旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

スペイン語

2006年02月20日 00時01分30秒 | Weblog

「夜の銀狐」というヒット曲の歌詞の一部に「ソーロ グリース デ ラ ノーチェ」というくだりがある。スペイン語辞書であたって"solo gris de la noche"だと思った。「夜になれば灰色の孤独」うーん、なかなかいいムードじゃないかと。

参考までにネットで検索してみた。明らかに誤っていた。"zorro gris de la noche"が正解。その昔、「怪傑ゾロ」というテレビ番組があった。最近では映画化された。ゾロは、スペイン語で狐の意味であることは記憶のどこかにある。これじゃまさしく、"zorro gris de la noche"は「夜の銀狐」。それにしても、何でzorroをゾロと読まないでソロと読むのだ。

フリオ・イグレシアスの「青い瞳のナタリー」をスペイン語で歌えるのはいつの日のことになるのであろうか。

Mishima

2006年02月19日 20時11分38秒 | Weblog

三島の文章の明晰さが好きです。

小説や評論も好きですが、彼の生き方も良いですね。
主義主張が明確です。
行動的な知識人の、
ひとつの生き方を示しました。

小説では、「金閣寺」と「春の雪」が良いですね。
「文章読本」や「わたしの遍歴時代」も良い。

三島の美意識にも、
一部共鳴するところがあります。



なりたい顔

2006年02月18日 09時14分15秒 | Weblog


こちらも相応に年をとってくると、
ただ綺麗な顔がいい顔である、
とは思えなくなってきました。

それでも、
もしもなれるとしたら、
という前提にたつと、
グレゴリー・ペックなんて悪くはありませんね。
顔だけではなくて、あの長い足と胸元の広さごと、
・・・であれば。

法社会史 古代

2006年02月17日 10時01分24秒 | Weblog

法制史ではなくて法社会史なので「制度と社会」についてかなり突っ込んだ解明がなされているのじゃないかと期待したのですが、通読した限りでは網羅的・平板的な印象で、一見すべてを語っているようで、実は何も語っていない。やはり教科書的な記述にとどまっているようです。

怪我の功名とでも申しましょうか、参考文献が明記してあるので助かります。中世まで読み終えた段階で、改めていろいろお尋ねすることになろうかと思います。仕事の邪魔にならない範囲でよろしくお願いします。


和製ポップス

2006年02月07日 17時04分53秒 | Weblog


ユーミンは嫌いじゃないですよ。その昔、貧乏人の子倅が大きな夢と野心をもって上京しました。ところが、東京ではお金がないと何もできない。食費をけずって古本屋めぐりを続ける内に夢も希望も萎えてきました。そういう時、ラジオから聞こえてくるユーミンはまさしく福音でした。

ユーミンの歌には、屈折した感情とか貧しさとかを連想させるような雰囲気というものが、全くない。山の手のお嬢さんがドブネズミに、おいでおいでしているような透明?さがありました。今思えば、アメリカのアッパーミドルの世界なんですね。彼女には多くの夢をみさせていただきました。

いくら夢をみても、最後の最後まで貧乏な学生生活が続いたことに変わりはありません。多くの同窓生たちは経済的理由で大学に進学さえできませんでした。今となっては、進学をさせてくれた両親に感謝しています。あのころは日本も貧しかったのでしょう。いや、わが家だけが貧しかったのかな?

ユーミンが登場した頃、ジュークボックスというのがあって、硬貨をいれると好きな曲が聴けました。ビートルズの「Revolution」とか、アニマルズの「The house rising sun」プレスリーなどの激しいロックを夢中で聴いていました。だから、近頃のバカ者たちのことは言えません。いつの時代も性欲を持て余した若者は激しいものを求めます。

大和民族というのは、古来よりリズムで女性を口説くのが苦手な民族ですから、リズミカルなラブソングの後進性は否めません。やはりアメリンポップスの方に圧倒的な蓄積があります。最近の若い人たちの間に、メロディよりもリズムを重視する音楽が台頭してきたのは、ほぼ完璧に、音楽的にアメリカナイズされてきたことの証でしょうね。

わたしは、目下ボブ・ディランにはまっておりまして、米語もどきの日本語ならぬ、英語そのものに聞き入っています。だから、サザンの桑田については、あんまり食欲?がわきません。

学長

2006年02月07日 11時51分16秒 | Weblog
                  ドナルド・キーン

偶然にも・・・といいますか、>『体系 日本史叢書』6.土地制度史 Ⅰ;山川出版社,1973年)いわゆる荘園公領制の実態を明らかにした。<本棚の隅の方で長いこと埃をかぶって冬眠していますが、この本を持っています。

以前(かなり昔に閉校しまた。)、広島にニューヨーク市立大学の広島分校という大学(校?)がありました。当時、自宅近くの小料理屋でママを相手に呑んだくれていたら、わたし以外にはふたりの外国人しかいないはずなのに、なぜか流暢な日本語が聞こえてくるのです。英語でちょっかいをだしてみました。元々shyな性格じゃないので興味本位で?よく外国人に話しかけます。

すると、なんと完璧な日本語が返ってくるじゃありませんか。話を聞いてみると、広島分校の学長で、日本の荘園制度を中心とした『中世の土地制度』について研究しているというのです。驚きましたねえ。学長が日本語の文献を並みの日本人以上に読めるということもすぐに解りました。偉い人がいるものだなあと素朴に感心したものです。

もともとが、コロンビア大学の日本語学科で学位を得っており、日本文学の翻訳家「ドナルド・キーン」なども知己だということも手伝って、古今東西の文学論・文化論にも花が咲きました。日本人の多くが日本の文化に無関心であることと、落ちこぼれが多い広島校の在学生の無気力をしきりに嘆いていました。

「あなたのような元気な方に、広島校の教育環境の卓越ぶりをそこいらじゅうに宣伝してもらいたいから、是非いちど大学に足をあこんでもらえないか?」と誘われましたが、所詮は飲酒のうえでの盛り上がり。醒めてみて、へえ、「中世の土地制度」の研究ねえ・・・、で、怖気づいてしまいました。罪滅ぼしに、たまたま古本屋でみつけた『体系 日本史叢書』6.土地制度史 Ⅰ;山川出版社,1973年)を買い求めたというわけです。12~13年前の話です。

時系列で見ると、かの学長は、網野善彦の研究書を読んでいた可能性が高いように思います。日本の学会が極めて閉鎖的で、知的に誠実で独創的な研究者をなかなか評価しないと熱く語っていた姿を、今でも思い浮かべることがでいます。ああいうタイプの学者が好きですね。

学長は、質で勝負する。勉強しない学生には単位を与えない。再建は卒業生の質で勝負するしかない、ブランド大学、特に私学の学生は大学での努力を怠っている。再生のチャンスは十分にあると言っていましたが、、学長の懸念どおり、ニューヨーク市立大学の広島校の卒業生が国内の大卒として扱われないというハンディのため、ニューヨーク市立大学広島校は、間もなく廃校に追い込まれてしまいました。

あの学長どうしてるんだろ?

後日、風の便りに(店のママから?)コロンビア大学に帰ったと聞きました。その折、店のママ曰く。「学長だろうが、青い目じゃろうが、店で飲んで食べてくれるひとは、みーんな大事なお客様。学長、わたしみたいなのを相手に、難しい話ばかりしてわけわからん、その点はあんたもいっしょ。難しい話をやめて、皆さん楽しく、ぱーっとやってくれたらそれでいいの、うちはとにかく安いんじゃけえ。」この店も、ママが体をこわして、5年ほどまえに閉めてしまいました。

昭和は遠くなりにけり、でしょうか?


記憶

2006年02月04日 01時04分23秒 | Weblog


網野善彦さんについてネットで調べてみました。彼の著作にあたれば、わたしの素朴な疑問にかなり的確な回答が得られそうです。ああいう切り口なんですね、われわれ素人に理解しやすいのは。

学者先生の手法というものはいつの時代も似たようなもので、何百年か後には現在のサラリーマンたちは、「企業という名の強制労働装置にあって、市民は奴隷並みの強制労働を強いられた。職場を放棄するとホームレスという名の放浪者となった。また、自殺に追い込まれる者は例年2万人を越えた。後世の歴史家たちは、当時サラリーマンと呼ばれたこの階層を社畜と称して、企業家たちによる非人間的な扱いを批判的に捉える。社畜たちに名目的な自由は与えられたが、後の知値社会の到来によって市民が勝ち得た本源的な自由とは全く異質な、古い概念でいう所の素朴な自由に留まった。」このように評価されるだろうと思います。

その反面で現代人が、封建時代の王侯貴族、大名や旗本たちを上回る消費生活に明け暮れていたなんて・・・。網野善彦さんが言うように、歴史学は根本的なところを問い直されて然るべしだと思います。濫読ですし本の整理をここ5年ほど怠っているものですから、なんともいえないのですが、思い起こせば網野善彦さんの名前は記憶の片隅に残っています。「日本社会の歴史」上中下 岩波新書 あたりがどこかのダンボールの底で眠っているような・・・。いずれにしても、統治者側からみた歴史ではなくて、民衆の側からみた歴史(それこそ歴史の名に値するものかどうか?)に興味津々です。

ここまで書いて突如として記憶が蘇りました、わたしが好きなリゾートホテルが山口県の周防大島にあります。その島に(といっても現在は橋で本土とつながっています。)最近、宮元常一という民俗学者の資料館でしたか、記念館でしたかが建設されました。「忘れられた日本人」の著者です。それを記念して新聞が宮本常一のことを相当書き立てました。その中にあった民衆史という言葉が引っかかりました。わたしにとってはきっと、その記事が種記事?なのでしょうね・・・?詳細については忘れてしまいました。宮本常一の考え方のみが記憶のどこかに残っていたものでしょう。

ゴルフ 自動車 アメリカ

2006年02月03日 11時01分10秒 | Weblog


わたしもゴルフはだめです。ところが、ドライブが好きで年中車を乗り回しています。また、アメリカ資本の外資に勤めていますからアメリカ流Talking Streightは嫌いじゃありません。古語で読むと難解極まりない古事記を英文で読んですっきりする姿なんざあ、さながらあなたさまの天敵ですね?

古い知人に、全共闘の元闘志がいて20年ほど、松山で古本屋をやっています。最近あって話をしたのですが、「古典のうちでも自分が好きな哲学・思想系は全く売れない。漫画で勝負だ。」と嘯いていました。わたしの特技は、古本屋で値切ること。ただ、ブックオフでは通用しません。あそこでは、いわゆる固い本は殆ど一冊105円で、漫画の方が値が高い。わたしは助かりますが、日本人の活字離れは深刻なようです。

明治維新

2006年02月03日 10時58分44秒 | Weblog
                     大久保利通

維新の立役者は、西郷や松蔭、武智に竜馬、好きな人斬り田中新兵衛に岡田以蔵、その他大勢。幕臣にあっては、勝海舟や新撰組の面々のように同じ武士階級のなかでも、封建的ヒエラルヒーの内にあって下級層の出身者が圧倒的に多い。同じ武士という支配階級であっても、本来維新の主導権を握ることができるような層ではないはずの下級武士たちが、何ゆえ維新の主役になり得たのか。興味は尽きません。確かに下級武士といえども兵法の素養はあろうし、戦闘能力もある。しかし、儒教的な考え方では身分の低い者が高い者を指導することなど、基本的にありえない。恐らくは、直面する幕藩体制の危機を克服するためには守旧派といえども、年功序列から能力主義の人事に移行せざるをえなかったのでしょうね。したり顔の為政者たちに代わって、貧乏侍の中から藩政をリードするヒーローが現れる。きっと、百姓や町人たちは喝采したことでしょう。おれたち百姓や町人にだってやればできる。そういう勇気が明治になって開花した・・・。司馬遼みたいな底の浅い解釈になってしまいました。

悲しき活字中毒患者

2006年02月03日 01時37分36秒 | Weblog
趣味は読書に旅行。暇があれば読書に耽り、退屈になると旅にでる。そしてその合間を縫って、極たまにビジネスに励むのである。最近、カミユ全集全10巻(新潮社)を購入。若かりし頃、買いそびれた全集を手にして絶句、思わず目に涙。次は小林秀雄全集に狙いを定めて、古本屋で値踏みを繰り返している。今年1年をかけて、中央公論の「世界の名著」全81巻「日本の名著」全50巻を読破する予定。