旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

所感

2010年12月31日 23時07分51秒 | Weblog
暇な時間をもてあましたので積み上げた本の整理にかかった。1冊1冊の埃をはらうたびに本を買った時の問題意識や心情が蘇る。読んだ本の傾向を探ると随分偏った読書をしてきたものだとため息がでる。特に、魂を鼓舞してきた本については読むことによって随分慰められていたのだなと軽い本に重みを感じる。

今は野心とか成功とか出世とかとは無縁の世界で働いているから魂を鼓舞するような読書の出幕はない。どちらかというと魂を癒す本を手にすることが多い。この複雑怪奇な世の中を解読する辞書のような役割を果たす、たとえば「ブッダ最後の旅」「聖書」「大学」などだ。「ツァラトストラ」「論語」を読めば心が軽くなる。

なお読書欲は衰えない。心が「せっかち」になっている時に必要性に駆られて読んだ本は心に残っていない。ハウツーものやマニュアルが多かったように思う。心の糧になるような本を何冊読み終えたことだろう。少し不安になる。幸い広島市内には大型の書店や古本屋が多い。来年はそのような種類の本を探したい。

間もなく来年になる。ようやく公務にも慣れてきた。いまだ未解決の数件の難問を乗り越えて来年こそは潤いのある年にする。さらば2010年!

『生活の貧しさと心の貧しさ』

2010年12月30日 10時42分06秒 | Weblog
「真理への畏敬」のなかで大塚久雄は、
「一番大切なのは真理を知る人々が、何よりも真理ご自身を知り続けなければならないということ。それから、その真理を知っている人々がその真理を伝え続けるばかりでなく、みずから地の塩となって、踏みつけられながらも、世の腐敗を止めるという役割を果たすために少しでも努力し、働き続けなければならないということ。まことに平凡なことがらであり、また古くから言われていることでありますが、私はやはりこのことが最小限の必要事である。ともう一度はっきりと言わなければならない。そしてそのために、われわれは日々新たな決心をもって努力し続けるべきだということなのであります。」と説いている。

大塚はクリスチャンだから聖書をよりどころとしている。
「生活の貧しさと心の貧しさ」のなかでは、
「障害を持っているということは何ら自分の責任ではないわけなんです。私、一昨年の夏、ある田舎道を松葉杖でひょっこひょっこ歩いておりました。すると、お婆さんが、小さな子供を連れて向こうから来まして、私の方を指して何か言っている。何を言っているのだろうと思って聞いていますと、『おいたをしちゃいけませんよ、お婆さんのいうことを聞かないで悪いことばかりしている人が、ああいうふうになるんだよ。』こう言っているいるんです。」と自身の経験を語っている。

「心の貧しさについて」
米国聖書協会 GOOD NEWS BY A MAN NAMED MATTHEW (マタイによる福音書)ではThe Sermon on the Mount (山上の垂訓)として知られる、”Happy are those who know they are spiritually poor:the Kingdom of heaven belongs to then!”「心貧しきひとびとは幸いである、天国はかれらのものだから。」で知られる。"be spiritually poor"の翻訳は「心貧しきひとびと~」では弱い。私見では「霊的に恵まれないひとびと~」の方が日本語表現としては適切だ。

1961~1976年のほぼ15年における講演・対談・小文を集めた「生活の貧しさと心の貧しさ」から大塚の心象を読み取ることができる。最近も途中で放り出した「プロテスタンティズムの倫理とプロテスタンティズムの精神」を読み直してみようと思う。またかれの小論を読むにつけ、論理的には相反すると思われる儒学のテキスト「大学」でいう致良知に近い何かを感じたのは気のせいか?大塚久雄は著名な歴史学者で、ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の翻訳者として知られるほかにマルクス研究、ヴェーバー研究の分野で大塚理論と称される独自の理論を展開した。


休日

2010年12月29日 18時13分48秒 | Weblog
昨晩の9時には床に入り早朝の5時に目覚めた。新聞に目を通してパンとヨーグルト、ゆで卵にコーヒーの食事を早々と済ませた。日がじゅうぶんに昇るころ、鉢植えのバラ9鉢にそれぞれ少々の、モクレンにたっぷりの肥料を施した。

垣根のキンモクセイの剪定を済ませてから、11時過ぎに隣接する東広島市のスーパーストアにでかけた。レストランのサービス定食880円也で好物のステーキを食べた。タレががとてつもなく美味しかった。ペットショップで犬や猫の愛嬌にみとれ、フクロウやミミズクの知的な目に魅せられた。フクロウが知的な動物なのかどうか知らない。5合目あたりから雪化粧をしている東広島や向原の山々に沿った谷合を車で走りぬけてから、農業資材の中型店舗でチューリップの球根を買った。

書斎に腰掛けたら昨日までの疲れがすっ飛んでいた。丈夫に産んでくれた母親に感謝する。


『眠ろうとして』

一日の営みに疲れて、
私の切なる願いは、
疲れた子供のように、
星月夜をしみじみと抱きしめる。

手よ、すべての仕事をやめよ、
ひたいよ、すべての考えを忘れよ、
私の五官はみな
まどろみの中に沈もうとする。

魂はのんびりと
自由な翼で浮かび、
夜の魔法の世界に
深く千変万化に生きようとする。

       ヘッセ

私の魂はのんびりと自由な翼で浮かんでいる。




年末に寄せて

2010年12月28日 20時09分02秒 | Weblog
今年の収穫は、「小林秀雄全集 全15巻」に加え「加藤周一著作集 全15巻」、「岩波講座 哲学 全18巻」「新 岩波講座 哲学 全16巻」を買い込んだことに尽きる。これまでの読書に対する渇きがいくぶんか和らいできたようだ。

先祖返りではないが、儒学や国学返りしている。反面、心理学については多くの著作に当たった。しかし、心理学については学問としての確かさに疑問を持ち続けている。同じ心理学の範疇ならばフロイトのエロチックさやダイナミックさを再評価したくなる。特にかれの「文化・芸術論」は何度読んでも興味深い。

ということで、「今年の仕事が終わった。」。一昨年までは、「ということで、今年の仕事を終えた。」だった。この仕事は尾を引かない。最近は職業相談をやらないので、職業訓練相談一辺倒だ。もっとひとりひとりの相談にじっくりと応じて差し上げたいのだが、すべての求職者に公平にというのが公務の宿命であり限界だ。職安の職員だから希望は叶わない。

「懇切・迅速・公平」がハローワークのモットーであることを最近になって知った。ハローワークに勤めて早くも1年と半年になる。日々、やりたかった仕事に就いていることのありがたさを感じる。勤め人としての人生はここで終わることになるのだろう。

電子書籍の登場は以前から気にかかっていた。最近になって、意外に電子書籍の販売は苦戦するのではないかと思うようになった。夢は「哲学を語る古本屋の親父」なのだ。古本屋の開業に希望の火が灯っている。

2010年12月25日 22時15分21秒 | Weblog
昼過ぎから高陽町に小雪が舞った。雪景色を見たくなったので千代田の土師ダムまで車を走らせた。湖畔はうっすらと雪化粧だった。降る雪と灰色の風景に胸が熱くなった。帰りは千代田のインターから高速で広島方面を目指そうとした。ところが、チェーン規制のため高速に入ることができない。県道を千代田から八千代に抜けて高陽まで戻った。

着いたのは夕暮れ時だった。雪はすっかりあがって星がきらめいていた。空気は澄んで冷える。このあたりも明日は雪が降ると予報していた。

しなやかな脳

2010年12月21日 20時33分31秒 | Weblog
技能検定の第1ラウンド、学科試験と論述試験が終了した。1月9日のロールプレイ、面接試験までに硬くなった頭をほぐす。理論や方法論をのみ叩きこんだ頭では歯が立たない。理論や方法論、それに経験が混然一体となる熟練という技能が試される。人間を相手にするロープレの場合、必要なのは心や精神のしなやかさ、直感やひらめきなのだ。脳みそをほぐしておくのがよい。

第1ラウンドの翌日、12月20日に学科試験の正解の発表があった。不合格が確定した。35問以上正解が合格だというのに30問の正解では話にならない。顔を洗って出直すとしか言いようがない。学科と実技のうち、せめて論述とロープレの実技試験には合格しておきたい。学科試験はやりかたによっては免除を受けることができる場合がある。

論述とロープレの実技試験に関して、諸方面からその技能検定の客観性に疑問が呈されている。言われてみればそのような気がしないわけでもない。しかし、合格するものは合格するのだ。もともと体系的に心理学やコンサルティングについて学んだ経験がない。だからなおさらこの分野について学んでおく、学び続ける必要がある。日々わたしは来所者に対するコンサルティングを業として俸禄を得ているのだから。



2010年12月16日 22時34分15秒 | Weblog
対策に頭を痛めている。この年になって試験勉強というのもなさけない話である。使い慣れない専門用語や、どこか危うい理論を頭に叩き込まざるを得ない。この技能検定に合格しないことには公式にキャリア・コンサルタントと名乗ることができないのだ。

ヒジョーにマイナーな技能検定なので知名度が低い。資格の有用性を声高に叫んでいるのは厚生労働省だけなのじゃないのか、そんな気すらしてくる。こちらとしては再任用含みで技能検定に合格しておいた方がいいと考えざるをえない。

ハローワークが相談員を募集する際には必ずといってよいほどキャリア・コンサルタントの資格を取得しているひとが対象になる。任用された後で聞いてみたら所内にはこの資格のホルダーが多いので肩身が狭い。

このレベルの試験にこの出費はないということで、任用後はしばらく頬っかぶりしていた。キャリア・コンサルタントの技能検定が始まったから一発勝負に出たのである。よく考えてみたらこの国家検定を請け負ったのがキャリアコンサルタント協議会という民間でコンサルタントを養成する組織の集合体なのだ。

民間資格を取得していないわたしに対する検定は厳しいに違いない。なにしろ技能検定の合格者の90%以上が民間資格、厚労省認定のキャリア・コンサルタントの有資格なのだ。そしてノンホルダーの受験番号はホルダーの番号と明確に分けてある。一目でノン・ホルダーだと分かる仕組みだ。

不平不満は多いのだが、民間資格のキャリア・コンサルタントの資格を取得するには30万円から40万円がかかる。ここまできたからには一発勝負で合格するよりほかにない。一発勝負なら4万円で済む。

他愛のない会話

2010年12月11日 19時31分11秒 | Weblog
小学校のクラスメイト5名が天麩羅屋に集った。2杯の酒とボリュームたっぷりの刺身にてんぷらの盛り合わせ、カレイのから揚げに茶碗蒸までついた。話題にも事欠かない。野菜作りの話から老いさらばえた母親、逝去した母親の話、社会人になった子供の話や近況に至るまでとどまるところを知らない。深刻な話や他愛のない会話の中を静かに時間は流れた。2時間ほどの懐かしい忘年会だった。帰りのJRディーゼル車に向かうほほに夜風が心地よかった。