旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

ブックオフ

2009年04月28日 18時23分07秒 | Weblog
長い準備期間を経て4月25日にヤマダ電機の店舗に代わって緑井にブックオフがオープンした。さっそく駆けつけたものの、2階は古着コーナー、3階の一部が古本販売ということで肝心の本の売り場はかなり狭い。気を取り直して見回ってみた。

大手町のブックオフよりもさらに軽くて手軽な本の買い入れにシフトしたようだ。新旧ベストセラーズにマンガや文庫本のオンパレードだ。その昔、古本屋をやるならマンガとベストセラーにしておけとアドバイスしてくれた先達がいた。

ビジネスとしてやろうとすれば売れ筋かどうかの波に乗らざるを得ない。自分が好きな本を並べるのであれば趣味の域を出ない。採算が取れようはずもないというわけである。その先達は四国で一世を風靡したのちブックオフに駆逐された。

ブックオフの場合、採算を度外視してライバルが倒れるまで生存をかけた激しい闘いを続ける。以前のダイエーのような商法であるからやることが凄まじい。とにかく多くの本を並べて客に選ばせるというマーケティングである。好きな本を客の方で選べというスーパー的な発想である。

本当の本好きという言い方も妙であるが、純文学やら思想・哲学、専門書にしか興味を示さないひと達にとっては不幸である。売れそうにもない、或いは小汚いからという理由でその類の本がブックオフに並ぶことはないようである。

採否

2009年04月24日 21時38分14秒 | Weblog
広島なのになんでまた浜田市に職を求めるのかという素朴な問いに答えることができなかった。したがって採否の結果は否だ。やはりというべきか、無理があった。こちらの魂胆を見透かされたようだ。月が明けたら職探しに励む。兵糧も尽きかけているのでやむを得ない。

自営の準備にと公社の物件を案内してもらった。他人様にピンはねされるくらいなら、いっそ自営で稼いでみようかとも思う。ところが世の中うまくいかない。なにしろ先立つものがない。賞金稼ぎではないが、懸賞小説に応募して賞金を稼ごうかと書き始めたものの、7枚目あたりで原稿用紙を埋める手が止まってしまった。前途多難である。

頸性神経筋症候群

2009年04月24日 21時35分06秒 | Weblog
頭にはちょうどボーリングのボールくらいの重さがあるそうだ。読書やネットに励むと徐々に頭を支えている首の筋肉を痛めることになる。重力に逆らうような姿勢を長く続けたことが原因だ。

首の筋肉を酷使すると自律神経失調症の症状を呈することがある。たまに喘息や咳の症状となることもあるそうだ。要は交感神経が強くなり過ぎた結果だという。

「ネック・リラクゼイション」をお勧めする。詳細については角川ONEテーマ21(角川新書もどき?)「慢性疲労は首で治せる!」にイラスト入りで紹介されている。

読書癖やネット癖の活字中毒患者さんやデスクワークの仕事人さんなら効果覿面。一週間前から試している。読書やネット散策が苦にならなくなった。

肩こり

2009年04月21日 22時41分52秒 | Weblog
しつこい肩こりと飲酒後の頭痛に悩まされてきた。高校時代に器械体操をやっていたので心当たりがあって、当時の後遺症かくらいに軽く考えていた。たまたま思うところがあって岩波アクティブ新書「首は健康ですか?」と角川ONEテーマ21「慢性疲労は首で治せる!」を読んだ。

9 血圧が不安定である 10 暖かいところに長時間いられない  11 汗が出やすい 12 静かにしているのに心臓がどきどきする 13 目が見えにくい。像がぼやける 14 目が疲れやすい。または痛い 15 まぶしい。または目を開けていられない 16 目が乾燥する。または涙が出すぎる

以上は自律神経失調症の症状である。なんとわたしには連番で当てはまる。これらの症状は「頸性神経筋症候群」すなわち頸性神経筋シンドロームが原因であるという。

首の酷使が原因で頸筋に異常が生じて肩こりや頭痛がおこり、終いには自律神経のうち交感神経が強く副交感神経が弱い状態になる。要するに、アクセルを踏み続けているような状態になると「慢性疲労は首で治せる!」の著者である松井孝嘉先生は仰せられるのである。

主たる原因はパソコン中の姿勢である。大いに当てはまる。嗚呼!松井孝嘉先生のご指導に従って「ネック・リラクゼーション」体操を試みている。口頭での指導には根っから反抗的であるものの活字にはからっきし弱いのである。

会社を辞めたらストレスは霧散した。ホームドクターで主治医のA先生の治療をさぼり始めて2カ月余りが経過した。近日中にまずは血液検査をして、高血圧の治療とじっくり取り組みたいと思う。A先生の苦虫を潰したようなお顔が目に浮かぶ。

就活

2009年04月20日 16時10分38秒 | Weblog
キャリアシーツ(履歴書)の受けが悪くないらしい。2社に応募して2社の選考に残っている。新卒ですら20数社受けてようやくというご時世である。楽観しているわけではない。うち1社は近いうちに2次面接がある。今月中に合否の結果をくれることになっている。採用内定ならここで決まりだ。求職活動はお終いにする。

この選考で生まれて初めてSPIという適性検査を受けた。性格検査の方はともかく、この歳になって言語能力や非言語能力(算数)の検査を受けさせられるとは夢にも思わなかった。算数は散々であった。なにしろ演算速度が落ちているのである。言語能力の方は悪くなかったらしい。性格検査では営業向きで協調性を欠くと告げられた。

ブレッド&バターのためというよりも含むところがあっての求職である。雇用保険や健康保険などの社会保険さえしっかりしていて固定給であればそれでいい。年齢制限がなくてこちらが働きたい年齢まで働かせてくれれば更によい。インセンティブというか、働きに応じて歩合給でもあれば勤労意欲も増すのであろう。残念ながら歩合給なしの完全固定給であることが1次の面接で判明した。それならそれでよい。

呆れた!

2009年04月15日 21時51分36秒 | Weblog
浪人に留年までやらかしているからまともな企業は取り合ってくれなかった。だから、大学を出てから勤め始めた企業をはじめ就社は新聞広告を見て応募し採用されることを旨としてきた。

ところがこの不況である。頼みの新聞広告による求人すら殆どない。やむなくハローワークに依存せざるを得ない。離職票を片手にハローワークに行ってみた。お役所仕事というのが気に入らない。やはりというべきか、トラブった。

ハローワークネットワークというのがあってネットで求職できるご時世である。退職金や年金で食えるほど裕福ではない。そこで、一身上の都合で前勤務先を辞めた後に即、ネットで検索したある企業に履歴書を送って面接を済ませた。

ところが、再就職手当を受け取るためにはハローワークの紹介状がないといけないと担当者がほざく。ならばなぜ、もっと分かり易く表示そいないのかと食い下がる。決まりだという。

このことを知っていたらこちらだって前もってハローワークの紹介状をもらっていたと反撃。紹介状をもらうかもらわないかでこれだけ天と地ほどの差があるのであれば誰だって紹介状をもらうはずだ。なんとかしろ。

要件を欠いているので紹介状は出せないと担当者。終いには会計検査院の検査で発覚したら云々。はやとは怒った。次の失業の認定日で一戦を交えるべく錆つきかかった魂に磨きをかけている。

ストレッチ

2009年04月15日 21時32分56秒 | Weblog
何が正常なのかはいまだに解らない。しかし、身体が正常になるよう求めているようだ。頭の中が仕事でいっぱいだったから頭と身体が不協和音を奏で体の変調に気がつかなかった。体の異常を伝えるセンサーが麻痺していたのであろう。

体が手足の先をマッサージするように求めている。背伸びをするように求めている。上半身にねじりを加えるように求めている。肩の凝りをほぐすように求めている。足の筋肉を使用するように求めている。背筋を鍛えるように求めている。

大方はストレッチでかたがつく。殆ど使用することがなかった筋肉をのばしたり縮めたりすると心地よい。わずかの運動でたいそう筋肉が痛む。そういえば退職の便りを受け取った顧客から何かしでかしたのかと尋常ならざる電話を受けた。予定通りの退社である旨を伝えておいた。


薔薇と桜桃

2009年04月14日 21時45分32秒 | Weblog
久しぶりに無為な一週間を過ごした。先月の末までは時間を追っていた或いは時間に追いかけられていた。この一週間はわたしの前を時間だけが通り過ぎてゆくようだ。

無為とはいえ心と頭はちゃんと働いている。気持ちが赴くままにか貝塚茂樹著岩波新書「孔子」を読んでみた。やはり岩波新書はこうでなくてはならない。学者らしい明哲な文章に感動すら覚える。

サクランボがたくさん実をつけた。鳥よけの網をかけた。挿し木に成功したオールドローズが蕾を結んだ。ひとは「綺麗な薔薇には棘がある。」と言う。使い古された喩だ。それでも、薔薇には並はずれた生命力があることを知る人は少ないようだ。

瀕死の薔薇を3本、1000円で買い求めてからというもの2年と数か月の歳月をかけて挿し木が蕾を結ぶまでよくぞ育てあげた。園芸には須らく忍耐というものが必要なのだ、と自賛してみる。

のどかな日々

2009年04月07日 23時09分15秒 | Weblog
小編「大学・中庸」と陽明「伝習録」を読み返す。「大学・中庸」についていうと陽明、朱子の解釈が微妙に食い違っている。学者であった朱子と行政官の地位にあった陽明であるから、朱子は理知的な解釈をし陽明は実践的な解釈をしているという見方ができる。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」(ビスマルク)という。歴史の風雪に耐えてなお読み継がれている古典を読むことが歴史から学ぶことになるのではないか、手前味噌ではあるがそのように思いこんでいる。


久しぶりに会った母親からボサボサの頭と無精ひげを笑われた。笑われついでに、母親と連れだって潮の香りを嗅ぎに坂の浜辺まで出かけた。海は青かった。桜を見ようと黄金山にのぼった。満開であった。

2週間前からメボが鬱陶しい。明日は松江にゆく。昨日、今日と1件の電話もない。のどかな日々が続く。

市民農園

2009年04月06日 01時02分28秒 | Weblog
市民農園を2区画、100㎡を借りた。今日は春夏野菜の講習会と利用についての説明会があった。苦土石灰の苦土とはマグネシュウムを含んだ石灰を指すこと、堆肥の肥は肥料の意味よりも、むしろ土をフカフカにする作用を指す。辞書に当たってみた。少なくとも堆肥にはそのような意味はない。しかし、講師がそう言うのだから多分そうなのであろう。なにしろ農業には知能を要するのだ。

講習のあとで私に割り当てられた畑を眺めてみた。結構広い。うち一区画を4分してサツマイモとジャガイモ、トウモロコシと枝豆、あとの1区画は5分してトマトにナス、キュウリ、インゲンにコマツナ、あとはオクラかヤマイモと決めた。まずは、バークか牛糞の堆肥を土にすきこんで10日後に、サツマイモ区画をのぞいた区画に苦土石灰を撒く予定だ。

市民農園の利用料は決して安くはない。市民農園には近くの農家のひとが常駐して相談にのってくれる。農家の知恵を骨の髄までしゃぶりつくす予定だ。だからわたしは高いとは思わない。運動不足の解消と農業技術の習得が市民農園を借りた目的だ。先ではもっと大規模に農業をやってみたいと思っている。まずは農園の土作りからわたしの新生活が始まる。

『武蔵野』

2009年04月03日 22時36分13秒 | Weblog
この2月、柳井の独歩の旧宅に寄った際に独歩を愛読する青年と遭いました。受験勉強の賜物で名前と代表作くらいは知っていました。が、読んだことはありません。「独歩を読んどくから。」と言い残して別れました。
昨日たまたま「ジュンク堂」に行く都合がありました。その時のことを思い出して岩波文庫「武蔵野」を買い求めました。「武蔵野」が18編の短編集であることを初めて知りました。

「武蔵野」と「初恋」を読みました。「武蔵野」では、明治の武蔵野と当時の文学青年の心象が見事に描かれていました。「初恋」という小編の先生は独歩の分身なのではないか、のち伴侶となった少女の姿が独歩の女性感を表しているのではないか、そのように感じながら岩波文庫「武蔵野」を閉じました。


門出

2009年04月02日 23時43分55秒 | Weblog
この3月の末をもって20年と7か月間勤めた会社を辞めた。「こころに燃えるものが残る内に」という思いが以前からあった。そして今日、盛大な送別会の幕は下りた。ついにブレッド&バターのための仕事に終止符を打つことができた。今や前職への未練の微塵もない。

いまだに、こころに燃える何ものかの正体は解らない。可能性の芽というか、ときめきの様な何ものかというか、根が浮気者なのに20年間拘束されてきた。開放感を噛みしめている。生来、組織には馴染めないのだ。しばらく市民農園でファーミングに励む。

余裕があるわけではない。しかし、積もった垢だけはきれいに落としておきたい。前職に纏わる書類一式はすべて焼却する。挿し木に成功した薔薇の移植もこれからだ。本の整理もしなくてはならない。前職でやり残した仕事に夢中になっていたから日常的な仕事が疎かになっていた。次の職探しは市民農園の種まきが終る頃になりそうだ。