたしの記憶違いでした。本間さんは本間さんらしく、政府御用達の日経「ゼミナール現代財政学入門」というチャチな本を書いていたのです。

竹中平蔵。東大入試がなかった年に一橋に入っていますから勉強ができたのは間違いない。たまに彼の著作や月刊「文芸春秋」(わたしのようなアッパーミドル向けの月刊誌です。ははは!)に掲載された記事を読みます。「あっそうですか。」程度の印象しか残りません。アメリカ市場原理主義のスポークスマンみたいな学者ですね。まさしく「哲学の貧困」を地で行くような論調が目立ちます。御用学者としては成功したといえるのでしょうが、お手本のアメリカがあれですから、テレビに出演してああだこうだという前に、せめて市場原理主義がこういう結末を迎えたことに対して自己批判のひとつも欲しいところですね。




疾風怒涛の一週間

2008年10月18日 01時27分25秒 | Weblog
千葉大医学部野田教授による「細菌学」の講演と、講演のあとに開催された野田教授との懇親会を兼ねた「広島久保田の酒を楽しむ会」およびその2次会に出席して昨夜の深夜にようやく疾風怒濤の1週間を終えた。振り返れば、佐伯文化センターのタンゴの演奏会に始まって翌日のゴルフ、週明けから本格化した金融恐慌の追跡調査、そして3度の酒宴。凄まじいばかりの時間が流れた。

音響効果に若干の問題を残すものの、タンゴの演奏会はヒジョーに良かった。というよりも、2000円という安価なコンサートなので大したことがないであろうと高をくくって聴きに行ってみたら、なんと、こちらが思わず唸るほどの5重奏が繰り広げられるので、正直、驚いた。すこしばかり慌ててプログラムを覗いてみたら、著名な奏者ばかりである。秋の夜長とタンゴの相性は悪くなかった。

ゴルフというスポーツは、本来わたしの性には合わないのである。しかし、中学の同窓たちとのコンペなのでやむなく汗を流した。わたしとて調子が良い時は良いのである。ところがあの日は極めて調子が悪かった。一緒にプレイした連中の倍はたたいた。たぶん最近の金融恐慌でいくぶんか動揺しているのが響いているのであろう。当面は、「打ちっぱなし」からやり直すことになりそうだ。それにしても秋空の下のゴルフは爽快であった。

野田教授の講演は門外漢のわたしにも解り易い内容であった。ペニシリンがそうであるように抗生物質はすべてカビから抽出される。日陰で、湿度が高く体温に近い温度の環境下では、カビと病原菌とが食料(肥料・餌?)をめぐって凄まじい争奪戦を繰り広げている。

ところが、病原菌の繁殖力はカビのそれを遥かに上回る。繁殖力で劣るカビにたいして神は病原菌を俊殺するほどの強力な武器を与えたもうたのである。それが世に抗生物質として知られる成分である。カビがいなければ瞬く間に地球は病原菌で覆われてしまうかも知れない。生まれて初めてカビと神に謝意を感じた。これも講演の賜物である。

この野田教授、数日前にかの北里柴三郎が創設した日本細菌学会の会長に就任された。知人たちに「今のうちに名刺交換をしておいた方がいいよ。野田教授がノーベル賞を受賞されたら結構いい値で売れるかも知れないよ。」と言いながら10人ばかりの知り合いに名刺交換をするように促した。根が余計なお世話が好きなのである。

テレビ

2008年10月12日 19時01分32秒 | Weblog
最近の金融恐慌で各金融機関が青色吐息であるのと同様に、特に、民放はスポンサー離れが原因なのか、素人に毛が生えたようなお笑い芸人が自虐を売りにするアホみたいな番組のオンパレードで、それこそ番組内容の劣化が著しいように思います。

たまにNHKやNHK教育、ごく一部の民放には製作者のセンスを感じる作品もあります。ですから、テレビを見ないわけでもありません。ニュースやドキュメント系はネットで済ませているので、そうですね、もっぱら映画を見ますね。たとえば「Men in black」あの映画は面白かった。テレビ局の制作じゃないのが残念でした。

中秋

2008年10月01日 09時03分38秒 | Weblog
今日は中学の同窓会の集まりがあって、明日はクラブの歓迎会、3日はシャンソンのコンサート。8日の水曜は座談会の手伝いがあって、12日はゴルフ。14日は某大学の医学部教授の講演会と「銘酒の会」に出席。その間、他に2回の宴会が予定されている。

彼岸花は燃え落ちコスモスが咲き乱れる。「来し方」を思い「行く末」を考えるには最良の季節になった。

酒の席で飲まないで過ごす野暮なことができるようになった。他人の話を一度腹に落としてから回答するようになった。独りよがりなプライドがどれほど人格に害をもたらすかに気づいて、はっとすることが多い。物事は、他人さまが何を言おうが、こちらがどのように受け止めるかが重要なのである。