旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

王陽明著「伝習録」

2007年12月31日 19時27分39秒 | Weblog
「王陽明全集全10巻」の解読が進まない。絶えず現実と格闘した陽明だから得るものは大きいはずだ。「抜本塞源論」は理論としての緻密さや整合性を大いに欠いているように思われるが、ほとばしりでるような道徳観がわたしを魅了する。陽明に優等生的な回答を求めているわけではない。

陽明全集の第一巻「語録」は漢文の読み下し文だ。口語で読むような具合にはいかない。頭注をたよりに読み下し文と格闘をしている。「伝習録」は徐愛ら高弟による如是我聞(このようにわたしは聞いた)である。

高弟たちが腑に落ちないことを師匠(陽明)に問いただして、みんなに解りやすく説明しようというのだから「如是我聞もの」は本来解りやすいはずなのだ。

ところが、『良知は具体的な状況に対する応答として直観的に理を定立するとともに、理によって意志を規定し、実践を迫る情意的衝迫力である。知行合一とはこの謂いである。』【解説より】と結論をはしょられると、やさしい話がとたんに難しくなってくる。その昔、高校倫理の授業を受けた時と同様に解ったようで解らない。もっとも、解説書とか概論とかの文章にはこの類が多いことは既に承知だ。

専門家と呼ばれるひとが著述する場合には、自分の理解の度合いに応じて述べるのではなくて、読者の理解度に応じて述べるのが礼儀というものではあるまいか。一般に専門家には、この種の力量が不足しているように思われる。

やさしい話を解りにくくされたのじゃたまらない。こういう局面に再三出くわすと、疑り深いわたしなんぞ「ほんまかいな?なんだかこの解説も怪しいなあ。」ということになって結局、原著に挑まざるをえないのである。

本を読む

2007年12月31日 09時59分45秒 | Weblog
同僚からよく「この本、読まれましたか?」とベストセラーとか経済関係の本について聞かれる。わたしの趣味が読書であることが社内で広く知られているからであろう。「まだ読んでいない。暇な時にでも読んどくわ。」と返答することに決めている。こういう対応に同僚たちは決まって怪訝そうな顔をする。

「えっ、このひとまだこのベストセラーを読んでいないの。」といく分かの失望と「自分はもう読んでいる。」といういく分かの優越感をとってみることができるのだ。ところがこっちは、ベストセラーの内容について知りたいとも思っていないので、以降の話は続かない。「本を読むのに忙しいのだ。ベストセラーなどを読んでいる暇などない。」というのがわたしの本音である。

ギャランドゥ

2007年12月31日 08時39分58秒 | Weblog
ギャランドゥ 
 
 くやしいけれど お前に夢中
 ギャランドゥ(ギャランドゥ) ギャランドゥ(ギャランドゥ)
 その熟れた肌 うるんだ瞳
 ギャランドゥ(ギャランドゥ) ギャランドゥ(ギャランドゥ)
 すきとおる白い肌 黒いドレスに包み
 髪を振り乱したままで踊る(踊る) ギャランドゥ(ギャランドゥ)
 はじけるドレスのすそ 愛をちらつかせて
 男の視線集めては お前は(お前は) 光る(光る)

 衝撃的な お前との出会い
 ギャランドゥ(ギャランドゥ) ギャランドゥ(ギャランドゥ)
 一夜限りの 恋でもいいさ
 ギャランドゥ(ギャランドゥ) ギャランドゥ(ギャランドゥ)
 男を誘っては クルリと背を向ける
 そんな仕草に 憎いほど燃える(燃える) ギャランドゥ(ギャランドゥ)
 みんなが俺に言うぜ あいつにゃ近づくなと
 走り出した恋の汽車は 止まりゃ(止まりゃ) しないぜ(ギャランドゥ)

 真紅なくちびるが キラリと光るたび
 狙った男 落としてく
 ギャランドゥ(ギャランドゥ) ギャランドゥ(ギャランドゥ)

              作詞・作曲 もんたよしのり 



ハムレット

2007年12月29日 03時16分07秒 | Weblog
昨日の午後4時ごろに契約を終えた。その足で呉市から広島まで引き返して税理士事務所の職員Uさんを訪ねた。今回の商談を契約までもっていくことができたのはUさんのおかげである。久しぶりに会って談笑した。その誠実さと知的センスは相変わらずだ。

そういえば昨日の昼前にA先生の診察を受けた。いつものように血圧を測定してみると下130に上170の快挙!である。数値を聞いただけで、後頭部に鈍痛が走るし目がくらむ。

ところがである。わたしは毎日、朝と寝る前に血圧を測定している。ここ数週間というもの、わたしの血圧は下が105で上が155くらいの数値で安定的に推移してきた。高いといえば高いが、体重を落とせば何とかなる数値である。

ホームドクターのA先生に言わせると、そうでもないらしい。来年から降下剤を投与すると宣言されてしまった。怖さ半分で血圧計を引っ張り出して家で血圧を測ってみた。ゲェ!なんと140に180である。かなりうろたえた。

しかし、一度深呼吸をして測り直してみたら105に155。ついでにもう一度測ってみたら95に140。わたしは白衣恐怖症または血圧計恐怖症なのである。

いずれにしても降下剤の処方を受けるべきかどうかハムレットの心境である。血圧の乱高下が激しいのは事実である。すなわち「飲むべきか、飲まざるべきか・・・。」眠れない夜が続く。


茶の湯

2007年12月28日 00時52分33秒 | Weblog
従兄弟の影響で茶道に興味を持ち始めている。先日、日系三世の従兄弟と茶会に招かれて(というよりも、私が無理強いをして茶会を開かせて、)表千家の正式な作法でお茶をいただいた。読書好きなわたしは何かに興味を持つと書物をその入門書とする。

もともと抹茶は好きで、2年ほど前に茶筅で抹茶をたてることを覚え、間もなく抹茶用の茶碗を買った。そして定石通りというか、たまたま大学の先輩ににあたる表千家の家元である千宗左が著した表千家の作法について書かれた本を買った。ところが、この本は茶道のマニュアルのような本でさほど面白くない。

遠州茶道宗家第十三世家元、小堀宗実著「茶の湯の不思議」で茶の湯の何たるかがようやく理解できるようになった。その著作の中で小堀は、千利休のわび茶について次のように解りやすく説明している。

利休は、茶の湯の根底に流れる「わび、さび」を追求するという独自の視点から、他の茶人とは違うやり方を試みた。秀吉が主宰する本格的なお点前の腕比べの際、煩雑な作法をすべて無視してさっさとお茶をたて、「古流は、事多きにつき省略してござる。」と言い放って秀吉や他の茶人たちを驚かせように、晩年の利休は徹底的に茶の湯の世界から装飾性を排していった。こういう話なら門外漢の私にも、なるほどこれがわび茶かと納得できる。

だからといって、お湯を沸かすのにやかんでいいということにはならない。茶筅までは準備ができたものの予算的に茶釜までは手が回らない。しかもこのあばら家に茶釜が似合うはずもない。そこでせめてというわけで湯沸かを南部鉄瓶にすることにした。

原田伴彦著「町人茶道史」に定番、岡倉天心著「茶の本」、この本は例によって英訳「The Book of Tea」と並行して読んでいる。ところが天心の「茶の本」は、なんと英文で書かれた「The Book of Tea」の和訳なのであった。


正月

2007年12月27日 23時35分45秒 | Weblog
今日でひとまずビジネスは終了した。その最終日に大口の契約がとれた。いい正月を迎えることができそうだ。正月といっても特に予定はない。4日から出勤してみようかなどと殊勝なことを考えてみたりもする。初詣に小旅行、魚釣りにゴルフといろいろ予定をたててみるが、いまひとつ乗り気にならない。

本日の夕刻、いきつけのスナックのママから「今日からわたしひとりだから来てね?」と電話があった。29日までやっているのだそうだ。一般に、スナックのママは正月とお盆にもっともさびしい思いをするものだ。はっきりいって、店は流行っていない。まるで貧乏神から手招きされているような気がした。

いっそ年末は、気ままなドライブと行こうか。好きな浜田の「石見海浜公園」や萩まで足をのばせば、1日はつぶすことができる。


『旬遊』

2007年12月25日 09時18分40秒 | Weblog
1年ぶりに広島の地元誌の編集者と会った。大学の1年後輩にあたる。季刊の雑誌の編集をやっている。もちろん発行元のオーナーでもある。今季号でようやく19号まで発刊できたと意気も軒昂だ。

創刊号は味覚にこだわる職人たちの特集であった。以来その道の求道者たちを特集して創刊6年目を迎えようとしている。わたしは創刊以来の愛読者だ。編集者が職人技というものにこだわっていることを読んで取れる。映像も多く読みやすい。わたしの周りにもこの雑誌のファンは多いようだ。

28年間市内の立町でレストランを営んできた幼なじみがいる。来年いっぱいで店を閉める。再来年からは、もみの木森林公園のログハウスがレストランになる。編集者は、この話に興味を持ってくれた。来春から取材に入る予定だ。編集者も「わたしの幼なじみ」のご亭主も頑固者のようだから、いい内容になるにちがいない。

年の瀬に思う

2007年12月21日 00時18分27秒 | Weblog
自分が可哀そうになるくらい不調な年の前半であった。会社中枢の誤った判断に翻弄された。平常心を取り戻すために、わが身をいたわざるをえない日々であった。後半から終盤に至って、ようやく光明が射してきた。そして、今年のビジネスは24日から休息モードに入る。新年は、しばらく自堕落な生活をしようと思う。

抽選会

2007年12月20日 22時55分25秒 | Weblog
【送信】

**さま

残念ながら、30万円相当のジュエリーも、13万円相当の32インチTVも当たりませんでした。それどころか、なーんにも全く当たりませんでした。▽▽さんは、「ここのテーブルから何で当たりがでないのよー!」と憤っていました。TVは△△さん、ジュエリーは□□さんか◇◇さんが射止めたようです。

ひとえに私の不徳です。懸命に祈りましたが神に通じなかったようです。でもよく考えてみると、**さんの抽選番号は「4」、わたしの抽選番号は「49」ということで、互いに「4」と「9」。あんまり縁起が良い数字ではなかったので外れて良かった・・・。と悔しまぎれにうそぶいてみます。

なお進行形の旧年中はお世話になりました。年が明けたらまたお会いしましょう。良いお年を。

〇〇 



【返信】

〇〇さま

昨晩は、途中逃亡いたしまして申し訳ありませんでした。抽選残念でしたね。コッコッ地道に稼いで、偶然を頼みにしなさんな、という天の声ということでしょうか?来年はきっとお互いに良いことがあるでしょう。!(?)

今年一年、〇〇さんとご一緒できて、大変幸せでした。来年もよろしくお願いいたします。良いお年を。

**

粗忽者

2007年12月20日 22時48分35秒 | Weblog
昨日、所属するクラブのクリスマスパーティーがあった。出席者は約150人。生バンドが3組出演し、お楽しみ抽選会では「30万円相当のジュエリー」や「32インチのTV」が当たるという豪華番である。飲んで食べて語った。会場はホテルグランヴィア広島だ。

飲んで食べて浮かれることが好きな性分だから、声がかかればどこへでもでかける。先々週は、「全日空ホテル広島」改め「ANA クラウンプラザ広島」のクリスマスパーティーで浮かれた。出席者は約250人。

場慣れしてくると人間、緊張感を欠いてくる。クリスマスパーティーといえば通常、年に数回のエベントなのだから、身支度を整えてドレスアップしたうえで出席するものだ。ところがこのオジサン、どこのパーティーにでかけるにもくたびれたスーツで済ませている。

昨日などは、タイピンを忘れたので、どうにもネクタイのおさまりが悪い。新幹線口の雑貨屋さんで買った。思えば、数か月前にこの店でベルトを買ったことがある。ベルトをしてでたつもりがしていなかった。その時、愛想のよいおばちゃんの店員さんに尋ねてみた。

「ベルトをするのを忘れて、慌ててこの店に駆け込むような粗忽者は私くらいのものでしょ?」「いえいえ、お客さんは言っちゃなんですがまだまともな方。結婚式に出るのに葬祭用の黒いネクタイをしめてきて、慌てて冠婚用の白いネクタイをもとめられるお客さんがいました。」

「そうそう、出勤電車の中でネクタイをしていないことに気がついて駆け込まれるお客さんは多いですね。月に数本は売れます。ワイシャツを着てくるのを忘れたとおっしゃるお客さん、肌着の上に礼服を着ていましたよ。数珠も置いてあるんです。年に何個か売れますね。」

きっとこの店では、ベルトをしめ忘れて1本1050円のベルトを買った男の話もしているに違いない。なんとその男、その半年ばかり前にも1本1050円のベルトを買っているのだ。昨日の店員さんはいつものおばちゃんと違っていた。そそくさと1個2100円のタイピンを買って店をでた。

あんぽ柿

2007年12月18日 09時57分26秒 | Weblog


今年は約100個の干し柿をつくりました。 「あんぽ柿」というんですか、 干して3週間ころに食べるとこれが実に美味しい。 ヒノキの葉っぱをそえて知り合いに進めてみたら、 その場で一気に3つも食べられちゃいました。

今年はネタに恵まれて、ことのほかできが良かったので、自分でも30か40はいただきました。 天の恵みに感謝します。残りの殆どは知り合いにさしあげて、 それでも余ったものですから、留守中に庭に来る鳥たちに差し上げました。

そうそう、冬の風物詩といえば、これからハゼを釣りに行かなくては。釣ったハゼのワタを取り出す。鱗をとってからできれば炭火で焼く。焼いてから天日で干す。 雑煮のダシにはこいつが最高。

2年ぶりのゴルフ その2

2007年12月18日 01時20分16秒 | Weblog
もちろん最下位である。9人中にはセミプロ並のゴルフ狂が3~4人もいたし、御歳70歳の恩師ですら120前後のスコアーである。紅一点の同窓生も110台のスコアーで周った。要はメンバーのレベルが高過ぎるのだ。

私にしては珍しく、教本を読みながら1週間前から素振りに励んだし、前日には「打ちっ放し」で100発以上を打ち込んでもみた。それでも一緒に周った2人のスコアーは90台である。スコアーだけみれば話にならない開きだ。

実をいうと今回の私のスコアーには、空振りが5打と誰がどう見てもインであったがボールが見つからなかったためにプレーイング4となった例が2度ある。さらにはドライバーショットがもう少し何とかなりそうな例がチョロを含めて20打はあった。こういうミスがなければ100打前後の成績なのである。

ゴルフを始めて25年になる。今回初めてゴルフが意外に面白い遊びであることに気がついた。体力の衰えがなせる業なのかどうかが気にかかる。


奈落の底

2007年12月18日 00時44分20秒 | Weblog
ことわざでは「苦あれば楽あり」とか「禍福はあざなえる縄のごとし」とか「人間万事、塞翁が馬」とかいわれる。何のことはない、人間長く生きていれば悪い時もいい時もある。幸運や不運に一喜一憂する暇があるのならば、日々精進した方が精神衛生上は良いということなのであろう。

この一年間というもの、オン・ビジネスでは再三にわたって奈落の底まで突き落とされかかった。孤立無援であった。ビジネスにしぼっていうと何の光明も見出せないほど不調であった。ところが最近になってようやく運気が向いてきたとでもいうのであろうか、ビジネスが順調に進み始めた。きっと貧乏神が旅支度を始めてくれたのであろう。

今回の窮地に直面した私は、自分の内面や衝動ではなくて外界の現象をじっくりとみつめてみることにした。生まれて初めての経験である。そして、自分の意志を通すことよりも人の意見に耳を傾けた方がより事実や真実に近づけることに気がつきかかった。

それほど今年の不運は凄まじかった。ところがである。残念なことに仕事の方がうまく行き始めるともう元の黙阿弥。体験の大半を忘れかかっている。忘れかかっているからブログに書き留める。書き留めたからといって今となっては悔い改めるつもりは毛頭もない。ま、所詮は一匹狼の営業マン、何もかも忘れて今日もビジネスに励む。

従兄弟の来日 Ⅴ

2007年12月14日 01時42分09秒 | Weblog
来日した従兄弟はアメリカの景気が悪いことを嘆いていた。サブプライム問題が発生する以前から、長期間にわたって景気は停滞しているという。シリコンバレーもすっかり勢いを失っている。

来日してみて日本人は金持ちであることに気がついたらしい。しきりに日本の物価がめちゃくちゃに高いという。この高い商品を買うことができるのだから日本人は金持ちに違いないというわけだ。同じ血が流れているだけあってわたしと同様にかなり単純な物差ししか持ち合わせていないようだ。

日本の印象はきれいというか小奇麗というか、清潔でモダンな国のように見ているようだ。

Kafka on the Shore

2007年12月11日 22時28分51秒 | Weblog
「Kafka on the Shore」は、村上春樹著「岸辺のカフカ」の英訳である。数年前に「風の声を聞け」と「ノルウェーの森」の英訳を買っているので、村上春樹の英訳はこれで3冊目になる。日本語と英語を対照比較しながら読み進めば英訳の「Norweigian Wood」をなおさら興味深く読める。英語という言語が平明で明快な性質をもっていることが容易に理解できる。

いまさら英語の勉強でもない。英文和文の二本立てで読むことが、数十年前に好きな映画「ゴッド・ファーザー」の原著や半藤一利著「日本の一番長い日」の英訳である「The Longest Day of Japan」を読んだ頃からの、私のささやかな趣味なのだ。以来、日本語で読んだことがある著作の英訳や見たことがある洋画の原著や英語のシナリオをみつけると無性に読みたくなる。最近では英文「ジョーズ」のシナリオの臨場感に圧倒された。

アルベール・カミユは好きな作家のひとりだ。英訳が5冊ばかりある。フランス語の原著には全くといってよいほど歯が立たないが、たまにこの英訳を読むと下手な和訳よりも解り易いことがある。たとえば和訳では「分別ざかり」となっているサルトルの英訳のタイトルは「The Age of Reason」である。まだ目を通していないが少なくともタイトルは英訳の方が数段センスがいいように思われる。